蒼天の竜騎士

緑谷

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第一章 英雄の娘

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 二人がかりで何とか部屋(十九番目の部屋だった)に押し込み、自室へと向かう。

 それにしても、意識をなくした人間はあんなに重いのか。知らなかった。いつの間にか額に浮いた汗を拭い、エオナはソフィアについて歩いていく。

 まっすぐに伸びた廊下を進むことしばし、扉に『二十五』と番号が振られた部屋にたどりついた。

「ここだ。荷物を置いてきなさい。他にも案内する場所があるからね」
「はいっ! 失礼します!」

 勢い込んで声を張り、扉を開く――が、その前に扉が内側へと動いた。ノブを握りしめたままつんのめり、エオナは顔から前へ倒れ込む。

「うひゃぁっ!?」

 情けない悲鳴と同時に手をばたつかせる。石造りの床はさぞ痛いだろう。強い衝撃を覚悟して目を閉じる。

 しかし、顔面に触れたのは衝撃でも冷たい痛さではなく、柔らかさとぬくもりだった。ちょっとおしゃれな石鹸のような、いい匂いがする。程よい弾力で気持ちがいいが、ちょっとだけ苦しくなる。

「あらあら、ごめんなさい! 大丈夫かしら」
「ふえ」

 突如降ってきた女性の声に、エオナは混乱したまま瞬きした。恐る恐る顔を仰向けると、透き通った茶色の目を丸くした若い女性と目が合った。濃緑の髪を肩できちんと切りそろえ、まつげの長い双眸を瞬いている。

「怪我はない? ごめんなさい、気が付かなかったわ」
「あ、や、えっと……」

 こちらこそごめんなさい。そう言いかけてから、エオナはふと今の状況を振り返る。

 首をそらして顔が見える。埋もれている場所は柔らかい。つまり――目の前の女性の豊満な胸に、思い切り顔を押し付けている状態である。

 エオナは思わず顔を赤くして、弾かれたように一歩飛びのいた。恥ずかしい、転んだところを見られたこともそうだけど!

「ごっ、ごめんなさいっ、あた、あたしっ、し、失礼なことして!!」
「やだ、謝らなくていいのよ。よかったわ、鎧つけてなくて」

 彼女は優しく笑んで首を振る。レインと同じ年くらいだろうか。小柄で女性らしくメリハリの利いた体だが、ソフィアやレインと同様無駄がなく引き締まっている。短いスカートに腿まで覆うブーツ、襟の高い上着は、落ち着いた蒼に染め付けられていた。そしてやはり、スカートの裾には飛竜の紋。

「ラーラか。ちょうどよかった」

 笑み含みの声が、エオナの後ろから投げられた。女性はエオナの後ろにたたずむソフィアへ視線を移し、敬礼する。

「団長、この子は?」
「エオナという。ゼグレスの民の乱に名を連ねた、ヤーファの娘だ」
「まあ、あの……」

 女団長もまた、前に控えた人へと返事を投げた。何となく入り込めない空気が流れ、エオナは肩をすぼめて挟まれていた。

「しかし、ヤーファ様がここにおられないということは……やはり」
「彼女は戦を望んではおらぬ。ゆえに、娘のエオナが代わりとなって……いや、代わりというには失礼だな。現状を聞き、一人の有志として来てくれたのだ」

 ぽんと、すぼめた肩に手が置かれる。ラーラと呼ばれた女性騎士は、エオナを再び見つめると、柔らかな笑みを乗せた。

「そうなの。こんなに若いのに……勇気があるのね。すごいわ」

 ソフィアの言うことは少し違う。本当に母の代わりに来ただけである。それなのに、こんなにも褒められてしまって、エオナは照れと気恥ずかしさでのぼせてしまいそうだった。

 白い手のひらが目の前に出される。

「私はラーラ。ラーラ・マクハールよ。女の子が少ないから、あなたが来てくれて嬉しいわ」

 差し出された手を握り、握手を交わす。女性が少ないのは、今まで目にしてきた風景でわかる。食堂にいた騎士たちも、眺めた限りすべて男性だった。

「あとどれくらいいるんですか?」
「あなたで三人目よ、エオナ」

 ――つまり。

「あたしと、ラーラさんと、団長?」
「そのとおり。ようこそ、飛竜騎士団唯一の女性部屋へ!」

 ラーラが悪戯っぽく片目を瞑り、エオナの手を握る。ここまで歓迎されるとは思っていなかった。

「よ、よろしくお願いします」

 優しそうな人でよかった。これからうまくやっていけそうな気がする。エオナははにかみながら手を握り返し、小さく頭を下げるのだった。


 荷を部屋に預けてからも、ソフィアの砦案内は続いた。

 入り口の広間に戻り、右手に伸びた廊下を進むと武器庫だった。これは、宿舎前にある簡易訓練場からも入れるようになっている。訓練に使うものから実戦用まで、ここともう一箇所の倉庫に保管しておくのだそうだ。

 広間の像の後ろにある階段は、団長と副団長の部屋に続いている。中はさすがに見せてはくれなかったが、何か特別なことがあれば入れるとのことだった。

 通路の左右で四つ、重々しい空気をまとった扉を眺めていると、先を歩いていたソフィアが手招きした。行き止まりかとも思ったが、よくよく目を凝らせば石造りの梯子がかけられているのが見える。

「この上が屋上になる」

 梯子を途中までのぼってから、ソフィアはおもむろに手を上へと伸ばした。重い音と共に、彼女の髪が蒼を溶かす。

 それから不意に、ソフィアの姿が消えた。

「あ、あれっ」
「こっちだ、エオナ。梯子をのぼってこい」

 頭上から楽しげな声が降ってくる。振り仰げば、こちらを覗き込むソフィアがいた。

 慌てて梯子に飛びつき、のぼる。身体を引き上げた途端、硝子のように冷たい夜風が全身を包み込む。

「ここが屋上。右手に見えるのが武器庫だ。これはここ……左手にある見張りの塔の者が持つ」

 小ぢんまりとした武器庫と対照に、塔はどこまでも長く大きかった。屋上のほぼ大半を、塔の土台が占めている。その一部に文字が刻まれていたが、意味を読み取ることはできなかった。

「それは魔術式だ。私も詳しいことは知らぬが……イヴァノンに三竜騎士団が結成された暁に作られ、最後の魔術師がまじないを施したと聞いている。決して倒れたりせぬように、とな」

 言いながら、ソフィアは塔の壁をなでた。太い円柱形の建物で、ここからでは頂上を確認することができなかった。階段らしきものはおろか、入り口すら存在していない。

「あの……これ」

 察したのか、ソフィアはひとつうなずいて答える。

「頂上には飛竜でしかたどり着けぬ。同じように作られた二つの塔も、それぞれの竜にしか登れぬようになっている。見張りの塔は、城と都の大事を察知するに必要なもの。交代で塔に登り、見張りにあたる。エオナもいずれここに登ることがあろう」

 エオナは、ここに来る直前に見た都の光景を思い出していた。王城のある湖のそばにあった塔、そして平原にたたずむ塔。都を、国を守るために立てられた、決して倒れぬ竜騎士の塔。そのひとつが、今目の前にある。


 ――誉れ高きイヴァノン国の三竜騎士団のひとつに来たのだ。この騎士団の助けになるために。


 そっと、右手で作った拳を左肩へと押し当てた。風がエオナの癖毛を巻き上げ、乱す。そこに潜む戦の気配を、エオナは確かに感じ取っていた。
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