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第2章 過去の文明への干渉開始

22.2023年8月、大阪 石山ベース

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 橘由香は、ここ摂津の石山城塞(ベース)に来てまだ30日であるが、来てからは刺激に満ちた日々であり懸念したこともなく十分幸せであった。彼女の息子の良太も、毎日元気で『学校』に通って、その日に教わったことを彼女に報告するが、同じ年頃の友人も出来たようで、本当に楽しそうに生き生きとしている。

 ちなみに城塞というのは、H鋼製の柱に有刺鉄線の柵で囲まれた約1km四方の“ベース”が、この時代の人からは“城塞”が相応しいということで呼ばれ始めたものだ。
 彼女たちの住処はプレハブ2階建ての建屋の一室の2間であり、便所は建物内の共用で、風呂は場内の専用棟でのこれまた共用である。ただ、部屋には簡単な台所がついていて流しとコンロがあるので、簡単な食事の用意はできる。部屋は6畳の居間と同じく6畳の寝間であり、彼らが住んでいた家に比べるとやや狭い。

 しかし、京で住んでいた家はまさにあばら家で、兵火にかかった部分を応急修理したようなものであった。それに比べると入口のドアと呼ぶ戸を開けると、靴置きの棚があって、畳という敷物を敷いた居間に入る。そこには、何で出来ているか判らない艶のある天板の机があって、部屋の隅には良太のための背の高い机と椅子がある。

 寝間は引き戸を開けて入り、寝る時には押し入れから布団を出して寝ることになる。この部屋は全てが真新しく、家具・寝具も同様である。畳は高位の公卿の家には使われているが、由香の実家では板の間の上にむしろを敷いている。

 また、夜寝る時はぼろ切れなどを敷いて、着物をかけて寝ていた由香親子は、布団の寝心地の良さには驚かされた。そして何よりの驚きは窓の透明のガラスと、照明・電気コンロ、さらにエアコン・パソコン等の電化製品である。まだ、大阪・京にはテレビ放送は放映されていないので、北海道と沖縄の電波をとらえて各家に一台配っているパソコンで見ることができるようにしている。

 また、食事は基本的に大食堂でビュッフェ形式としてとることになっている。この食事は、皆で並んで自分で好きなものを取っていくという形で、上品なものではないが中身は素晴らしいもので、京及び周辺から集まって来た皆は感激している。公家であっても下級のものは一般に麦に野草を一緒に炊き込んだ貧しい食事しかとれていなかったが、ここでは驚くほど多種の食事で、好きな量を食べて良いのだ。

 それは、白米のご飯に、大量かつ多種類のおかず、お茶の他の多種多様な飲み物、それも冷たいもの温かいもの飲み物、果物、お菓子の類まであって、子供のみならず大人も夢中になった。もちろん、これには由香や良太も最初は夢の中ではないかと疑ったほどのものであった。

 このために、栄養不足でやせこけていた大人も子供もどんどん体格が良くなって、最近では『食べ過ぎに注意!』の張り紙があちこちに張られるようになってきた。この点は、パソコンによるテレビ視聴も同様で、まったくそうしたメディアに免疫のない人々に対して、過剰な視聴を制限することに苦労することになった。

 橘由香は、家は従5位下の位の家であり、いわゆる諸太夫の一つで、下級公卿ということになる。この時代、貴族たる公卿の所有していた荘園は大部分が武士に専横され、公卿はほぼ全て収入が途絶えて苦しい生活を強いられていた。さらに、京の街は応仁の乱以来荒れ果てて、商業活動も細っており、市中で職を得て暮らしていた由香の家である橘家もすでに喰うや食わずの生活であった。

 彼女は、17歳で同じ家格の室伏家に嫁にいくことになった。彼女は身長160cmの大女であり、ほりが深く大きな目でしかもやや浅黒いという、色白でおかめ顔が好まれるこの時代では相当なブスであった。そして、その評判はそれなりに広がっており、なかなか良い縁談もなかった。

 しかし、彼女が手伝っていた商家で知り合った、室伏家の長男である和則から申し入れがあって話しがまとまったものである。和則は、明るく賢い彼女を気に入って結婚したものだ。室伏家の両親は「こんなブスをもらって」と不満げであったが、夫婦仲はいたってよかった。

