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#7 花は咲けども風に散る

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「初野寿杜、泣き止みなさいよ」

 それから、どれほどの時間が経ったのだろうか。目の前には見慣れた白金髪と碧眼が映った。

「夜空……。なんで……ここに?」
「双葉暁海に呼び出されたのですわ。まったく……貴方がいたら、慰めてあげて欲しいって、どういうことですの?」

 俺は悩みながらも、夜空にありのままを話した。途中途中で、夜空が苦悶の表情を浮かべるのは、気にしないことにした。

「事情は理解しましたわ。そうね……。今日は遅いですし、私の家に泊まりなさい。車も待機させていることですし」

 ん? 今……何て言ったんだ? そもそも俺の意思を確認する段階がなかったよな?

「さぁ、乗って」
「いや待て、ここ俺ん家近くだし。そもそも!」
「いいから乗りなさい!」

 俺があれこれ言おうとするのを一蹴され、車の方へぐいぐいと押される。全身で押しているせいか、背中に夜空の柔らかなあれが当たっているのですが……。

「さぁ、乗りなさい」

 黒塗りの高級車、汚れ一つ見当たらない長いボディ、その車の扉をスーツ姿の男性が開けてくれる。前に顔を合わせたことのある執事兼ボディーガード兼運転手の人だ。乗り込んだ車内にも豪奢な装飾を施されていて、煌びやかだ。話によると、この車は夜空専用にカスタムされてあるらしい。

「さぁ、少し眠りなさい。今の貴方は見るに耐えないのよ。ほら、私が膝枕をして差し上げますから、大人しく甘えなさい。というか、感謝なさい」

 そう言って夜空は、自分の腿をトントンと叩く。頭を乗せろということだろう。今は……そうさせてもらおう。仰向けに転がると、必然的に夜空と目が合う。優しげに微笑む夜空。そっと頭を撫でる夜空の手が視界に映る。白磁のように白く、やわらかい。彼女が持つ特有の甘い香りに包まれて、俺はゆっくりと目蓋を閉じた。


だから、俺は彼らの会話を知らない。知る由もない。

「初野寿杜……。今は私だけを見ていてほしい。せめて、今だけは……双葉暁海を忘れて、私を見て……」
「お嬢様、少し……遠回りをしましょうか」


 次に目を覚ました時、俺の視界に広がったのは、夜空の寝顔だった。

「ん?」

 俺は状況を把握しきれていなかったが、運転手さんの声を聞いて、ようやく頭が理解に追いついた。そう、俺は夜空に家へ招待され、車に乗ったんだ。夜空は俺を寝かそうとして、そのまま寝ちゃったのか。

「おい? 夜空、着いたぞ」

 俺が夜空の膝から、声をかける。うとうとと、船を漕ぐ夜空は、俺の声でハッと目を覚まし、素っ頓狂な声を上げた。

「おはよう。寝たら気が楽になったよ」
「そ、そう。なら良いですわ。だ、だから、頭を退けなさい」

 そう言われて、ようやく俺は起き上がった。車から降りて、新郷邸に足を踏み入れる。なんだか、すごく厳重な警備がされていると思い込んでいたが、門前には誰も立っておらす、防犯カメラの類も見えない。まぁ、見えるだけが全てじゃない。隠しカメラのようになっている可能性だってある。

「では、案内するわね」

 玄関ホールの広さにまずは圧倒された。まるで外国のような印象を受ける。
 新郷邸の内部はモダンで落ち着いた雰囲気だった。広く、ゆったりとした空間は時間の流れすら、ゆっくりと感じられる。通された部屋にあるソファー一つとっても、高級感が伝わってくる。だのに、上品で、悪趣味な印象は一切受けない。

「座っていて。あ、紅茶は苦手かしら?」
「コーヒー派だけど……大丈夫だと思う」

 そう言うと、夜空は部屋から出て行った。数分後、トレイを持った夜空が戻ってきた。テーブルにトレイを置き、ソーサーに乗ったカップを俺の前に出す。

「夜空が淹れたのか?」

 俺がそう尋ねると、夜空は得意げに微笑んだ。

「淑女の嗜みというものよ。さぁ、どうぞ」

 少量を口に含むだけでも、市販のペットボトル飲料との格の違いを示された。上品な味わいが、ふわりと口に馴染む。鼻腔をくすぐる香りも、葉の良質さと適切な淹れ方を物語っている。

「俺さ、ずっと暁海のことが好きだった。なのに、アイツは…俺のことを何とも思っていなかった……」

 感情を吐き出す俺を、夜空はそっと抱きしめてくれた。上品で大人びたバラの香りに包まれる。

「初野寿杜。私は……貴方が好きですわ。愛しています。でも、貴方がいつも別の女の子――双葉暁海――を見ていたことも気付いていました。今、貴方に告白することは、狡賢いことだと承知しています。だから……返事は、今じゃなくていいのです……」

 夜空に告げられた言葉を、俺は誰に望んでいたのだろうか。彼女の優しさに感謝する自分と、君に言って欲しかった訳じゃないと思ってしまった、酷く心の狭い自分がいた。

「貴方、考えが表情にすぐ表れるのね。申し訳なさそうな顔を見せないでください。ね?」

 どこまでも優しい夜空に涙が出そうだった。でも、俺に泣く資格などない。分かりきっている、ここで泣くことは、その優しさに甘えて依存してしまうことを意味する。自分が強い人間だなんて微塵も思っていない。でも、女の子――自分を慕ってくれる夜空――の優しさに僅かな強さすら失ってしまいそうなのだ……。その時、大時計から重厚感のある鐘の音が響いた。それは、午後七時を告げる音だった。

「ねぇ、寿杜。今の貴方は色々と考えすぎよ。そうね、一度頭を空っぽにした方がいいわ」
「あぁ……そうだな。なぁ、キッチンを見せてくれないか。無性に料理をしたい気分なんだ」
「えぇ、分かったわ。好きに使って。さぁ、案内するわ」

 料理で少しでも、夜空に感謝の想いを届けられたら……。そんな考えを以って、俺は夜空に続いて廊下を歩いてキッチンを目指す。おそらく、先ほどの部屋は応接室だったのだろう。キッチンと少し距離がある。そうして邸内西側の大きな扉の先に……

「ここよ。説明が必要なら呼んでね。向かいのリビングにいるから」

 キッチンと呼ぶには広すぎる空間。厨房が広がっていたのだ。これには流石の今でも興奮する。料理が好きな人間なら、誰でもそうなると思う。それ程に、充実した設備と美しさを、この厨房は備えているのだ。

「頭を空っぽに……か。ふぅ。やってみるか」
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