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【ステップガ―ル】

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「ところで私はアンチクライストだ」

「祓魔師の真似事はしないと確かに聞いたが、私はこの場合は嘆くべきか、笑ってよいものか」

「たとえ神様であろうと天使様であろうと、死して尚、私の頭の上に誰かの足があるなんて、そんなくそったれな天国があるものかね」

「先程のあれは、貴女の台詞でしたか」

「私は家や土地を持たない流浪の民、ロマのジプシ-の娘として生まれた」

「どうりで」

「おや、気づいていたのかい?」

「初めて会って森を歩く途中まで、貴女の顔にそばかすなんて無かったと…不思議に思っていました」

「あんた良い学者になれるかも知れないね」

「私には時間がありません…少なくとも貴女にお会いするまでは、そう思っていました」

「まあ、年寄りの話は最後まで聞くもんさ」

女は死者の群れなど全く意にかいさぬといった様子で話し始めた。

「私は幼い頃から蛙の目玉で作った首飾りを欲しがったり、イモリや木の根を煎じて弟や妹たちに飲ませようとする変な子供だったよ。それでも両親は倹しい暮らしの中でも私を大切に育ててくれた。やがて師に出逢い部族を離れ、師と分かれた後に出会った男と結ばれ、へ-ゼルという名前の可愛い娘も授かった…私の孫、つまりこの娘の母親だ」