 しかし、不幸にして和則は2年前にはやり病にかかり、元々丈夫でなかった彼はぽっくり逝ってしまった。多分インフルエンザの一種のようだが、この時代の人は実に簡単に死ぬ。その後、和則の弟が、後を継ぐことになったので、由香は息子共々あっさりと室伏家から去った。喰うに困る生活で、かつ厄介者でいるつもりはなかったのだ。跡継ぎも弟の息子を充てるということで、その点のあとくされもなかった。

 実家に帰ってからは、独身時代の伝手で商家の手伝いをして何とか暮らしていたが、エドに『日本』という国が出来、帝を奉じて国をまとめるという話が使わってきた。また実際に、変わった服を着た者達が大きな音を立てる乗り物に乗って京の街を走り回るのを見ていた。さらには、皇居がその日本の手で新築されており、今の皇居の前に『日本軍の兵士』という番兵が立っているのを見ている。

 そして、橘家も文で帝に仕える家として日本から報酬が出ることになった。それは今までに比べると4倍程のもので、父母と兄夫婦に甥姪が暮らしていくには十分だが、厄介者の自分たちが入ると苦しいレベルのものであった。そこに太政大臣から公家全体に対して、日本国の摂津の石山城塞で人を募集しているとの通達があった。

 それは、年齢性別は問うておらず、家族帯同可、読み書き・算術の能力が必要とあった。住居と食事、制服は支給で、給料は橘家の俸給の1/3程度であるが、能力に応じて昇給させるということであった。しかも、それには採用者の子弟には最高の教育を受けさせるし、受けることが義務であると書いてある。

 由香は一も二もなく申し込んだ。まず、自分の得ている収入より3倍以上の良い収入を得られるうえに、住居・食事付きなど他にあり得ない条件である。しかも、悩んでいた息子の教育付きなど考えられないほどの好条件であった。だから、彼女は応募者が殺到すると考え、兄が持ってきた書類を読んだ翌朝には、所定の申込用紙を作って、応募の場所である任徳寺に行った。

 彼女が着いた時刻に、ちょうど朝の3番目の時の鐘がまさに任徳寺で大きく鳴った。それは、この寺で朝の6時から2時間ごとに鳴らす鐘であり、『日本』の駐在部隊が寺に頼んでやっていることであり、新しい京の風物詩になっている。見ると、寺の門は大きく開かれており、その脇には『石山城塞文官・武官応募者面接会場』と書いた紙を張った板が立てかけられている。

 緊張して門をくぐったそこには、木陰に白い屋根のある幕(テントというものらしい)が張られ、受付の半袖の服を着た人が名簿に署名を求める。ちょうど、武士髷を結った1人が名簿に署名しているところで、もう5人の下級公卿の服を着た人、武士髷の人が、座って待っている。公卿の他に、大名を通じて武士にも募集がかかっているようだ。

 彼女は持っている服の中から余り暑くないもので、見苦しくないものを選んできたが、やはり女の応募者は少ないようで、じろじろ見られる。彼女は緊張して、あまりそれからのことを覚えていないが、面接官は女性が一人、男性が一人だったが、簡単に家族関係、経歴と読み書き算術の自信のほどを聞かれ、さらに実際に算術の問題を出されそれに答えた。

「解りました。では橘由香さん、身の回りのものだけを持って来られれば、他はこちらで準備しますが、あなたは何時から石山に来ることができますか?」
 最後にそう言われたことをはっきり覚えている。

 彼女が実際に石山に行ったのは3日後である。服は現地で与えられるということで、風呂敷に包んだ荷物を自分と数えの9歳の息子が担いで、同じ任徳寺に行った。そこに待っていたバスと言うものに乗って、20人位が一緒に石山まで来たが、そのバスは驚くほど速く、僅か2刻足らずで30里以上の道を走って、午後早くには石山に到着した。

