疾風バタフライ

霜月かずひこ

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第14話

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 松陰輝は生まれた時から天才だった。
 幼い頃から彼は様々な競技で才能の片鱗を見せていた。
 バスケ、バレー、テニス、水泳などで手に入れたトロフィーは数えきれず。
 10歳になる頃には「神童」として周りからもてはやされる存在になる。
 運動ができるということが一種のステータスとなる小学校生活において松島輝の順風満帆な日々を過ごしていたと言えただろう。
 
 だが小学校高学年になる頃には彼の絶頂期にも陰りが見え始める。
 年齢を重ねていくにつれて段々と松陰は友人たちから嫉妬され疎まれるようになってしまったのだ。
 周囲の空気を感じ取ることができた松陰は、自然と友人たちの変貌に気付く。
 最初は困惑した松陰ではあったが、彼は今までやっていたスポーツをやめることで友人たちとのつながりを保とうとした。競技で得られる地位や名誉を捨ても構わないほど、当時12歳ばかりの少年にとって集団からの孤独というのは恐ろしいものだったのである。

 だから中学2年で始めた卓球も最初は暇つぶしのつもりだった。
 適度に結果を出して、良い所でやめる。
 松陰輝にとって卓球はそれこそ温泉でやるのと同じであった。
 そのおかげか彼は周囲から孤立することなく、のびのびと卓球に打ち込むことができたこともあって、少しずつ卓球の面白さを知るようになる。
 やがて中学3年になった松陰は夏の大会で越谷廉太郎と対戦。
 最初こそ負けていたが、相手の不調と己の好調が相まって大逆転勝利を収め、松陰は確かな満足感を得ながら仲間の待つところへ戻った。
 しかし松陰は予想だにしない仕打ちを仲間から受けることになった。

「相手が可哀そう」
「あんな状況でよく楽しんでられるよ」
「やっぱりには人の気持ちなんてわかんないよな」

 労いでも賞賛でもなく、非難の言葉を口にする仲間たち。

「ち、ちがうよ。僕はそんなつもりじゃ」
「はいはい、もういいから」

 必死に否定してもまともに取り合ってはくれず、松陰はその場に置いて行かれてしまう。

「なんで、なんで。どうして?」

 もうその声にこたえてくれる友人はいなかった。
 孤独という恐怖に襲われながら松陰は考える。 

 ――本当に僕が悪いのか?
 なんで強いだけで僕が嫌われなきゃいけないんだ?
 聞けば相手の越谷廉太郎は自分より早くから卓球をやっていてこの程度だという。
 ならば努力してもできない奴に問題があるはずだ。
 自分が嫌われるのは他の人間どもが無能な故に嫉妬しているからであり、自分は悪くない。
 そんな低能どもがさんざん僕を苦しめてきたんだ。
 だったら僕にも復讐する権利くらいある。

 そうして松島の中で卓球は復讐の道具になり果てた。
 こうなった松陰にもう恐れるものなどない。
 実力で劣るものを見下すようにさえなった。
 ……まるで今まで受けてきた抑圧への反発があふれ出したかのように。
 元々、努力を知らない彼にとって努力するなど想像しにくい話であり、努力してもできない人間など理解の外にある。
 そのため自分より弱い相手を見下してしまうのは自然なことだった。
 
 これ以降、彼は変わった。
 孤独を恐れなくなった。
 代わりに他人に対して高圧的になり、肥大した自意識を隠さなくなった。
  
 中学を卒業し、高校生になってもそれは変わらない。
 入部するなり、実力で部内を制圧し、先輩たちをこき使った。
 当然、逆らってくる人間もいたが彼の敵ではない。
 屈辱的な方法で相手のプライドをへし折り、二度と来なくなった部員もいる。
 当然、友人と呼べる人はあっという間に誰もいなくなった。

 だが松島はなんの罪悪感も抱かない。
 松島は全く後悔しない。
 自分に負ける人間が悪いのだから。
 努力しても勝てない奴が悪いのだから。

 それは1年ぶりに越谷廉太郎と試合したことで半ば確信に変わった。
 越谷廉太郎に圧倒的な差をつけて勝ったことで、松島は自分が正しかったのだと心の底からそう思った。
 …………道畑浩二と試合をするまでは。

「お願いします」

 インターハイ神奈川県予選の2次予選3回戦。
 目の前で握手を求める道畑浩二に松陰は呟く。

「こんな儀礼なんていらないから、早くやろうよ」
「わかった。君がそういうなら俺も無理にはしないよ。サーブも君からでいい」
「ふん、余裕ぶってるのも今のうちだよ」
 
 挑発に乗ってこない苛立ちながらも松陰は台で構える。
 この二人の試合は天才同士の直接対決とあって注目も高い。

「おい、いよいよ始まるぞ。今大会屈指の好カード」
「こいつは見逃せねえな」

 彼らとの試合を残す面々はもちろん、敗退した者たちまでもが一斉に視線を送るなど会場のボルテージは静かに高まりつつあった。
 
「ほらっいくよ!」

 口火を切ったのは松陰のYGサーブ。
 越谷廉太郎との戦いでも使用したサーブである。
 松陰はかなりの自信を持って繰り出すも、次の瞬間には彼の視界から消える。

「へ?」

 唖然とする松陰。
 審判が道畑浩二の得点を告げたことにより、松陰はようやく己が打ち抜かれたのだと知る。
 一方、台上ドライブを決めた当の道畑はすました顔で台を見つめていて……松島にはそれが癪に障った。 

