日本列島、時震により転移す!

黄昏人

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第2章 過去の文明への干渉開始

34. 1492年9月、日本国端境期

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 沢渡佐紀は、ショーウィンドに飾っているそのケーキを見ながら迷っていた。今日は長女ゆかりの16歳の誕生日だから、ケーキをと思ったが余りの値段の高さに引いてしまったのだ。9月も中旬の今、4月1日の時震以来、国外からの輸入には途絶え、様々な物資の不足が目立ち始めた。

 典型的なのは食料であり、さらに石油や鉱物資源や様々な工業材料類や衣類もそうである。輸出も途切れた今、鉱物資源や工業材料については、まだ本当に必要な量は掴み切れていない。一方で、庶民にとってすぐさま影響がでたのは食料であり、燃料油である。

 しかし、政府にとって絶対に守るべきは摂取カロリーを不足させないことであり、その為の手段はすでにとっており、成果も現れつつある。具体的には、日本本土の休耕地や空き地の徹底利用によるコメ、麦、イモ類の作付けが緊急に行われて、それらが間もなく収穫期を迎えようとしている。

 また、海外において大規模に実施しているのは、北米州東岸と、豪州南西岸の大規模開発による麦とコメの作付けである。南半球の豪州では小麦をそろそろ作付けして来春収穫になるが、日本と同じ北半球の北米州では冬小麦の作付けをしようというところだが、これも来春収穫になる。

 この点では日本本土は、すぐに耕作できる土地があったので春に作付けが出来たが、海外の場合は原野を切り開くという開発工事が必要なので、作付けは秋以降になる。
 さらに、原生林が大部分の北海道の巨大開発による麦やイモ類の作付けがあるが、これは実際の作付けは来春以降である。また、台湾、ベトナム、フィリピンなどの日本に居た人々が日本に申し入れて、この時代の自国を開発して、コメや芋類などを栽培しようとしている。

 このような開発による作物を含めて、穀物については、秋までは飼料の原料を含めて4月時点の貯留分を使って食い延ばし、秋以降は日本本土産の穀物を使い、来春以降は北米州、豪州産で賄うことになっている。そして、来春以降は大規模開発した北米州産、豪州産が使えるので穀物の不足はないと見込まれている。ただ、厳しいのは日本産に頼る来春迄であるが、これは台湾などの産物で補うことになっている。

 このように、穀物については、魚影の濃いこの時代の漁業資源も精いっぱい利用することで摂取カロリーは賄える計算である。しかし、どうにもならないと、直近の1年半くらいは半ばあきらめているのは油と砂糖である。これらの原料は殆ど輸入であり、摂取カロリーを重視すれば、穀物を重視せざるを得ないことを考えれば、重要度は下がる。

 また、食肉、牛乳や乳製品についても半分以上を輸入しているので当然不足するが、漁獲高を大幅にあげる予定での魚で代替することになっている。なお、食肉は飼料の輸入が途絶えること、備蓄していた飼料原料を人の食料に転化するために、肥育していた肉牛や豚は早めに屠殺することになっている。だから、一時的にはその供給量は増える。

 これら食料については、供給量を農水省で管理して、穀類の値段を上げないように、その他の食料については価格操作で消費量をコントロールする計画になっている。価格操作というのは、食用油や砂糖については税金を高くすることで値段を上げて、需要量を落とそうということである。

 なお、燃料油については、来年の5月には時震前の半分程度の量の原油がアラビア石油から届き、来年冬には100%の供給が可能になる。それまでは備蓄で賄う必要があるので、必須の産業維持のための燃料油や油脂については、従来通りの価格で供給し、自家用車などの利用については価格を一挙に3倍以上にしている。

 なお、原発については4月10日時点で、首相命令によって危険性が証明できないもの以外は全て稼働を前提の準備に入っている。現在では柏崎原発を含めて80%の原発が稼働しているが、これについては反対団体が憲法違反と抗議しているが、すでに人々から相手にされていない。

 沢渡佐紀は時震以来のことを思う。夫の慎吾は、そのおかげでしばらく夜中まで働き、それが終わるとすぐに豪州に行ってしまった。そう言えば、もう誰もオーストラリアと言わなくなった。慎吾が帰るのは早くて来春であり、今は凄く忙しいらしい。

 幸い、日本の静止衛星というのは時震でも残ったので、インターネットで連絡は取れる。その意味では、豪州の他に、いま日本が開発している北米州、アラビアは静止衛星から見通せるのでインターネットが繋がる。だけど、地球の反対に近い、欧州などは見通せないので繋がらないらしい。でも、無線では連絡が取れるという。

 だけど、今のメールは容量が小さいので、文章を送れるだけだ。子供たちの写真も送ってやりたいけど、それは郵便で送ることはできる。この郵便は、豪州に行く船が出る時に乗せていってもらえるもので、経費は慎吾の会社の ㈱ASSが出してくれる。船は、1ヶ月に10便程度、長くても1週間に1便は出ているし、大体10日で現地に着くらしい。だから、出して20日もあれば慎吾さんの手に届くことになる。