「実に可愛いらしいお嬢さんですね」

「ありがとう、自慢の孫さ。ただ…」

「ただ、なんです?」

「踵に羽根が生えたような性格の娘でね、なんというか、ふんわりし過ぎて」

「この仕事には向かない?」

「そうだ、死者なんて相手にしてたら、たちまち、つけ込まれて、とり殺されちまうね」

「それで貴女は亡くなられた後も、お孫さんの代わりに霊媒師の仕事を」

「その通りだ」

「夢のお告げでもして、お孫さんに辞めるように進言したらどうです」

「それが出来れば苦労はないんだが」

彼女が言うには彼女と彼女の孫は驚く程似ているのだという。

「魂から器まで私と孫はそっくりでね、孫の前に現れると私の魂は孫と同化してしまうのさ」

魂が本来の自分の肉体だと勘違いしてしまう…というのが彼女の考えだった。

「まったく義理固いにも程があるって言うのかねえ」

孫娘は昔から彼女になついてくれた。彼女も勿論孫娘を可愛いがった。

孫娘は彼女の資質を受け継いでいた。

花の言葉や石の記憶を辿る事が出来る娘だった。

「お前は、お祖母ちゃんと同じ力があるんだよ。将来はお祖母ちゃんより、ずっと凄い力が持てるかもね」

「力って魔法のこと?」

「まあ、そんなところかね」

「お祖母ちゃんは魔法使い?」

「まあ、そんなとこかね」

「じゃあ私も魔法使いになる!それでお祖母ちゃんみたいに、困ってる人を助けてあげるの!」

「そんな風に、お前が立派になるまでは、私は死ねやしないね」

しかし彼女は、娘が7つの誕生日を迎えた翌月に肺炎でこの世を去った。

孫に誇れるような魔法使いなんかじゃなかった。

ただ少しだけ他の人には聞こえない草や木や石の声が聞こえ、死者の姿が見えるだけ。その乏しい力を頼りに占いや霊媒で生計を立てていた。

でもね、魔法使いじゃなくても良かったんだ。

彼女は誇らしかった。

傍らで泣いてくれる娘や孫がいて、上々の人生じゃないか。

人の命は鮫と同じで前にしか進めない。

私は天国なんて信じない。きっと多分だけど、あの世もこの世も地続き。

先に逝った両親も師匠も、あの人も、私に生きる力を授けてくれた神様だって、きっと生きてきた道の続きに皆いるはずさ。

だから私は前に進めばいい。生きて来た時と同じように。

魂を運ぶ人の体は鮫に似ている。立ち止まっていると思う時でさえ、前へ前へと進むだけだ。

どうやら気が遠くなって来たね。

「お祖母ちゃん!死なないで!」

ありがとうよ、私のために、そんなに泣いてくれて。

「お祖母ちゃん約束する!私お祖母ちゃんみたいな大魔法使いになって、お祖母ちゃんを生き返らせる!絶対魔法使いになるんだから…お祖母ちゃん!お返事して!」

いや…そんな約束はしなくて…いいよ。

いまわの際に彼女は小さな欠伸を1つした。

「お返事した!」

「お母さん!今確かにお返事したね」

まさか…まさか…ねえ。


孫の魔法で彼女が生き返った訳ではなかった。

しかし彼女は思いとは裏腹にこの地に留まってしまった。

「私の未練だったのかも知れないね」

彼女が亡くなってから7年後に娘のヘ-ゼルが病で旅立って行った。

彼女はヘ-ゼルの前に姿を見せなかった。夜明け前遮蔽機をつけた黒馬が引く馬車で、ヘ-ゼルの夫が彼女を迎えに来たからだ。

ヘ-ゼルは何度も自分の亡骸と愛娘のいる部屋の窓を振り返りながら馬車に乗り、自分の行くべき旅路にについた。

「ヘ-ゼル心配するでないよ。あの子の事は私が見てるから」

遠ざかる馬車に向かって彼女は呟いた。

「ヘ-ゼル良い旅を!」

ふいに馬車の窓から娘のヘ-ゼルが手を伸ばした。

白い手袋が蝶のように夜の空気の中を、ひらひら舞うのが見えた。娘が母の手に履かせてくれたシルクの手袋だった。

黒のフォーマルドレスに白いワイシャツは仕事着だった。胸には以前ヘ-ゼルの誕生日に仕事仲間が贈ってくれた木のブローチが飾られた。ヘ-ゼルの枝に小鳥が一羽。彼女の宝物だった。

ヘ-ゼルは夫を百日咳の流行り病で亡くした後、すぐに娘時代からの仕事に戻った。

職場は以前の勤め先とは違っていたが、そこでも忽ち頭角を現して以前と同じ責任ある立場に就いた。

部下を育てるのが大変上手で、自らもよく働いたので、葬式は弔問の客で終始賑やかであった。

娘を特別に職場に連れて来る事も許され、ヘ-ゼルが仕事中も誰彼となく面倒を見てくれた。

たまに孫を預けに来る事もあったが、多分そんな必要は実は、なかったのかも知れない。

娘はただ孫と遊ぶ時間をくれたに違いない、と彼女は思うのだ。

そんな時もヘ-ゼルは今と同じように馬車から手を振ってみせた。

「ちょっとパブでスタウトを1杯ひっかけて戻るわ」

そんな感じだ。

何時からだろう?人は鮫に似ているなんて思うようになったのは。それは私がヘ-ゼルという娘を生んでからだと彼女は、その時理解した。

我が娘ヘ-ゼルの魂は他の誰よりも鮫に似ていた。

最後まで自動車に乗るのを嫌い、車輪の轍が残らない馬車に乗って旅立った。

ヘ-ゼルは娘に必要な事を教え、働く自分の姿を見せ、自分の夢を娘に語って聞かせた。けして、それを娘に押し付けたりはしなかった。それでも娘は母親と同じ夢を抱くようになったようだ。

