聖ウァレンティヌスの日

阿々 亜

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第2話 別れ

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 ユーリイは3人兄弟の末っ子で、3人の中で最も優秀であった。
 地元にあった日本企業の支社に就職し、その優秀さを買われ、数年前に日本の本社勤めになったのだった。

 しかし1年前、ユーリイの母国は隣国と戦争状態になった。
 3兄弟の次男が従軍し、長男が年老いた両親や妻や子どもたちの面倒を一手にみることになった。

 戦争が始まったとき、ユーリイはすぐにでも母国に帰ろうとした。
 しかし、長男と次男がそれに反対した。
 ユーリイの国から日本企業の本社勤めになるということはかなり珍しいことであり、その道を放棄させることが忍びなかったのだ。
 また、異国で安定した職についていることで、経済的な後方支援の役割も果たせるし、いよいよというときに日本に逃れる足がかりになるという側面もあった。

 しかし先日、従軍していた次男が戦死してしまった。

 ユーリイはもう自分だけが安全な異国にいることが耐えられなかった。
 兄の戦死の報を聞くやいなや、すぐに帰国を決心した。
 当面は他の家族たちの身の回りの手伝いをするつもりだが、国の戦況によっては従軍も考えていた。

「そっか、そうなんだ……」

 おおよその話を聞き終わったあと、葵は震える感情を押さえながら、声を絞り出した。

「じゃあ、お別れだね……」

 葵は、ユーリイが故郷に帰るために自分との関係を清算するつもりで呼び出したのだと解釈した。
 だが.........

「葵、俺と婚約して欲しい……」

 思いがけない言葉に葵は目を丸くした。

「それって、結婚しようってこと?」

「いや、あくまで婚約だ。俺は故郷に帰ったら、どうなるかわからない。現地の状況によったら、もしかしたら従軍するかもしれない。兵士として戦場にでたら、もう日本には帰ってこられないかもしれない。そんな今の俺が君と結婚することはできない……」

 ユーリイの言葉に葵は表情を強張らせ、声を荒げる。

「じゃあ、フってよ!! もう日本には戻ってこられないから、君とはお別れだって!!」

「それはいやだ。君との関係を断ちたくない」

 ユーリイは変わらず静かな声で答える。

「だったら、一緒について来いって言ってよ!!」

「俺の国は戦争中なんだ。君は日本人だから、戦争がどれほど怖いかわかってない」

「なによそれ、何もわかってないバカな日本人だって言いたいの!? バカにしないでよ、日本人だとか、何人だとかいう以前に、私はあなたの恋人なのよ!!」

 そこで初めてユーリイが声を荒げた。

「そうだよ!! 君は僕の恋人だ!! この世界で最も大切な存在だ!! だから、君との関係を断ちたくない、だけど、君を危険なところに連れ行くこともできない!!」

「だから!!」

 葵はそこで言葉を止め、いったん深呼吸をして、声のトーンを落とした。

「だから、婚約なの?……結婚じゃなくて……」

「そうだ……俺はいつ帰ってくるかもわからないような男だ……君とのつながりを断ちたくないが、そのつながりで君を縛りたくない……だから、俺が日本を出て……もしいつか、君の心が離れるようなことがあったら……そのときは、婚約を破棄してもらって構わない」

 ユーリイのその言葉を聞き終わるや否や、葵はユーリイの頬を平手打ちした。

「勝手だし……私のこと信じてないし……そもそも支離滅裂だし……最低……」

 葵はそんな言葉を残して、走り去ってしまった。

「フラれちまったか……」

 一人残されたユーリイは、空を仰いだ。

「これで、良かったのかもな……」



 同時刻、港区内の某映画館。
 葵にほっぽりだされた千夏は、この映画館で週間観客動員数第一位のアニメ映画を見ていた。
 このアニメは大人から子供まで国民的な人気で、前作の映画は歴代興行収入の第一位に輝いており、千夏も大好きな作品だ。
 今日葵と一緒に見るはずだったのだが、結果一人で見に来ることになってしまった。
 それはいい。
 一人で見ても、二人で見ても、面白いものは面白い。
 だがしかし……

(こいつらと一緒に見るのは、まったく楽しめない)

 館内は千夏以外、カップルだらけだった。

(こいつら、この作品のことわかってるのか?どうせ動員数1位だからとりあえず見とこうとかそういうノリだろ?)

 スクリーンでは、主人公が刀を振るって、懸命に敵と戦っている。

(やはり、斬らねばならないのか……この餓鬼どもを……)

 千夏は腰に差した刀の柄に手を伸ばすかのような動きをする。

 と、そこで、肩から斜めがけしていたスマホが振動し明滅する。
 映画上映中なので無論音は出ないようにしている。

 千夏は映画の最中なので、無視しようかと思ったが、不意に画面の表示が目に飛び込んできてしまった。
 相手は葵であった。

 葵は今頃ユーリイと会っているはず。
 それに葵は千夏が一人でこの映画を見に来ていることは知っている。
 その葵からの電話。

 何かろくでもないことがあった。
 千夏はなんとなくそんな気がした。

 映画上映中の館内で電話に出るわけにはいかない。
 そして映画はこれからクライマックスというところだ。
 当然最後まで見たいが、カップルたちのせいで居心地が悪く心の底から楽しめていない。

 千夏は結局、映画を諦めて外にでたのだった。



 その後、千夏と葵は合流し、ランチを食べたカフェに戻ってきていた。

 葵はことの顛末を事細かに千夏に話した。

 全ての話を聞き終わったあと、千夏はため息をついた。

「全然理解できん」

 葵は涙目で頷いた。

「でしょう!!」

 千夏はテーブルの上に置かれていたコーヒーカップを手に取り、その黒い水面を見つめる。

「でも、ユーリイは私たちの想像も及ばないような世界にこれから行かなきゃいけない。いろいろ考えた末にそういう結論になったのかなー……」

 ユーリイに対して少し理解を示すような千夏の言葉を、葵は俯いて黙って聞いていた。

「二人とも、今もお互いのことを好きだし、結婚もしたい。でも、ユーリイはできないと考えている……」

 千夏はソファの背もたれに体を預け、天井を見る。

 1分ほど沈黙が流れた後、千夏はすっと上体を前に戻し、葵の目を見た。

「なに?」

 千夏が何か思いついたようだが、葵は嫌な予感しかしなかった。

 千夏は真顔でこう言った。

「結婚式をあげましょう」


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