 私は、1ヶ月に一度は慎吾さんに手紙を出していて、必ず高校生のゆかりと、3つ違いの中学生の翔の写真データをCDに入れて同封している。慎吾さんも同じ方法で写真を送ってくるけどまだ2回だ。だけど、現地の働いている場所がとんでもなく広いのはよく解ったし、現地の子供は可愛い。

 そして、夫が携わっている開発によって、来年の春には、日本に何百万トンという小麦が送られてくるらしい。
でもコメとイモは横ばいだけど、小麦で作られるパンとか麺類、それにもちろん小麦粉はどんと高くなった。これは、小麦については北海道が失われた今、国産は殆どなく実質備蓄分だけになっている。そして、供給されるのは来春に慎吾さんが行っている豪州と北米州からだ。

 だから、消費量を減らさなければならないということで、税金を大幅に引き上げたというわけだ。コメはこの秋に国産が取れるし、イモは国産と台湾、ベトナム、フィリピンから来る。
 だけど、まだ小麦などはいい方で、問題は砂糖と食用油だ。砂糖は国産の産地が失われたので、供給は全くないし、国による供給の最優先に入っていない。

 食用油は大豆などたくさん原料になるものはあるけど、穀物と共有だから穀物優先になってしまう。だから、砂糖と油は値段が3倍以上になってしまって、このケーキだって前の3倍に近い。
 ケーキ屋さんも当然売れなくなるので大変だろうと思う。だけど、それより大変なのは海外との取引に頼っていた会社や業界の人たちだ。その意味では、私の夫の会社もその一つではあるけど、海外で物を作るという仕事だったから逆に仕事が大忙しになっている。

 翔の同級生の桐島君のお母さんは、旦那さんが資材メーカーで、製品の大部分を輸出していたということで大変みたい。政府が音頭をとって輸出入関係の仕事をしていた人たちの職種転換を目指すというけど、今度もC型感染の時みたいに200兆円の開発と経済対策を打つというけど、そんなに借金を膨らませていいのだろうか。

 でもまあ、我が家は慎吾さんが頑張ってくれているから、ケーキ位は買いましょう。ゆかりの16歳は二度とないしね。そのように腹を決めた佐紀であった。

      -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 仁科麻衣40歳は、漸く夫の義男が時の彼方に消えてしまった痛みに慣れて来たところだ。現在では一応時震に関してはその現象の説明はなされている。つまり、原因不明かつメカニズム不明の現象によって、日本列島のうち主要3島が、2021年と1492年で入れ替わってしまったということだ。

 結果として、2021年の時点で3島に居た人々は、その時の日本領北海道と沖縄、それに様々な交流のあった海外を、そしてそこに居た人々も含めて失ってしまったのだ。つまり、麻衣にとっては、夫の義男が1492年の日本が現れた世界に行ってしまったということになる。
  
 このように夫を失ったという点では、死んだも同然ではあるが、多分違う世界で元気に生きているという思いは麻衣にとっては救いであったし、子供たちもそうだったようだ。高校1年生の洋一は、それが判って落ち着いた頃こう言った。

「まあ、父さんは戦国初期の日本に行ったけど、バイタリティがあるから元気でやっているよね。剣道をやっていたから、結構実戦でやっているかも」
 そして、中学2年の真由美はこう言った。

「父さんのことだから、元気ではやってるよ。まあ、会えない場所に流されたという感じかな。結構いい人を捕まえているかも。お母さんもまだまだ若いんだから、また探したら?」

 本人も子供たちもそれほどの深刻な動揺がなかったのは、経済的には困らないという思いもあっただろう。
地元に自分の父母が居て、その関係で地元の地場の菓子メーカーの仕入れ担当の役員をしていて、夫がいなくても人並の収入はある。それに、夫に関しては殉職扱いで勤務していた会社のエレグド㈱から、退職金と見舞金ということで2千万円をもらっている。

 麻衣の勤めているHC製菓㈱は、売れ筋の菓子を数種類もっていて、例年それなりの利益を上げていた。そして、主要原料が国産限定ということを売りにしていたので、輸入が出来なくなっても比較的影響は軽微であったが、大量につかう砂糖は輸入品であった。

 そして、穀物に努力を集中している政府は、砂糖については北海道のテンサイ、沖縄でのサトウキビについては着手していたが、その収穫は早くで来年の秋以降になる。そして、その後も当分は不足が続く見込みである。HC製菓㈱では10月生産分までの砂糖は従来での仕入れ価格での在庫はあるが、その後は政府管理の値段になって、それも来年の夏以降は量の確保は怪しいということになる。

 世間の甘みの菓子などが高騰するなかで、コストに合わせてでしか値上げしていないHC製菓の売り上げは絶好調であった。それだけに、それを保ちたいという社内的な願望が強かった。そこで、麻衣の思いついたのは、ベトナムでのサトウキビ栽培である。義男がベトナム工場にいることもあって、彼女も現地に行ったこともあるし、ベトナム人の若者の世話をしていた。

