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7. アフリカへの日本自治区の建設

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 四菱商事の東アフリカ事務所長の浅田義人は、4年ごしの計画の最終の詰めの段階に興奮していた。いま彼が会っている相手アミョロ・ジンブはモザンビークの国会議員であり、大統領カルロス・ニヨンの産業副大臣の職にあるが、日本に留学していた時代に浅田と東日本大学の同窓生であったのだ。

 だから、モザンビークの首都マプトの四菱商事の事務所に浅田が来た時、あるいはジンブが日本に来たときなどちょくちょく会って飲んでおり、アミョロ、ヨシトと呼び交わす仲である。ジンブに持論はいつもこうだった。
「日本が隣にあったらなあ。俺の国のモザンビークも今のようではなかっただろうに。日本人が仮に100万人アフリカにいたらアフリカの歴史も変わっていただろうに」

 浅田達日本人はそれを苦笑して聞いていたものだ。しかし、ジンブのその言葉は真面目なもので、世界史を深く学んで、その中から日本の歴史に傾倒した彼の父の持論を受け継いだものだ。
 モザンビークは1975年に独立した旧ポルトガルの植民地で、日本の2倍強の面積、3千万の人口であるが、一人当たりGDPは500USドル程度の世界の最貧国の一つである。資源は豊富であり、石炭、鉄、ボーキサイト、宝石、天然ガスなどを産出し、沿岸における石油資源も有力とされている。

 ジンブのその言葉は完全に本気であり、彼は日本からの帰国後は、その旧家で有力者一族の人脈を生かして当初は経済省に入り3年ほど官庁仕事を覚えたのちに州の議員、さらに33歳の時には国会議員になっていた。その後、与党の中で徐々に人脈を広げ、カルロス・ニヨンが大統領に就く特には大いに力を発揮した。

 その中でも、彼の中にあったのは、彼が寝言のように言っていた「日本が隣にあれば、日本人が100万人いれば」という言葉に対して、浅田を始めとする日本人の学友のいくつかの提言であった。
 それは、いずれにせよ日本が隣に来るのは不可能であるため、唯一の選択肢は日本人が100万人が移り住むのみである。これも荒唐無稽な話であるが、飲み会の席で「いや、まんざら夢物語ではないぞ」という者がいた。
それを言い始めた、農学部の佐川良治の話はこのようなものであった。

「今後、気候変動はもっと進むだろうな。その原因が、温室効果ガスによる温暖化によるものかどうかは置いといて、その場合は降雨量の変動は大きくなるのは避けられんし、その結果として農業生産が不安定になるのは避けられん。そして、現在はアメリカ大陸などが穀物の大生産地になっているが、これらについては長年の耕作によって耕土の流亡、塩分蓄積、地下水の枯渇によって生産高の減少が懸念されている。

 そして、耕土の流亡、塩分蓄積、地下水の枯渇は世界中で広がっており、今後の穀物生産が頭打ちというより減少する要因になりうる。さらに、今後淡水の不足は世界的な問題になるが、都市用水と農業用水に綱引きになると都市用水に軍配があがるので、水資源という意味でも農業生産の増産の余地は少ない。

 一方で日本の食料自給率はカロリーベースで37%だから、もし穀物の生産が世界的に急減したら、日本が十分な食料を買えない可能性がある。まあ、従来は世界中が干害に晒されることはないというのが定説であったが、はっきり言ってそれにはあまり根拠はなく、今では世界全体の干ばつもありうるというのが定説になっている。

 また、さっき言ったように食料、特に穀物の生産に陰りが出て来たアメリカなどが穀物を戦略物資にしようという動きがある。とはいえ、量が足りている時点では値段が上がるだけであるが、量が足りないということになると、まさに彼らの言うことを聞かないと国民が飢えるということになるのだ。

 アフリカに日本人が大挙していくということになると、その食っていくための産業は何らかの資源による鉱業か農業だけど、鉱業ということだとそれほどの人の数は必要ないのだよね。その点で言えば、農業というのはそれなりに人がいるから農業開発というのはありだな。

 それから、農業には大量の水が必要だから、アミョロの国のモザンビークはすごく有利な点がある。それはザンベジ川だよ。ザンベジ川の上流には世界3大滝のビクトリア滝があるが、その下流にカリバダムとさらに下流にカオラ・バッサムダムがある。カリバダムの貯水量は1850億㎥、カオラ・バッサムダム540億㎥で前者は世界最大級だけど、どちらにも水力発電所がある。

 水力発電をするということは、発電のために水を流すということだ。流す水の量は ㎾=9.8×落差m×㎥/秒×効率で計算できる。カリバダムの発電量は120万㎾で落差は約120m、カオラ・バッサムダムの発電量は192万㎾で落差は160mだ。

 その場合カリバダムからは日量1.1億㎥、カオラ・バッサムダムからは日量1.3億㎥の水が定常的に流れてくるわけだ。この2つのダムは直列に並んであるので、最低でも1.3億㎥/日の水は少なくともモザンビークのザンベジ川の下流には流れていることになる。これだけ水に恵まれているところはないと思うぞ。まあ、無論灌漑設備は要るけどね。それからさ、モザンビークの海岸線は低湿地だから、絶好の魚や甲殻類の養殖の適地だぞ」

