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File7 シェラー市土地売買潜脱事件
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響歴1433年の初冬、女王ソフィ―リス・マリーベル=ランタニアはとある商会がつけていた売買台帳を読んでいた。その商会が取り扱っている商材は不動産すなわち、土地や建物である。
女王ソフィが統治するランタニア王国では全ての土地は女王の所有物――――などという考えはなく、貴族や教会、当然のように一般市民も適正な金額を出せば購入できることになっている。とはいえ首都アウレアは王家が直接所有する土地が多いのだが。
「陛下、失礼いたします。むむ、不動産売買の記録をご覧であれば話は早い。実はシェラー市の土地売買の件で一つ判断を下していただきた案件がございます」
筆頭大臣ガリウスが持ってきた案件にソフィは天を仰いだ。
「これはなかなか……難儀なものを持ってきたじゃないか」
ことの次第はこうだ。
ランタニア南部の街シェラー市。そこにある不動産屋が土地を一か所売った。それは余命いくばくもない老人からの依頼であり、その老人は王都アウレアにいる息子に土地ではなく現金を残そうと売却を急いでいた。
老人はかつて林業を営んでいたが、高齢になり引退。作業場だった場所は長らく放置していて、建物は既に取り壊されて荒れた空き地となっていた。
そういった事情からその不動産屋の若き営業は上司に掛け合い、土地の買い取りを老人に提案した。
老人は息子に相談の手紙を送ることなく、その提案に乗り金貨400枚で不動産屋が買い取るための契約を締結した。
「ここからが問題じゃな」
不動産屋と老人の間で売買契約が締結されたため、不動産屋はその土地の売り先を探すことになった。当該物件の近隣からあたる中、ちょうど隣地の地主が購入を申し出たのだ。
これ幸いと不動産屋は隣地の所有者に金貨600枚で売却する契約を結んだ。
老人と不動産屋の決済も済み、不動産屋と隣地の所有者の決済、引き渡し、登記が済んだ頃、もともと土地を持っていた老人は天寿を全うした。
老人のもとへ足しげく通い、孫のように可愛がられていた不動産屋の若き営業は老人の葬儀で、その老人の実の息子に突如掴まれ、こう言われたという。
『そんなすぐ売れるんだったらあんたたちが買い取らずに仲介で良かったじゃないか』
不動産を売るなら、業者に買い取ってもらう方法と、仲介を依頼する方法がある。不動産屋からではなく、売りたい人から買ってくれる人を探してもらう方法だ。
「なるほどなぁ。本来600枚で売れるはずの土地を400枚で売ってしまった。老人は息子のために売ったはずなのに。……悲しいものだね」
「はい。息子の男性は不動産屋に差額を支払うよう訴えています」
法として明文化されていないが、商人は顧客の利益が最大化するよう商いに励まねばならないとされている。ここで不動産屋が買い取ったがために、売主そしてその息子の利益は最大にはならなかった。
「不動産屋が不憫ではあるが、これは息子の言い分に理があるな。……裁きを伝える。数日中に当事者に城まで来させよ」
「老人の息子ウェルナーはアウレア在住なのですぐに呼び出せるでしょうが、不動産屋はシェラー市からですので……そうですね、一週間はかかるかと」
「うむ。よかろう。どうせ他にも仕事はあるからな」
深々とガリウスが頭を下げる。
一週間後、女王の間に件の不動産屋の代表ヘンドリックと若い営業サルマン、そして土地を売った老人の息子ウェルナーが揃った。
「さて、三人ともよく来てくれたな。ウェルナーの主張は聞いておる。ヘンドリック、サルマン、二人から何か主張はあるか?」
「お、畏れ多いことですが、私とこのサルマンは何も間違ったことをしたつもりはございません。ウェルナーさんの父上も納得して売却してくださいました。合意の上でございます」