 そして、これらの若者たちから、ベトナムに帰って農業を行うことで日本に食料を供給したいという話があったのだ。無論彼らの本音は、黎朝の5代皇帝聖宋の時代のベトナムに帰って、それなりの立場を築き新生ベトナムを築きたいということだ。

 麻衣は彼等に協力を約束し、在日ベトナム大使館や日本の外務省とも連絡をとって、在日ベトナム人180人による帰国団を形成に協力した。そして、彼等は、優先してサトウキビ畑を造成して栽培を始めることを約束して、その為の準備を進めていった。

 さらに彼等は、持ち込んだ21世紀の物品の数々を活用して、黎朝に入り込んで着々と立場を固めていった。この中で麻衣は、機器の調達、輸送手段の確立などさまざまなところで活躍したが、彼女にとってもそうやって忙しくすることは、夫の空白を埋めるのに大いに役立った。

 ちなみにベトナムの黎朝の5代皇帝聖宋は、軍制改革を行い、しばしば侵略されていた南部のチャンパ王の侵入を退けて逆に親征し、その王都を陥落させるなどの成果を挙げた。その後も役人の腐敗是正、治水、産業の発展を図るなど内政に力を入れて、チャンパ国の影響を退け、国の基盤を固めた。さらにはラオスの王都に侵攻、マラッカ周辺にも侵攻するなど黎朝最大の領土を固めた人物である。

 なお、在日ベトナム人の数は多いが根を張っている者は少なく、その経済力も限定的である。そのため、これらの若者たちが農業開発を理由にしたために得た日本政府の援助と、麻衣を通じたHC製菓㈱からの財政援助は彼等にとっては大きいものであった。

 そして、ベトナムにとって幸運であったのは、1492年というのは黎朝最高の賢帝である5代皇帝聖宋の施政残り5年、50歳の最盛期であり、皇太子の憲宗も優れた施政者であった。もっとも憲宋は41歳で早世しているが、21世紀の医療があれば長生きは十分可能である。

 ちなみに、帰国者がベトナムの港町ハイフォンに着いた5月中旬には、それに先立って日本外務省の新田参事官が在日ベトナム大使館の職員と同行してもハノイの黎朝を訪問している。日本国首相の親書を持っての訪問である。ハイフォンからは、大型のレジャーボートで紅川をさかのぼってハノイまで行き、そこからはジ〇ニーで王宮まで行くという派手な登場で、2日後に聖宋に会見することに成功している。

 この中で、日本が500年未来から転移したことを、大使館員の証言の下にまず明かした。
 さらに日本政府は、まず黎朝と国交を結びたいこと、21世紀の知識・技術伝達の用意があること、農業産物の供給を望んでいること、その農地開発を始めとする開発には世界開発銀行を通じて資金の貸し付けを含めて協力の用意があることなどを伝えている。

 また、間もなく日本にいたベトナム人の若者を中心とする帰国団がやって来るので、彼等を活用すべきであることを提言している。つまり、帰国団の到着前に地ならしは済んでいたことになる。聖宋は日本政府の招待を受けいれ、皇太子の憲宋を日本に送った。

 31歳の彼は、案内されて日本各地を回る中で様々な説明を聞いて、日本という国が自分の今までの常識の外にある存在であり、500年後の世界ということは真実であると判断したことを皇帝に上奏した。そして、父皇帝に日本という存在があり、そしてそこに500年先の時代に生まれたベトナム人が数十万人いる限り、日本と国交を結び彼等に追いつく努力をするしかないと述べた。

「しかし、憲宋よ。その場合には日本が結局我が国を征服するのではないか?」
 聖宋が自分の懸念を述べたが、憲宋は静かに反論した。

「陛下、彼等がその気になれば、我が国がどうあろうと簡単に我が国程度は征服できます。それだけの、軍事力の差があります。そして、彼等の豊かさを見れば、はるかに貧しい我が国を征服しようとは決して思わないでしょう。それから……」
 憲宋は父の顔を見て話を続ける。

「彼等は、日本に大使館を置いていて、その国がこの時代に国を作っていた国々には、大使館に居たものを中心にしてまとまって帰国させています。そして、彼等を通じてその国の産業開発を促しています。
 その開発は、日本の助けがなければ長い長い時間がかかるでしょう。しかし、数十万のこの国の未来に生まれた者がいて、その上で日本の作った組織が資金を貸してくれてなど助けてくれるなら、その期間は大幅に短くできるでしょう。彼等は、そうすることで、自国の産業で作ったものを売れるので、自分のためにもなるとも言っていました」

 その後、皇帝は更に詳しい話を聞いて、日本との国交を開きその協力を仰ぐことを決意した。さらに、憲宋は在日ベトナム大使館のものが、500年後のベトナムの政治思想である『共産主義』なるものを信奉しており、腐敗した者も多いので、要注意ということを付け加えた。

 ちなみに、麻衣目論んだサトウキビが刈り取られ、砂糖の生産ができたのは次の年の秋であった。その時点ではその量はHC製菓㈱の需要を満たすのみであったが、5年後にはベトナムから日本への最大の輸出品となった。そして、彼女は製菓業界において砂糖の取引において大きな存在になった。


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