【円環奇譚 鳥籠姫】

六葉翼

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【プロローグ 円に纏わる】

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「最善を尽くします。もっとも、対象は既に死亡しているようですが」

そう犬島は来客に告げた。客はその言葉を聞いて些か安堵したようだ。巨大な鎖に犬のように繋がれた異様な屋敷の主は身動ぎするどころか緻密な人形のように眉一つ動かさない。この男聞いていたより随分年若く見える。

そしてエジンバラの支部から派遣された使者である男の緊張を解そうという素振りも見せない。若造の風体をしているが、醸し出す威圧感で男は犬島とまともに目を合わすことも出来ずにいた。来客が持ち込んだ案件は端末に収録された動画だった。

犬島は応接間のテレビの画面を先程から眺めていた。

「ずっと回っていますね」

「ええずっと回ってます」

「いつから回ってますか」

「生まれてからずっと」

「もう死んでいるのに?」

「ずっと回ってます。ぐるぐる回ってます…とても怖いです」

粗いテレビ画面の画像に映る少女。白い夜着を着て廃屋とおぼしき室内をただ歩き回る。

時計の針のようにゆっくり円を描いて。

顔には蕩けるような微笑みを浮かべ。

歩いていた。

彼女の歩いた痕は絨毯に経年の轍を。円い軌跡を残している。

「床に書いた絵は」

「クレヨンですね」

「いえ…そうではなくて、これは魔方陣では?」

「魔方陣」

「そう見えませんか」

犬島は黙ったまま、重ねた拳に顎をのせたまま画面を見入っている。

「生まれた時から部屋に引きこもり。やがて食事もとらなくなり、衰弱死した女の子が誰にも習わず魔方陣を構成し、死んだ後も何かを異界から呼び続けているとしたら」

「前例がありません」

「ですから協会としては【星なき夜の書】に登録すべきかどうか、第一人者である貴方様に調査を依頼したいのです」

犬島が凝視する画面を何かが過った

「鳥?…ですかな」 

麒麟の翼だ。犬島は言葉を呑み込んだ。

「文字や記号を使わず絵を描いて何かを呼び寄せるというのは…」

「書き文字にしろ絵にしろ魔法としては高度とは言えません…大切なのは音ですから」

「なるほど」

「お引き受けします」
犬島は答えた。

「それを聞いて安堵しました」

本心からでた言葉だろうと犬島は思った。

「くれぐれも」

早々に暇を告げ部屋の扉を開けた男に犬島は言った。

「我々魔道に通じる者は」 

男の動きが止まる。

「魔方円を魔方陣と言い間違えたりしないのですよ。バチカンの方」

男が慌ててドアのノブに手をかけ廊下に部屋の外に飛び出す。

途端に屋敷が揺れ男はバランスを崩し.その場に尻餅をつく。地震ではない。

屋敷が哄笑っていた。

「ここからは出られない」

犬島の声が耳に届く。

「腹を空かしてるのは屋敷だけではないからな」

犬島が右手を挙げると笑い声は止んだ。
しかし別の物音が近づいてくる。床を踏み抜くような猛烈な勢いで近づいて来る。

「命が尽きるまで我が家の迷路を逃げ回るか、それともすぐに立ち上がり部屋に入ってこの私を見るか」

男は立ち上がり部屋に飛び込んだ。

「お前は空手で帰る。調査は依頼したが結果は見込み違いと報告する」

犬島の目には何も映らない。ただ暗いぽっかりとした穴が目のあった場所にあるだけだ。男は魅入られたように頷く。額はおろか全身汗をかいていた。

「雇い主に伝えろ」

男が持参した土産を持ち上げ言った

「私はバームクーヘンはあまり好きではないとな」

男の前に箱が投げられる

「どうせならお前の主が被るへんな帽子と同じ形の菓子を持って来いとな。あれはなかなか美味い」

犬島は溜め息まじりに呟いた。

「秘匿を知れ。星なき夜の書と書かれていたら…星なき夜は.ただ暗黒。Bible Blackと読むのが常識だ」


【歩く】

密やかに歩け。音もたてずに。爪先だけで軽やかに。歩け。廃墟と化したこの屋敷を歩く者があるとしたら私だけ。歩け。緩やかな曲線を曲がればまた曲線。ふりだしに戻る。歩け…烈火西蔵。砂漠の日に灼かれた駱駝の上を。地平の果ての蒼が果てしなく霞む平原を。海を星を夜を昼を。私の宇宙を。やがて私の両足はフワリと宙に浮かぶ。それでも私は歩くのをやめない。

あら玄関にお客だわ…。
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