この想いを詠う

楠富 つかさ

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本編

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 私、宮川しずくは時空を越えた。夏休み真最中な八月のある日、文芸部に所属する私は市のコンクールに出品する作品を仕上げに登校していた。その帰り道のことだった。セーラー服のスカートを翻して交差点の角を曲がると、側溝に落ちるような感覚が私を襲った。むろん、そこには側溝なんてない。ズブズブと沈んでいく感覚に浸る中、私は意識を手放した。


「おや、目を覚まされましたか」

 ……ん、ここは? 目を開けて映ったのは、丸顔の少女。ふっくらとした顔に育ちのよさを感じるが、一重の目蓋といい少し厚い唇といい少し低い鼻といい、どこか垢抜けない少女。顔立ちが整っていない訳ではないが美少女とは言えない。歳は……私と同じくらいだろうか。日本史の資料でしか見ないような重そうな着物に身を包んでいる。

「ここ、は?」

 辺りを見渡すと純和室といった空間。畳に敷かれた布団に寝かされている私、起き上がって固かった枕を見てみると四角い。この白くて薄い布は蚊帳、だろうか。

「ここは中里京の大内裏、登華殿とうかでんの一室よ。わたくしは柚子ゆうし。貴女は不思議な方ね。見たことも無い服を着ていた貴女を庭先で見付けた時、怪しいと思う以上に何故か惹かれるわたくしがいましたの。まぁ、貴女が怪しい人物でないことは賀茂様が証明してくださいましたが」

 柚子と名乗った少女は簡単に畳まれたセーラー服を指差して微笑む。あ、今、私……ふむ。滝行をする僧みたいな白い衣を着せられている。……賀茂様って、陰陽師かな? 取り敢えず、自己紹介して、状況を把握しなきゃ。

「私はしずく。柚子さま、今年は何年ですか?」

 声からも感じられる品の良さに、無意識でさま付けしていた。

「はて、わたくしは暦に聡くないのですが……確か、長和二年、だったかしら」

 マイナーな元号! たしか、10世紀末だったような。ううん。11世紀になってるか。ということは、ざっと1000年前だろうか。1000年タイムスリップとかどこのFFⅩだよ!? って、あっちは進むんだっけ。

「帝は、どなたでしょうか?」

 実際の1000年前は三条天皇か後一条天皇の御世だった筈。とはいえ、さっき柚子さまは中里京という聞き覚えの無い地名を口にした。ということは……ひょっとしたら。

「現在は三上帝の御世です。それがいかがしましたか?」

 みかみてい? 誰だよ。桐壺帝の方がまだ耳なじみあるわ。

「中宮様、客人はお目覚めに?」

 私の脳内が源氏物語について語りだしていると、柚子さまより大人びた女性の声が蚊帳の外から聞えてきた。
「あら、はく少納言しょうなごん。わたくしのことは柚子で構わないと申しているというのに」

……今、中宮様って聞えたよね。柚子さま、件の三上帝のお后!? 混乱する私をよそ目に、柚子さまと柏少納言なる女房は話し続け、

「では、下がりなさい」
「畏まりました」

 足音は遠ざかり、代わりに柚子さまの顔が私の目の前に現れた。

「貴女の身柄は、わたくしが預かることが正式に決まりましたわ」
「えっと、柚子さまは……帝のお后様だったのですね?」

 きちんとした距離を取って対面し、私は柚子さまに尋ねる。

「まぁ……三上帝は幼君ですので……皇子とかはまだ話にもなりませんが。それに、今の政治は楠原くすはら氏が専横しています。彼らの家系と関係ない私に、子を生せても東宮となれるかどうか。おっと、しずくにこのような事を言っても詮無いですね」

 おぅ、今……しずくって呼ばれた。滅多にそう呼ばれないから妙に気恥ずかしい。な、何か話題を……あ!

「あのあの、柚子さまは和歌を嗜まれるのですか?」

 不意に私の脳裏に浮かんだ質問。って、よくよく考えればこの時代の女性なんだから嗜むのは当然でしょうが!

「えぇ、勿論よ。流石に、漢籍には手をつけておりませんが」

 ……漢籍。あぁ、漢文や漢詩のことね。そういえば、未来のこととか話していいのかな?