ソフィはじっくりと双方の言い分を聞いた。それでもなお、決心は変わらなかった。
「此度の商い、ヘンドリックとサルマンは息子のために土地を素早く売りたいという老人から土地を買い取り、それをその土地の隣人に売却した。しかし金貨400枚で買った土地を何ら労なく600枚で売ることは、ある種の潜脱行為といって差し支えなかろう。サルマンが老人と合意を形成していたとしても、それが何ら書面に残っていない以上は買い取りと仲介の差異をきちんと説明した上で、売主にとって最大の利益は何なのか追及すべきであろう」
ソフィの言葉に不動産屋の二人はがっくりと項垂れる。
「さて……そろそろ結論を聞きたいだろう。ヘンドリックならびにサルマンはウェルナーに対し、売買金額の差額金貨200枚から手数料相当額である24枚を差し引いた金貨176を支払うこと」
判決を聞いてサルマンはとうとう泣き出してしまった。
「ヘンドリックさん……すみません……俺の、俺のせいで……」
「いいんだサルマン。ちゃんと手数料相当額はいただけるんだ。サルマン、陛下の御前だ。泣くんじゃないよ」
「……すまなかった二人とも。その、なんだ。父の土地が安く買いたたかれたと思って腹が立ってしまったんだ。……サルマンさんは父の葬儀にまで来てくれて、騙されたはずなんてないのに……」
「ほぉ、ならばウェルナーは金貨176枚の受け取りを放棄するか?」
「いや、そういうわけじゃ……は、半分でいい。100枚もらえれば十分だ」
最終的に金貨100枚を受け取ってウェルナーは去っていった。
「ヘンドリック、サルマン、長旅に加えて今回の裁決、疲れたろう。一晩、城で身体を休めるといい」
「ありがたき幸せです」
「女王陛下に感謝をささげます」
後の世で不動産業者が必ず学ぶ案件となる今回の裁決。ウェルナーの好意によって差額の半分を渡して決着したが、この判例に倣って下された後の世では、差額全額に加えて支払いが遅延したことに対する損害賠償まで支払うこととなった。
ソフィーリス女王時代の代表的な判例の一つとして語り継がれることとなる。
女王ソフィが統治するランタニア王国では全ての土地は女王の所有物――――などという考えはなく、貴族や教会、当然のように一般市民も適正な金額を出せば購入できることになっている。とはいえ首都アウレアは王家が直接所有する土地が多いのだが。
「陛下、失礼いたします。むむ、不動産売買の記録をご覧であれば話は早い。実はシェラー市の土地売買の件で一つ判断を下していただきた案件がございます」
筆頭大臣ガリウスが持ってきた案件にソフィは天を仰いだ。
「これはなかなか……難儀なものを持ってきたじゃないか」
ことの次第はこうだ。
ランタニア南部の街シェラー市。そこにある不動産屋が土地を一か所売った。それは余命いくばくもない老人からの依頼であり、その老人は王都アウレアにいる息子に土地ではなく現金を残そうと売却を急いでいた。
老人はかつて林業を営んでいたが、高齢になり引退。作業場だった場所は長らく放置していて、建物は既に取り壊されて荒れた空き地となっていた。
そういった事情からその不動産屋の若き営業は上司に掛け合い、土地の買い取りを老人に提案した。
老人は息子に相談の手紙を送ることなく、その提案に乗り金貨400枚で不動産屋が買い取るための契約を締結した。
「ここからが問題じゃな」
不動産屋と老人の間で売買契約が締結されたため、不動産屋はその土地の売り先を探すことになった。当該物件の近隣からあたる中、ちょうど隣地の地主が購入を申し出たのだ。
これ幸いと不動産屋は隣地の所有者に金貨600枚で売却する契約を結んだ。
老人と不動産屋の決済も済み、不動産屋と隣地の所有者の決済、引き渡し、登記が済んだ頃、もともと土地を持っていた老人は天寿を全うした。