「私、お母さんと同じ仕事をして、いつかお母さんみたいになるの」

その言葉を孫娘が母親に話すのを聞いて、彼女は心から安堵した。

以前、彼女の遺品が整理される時に、孫娘は彼女のコ-トを泣きながら抱いて、離そうとしなかった。

仕事で彼女が着ていたコ-トには特別な魔力が宿る訳ではない。けれど孫娘はそれを魔法使いのマントだと思い込んでいた。

時々洋服箪笥から出しては眺めている孫娘を見るにつけ、不安になったものだ。

心の礎である愛する者を失った時、誰もがそうであるように、母親を失った娘もしばらくは家に隠り何もしなかった。

しかし祖母が、母親が、そうであったように彼女も立ち上がって仕事をしようと衣装箪笥を開けた。

生前母親が自分の希望を聞いて取り寄せてくれた仕事着。

そして祖母のコ-ト。

その2着をハンガーに掛けて、しばらくの間思案するように見つめていた。

母親の用意してくれた制服に手が伸びる。

「そうだ、それでいいんだよ。そっちの方があんたに似合ってるよ」

孫娘の選択に彼女は思わず小さな拍手を送った。

しかし孫娘は母親の用意した制服に着替え終わると、その上から祖母のコ-トを羽織り、猛烈な勢いで表に飛び出して行った。

「お孫さんは両方やるつもりだったんですね」

「ああ、まったく頭が痛い話しさ…あんた私の心が安らぐように祈っておくれよ」

彼女は、ため息混じりに言った。

「帽子を2つ被れる程あの子は器用じゃない、だって私の孫だもの」

男は黙って少女の姿で、目の前の孫娘を語る老婆の言葉に耳を傾けていた。

「あの、すいません」

ふいに肩を指でとんとんされて、男は顔を上げる。そこにはドルイド風のマントを肩まではだけた娘が微笑んでいた。

マントの下はメイド服だった。

「私お祖母ちゃんに憧れて、魔法使いとハウスキ―パ―だったハウスメイド・・両方やってますます。よろしくお願いします!」

「どうしよう」

周囲を死人の群れに囲まれた男は、思わす口もとを押さえてそう呟いた。

「名前はオレアナと申します!」

「それは、御丁寧にどうも」

「メイドの御用はございますか?」

「いや…とりあえずは…」

「私の孫娘をいやらしい目で見るんじゃないよ!?、この!」

男はさっきまでニコヤカに微笑んでいたメイドに思いきり頭をはたかれた。

「私は一体どうすればいいんだ!?」





【オレアナ】

朝の霧が晴れても薄暗い。ここはロンドンの下町の一角にある住宅の玄関。私はそこで家の主を待っていた。

ほどなくすると、玄関の扉が開いてお出かけの為お洒落をした貴婦人が姿を現す。

私は恭しくお辞儀をして、玄関のステップに足をかける。手にした絹の白い手袋を奥様の手にはめて差し上げる。

馬車に乗り込んだ奥様をお見送りして、私は手帳を確認して次の職場に向かう。

今お見送りした女性は、私が仕える奥様ではない。そもそも私はどこかの御屋敷のメイドでもない。

産業革命とやらが起きて以来、この国には小金持ちが急に増えた。多少のお金は稼げるようになったけど、大金持ちの御屋敷みたいに家付きのメイドを雇うお金はない。

この時代メイドを雇うことは、中産階級の人々の憧れになっていた。そこで中流の奥様たちは、メイドに御世話される気分だけでも味わいたくて、玄関先だけのメイドを雇う。

「私の家はメイドを雇っている」

そう御近所に自慢したくて。奥様も偽物ならメイドも偽物。そんな私のようなメイドのことを世間ではステップガ―ルと呼んでいた。

玄関のステップまでのメイドという意味た。本当はお母さんのように、御屋敷勤めの下働きから始めて、いつかは家の御主人や仕事仲間から信頼される一番えらいハウスキ―パ―を目指したい。

けれどメイドの仕事をするためには、紹介所に行って、まずは推薦状を書いてもらわなくてはならない。私はまだ推薦状を書いてもらえる年齢になっていなかった。

「メイドになって、責任ある仕事に就くためにはまず、職業訓練の学校に通って、お裁縫や料理や礼儀作法を身につけた方がいいよ。ハウスキ―パ―になりたいならなおさらだ」

そんな風に紹介所で教えられた。紹介状を書いてもらうにも多少のお金が必要だった。

そこで私はお祖母ちゃんみたいに、昼間は霊能者として占いや悪霊払いの仕事をして、時間が空いた時にこうして流しのメイド稼業でお金を貯めることにした。

なかなか流行らず、毎日食べるのが精いっぱいだ。でも、もうすぐお母さんがメイドの仕事を始めた年に私もなる。

そしたら御屋敷勤めも出来て、魔法使いの勉強も出来る。魔法も使えるメイドさんを目指して、私は今日もロンドンの街を駆け回っている。
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