Act As Angel

＃３

　立成20年6月、星花女子学園で教鞭をとるようになり二年目になったあずは、高等部の二年生相手に政治経済の授業をしていた。この子達は去年、現代社会の授業をしていた相手でもあるから、けっこう気楽に授業ができる。

「今日から分野が基本的人権に入っていくよ。経済の話題からがらっと変わるから、ちゃーんと、このあずちゃんについて来るんだゾ♡」

　黒板に基本的人権と大きく書き、その下に三つの点を打つ。ここにそれぞれ信教、言論、職業選択の自由と記す。

「基本的人権にはこういうものが含まれているよ。こうしてあずちゃんが授業できるのも、ある意味では言論の自由と職業選択の自由の賜物だね。」

　本来は平等権とか参政権とかもっとあるのだけど、ここではまず自由権の内容から説明していくことになっている。学生にとって身近だからだろう。

「さぁて、今日は6月19日だから、足して25番は……あ、三上さんだね、教科書の続きを読んでもらっていいかな？」

　あずが指名したのは三上響子ちゃん。出席番号25番の生徒で前髪で目元が隠れちゃってるちょっと陰のある子。だけど――

「は、はい。えぇと……」

　テキストを持って立ち上がると彼女の雰囲気が少しだけ変わる。

「人権の思想が歴史的にもっとも早く登場したのはイギリスであった。1215年のマグナ・カルタ、1628年の権利請願、1689年の権利章典は、近代人権宣言の前史において大きな意義を有する。もっとも、これらの文書において宣言された内容はイギリス人が歴史的に持っていた権利・自由であるとされ、人権というよりは国民権と言うべきものであった。このような封建的な国民権が近代的・個人的な人権へ成長するには、ロックやルソーが説いた自然権の思想や社会契約論による基礎づけがなければならなかった」　（注1

　
　艶やかに耳朶を打つ心地よい声色、そもそも噛まないし、つっかえることもなくすらすらと読み、さらにはリップノイズや唾のぐちゃって音、さらにブレス音の違和感すらない明朗で明瞭な朗読……。
　4月21日に初めて教科書の音読を当てた時からずっと気になっているのだ。とはいえ、私情をぐっとこらえて授業を進めなければならない。

「はい、ありがとうねぇ。今読んでもらったように、この単元ではまずイギリスでの思想から学んでいくよ。マグナ・カルタくらいはみんなも聞いたことあるんじゃないかな？　カッコいいし。で、さっき1215年ってあったでしょ？　13世紀なんだよね。ここから、ロックが出てくるのは17世紀、ルソーもね。ロックはイギリス人で、ルソーとそのあとに勉強するモンテスキューはフランス人。ここね、イギリスとフランスでけっこう違うし、あとこの時代ってアメリカの建国とも絡んでるから、世界史を勉強している人はもっと楽しいかもね」

　社会科の科目って繋がりというか連続性をけっこう大事にしていると思っているから、こうして先になにがあるかをアナウンスするように、あずはしている。

「じゃあ、続き説明しちゃうねぇ」

　今のあずちゃんにとっては教壇こそがステージなのだから。











注１）岩波書店　芦部信喜著　高橋和之補訂　『憲法　第六版』　ｐ76より