目隠しは赤い糸

雪野 千夏

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四齢

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ほら、と伸ばされた手を見つめた。どうした、と酔った兄は朗らかに笑う。とろんとした目は素面の時とは違う。論理的ないつもの兄ではない。

「どうした、ほら」

私よりも大きな手、章よりも太い指が、目の前でひらひらと揺れた。
誘われる。民家にからみつく朝顔のツルが、黒い。夜露に滲んだ蕾が街灯の下、青白く光る。
ふらふらと、兄は歩く。サンダルがアスファルトにぺたりと張りつく。私に向かって差し出された左手だけが、私の視界で動いていた。

一度、だけ。手を伸ばした。左手に持った明日の結婚式用の酒瓶の紐が手のひらに食い込んだ。一歩、踏み出した足が止まった。
ほれ、とまた兄の手が揺れた。
手を伸ばした。兄の手を軽くはたいた。

「そういうことは、由美子だけにしてよね」

ちゃんと笑えた。
酔っ払いはダメージなど一つも感じていなかった。そっかあ、と残念なのかそうでないのか分からない音をこぼすと、歩き出した。

「ちゃんと歩いてよね」

右に左に蛇行しながら歩く兄の後ろから歩いた。そっと右手を握りしめた。酔っ払った兄の手は子供のころのように温かかった。子供のときとは違い硬い男の手の皮をしていた。兄の手を振り払った感触がまだ抜けなかった。

酔っ払った兄とともに時間をかけ家までたどり着けば、母になぜタクシーを使わなかったのかと責められた。それに適当な理由をつけてやり過ごすと、居間にしいた布団に兄を寝かせた。
母はひとしきり私に文句を言うと、「明日早いのだから」と部屋を出ようとした。

「私どこで寝たらいいの?」
「章の部屋か、ここか。好きにしなさい」

母は欠伸をすると、布団は二階にあるとだけ言って今度こそ寝室に向かった。
途方に暮れた。この家には客間はない。兄の部屋とかつては私の部屋もあったが今は私の部屋は物置になっている。

兄は寝ていた。

机を挟んだ入口側に布団を敷く。電気を消して横になった。兄に背を向けたまま目を閉じた。規則正しい兄の寝息が心臓の音と重なる。
ゆっくりと寝返りを打てば、暗い部屋の中兄のシルエットが呼吸に合わせて動いていた。机の下から手を伸ばす。背中に触れた指先に兄の鼓動が伝わる。

章より少しゆっくりで、柔らかい。同じ男でも違う感触。
起きる気配もない。ただ寝息だけが聞こえる。
一度だけ、一度だけなら。それは衝動以外のなにものでもなかった。
兄と二人だけの部屋。体を起こすと、兄の側によった。そっと耳元に顔を寄せた。私の髪が兄の頬にかかった。

「すき、すき、すき、すき」

囁いた。起きたらいい。起きないといい。起きたらなんと言おうか。意地の悪いことを考えながら。相反することを同時に抱えたまま繰り返した。
大切なことは言葉にすれば、とたんそれは陳腐なものになるらしい。繰り返すたびに虚しさに襲われながら、それならばさっさとこの思いを陳腐なものへと、笑い話へと変えたくて私は九官鳥が繰り返すように繰り返した。

兄が一つ身じろぎをした。

「俺もだ」

私は固まった。そしてそんな自分を哂った。それならば、いっそ。

「兄さ――」

兄は私の頭を掴むと、目を閉じたまま微笑んだ。

「由美子」

唇が重なった。
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