「和歌は素晴らしいですよね。あ、私、千年後から来たみたいなのですが、千年先にも和歌はあるんですよ!」

 今更ながら私が千年後から来たことも言ってみる。流石に柚子さまも驚いた表情を浮かべたけど、千年後にも和歌があることを言うと、もっと驚いた表情を浮かべた。豊かな表情は年齢より幼く思えて可愛い。

「じゃあ、せっかくですし短連歌をしましょう!」

 両手をポムと合わせて目を輝かせる柚子さま。

「わたくし、昔から一緒に和歌を詠む友人もいませんでしたので……憧れていたんです。歌会は男性や既婚女性しか参加できませんでしたし……。わたくしも、入内してからはずっとここから出られませんし」

 一瞬だけ嬉しそうな表情に翳りを落す柚子さま。でもすぐに、嬉しそうな表情に戻る。誰かと詠む和歌を、心待ちにしていたのだろう。短連歌、確か、片方が上の句、もう片方が下の句を詠んで作る和歌のことだった筈。たしかに、一人では出来ない。

「では、さっそく」

――夏の夜の 出逢いに感謝 この友と――

 朗々と紡がれる17音。むぅ、ちょっと雑かもしれないけれど、初めてだからご容赦を!

――共に詠む歌 始まりの歌――

「……どう、でしょう?」

 正直、私がもとの時代で詠む和歌には現代ならではの表現を盛り込んだものが多く、大和言葉だけで詠んだ和歌なんてそうそうない。だから、やっぱり不安なのだ。

「なかなか、でしょうか。でも、わたくし嬉しいです!」

 やっぱり微妙だったんだ。古語でいう「なかなか」って現代の「なかなか」より程度が低かった気がするし。でもまぁ、嬉しそうな柚子さまの笑顔で、私まで嬉しくなってきちゃったや。

「そうそう、わたくしのこと、さまを付けて呼ぶ必要なんてないのよ?」
「え!? でも……中宮様なんでしょう?」

 中宮様と分かる前からさまを付けて呼んでいるけど、やっぱりそれだけのオーラを持っているのだもの。

「お飾りの姫は和歌が詠めれば十分なのです。そうですね、ゆずと呼んでも構いませんのよ?」
「わ、分かりました。では、ゆず……ちゃん」
「はい」

 この当時、あだ名という概念があったかどうかは知らない。でも、ゆずと呼ばれた時の彼女の笑顔は、本当に可愛くて、ずっと仕えるか仕えられるという関係で接することの多かった彼女の、本物で対等で……そんな友人になれた気がして、やっぱり私は嬉しくなった。



 私がゆずちゃんに出会って一週間くらいになったか。食事やトイレやお風呂、日々の暮らしにおける様々な違いに驚く私に、色んなことを教えてくれた彼女。お香の焚き方なんて、現代では絶対に知る必要もなかっただろうに。私はお礼になればと思って、授業で学んだレベルではあるけど漢文をそらんじてあげた。学校の話をすると、ゆずちゃんも色んな人がいる場で学ぶのは楽しそうだと笑っていた。そんな、今までに無いくらい健やかで安らかな日々は彼女の一言で少しずつ変化を遂げていた。

「しずく様には伝えておくべきと思い、申し上げます」

 ゆずちゃんが病に侵されているということ。それを伝えてくれた柏少納言さんによると、ゆずちゃんの旦那様であり当代の帝――三上帝の外祖父はゆずちゃんと血の繋がりがない楠原氏であり、娘を何人か入内させてはいるものの、娘を帝の正妻にどうしてもしたいらしい。その上、女御の中に独占欲の強い方がいるらしく、その女性にゆずちゃんは呪詛をかけられている様子らしい。賀茂様も手をこまねいていて……。

「どうして……それを私に?」
「本当なら柚子さまの命はもう……。ですが、貴女のおかげか、今も柚子さまはご存命です。ですが、次の満月の日……」

 いつもなら中宮様と呼んでいる彼女がゆずちゃんのことを名前で呼んでいる。ゆずちゃんから聞いた。彼女はゆずちゃんが中宮になる前から仕えてくれていると。ゆずちゃん……彼女は既にとこについている。この一週間で、ゆずちゃんは眠っている時間が増えた気がする。そういえば、昨日はこんな和歌を詠んでいた。

