疾風バタフライ

霜月かずひこ

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第15話

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「きたか」
 
 ついに始まった松陰と道畑浩二の試合を俺は部の皆と一緒に観客席から眺めていた。
 序盤、猛攻を仕掛ける松陰と的確にボールをいなし続ける道畑浩二。
 天才同士の対決はなんとも見ごたえがあり面白い。
 あれだけの速さについていけるとはな。
 さすがは絶対王者。
 レベルが高い。

「いい勝負だな」
「…………え、ええ。そうですわね」
「ん? なんからしくねえじゃねえか」

 珍しく歯切れが悪かったのでそう尋ねると、今宮は一瞬でいつもの調子に戻った。

「あら? そう見えます?」
「ああ、なんかいつもならきっぱり言いそうだからよ」
「それは失礼しましたわ。でもそれより試合を見てた方がいいのではなくて?」
「おっといけね」

 そういや試合中だったぜ。
 見逃すわけにもいかねえ。
 俺は今宮に促されて試合に目を戻す。
 するとちょうど松陰が俺との試合で見せたあのステップワークを披露しているところだった。
 超人的な速度でフォアに回り込んでからの鋭いストレートへのドライブ。
 俺は反応すらできなかった絶技である。
 しかし道畑浩二は平然と大きく空いたフォアにボールを打ち返して見せた。
 
「うおおおっ!」
「なんだ今のプレー! マジ県大会のレベルかよっ!」

 二人の素晴らしい攻防にすっかり盛り上がる観客たち。
 あんだけ松陰にひどい目に遭わせられたというのに、俺も興奮せずにはいられない。

「すげえ! 今のできんのかよ。なあ、朝倉」

 勢いのまま俺は熱くなって語りかけるが、朝倉は冷静だった。

「うーん軽いよ。あんな無駄打ちするなら決め切らないと」
「へーお前が無駄打ちとか言うんだな」
「もー越谷君は私のことなんだと思ってるの。相手がちゃんと待ち構えてるのに回り込むなんて私でもしないから。私のは無駄じゃありませーん♪」
「お、おう」 
「そもそも私なら無駄打ちした所で平気だけどね♪」

 できて当然とばかりに、まるで自分ならあそこからでも返せると言わんばかりの言い草だ。
 
 ……まあ朝倉だしな。
 他の奴ではなく朝倉なら納得はできる。
 俺からしたら理解できないような超人的な動きも何もかも。
 だってこいつは天才だから。
 俺とは生まれ持ったものが違うのだ。
 
 まだこの時の俺はそう思うことで唯一残ったなけなしのプライドを必死に守ろうとしていたのかもしれない。
 けれど現実は俺の甘えを許してはくれなかった。
 序盤から一転して、道畑浩二が松陰を圧倒し始めたのである。
 道畑浩二の前では松陰はまるで赤子のよう。
 絶望的な実力差に打ちのめされる松陰の姿が、衝撃的だった。

「おいおい。嘘だろ。こんな差があるなんて……」

 俺と松陰ならまだわかる。
 けど松陰なら道畑と才能もっているもの__・__#の差はないはずだ。
 なのになんで松陰は一方的にやられてんだよ?
 これじゃあまるで………… 

「そりゃあ浩二さんとあの人じゃ経験も練習量も違いすぎるからね」

 ばっさりと、朝倉は俺が考えたくなかったことを言ってのけた。
 不意を打たれて、俺は呼吸ができなくなる。

「越谷くんも知ってるでしょ浩二さんの伝説? プレーはあんまし好きじゃないけどそういう所は尊敬してるんだ」
「ね、寧々」

 今宮は俺の異変に気付いたのか、話を止めようとしてくるが、朝倉は止まらない。
 
「だからそういう人を見てるとね、あの人のことがますますわからなくなるんだ。なんで頑張ってる越谷くんを馬鹿にできるのかな? 上にいる人たちは皆頑張ってる人だけなのに」

 朝倉は俺の代わりに松陰に怒ってくれているようだった。
 松陰への非難を口にした後、俺に向かって優しい笑顔を向ける。
 だけどその言葉は彼女の意図しないところで、俺に深く突き刺さり、俺は自分が目を背けてきたものを認めるしかなかった。

「……まったくその通りだぜ、朝倉」
 
 ああ、そうだ。
 本当はとっくに気付いていた。
 だけど気付きたくなかったんだ。
 俺がどうあがいても勝てない奴でさえ、どうあがいても勝てない奴がいるということに。
 そしてそいつとの差は才能だけではないということに。

 才能が足りないなら努力をすればいい。
 10の努力で足りないなら100の努力を、100の努力で足りないなら1000の努力をすればいい。
 だけどそれは都合がいい試算に過ぎない。
 才能がある奴が1000以上の努力をしている場合だってある。
 いやむしろ、天才が努力しないなんて幻想でしかなく、「天才」と呼ばれる人間ほど努力をしているのが現実だ。 
 
 彼らは努力を惜しまない。
 誰もがうらやむ才能を持っていながら、それに驕ることなく努力を続けてきた。
 それも幼い頃から毎日欠かさず。
 辛かっただろうに、嫌だったろうに、「もうやめたい!」って何度も思ってきただろうに、天才たちはそういった壁を乗り越えてここまでたどり着いた。
 
 そんな彼らにどうやって俺が勝てる?
 途中で逃げ出した俺が、才能のない俺が、一体どうやって?
 
