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第18話 過去
しおりを挟む栄一郎は再び、沙耶香の病室の前にいた。
今度は、同姓同名の患者の部屋ではないことも確認している。
「一条、間だけど、入るよ」
栄一郎はそう言って、仕切りのカーテンの中に入った。
「あ、間……」
栄一郎は中に入って絶句した。
そこにいたのは、今回は確かに沙耶香だった。
しかし、沙耶香は両目から大粒の涙を流していたのだ。
「あ、ごめん、なんでもないの」
沙耶香はそう言って涙をぬぐった。
「なんでもないってことはないだろ。どうしたんだ?痛むのか?」
栄一郎はおどおどしながら聞いた。
「いや、その、ちょっと、思い出し泣きしちゃって」
「思い出し泣き?」
「うん、父親のこと思い出しちゃって。私が中学のとき、死んじゃったんだけど、そのとき、この病院に運ばれたんだ」
栄一郎は目を丸くして驚いた。
中学のときといえば、栄一郎と沙耶香は別の学校だったので、知らなくても無理はないのだが、いつも陽気で学校の中でも常に中心に近いポジションにいた沙耶香にそんな過去があったとは、栄一郎は思いもよらなかった。
沙耶香は落ち着いた声でぽつりぽつりとその時のことを話し始めた。
「よりにもよって、私の誕生日の日でさ。家族3人で普段行かないようなちょっといいお店に行くところだったんだ。店まであと5分ていうところで急に倒れちゃって、お母さんが救急車呼んだんだけど、救急車が着いたときにはもう心臓が止まってて」
沙耶香は枕元にあったティシュ箱から、ティシュを何枚かとり鼻をかんだ。
「救急隊の人がすぐに心臓マッサージを始めて、電気ショックとかもやって........すごいよね、あれ、ほんとにドラマとかみたいに、体全体がびくんって跳ねるんだね」
栄一郎はかける言葉がなかった。
沙耶香は無理に笑顔を作ってできるだけ明るく話そうとしているが、中学生の少女が父親のそんな姿を目の当たりにしてきっと相当なショックだったに違いない。
「それからこの病院に運ばれたんだけど、結局心臓は動かないままだった。その時の救急の先生は、心筋梗塞からのシンシツなんとかだろうって」
「心室細動か?」
「あー、そう、そんなカンジの名前だった」
心室細動とは、心臓を主に動かしている心室筋が無秩序に興奮し、けいれん状態になってしまう致死的不整脈である。
けいれん状態になった心臓は血液を送り出すことができない。
つまり、心臓は細かく震えてはいるが、機能的には止まっているのと同じであり、心停止として心肺蘇生処置を行わなければならない。
特に、心室細動はけいれんを落ち着かせるための電気ショックが治療の要だ。
今や街中に設置されるようになったAED(自動体外式除細動器)も心室細動の治療のためと言っても過言ではない。
そして、心室細動の原因で多いのが、心筋梗塞である。
「そのあと、さすがに精神的にキツくてね。お葬式のあとも、1週間くらい何もできなくて、学校も休んじゃった。もう10年も前のことだし、こんなふうに泣き出すことなんて全くなかったんだけど、今朝、売店行った帰りに、外の空気吸いにふらっと表を歩いてたら、ちょうど救命センターの出入口に救急車が着いて、中から心臓マッサージされてる人が運び込まれて、それで、色々思い出しちゃって」
「その、なんていうか、つらかったな」
栄一郎は、なんとか、言葉を絞り出した。
医者は、大切な人を失った家族に何度となく接する。
そんな人たちに心をいたわる言葉をかけなければならない。
しかし、どんな言葉をかければいいのか、医学部では誰も教えてはくれなかった。
それもまた、現場の中で、自分の中から言葉を紡いでいかなけれならないのだ。
「なに、それ、もうちょっと気の利いたこと言えないの?」
沙耶香は涙まじりに笑いながら言った。
「そういうところは、昔と変わってないね。まあ、間らしくていいけど」
「すまない」
栄一郎は申し訳なさそうに下を向いた。
「でも、ありがとう。おかげで、ちょっと落ち着いたよ」
沙耶香は残りの涙を拭い、深呼吸をしたあと、栄一郎に向かってにっこりと笑ったのだった。
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