 さらに、商社志望の浅田がアミョロの影響もあってアフリカ東岸についていろいろ調べた結果を続けて言った。
「モザンビークは鉄鉱石、ボーキサイト、それから良質の石炭の大鉱床があるぞ。それに隣のジンバブエはニッケル、クロム。コバルトなど様々な鉱床が豊かだし、高原の国だから暮らしやすいぞ。
 だけど、農業だけでは成り立たないと思うし、工業も引っ張ってくるべきだ。これは今のところアフリカには目立った工業はないけど、今後発展することは間違いない大陸だ。だから、今後のアフリカの発展を見据えた工業化というのも、現地にある資源を使って進めていいのではないかな」

 最後に政治学科にいる皆川小夜が言う。
「確かに、まあ経済的には日本人がたくさん入り込む要素はあるかもしれないわね。でも、アミョロ君。たとえ、君がモザンビーク帰った後にそれなりの立場を作ってモザンビークに日本人に来て欲しいと言っても、条件によっては変わり者が何人かは来るかもしれないけれど、まあ例えば数万人は無理だわね。

 それこそ、該当する土地を日本に与えて自治政府を作らせる程度の覚悟でないと。つまり、やって来た日本人が日本とのつながりを持ったまま、さらに日本にいる以上の生活を築けるほどの条件で無いとね。あと、正直に言って今の日本の経済社会情勢はそのようなことを実行するには良くないわ。多分、今話の出たような開発を行うためには、少なくとの数兆円の投資が必要よ。

 日本には、それだけの投資を行うだけの資本はあるけど、実行しようという存在がないわ。いずれにせよ、そのためには政府の介入が必要だから、政府がそんな投資を実行しようとすると反対の大合唱になるに決まっている。話としては面白いのは認めるけれど、現状において、実行できるだけの基本条件がないわ」

 アミャロ・ジンブは最後の皆川の話で確かに日本はそんな政治・社会状況にはないと納得はいったのだ。しかし、国会議員としても道を歩き始めたころ、日本通の国会議員として首相に随行して日本に渡ったジンブは商社に勤めている浅田義人に会ったのだ。

「アミャロ、君の『日本人が100万人いれば』という話はまだ考えているのか?」 
 浅田の問いにジンブは目を輝かせて答える。

「むろんだ。そういうということは実行できそうな状況が生まれたのか?」

「ああ、同級の外務省にいる瀬埼と、農水省にいる佐川に話してみた。佐川はお前にいろいろサジェッションした奴だし、瀬川はお前の『日本人が……』は知っているからな。それでな。面白いのではないかという話になった。知っての通り日本はRIDPを始めて、現状は列島強靭化に大きく金を突っ込んでいる。

 建設投資はインフラの維持管理で、余り大きくは落とさないけど、次の弾を探しているのだよ。それと、アメリカが穀物を戦略的に上げようという姿勢を露骨に示し始めたのと、どうも気象の不順が相当高い精度で予測されつつあるらしい。だから、何とか穀物の安定供給というのは、政府の大きなテーマだ。
 今や話は大臣まではいってないが、局長級まであがっているが、なにせ現地側と詰めないとな。ただ、お前はモザンビークを所管するケニア大使の真門さんにその話をしたらしいじゃないか?」

「ああ、俺たちのニヨン大統領も俺の親父からこの話は聞いていて、何とかならんかなという話はしてるんだ。だから、真門大使に会う機会があったので、大統領の話を含めて話をしてみたんだ。結構面白がっていたぜ」

「ああ、結構印象深かったらしいな。その話を大使は本庁迄上げたんで、俺たちの話と混じって局長までの話になっているんだ。だから、お前とここで話をして、ひょっと来ているジビング首相まで話を通せば、この話は大臣、ひょっとして首相迄上がる」

「おおー。そーか。俺にとってジビング首相は話せる人だ。真門大使の反応がよかったので、ひょっとしたらと話はしていたんだ。無論、俺から首相には話をしておく。しかし、そうなると、明後日会う予定にしている阿山首相にはぜひ話をしたいよな。千載一遇のチャンスだからな」
 そう言うジンブの話に浅田は少し考えて言う。

「うん、わかった。今は午後3時45分か。瀬埼と佐川を呼ぶよ。17時30分にお前の宿舎に行くよ。ジビング首相は会えるか?もっとも会うとしても、おれ達で話した後だけどな」

「ああ、もう帰っているはずだ。時差ぼけを慣らすためにあまり詰めた予定にはしていないからな」

 その後、彼らはモザンビークの使節団の宿舎に集まり、同級生としての久闊もほどほどに今後の方針を協議した。その結果、外務省の瀬崎と農水省の佐川は上司に話を通して、大臣を通じて阿山首相に話が通るように頼むことにした。その際には、基本的にはモザンビーク側から話が出るので、その情報提供ということにした。