 石山城塞に迎えられて、部屋を与えられ慣れるのはそれほどの時間は要しなかったが、それは一つにはあらゆることに好奇心一杯で首を突っ込む息子の良太のお陰であった。

「どう良太、ここの暮らしは?」
 由香が良太に聞くのに、息子は目を輝かせて応じた。

「もちろん、最高だ!家は凄くきれいだし、特に布団がいいよね。それから、暑い時のエアコンか、あれは凄いね。それに食べ物が比べ物にならないや。最近は太るということで、あまり沢山は食べさせてもらえないけどね。それに、テレビ!あれは見始めると見るのを止めるのはつらいよ」

「勉強はどうなの?」
「うん、算数とか国語、社会に理科か。あまり面白いものではないけど、俺たちが立派な大人になるためには絶対必要と先生が言っているものね。母様を守るためには必死に勉強しなきゃ」
 健気な息子の言葉に少しうるッと来ながら由香は聞く。

「教えられることは解るの?」
「うん、一生懸命聞いていれば解るよ。俺は結構成績はいい方だと思うよ。先生は覚えが早いと言っていた。だけど、先生は覚えるだけではだめで、どう有効に使うかということが大事だ、って言っている」

 由香も、息子の習っている教科書を読んでみたが、活字自体は読むのにすぐ慣れたが、言葉は解らないものが多い。そして、算数や社会、理科で習うことは自分が知らないことは非常に多い。良太も公卿の子はしくれとして、家族から、また教えてくれる家に通ってそれなりに勉強はしている。
 しかし、今習っていることは今まで習ったことと全く関係がないと言っていい内容だ。だから、教師に褒められたいうことは素直に嬉しかった。

 彼女も朝8時半から午後5時までの就業時間内で、今のところ時間の半分は業務に関係あることの勉強会である。そして、必須としてコンピュータの講習がその半分の時間で行われている。当然ながら、如何に賢かろうが、よほど再訓練しないと500年前の人が21世紀の様々な業務に携われる訳はない。

 だから、21世紀の人々の常識に追いつくことが絶対的に必要と彼女は考えており、最初に算術的な理解が欠かせないと思っている。この点では幸い彼女が算術は大の得意の方であったので、数字のやり取りの概念を掴むのにはそれほど時間を要しなかった。しかし、数字の形そのものが違うこと、また加減乗除以外の数字の取り扱いには苦労しているところだ。

 そんなことで、由香は部屋に帰っても2時間ほどは勉強しているが、良太も母が頑張っているのに自分だけがテレビを見る訳にはいかず、付き合っている形だ。このように努力している母子は、同じような石山城塞に雇われた者の中でも最も早い能力の向上をみている。

 一方で、由香は自分を見る男の視線に気が付くようになってきた。彼女は自分が大女・色黒でかつ顔がいかついブスであることは良く知っていた。だから、京においては男からは驚いたように見られ、さらに馬鹿にしたように目を逸らされることが普通であった。

 そのような視線に傷ついてきたことは事実であるが、気にしてもしょうがないとあきらめてきたのだ。ところが、石山城塞に来る前も、面接のときや送ってくれた自衛隊という軍の男達が見る目が違う。またここに来てからは、新たに雇われた男からは今までと同じような視線であった。しかし、“日本”の男達からはまず目に止めて見つめ、彼女が視線を合わせると恥ずかし気に逸らすものが多い。

 彼女は思い切って、同じ経理課の指導役である西沢女子に聞いてみた。彼女は『日本人』で、駐屯している自衛隊員の奥方の35歳である。
「ははは!そりゃそうよ。あなたみたいな美人はそうはいないもの。うちの亭主も結構目に止めているようよ。あまり褒めるから殴ってやった。それにね。今は直接声をかける男はいないと思うけど、ここには3ヶ月ルールというのがあるのよ。それはね、ここにきたこの時代の人たちには、日本の男は3ヶ月を過ぎないとプロポーズしちゃダメということよ。ああ、プロポーズというのは求婚することよ」

 西沢は笑って答えたが、由香は困惑して問いかえす。
「美人、私が?」

「そうよ、時代が変わると美人の標準も変わるのよ。それに、あなた最初に来た頃はまだ栄養が悪くて、やせこけていたけど、今は程よく肉がついて色っぽくなったわよ。どう、ブラジャーのサイズが変わったでしょう?」

