と或る王の物語

雪野 千夏

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第一部 国売りのセド

3-19

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「なぜだ!自分の領地で起きたマルドミの狼藉を放っておくと言うのか!」

 身分を明らかにした途端、サライスカ王子は一気にまくし立てた。頬は紅潮し、目には怒りが宿っている。才気煥発な少年の正義感に、ユースゴは内心でため息をついた。

「それは本当に我が領地で起きたことですか?」
「なんだと?」
「マルドミが連れて行ったと仰るが、女たちが自らついて行ったと先ほど仰っていたではありませんか」
「……それは、民を盾にとられ、仕方なく――」
「ならば、カリーナ王女は自らの意思で行かれたのでしょう。それを我らに救えというのは虫がよすぎるとは思いませんか」

 ピートに話していたことを改めて指摘すれば、サライスカ王子はぎっとユースゴを睨んだ。

「――それが、ラオスキー侯爵の、ギミナジウスの総意か」
 言葉は強いが、だからこそ上滑りしていた。ユースゴは首を振った。
「勘違いしていただいては困ります。我らとしてもマルドミが国境を越えるのならば防ぐでしょう」
「ならば協力し、ともにマルドミを――」

 サライスカ王子の瞳が輝いた。そんなことができるはずもない。ユースゴはサライスカ王子の言葉を断ち切り、フォン・オランに顔を向けた。

「これはあなた方の総意でしょうか」
「いや違う。申し訳ない」

 フォン・オランは苦々し気に頭を下げた。サライスカ王子は慌てたようにフォン・オランの袖を掴む。

「なぜだ、フォン・オラン。姉上を助けるには地の利があるヘンダーレを頼るほかないと言っていたではないか」
「サライスカ様」

 フォン・オランは静かに首を振った。サライスカ王子は助けを求めるように周囲を見回したが、ナジキグの男たちの誰一人目を合わせようとしなかった。サライスカ王子は勢いよく立ち上がった。

「フォン・オラン! そなた父上から姉上を守るよう言われていたではないか。その言葉忘れたか」
「忘れてはおりませぬ」
「ならばどうして――まさかこの機に王の座を奪うつも――」
「お黙りください」
 フォン・オランは剣の柄を鳴らし、サライスカ王子を睨みつけた。
「お、お前、私を誰だと」
 剣の柄を鳴らすのは目上の者が目下の者を問答無用で黙らせるときに行われる行為だ。サライスカ王子は声を震わせた。

「我らはすでに国を失った人間。これまでを声高に叫ばれますな」

 フォン・オランはサライスカ王子の両肩を掴み強引に座らせると、ユースゴに向き直り、頭を下げた。

「失礼いたしました」
「我らヘンダーレ領にマルドミと戦う意思はありません。この国に諍いを持ち込むようなら出ていっていただきたい」

 ユースゴは改めてサライスカ王子に言った。実質的に動かすのが、フォン・オランだとしてもこの王子にも分からせる必要があった。

「追い出すというのか! ここには女も子供も老人もけが人もいるのだぞ!」
「我らの国にも女も子供も老人も病人もいます。国境を越え、勝手にここに住んでいるのはそちらだ。我らはそれを認めた覚えはない」
「……民を見捨てろというのか」

 サライスカ王子は唸った。

「あなたのいう民は我らギミナジウスの民ではない。あなた方がここにいられるのは我が主ラオスキー侯爵の慈悲によるもの。あなたがここにいるせいでマルドミといらぬ火種を抱えようとしているのだ。それすら分からぬ子供ならば、黙っておられるがよろしい」

 ユースゴはぴしゃりと言った。サライスカ王子の周囲の男たちが腰を浮かした。

「やめよ。彼の言うことが正しい。だが、そちらもお困りのはずです。マルドミ軍が国境にある。その目的を知りたいのではないですか?だからこそ、直々にこの場にいらしたのでは?」

 いきりたつ男たちを片手で制したフォン・オランはユースゴを正面から見た。
 その目に怒りの色はない。
 屋敷が襲われたとき、ユースゴの頭をよぎったのは、マルドミの侵略だった。領土拡大を目論むマルドミなら、ナジキグを落とした今、ギミナジウスに攻め込むことも十分考えられた。だからこそ、ピートの言葉の真偽を確かめるためと理由を作り、ユースゴはここまできた。ブロードとジエがいたことも幸運だと思った。ギミナジウスの大商会に関わる人間を巻き込めばいざというときは力になってもらえる。もちろん、そんなことは微塵も表に出さなかったが。ユースゴが守るべきものはラオスキー侯爵であり、ヘンダーレ領だ。必要ならば兵を動かすことを躊躇うものではない。きな臭い現況がどうなっているのか、情報は欲しい。
ユースゴは訝し気に首を傾げてみせた。