 外務省と農水省の上司は、瀬崎と佐川が今回の使節団に加わっている若手国会議員のジンブが彼らの同級生であることは知っているので、その情報提供が不自然とは思わないだろう。もちろんジンブがジビング首相には話をして日本の首相にその件を話すことは了解している。

 実際のところ、モザンビーク政府内では、日本への呼びかけと条件についての協議はそれほど真剣なものではなかったが、何度かなされている。
 その中で、以下が概ねの了解事項になっていた。
 1)日本側が求めた土地については自治権を与えるが、モザンビーク人が自由に出入りは出来ることとする。
 2)日本側が要求する土地は人家が少ないことは条件とするが、基本的には彼らの選択に任せること。
 3)5年間開発に着手しない土地についてはモザンビーク側に返還する。
 4)総面積は概ね10万㎢程度として、土地代は概ね150億ドルとする(15万ドル/1㎢)。
 5)灌漑、上下水道、電力については周辺の地域にもその10%を超えない範囲で供給する。
 6)警察権と防衛権については認めるが不可侵条約を結ぶ。

 余りに日本にとって好条件すぎるが、モザンビーク側によほどの好条件でないと、日本側が飲めないという思惑があったことと、この条件であっても土地代である150億ドルの金額は150億ドルのGDPに会わあせたもので、単年度の収入としては非常に大きい。

 さらには、そのインフラ投資による波及効果は非常に大きく、100万人もの一人当たりGDPが4万ドル程度になる豊かな層が最先端の技術を持って隣人になるというのは、自国の文化・社会の多大なプラスの効果をもたらすと考えたのだ。

 彼らは、そして日本が戦前において、自国領とした韓国・台湾及び太平洋諸国について丹念に調べた。もっともその調査は多くはジンブによるものであったが。その結果、それほど甘い統治はしていないが、被統治下にある人々に働けばそれなりのリターンがあるように少なくとも公正に扱っている。また、現在の日本人は当時のもの達に比べるとずっと優しい。

 その点で、日本の統治が残虐であったと言っているのは韓国のみであるが、明らかに韓国の認識は故意にゆがめられており、日本の統治が大きくその発展に寄与したことは事実であると認識している。だから、貧しい自分たちがある程度の区別・差別はされるだろうが、その経済発展は加速することは確実である。

 さらに、日本人が大量に住み着いたモザンビークは、全アフリカの科学と工業の中心になることは確実である。そして、その余波は極めて大きいものと考えられた。
 だから、予定外ではあったが、ジビング首相が、日本の阿山首相に対して日本自治区建設を呼びかけることには問題はなかった。とはいえ、ジビングはその日のうちに、世田谷区のビルの一室にある大使館に連絡して本国に知らせた。

 ジビングは、若い同僚であるジンブと共にその学友という2人の役人と1人の商社マンに会い話を聞いて、日本が日本自治区建設に前向きになる理由が了解できた。それにしても、今や世界的に有名になった日本のRIDPがその計画のきっかけになるとは思わなかったと振り返る。

 彼が最初にRIDPの話を聞いた時に、まず思ったのは自国のGDPの何倍にもなる国家予算をいきなり増やすという決断の制約が、要は自国民を納得させるのみである点を羨ましく思わざるを得なかった。自分の国で予算を増やそうとしても、そもそも政府の信用がないために、税収を大きく上回るような予算は組めない。

 彼も、政府であれ、民間であれ支出を増やせば経済が好転するという理屈は判っていた。無論、短期的な海外の資本流入でその典型的なブームの現象も見て知ってはいた。しかし、それらは、全くといっていいほど自分たちのコントロールの外にあった。今回の話も、自分たちのコントロールの外にあることは事実であるが、過去のものとはレベルの違う規模のものである。

 彼も53年間生きてきた経験から、物事が自分の思うようにはなかなか転がらないことは判っていた。しかし、このまま何もしない場合には、世界の最貧国の自国の状況が好転する道すじは全く見えていなかった。

『これは我が国が掴んだ最初で最後の機会かもしれない。日本人が自分たちが期待したような人々でなく、我々を搾取するのみであったなら、私は多分皆に槍で突かれて死ぬのだろうな』首相は内心思い、ニヤリと笑った。『それもまた良かろう。俺は十分生きた』

 ジビング首相は、横に通訳を置いて対面に座っている日本の阿山首相に対して、挨拶のあと日本からの自国への様々な援助の感謝の言葉を述べた。そして、一拍置いて、当初考えていた更なる援助の要請の代わりに『日本自治区建設』の実施を持ちかけた。それに対する阿山首相の言葉である。

「ジビング首相殿、私はその話を昨日聞きました。率直に申し上げますが、私は非常に興味のある計画だと思いました。しかし、ご存知のように我が国は、現在概ね15年の間に国民の所得を2倍にしようという計画を進めています。
 その首相閣下の言われる日本自治区建設計画には多大な投資が必要になりますので、そこは日本として扱われる必要があります。そして、そこに移り住む日本人は日本人である必要があります。

 それから、今から急いで計画の準備をしても、実際に計画が始まるのは多分、RICPの最初の5カ年計画が終わった後になるでしょう。そして、その時点では私は首相ではなくなっているでしょう」

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