 俺は馬鹿だった。
 尊敬する彼女に構ってもらえたことがうれしくて、自分も同じ世界の住人だと勘違いをして、一自分も努力すれば上手くいくなんて舞い上がっていたんだ。
 努力ですら、遅れて卓球を始めた俺じゃ到底追いつけないというのに。

「11-1.ゲームセット。マッチトゥー道畑浩二」

 その時、審判が試合の終わりを告げた。
 本来なら松陰がボコられてすっきりする所なのだが、俺はむしろ松陰に同情さえしていた。

 俺はもちろん松陰も追いつけるはずがない。
 たとえ才能が同じでも始める時期の差がある限り、努力で並ぶことはできないのだから。
 
 松陰もその事実に打ちのめされているのだろう。
 …………可哀そうに。
 泣きながらコートを後にする松陰に過去の自分の姿を重ね合わせていると、道畑浩二がやって来た。

「やあ、越谷くん。さっきぶりだね」
「どうも。すごかったですね。さっきの試合」
「いやーまだまだだよ。俺ももっとうまくならないとだからね」

 爽やかに笑ってみせる道畑浩二。
 あれだけの試合をしておいて満足していないとか意識が高すぎる。
 俺は道畑さんに畏怖の念を抱かずにはいられない。

「あっ、浩二さん。久しぶりですね」
「朝倉ちゃんに今宮さん。久しぶり。朝倉ちゃんは一昨年の合同合宿のミックスダブルス以来かな」
「そーですね。なんか懐かしいです」
「ははっ俺もだよ」

 朝倉と道畑の会話はとても良い雰囲気で、俺がその場にいること自体が場違いな気がした。なまじ平然と合宿の話が出てきているだけに、俺とは違う世界にいるのだと改めて気付かせられる。
 ……そんなものは最初からわかりきっていたのにな。 
 
「ごほん。道畑さんは次の試合があるのでしょう? こんな所で油を売ってる暇があるとは思えませんが……」

 昔話に花を咲かせる道畑さんに今宮は釘を刺すように言う。
 朝倉と違ってその声音は少し硬い。
 まあそりゃそうだろうな。
 有象無象の俺ですら警戒する今宮が朝倉の王子様最有力候補を警戒しないはずがねえ。
 それくらい二人は見ていてしっくりくるお似合いのコンビだった。

「おっと。確かにそうだったね。ありがとう今宮さん」
「御礼は結構ですわ」
「ふふ、今宮さんは手厳しいな。じゃあ俺は行くよ」

 一方の道畑さんは今宮のそっけない態度に気を悪くする様子もなく、最後まで王子様のような爽やかさを保っていた。
 
「ふぅ」

 歩き出す道畑さんを尻目に一息つく。
 正直なところ何もかもが負けている気がして、限界だった。
 だが安心するのもつかの間、道畑さんは来た道を引き返して、脇目もふらず俺の元へ来る。

「大事なことを言い忘れてたよ。ごめんね、松陰君に謝罪させるって約束、果たせなかった」
「いいですよ、それくらい。なんかさっきの試合で色々すっきりしました」

 つーかさっきの衝撃で俺も忘れてたまである。
 俺がそうしてくれって頼んだわけでもねえし、なおさら印象は薄かったからな。
 乾いた笑みを浮かべて表面だけでも取り繕うと、道畑さんはより真剣な目つきになって語り掛けてきた。

「そうか。ならあと一つだけ…………今日は残念だったけど、君ならきっともっとできると俺は信じてる。君には俺の弟が認めるほどの可能性があるんだ。だから今日の結果で卓球を嫌いにならないでほしいな」
「……別にそんなショックでもないんで大丈夫ですよ」
「君がそういうなら信じよう。でももし、これから先何かにつまずいたりしたら俺の言葉を思い出してくれ」

 道畑さんは俺の嘘までも見抜いていたにもかかわらず、それでも信じるといった。
 俺は自分が恥ずかしくなって、問いただしてしまう。

「どうして初対面の俺にそこまで構うんですか?」
「俺だって聖人じゃないからね。弟から聞く越谷君だからだとか、朝倉ちゃんたちの前でかっこつけたいっていう邪な気持ちだって少しは入ってるよ」

 大げさに人間アピールして、でもそれ以上に大切な思いを込めたのだと俺に伝わるようにと、道畑さんはまっすぐと俺を見つめて言う。

「けどそれ以上にほっとけないだろ? 目の前でくじけそうになってる奴がいたらさ」
「っ!?」
「じゃあ今度こそ行くよ。またね越谷くん」
 
 やっぱすごいな。この人は。
 心の在り方からして俺とは違いすぎる。
 俺はたぶんこの人みたいに慰めの言葉を言う気にすらならないだろう。
 立ち去る道畑さんの後ろ姿にとてつもなく大きなものを感じて、俺はようやく理解した。

「あーくそ。本当に何1つ勝てねえじゃねえか」

 都合の良い夢が終わり、途方もない現実に叩きのめされる。
 俺はその夢の残骸にしがみつくことすらできず、瞼を閉じた。
 ――かつて夢見た景色はもうどこにもない。
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