「何を仰りたいのですか?」
「マルドミの連中がここから女たちを連れて行った。あなたは思ったはず。彼らの目的は何か、と。だが知りたくとも、国境を越えナジキグの領土に入れば、下手をすればマルドミの連中と戦いになる。国境の領土でそれは避けたいはず。だが、連中が国境を越え、ナジキグの人間とはいえ女を連れて行ったのは事実。それが今回はたまたまナジキグの民だったが、次があったら……、それがヘンダーレ領の人間でないという保証はない」

 フォン・オランは天幕の一角、刺繍の入った布がかかった綿布を見た。鮮やかな色の刺繍糸で精緻に作られたそれは、武骨な天幕の中で浮いていた。

「マルドミ軍、追い払うことができたのなら、ここに今いる民だけでいい、ギミナジウスで引き受けていただけませんか」
「なんですと?」

 ユースゴは目を見張った。
 いくらヘンダーレ領がギミナジウスの食糧庫であろうと、三千もの難民を領民として迎え入れることなど不可能だ。これ以上無期限に受け入れることは遠からず破綻を招く。サライスカ王子などよりよほど無茶な要求だった。

「すべてとは言いません。カロリアン国に縁のあるものも多い。通行許可さえいただければ、そのものたちはこの国を出ます。三千のうち五百人だけです。お願いしたい」

 五百人だけなら、ユースゴは一瞬そう考えた自分を戒めた。大きな要求の後に小さな要求をするのは常套手段だ。

「その代わり、あなた方がマルドミと戦うと? 何の益があるのです?」
「連れていかれたカリーナ様は、もしも男なら国王にもなられただろう器の持ち主。放っておくわけにはまいりません。国も主君も家族も、我らはあの旗のもとに殺された。それ以上の理由が必要ですかな。……それに、ヘンダーレ領の人々は我らによくしてくださった。我らナジキグの人間は受けた恩義も仕打ちも返す主義です。あなた方が国境を越えれば争いの口実になる。だが、我らなら違う。土地を追われた難民が連れ去られた女を取り戻しに行く。それだけのこと。その後難民に無様にやられたマルドミ軍がヘンダーレに逃げたならば堂々と討てばよいのです」

 復讐なのだと言ってのけるフォン・オランの目には穏やかな口調とは相容れぬ暗い色があったが、じっと見つめるユースゴに気づくと、肩をすくめ朗らかに笑った。
 確かに手勢を失わず、いざと言うときに切り捨てられる兵という点では願ってもない申し出であるのは事実だった。

「なるほど。言い分はわかりました。だが、さすがに約束はできない。ただ、功績を立てたものは取り立てるのが我がヘンダーレ領の習い。もしできたのならば、ラオスキー侯爵への面会の場を設けよう。交渉は生きてご自分でしていただきたい」
「十分です。感謝いたします」

 ユースゴは「何を」とは言わなかった。口約束にもならない言葉に男たちは不満げな顔をし、フォン・オランは頷いた。

 ※
 

 ヘンダーレ領とナジキグとの境には見晴らしのいい平野が広がる。平野から続くシュローダーの森の一部も伐採され、三グライス圏内に隠れられるようなところはない。穀倉地帯と呼ばれ潤うヘンダーレ領の国境としての顔だ。短く刈り込まれた平野にずらりと騎乗した男たちが並ぶ。地平線の向こうがうっすらと白み始め、はるか向こうにマルドミの旗を立てた天幕が浮かびあがる。

「いいのか、本当に」

 十人ばかりの兵を率いる隊長は急遽加わった二人の商人を振り返った。
 会談を終えたユースゴは、連れていた隊の中からナジキグ人にも見える人間を数人選んだ。それが今ここにいる男たちだ。いずれも揃いの甲冑を脱ぎ、ピートから渡されたナジキグ製の古着を着ている。いかつい顔面の男たちに、浅黒い肌のジエ、飄々としたブロードが加われば、完璧に国境に出没する無頼者の集団にしか見えない。

「今更だな。それにしても進軍にしては天幕の数が少ないな。斥候にしてはお粗末だし、略奪にしてはなんとも手際が悪い」

 ブロードは肩をすくめ、ジエは黙って首を振った。なんとも思っていないような二人に、隊長もすぐに気持ちを切り替えた。

「まるで本職のようなことを言うな」
「商人をやっていれば賊と渡り合うことなどいくらでもあるからな」
 天幕の向こうから細い狼煙が二本立ち上った。
「始まるぞ」
 男たちは剣を抜く。

「間に合いそうもないな」

 ブロードは白み始めた空に目をすがめ、剣を抜いた。
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