老人のもとへ足しげく通い、孫のように可愛がられていた不動産屋の若き営業は老人の葬儀で、その老人の実の息子に突如掴まれ、こう言われたという。
『そんなすぐ売れるんだったらあんたたちが買い取らずに仲介で良かったじゃないか』
不動産を売るなら、業者に買い取ってもらう方法と、仲介を依頼する方法がある。不動産屋からではなく、売りたい人から買ってくれる人を探してもらう方法だ。
「なるほどなぁ。本来600枚で売れるはずの土地を400枚で売ってしまった。老人は息子のために売ったはずなのに。……悲しいものだね」
「はい。息子の男性は不動産屋に差額を支払うよう訴えています」
法として明文化されていないが、商人は顧客の利益が最大化するよう商いに励まねばならないとされている。ここで不動産屋が買い取ったがために、売主そしてその息子の利益は最大にはならなかった。
「不動産屋が不憫ではあるが、これは息子の言い分に理があるな。……裁きを伝える。数日中に当事者に城まで来させよ」
「老人の息子ウェルナーはアウレア在住なのですぐに呼び出せるでしょうが、不動産屋はシェラー市からですので……そうですね、一週間はかかるかと」
「うむ。よかろう。どうせ他にも仕事はあるからな」
深々とガリウスが頭を下げる。
一週間後、女王の間に件の不動産屋の代表ヘンドリックと若い営業サルマン、そして土地を売った老人の息子ウェルナーが揃った。
「さて、三人ともよく来てくれたな。ウェルナーの主張は聞いておる。ヘンドリック、サルマン、二人から何か主張はあるか?」
「お、畏れ多いことですが、私とこのサルマンは何も間違ったことをしたつもりはございません。ウェルナーさんの父上も納得して売却してくださいました。合意の上でございます」
ソフィはじっくりと双方の言い分を聞いた。それでもなお、決心は変わらなかった。
「此度の商い、ヘンドリックとサルマンは息子のために土地を素早く売りたいという老人から土地を買い取り、それをその土地の隣人に売却した。しかし金貨400枚で買った土地を何ら労なく600枚で売ることは、ある種の潜脱行為といって差し支えなかろう。サルマンが老人と合意を形成していたとしても、それが何ら書面に残っていない以上は買い取りと仲介の差異をきちんと説明した上で、売主にとって最大の利益は何なのか追及すべきであろう」
ソフィの言葉に不動産屋の二人はがっくりと項垂れる。
「さて……そろそろ結論を聞きたいだろう。ヘンドリックならびにサルマンはウェルナーに対し、売買金額の差額金貨200枚から手数料相当額である24枚を差し引いた金貨176を支払うこと」
判決を聞いてサルマンはとうとう泣き出してしまった。
「ヘンドリックさん……すみません……俺の、俺のせいで……」
「いいんだサルマン。ちゃんと手数料相当額はいただけるんだ。サルマン、陛下の御前だ。泣くんじゃないよ」
「……すまなかった二人とも。その、なんだ。父の土地が安く買いたたかれたと思って腹が立ってしまったんだ。……サルマンさんは父の葬儀にまで来てくれて、騙されたはずなんてないのに……」
「ほぉ、ならばウェルナーは金貨176枚の受け取りを放棄するか?」
「いや、そういうわけじゃ……は、半分でいい。100枚もらえれば十分だ」
最終的に金貨100枚を受け取ってウェルナーは去っていった。
「ヘンドリック、サルマン、長旅に加えて今回の裁決、疲れたろう。一晩、城で身体を休めるといい」
「ありがたき幸せです」
「女王陛下に感謝をささげます」
後の世で不動産業者が必ず学ぶ案件となる今回の裁決。ウェルナーの好意によって差額の半分を渡して決着したが、この判例に倣って下された後の世では、差額全額に加えて支払いが遅延したことに対する損害賠償まで支払うこととなった。
ソフィーリス女王時代の代表的な判例の一つとして語り継がれることとなる。
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