「調子に乗るなぁ!」

 完全にキレた松陰は一気にギアを上げて、道畑相手に乱打戦をしかける。
 得意の速さで決着をつける予定だ。
 越谷廉太郎との試合で見せた速さを存分に生かし、ドライブを打ち続ける。
 これにはさすがに分が悪いのか、道畑も決定機を作り出すことができない。

「ほらほらっ! どうしたよ。次はフォアさ!」
「…………」
「黙ってばっかじゃ勝てないよお? さっきの余裕そうな顔はどこいっ……」

 しかし、誰しもが松陰が優勢だと思う最中、調子に乗る松陰を道畑の速球が黙らせる。

「忠告するよ。ラリー中はしゃべらない方がいい。卓球はおしゃべりをするスポーツじゃないからね」
「ちっ!」

 松陰は道畑の言葉を無視し、そのまま乱打戦を継続。
 対する道畑は上手くドライブを打ち分け、道畑をバックに固定し、そこから一気にフォアに切り返した。
 それは奇しくも越谷廉太郎がやったものとほぼ同じで、

「ははっ! 残念! 僕なら追いつけるんだよっ!」

 またも松陰がフォアで回り込んでストレートに打ち返した。
 松陰クラスにしかできない芸当。
 スーパープレイの披露に会場からは歓声が上がる。
 しかし道畑浩二は予期してたかのごとく、無慈悲にもバックに強烈なカウンターを打ち込んだ。
 
 ――またも道畑の得点。
 それはどちらが強いかを決定づける一球だった。

「そんなっ! そんなはずがない! 偶然に決まってる!」

 松陰は激高して必死に否定するしかない。
 自分が劣るという事実受け入れてしまうと、松陰輝という人間の根幹を揺るがしかねないと理解していたからだ。
 だからこそ松陰は意固地になって打ち合いを続けるしかない。

「そうか君は……でも悪いけど俺は手を抜かないよ」

 松陰の態度に思う所があった道畑浩二ではあるが、それでも手を抜くような真似はしない。
 どんなに速く攻められても、どんなコースに打たれても巧みに返球していく。
 道畑浩二の動きに無駄はない。
 必要最低限の動きしかしていないため、押されているように見えても、平然と次の球に対応することができるのだ。
 そして道畑はフォアもバックも超一流。
 多くの人が苦手とするミドルゾーンでさえも完璧に処理することが可能。
 こうなってくると松陰に残された反撃の手段はサーブレシーブくらいなのだが、

「しまった上回……」

 多種多様な種類を持つ道畑相手には分が悪い。
 松陰が回転の見極めのミスを後悔するまもなく、上がった球を叩かれて失点。 

「弱点があるはずだ。弱点がどこかに…………」

 祈るように抵抗を続ける松陰ではあったが、そんなものはどこにもなどない。
 弱点などなくて当たり前、弱点がない相手をいかに崩すかが求められる世界に身を置く道畑にあるはずがなかった。
 他のスキルを速さだけで補っている松陰との差は歴然。

「まだだ、まだ僕は……っ!」

 重く、

「や、やれる、勝てるはず……!」

 鈍く、

「……ま、まだ」

 完膚なきまでに、

「っ…………」

 道畑は松陰を叩き潰し、沈黙させた。
 自分との違いを徹底的に
 
「…………あ、あぁ」

 泣き崩れる松陰輝。
 もう彼には何も残っていない。
 才能への自負も、など膨れ上がった自尊心も何もかも。

「11-1.ゲームセット。マッチトゥー道畑浩二」

 審判が試合の終了を宣言し、道畑浩二による処刑は完了した。
 世界の終焉を告げる鐘のようだとさえ松陰は思った。
 
 結果は道畑がストレート、しかもご丁寧に各セット1点は相手に与えるという卓球のマナーを守った上での勝利。
 松陰の圧倒的な敗北だが、それは何ら不思議なことではない。
 
 ある者いわく、努力もする天才。
 またある者いわく、堅物な化け物。
 決して驕らず、決して慢心せず、才ある者がこの上ない努力をしたからこその圧倒的な強さ。
 道畑浩二が高校2強に位置付けられているのには確かな理由があり、そしてそれは敗者の松陰に掛ける言葉にも表れていた。

「ナイスゲームいい試合だったね」
「…………死ね」
「ははっひどいな。でもせっかくだからそういう君に1つアドバイスを上げるよ」

 一呼吸おいて、道畑浩二は言う。

「卓球は速さを競うスポーツじゃない。速さはもちろん、状況判断、相手の回転への対応力など全てが求められる競技だよ。君は速さに偏りすぎなんだ。どんなに速くてもそれを生かすものがなければ宝の持ち腐れだからね……まあもっとも速さだけでも俺には勝ててなかったようだけど」
「っ!」
「厳しい言い方だったかな? だけど卓球の世界は厳しい。ましてや他人を見下しすなんて油断を招きかねない要素を持った人間に頂点が取れる程甘くはないんだ」
「うるさい、うるさい! 聞きたくないそんな説教なんて!」
「待て松陰君!」

 だがそんなものは松陰にとっては煽られているのと同義だった。
 道畑浩二が止めるも遅く、プライドをずたずたにされた松陰はコートから出ていってしまった。

「ははっ…………ちょっとやりすぎたかな」

 残された道畑は心苦しそうに苦笑いを浮かべるが、それも一瞬のこと。
 絶対王者にとっては松陰など羽虫も同然、それ以上気にする必要もない。

「さて、彼らに会いに行こうかな」

 次の瞬間にはもう松陰のことなど気にも留めなくなった道畑浩二は、新たに関心を寄せる人物の下へ歩き出す。
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