――現にも 見えぬ月影 宵の空 夢の空には 照りしそれかな――

 そう、月の出と同じような時間には眠いと言い始めているのだ。

「柚子さまは月がお好きです。最期に……満月を……」

 涙を堪える少納言さん。私の何十倍も共に過ごしてきた彼女の悲しみを、理解しようとするのは……傲慢だろうか。



 そして……満月の日が訪れた。ゆずちゃんは食事もまともに摂らず、ただただ空を見上げていた。彼女が見る、最後の満月。雲ひとつない空に煌々と輝く満月。建物の明かりがないこの時代。夜空に輝くは月と星の特権であり、現代人の業の深さを認識した。

「不思議ですね。死が近づいているのが分かるのに、どこまでも静かで安らかな心地です……」

 私の膝に頭を乗せ、月に手を伸ばすゆずちゃん。

「今宵の月は……貴女のものです」

 不意に、そんな言葉が口をついた。ゆずちゃんの顔が蒼白さは、月光に照らされているからだけであってほしいのに……。

――この夜に 得られた月を 路銀にし いざ進もうか 千年のとき――

「しずく……泣いてはなりません。祈れば……また、会えますか、ら……」

 必死に堪えていた涙が、わずかに零れる。それを拭ったゆずちゃんの手が、力なく沈んでいき……はかなくなっていった。私はただ、泣きながらゆずちゃんを抱きしめることしかできなかった。



「う、うぅ」

 いつの間に寝ていたのだろうか。いや、気を失っていたのか。ひどく痛む頭に耐えながら、思い目蓋を開けると……

「っ!」

 私を照らす光……間違いなく蛍光灯・・・のそれだった。

「気がついたのね」
「……お母さん」

 視界がクリアになると同時に、各感覚が正常な状態へ戻っていく。鼻につく消毒の臭い……病院にいるようだ。

「熱中症で倒れたみたいよ。下校の最中に。倒れた時に頭をうったのか、二週間くらい寝たきりだったのよ。もう、心配させないでよ?」

 お母さんのお小言は続いていたけれど、私はあの平安時代みたいな世界でのことが夢だったのかと考えていた。でも、答えは決まっていた。

「絶対、夢じゃない……」

 念のために、ということで私は一人、病院の一室で眠りについた。夢の中でもう一度彼女に会えるかもしれない。だって、祈ればまた会えると彼女が言っていたのだから。夢の中で私は、ゆずちゃんと机を並べて勉強して、おしゃべりして、お弁当を食べて……ありふれた学校生活を送っていた。ゆずちゃんが学校にいたら……私も嬉しいな。



 翌朝、退院した私は家に戻った。今日の日付は八月二十七日。明日からは学校だ。課題を含めて仕度に追われる中、久々のお風呂とシャワーは満喫するものの蛍光灯の明かりが目に辛くて、仕度だけして私は早々と就寝した。
そして翌朝、二度寝してなお午前六時であることに笑みをこぼしながら、朝食の準備を始める。食パンを焼くのも、コーヒーを淹れるのも、冷蔵庫を開けるのも、なにもかもが久々な気がしてならない。ゆっくりと朝食を済ませ、家をでて歩き始める。病院から戻る時は車だったけど、アスファルトを歩くのだって久々だ。それに……。

「これが千年の差かぁ……」

 もうじき九月を迎える2015年は、今の私にとっては暑すぎる。そんなことを思いながら、普段より一本はやいバスで登校。黒板真正面の自分の席でぼうっと過ごしていると、担任の先生がやってきて、

「始業式の前に転校生を紹介する。入れ!」

 唐突すぎる転校生の知らせに、誰もが動揺して固まる。だが、そんな中で私にはもしやという思いがあった。そして、扉から姿を見せたのは、長く艶やかな髪を腰まで垂らした少女。奥二重の眸にやや低い鼻。唇は薄く瑞々しい。ふっくらしているが太っているという印象は与えない上品な立ち姿。やっぱり、

三上柚子みかみゆずです。よろしくお願いします」

 少し現代風に、より美少女になっていたけど、やっぱり柚子ちゃんだ。

「ゆ、ゆずちゃぁん!!」

 私は思わず、公衆の面前であることすら忘れて抱きついていた。嬉しくてしょうがなかった。ゆずちゃんだって、同じ気持ちのはずだ。

「久しぶり、しずく。また、会えたね」

 抱擁を解いてゆずちゃんに向き合う。そして、一首の短歌を詠おう。



――紡がれた 友との絆 時を越え 再び会えた あなたの笑顔――



                               おしまい
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