 ここにきた12歳上の女性はブラジャーを支給されるのだ。
「え、ええ、すこし。でも顔つきは解りますが、私みたいな大きくて色黒でもいいのでしょうかね?」

「あなた位だったら、大きい方でもないわよ。今の男は余り肌の色は気にしないわね。それにあなたは、なによりスタイルがいいわ。今はキュキュボンで最高のスタイルよ。覚悟した方がいいわよ。3ケ月過ぎたら男が殺到するわよ。だけど、これ以上太らない方がいいわね。運動したらどう?私も朝走っているから、付き合いなさい」

 それは、彼女の世界観が変わったきっかけになった。いままで、できるだけ明るく振舞おうとはしてきたが、肩をすぼめて歩いていたのが、それを聞いて自信ができて、26歳という年齢にふさわしくはつらつと歩くようになったし積極的にもなった。

 西沢の誘いによって朝のジョッキングのグループに入ることで、人付き合いの幅が広がったし、教えられて化粧品に詳しくなって化粧のしかたも上手になり、ますます輝いてきた。そして、彼女は10代の者が多い京からきた同時代人の女性に学んだことを教えていくことで、彼女らが石山ベースに溶け込むことを促した。
 息子の良太も「母様は綺麗になりまたね」と嬉しそうに言う。彼もテレビの影響で美人の基準が変わってきているようだ。

 さて、仁科と梶田はベトナムから持ってきた機材を自ら監督しながら、揚陸して工場用地として準備された場所に据え付けていった。仁科はベトナムから工事用の機器と人員を30人連れてきている。彼らはベトナムでの設備の解体と運搬も実施しているので、工期の短縮に大いに貢献した。

 その場所にはすでに建屋のための鉄骨が組み立てられており、壁のスレートは2/3ほどはすでに組み付いている。今のところ、屋根は組み立てているのは大骨の鉄骨のみで、上から工場の機材を吊り込んだ後に屋根を塞ぐことにしている。これは、できるだけ工期を短縮するための工夫である。

 石山の台地は地盤がしっかりしているので、床はべたコンクリートが打設されて、その上に機材が据付られて固定される。ちなみに、この工場を含めて石山ベースには多量のコンクリートが使われているが、セメントは北海道から運び、砂や砂利は淀川、木津川の河原から採取している。なお、北海道ではセメントを年間500万トン生産しており、この生産高は当面の日本国の建設工事には十分であるとされている。

 工場の設備の組み立てが終わり、工場建屋の屋根ふきも完了したのが、高砂丸が大阪湾に着いてから1ヵ月後であった。その間に、エレグド・ベトナム㈱からやって来た社長の吉田以下、日本人5人とベトナム人10人の指揮のもとに工場の組織を構築した。

 設備が組み終わってから試運転により不具合を修正し、まずは1/5のラインで縫製の製造を始めたのは、据付完了の2ヵ月後であった。据付完了後、ベトナム人の組み立て要員をベトナムに返してからは、仁科と梶田も特急仕事もひと段落して、普通の生活ができるようになった。

 彼らの部屋は、それぞれ4畳半の居間兼台所と4畳半のベッドルームであるが、部屋にエアコンはあるが、トイレ兼用のバスルームがないことがベトナムの宿舎より劣る。ちなみに、この時代の7月~8月は21世紀に比べ相当に涼しく、30度を超えることはまれであったために、寝る時はエアコンが必要なかった。

 現地から集まってきた人々は、同じ作りの部屋に基本的に2段ベッドに2人なので、彼らの部屋割りはそれでも相当に恵まれていることになる。仁科等にはエレグド・ベトナム㈱から給料が払われており、それは元々日本で持っていた口座が回復されてそれに振り込まれている。

 そして、部屋代はベトナムと同様に会社持ちであるが、食券を使う食事代は支払う必要がある。また、彼らの金を使う場所はベース内にあるマーケットと大部分は飲み屋である。飲み屋は、沖縄から来たママさんがこの時代の若い子を雇ってやっているもので、2軒あり、給仕の若い女性はいるが店内では健全な接待を売りにしている。
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