と或る王の物語

雪野 千夏

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第一部 国売りのセド

3-15

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 牢の中、男は肩をすくめた。
「俺の名はピート・ホッジスだ」
「ホッジス?」
「ナジキグじゃそう珍しい名前でもない。今じゃ難民だがな」

必死に手を伸ばしていたのと同一人物とは思えぬ気さくさに、ブロードは内心驚きながら、調子を合わせた。

「それが、どうしてこんなところに?コソ泥でもしたのか?」
「誰がそんなこと! 俺は警告に来たんだ。難民になってからこっち、ラオスキー様には食料やら何かと融通してもらっているからな。それなのに領兵の奴ら、ろくに俺の話もきかずにこんなところに放り込みやがって」
自己紹介ではそうでもなかったが、早口になるとナジキグ特有の訛りがあった。ブロードは頷いた。
「さっきも言っていたな。何があったんだ?」
「お前に行ったってどうしようもねえ」

 ピートは冷たい煉瓦に背を預け、膝に顔をうずめた。それきり話す様子のないピートに、ブロードは話しかけるのをやめ、ピートと反対側の壁に背を預けた。そのまま二人とも黙っていた。遠くで見張りの話す声がした。

「国境でマルドミ軍を見たんだよ」
 ぽつり、とピートが言った。ブロードは顔を上げた。
「マルドミ軍だと?」
「ああ、間違いない。俺たちはナジキグよりに天幕を張っている。近くの村に荷物があるやつらもいるからな。そんな奴らは時々、村へ戻る。それで数日前だったか、例によって様子を見に行こうとしたら、その途中にマルドミの奴らがいて、今晩ヘンダーレを攻めるって話をしていた。だから、俺が代表してサワーウィン砦に報せに行ったのさ。俺らはナジキグの民だが、今はここで世話になっているからな。そうしたら、どうなったと思う」
「どうなったんだ」
「お偉いさんと会った。それで話をした。褒美をもらって砦を出た。別に褒美が欲しかったわけじゃないぞ」

ピートは慌てて付け足した。
 ブロードは気にしない、と手を振った。

「結構じゃないか」
「ああ、帰りに警備兵に襲われなければ、な」
敵の来襲を教えに行って襲われるなど、聞いたことはない。報奨を渡し、その情報の貢献度によっては召し抱えられたとしてもおかしくはない。

「国境の警備兵か?」
「なんだ、疑うのか?」
「いやその逆だ。俺も警備兵に襲われた」
ブロードのその言葉をどう受け取ったのか、ピートは忌々しそうに鼻を鳴らし、薄汚れた服をめくった。

「多分、奴ら砦を出たとこから尾行していたんだ。人気のない街道で、いきなりだ。なんとか振り切ってラオスキー様に報告に上がれば、今度はこのありさまさ。せっかくの褒美も取られちまったし、この国も大概だな」
ピートの腕には真新しい切傷があった。農具や日常でつくのとは別の、武器でついた傷だ。手当をされていない傷は赤く腫れ膿みかけていた。
「どんなやつだったか分かるか?」
「どんなやつって、普通にギミナジウスの人間ぽいやつさ。顔なんてろくに見ちゃいねえよ。逃げるのに必死だったからな。なあ、もしかしてさ」

 ピートは立ち上がり、ブロードの隣に来ると、ブロードの肩を抱いて声を落とした。

「この辺の連中とマルドミの連中はぐるだったりするのか」
「は?」
「大きな声を出すな、見張りが来るだろ」
「すまん。どうしてそう思った?」
「どうしても何も一応これでもナジキグでは仕官していた口でね。マルドミのやり口は知っている。裏切るはずのない人間と通じて、ある日突然襲ってくる……俺は守れなかった」
「ラオスキー侯爵が通じていると言いたいのか?」
「さてね。お前も見たとこそれなりの奴だろう?ま、俺には関係のないことだが」

 ピートはそういうと、ブロードの肩から手を離し、暗い目で、薄暗い牢の天井を仰いだ。

「まさかせっかく拾った命、こんなところでなくす羽目になるとは思わなかったが……。それももうどうでもいいことだ。外の連中もマルドミの連中が来るのは知っているし、逃げるだろ」

「お前が言っているのは、国境付近にいるナジキグの難民のことか。だったらまだ呑気に飯を食っていたぞ」

 ブロードが荷馬車の中から見た光景を告げれば、ピートは顔色を変え、ブロードの胸倉をつかんだ。

「なんだと。足の速いのが行ったはずだ。そんなはずはない。すぐに戦場になる可能性があるから移動しろと――」
ピートは視線を彷徨わせ、牢の中をぐるぐると歩き回った。
「もしもあんたの言う通り、砦の奴らがマルドミと通じているのなら、報せを止めることくらいはするだろ」
ピートははっとした顔をして、両手で頭を掻きむしった。壁に頭を打ち付ける。
「ああ、くそ。そうだ。俺はどうして、また守れないのか」

 ブロードは改めてピート・ホッジスという男を眺めた。年のころは四十ほど、いやもう少し若い。服は汚れているし、ところどころ擦り切れているが、確かにその身のこなしは武芸を嗜む人間のものだ。仕官していたという話も嘘ではないだろう。ならばすべきことは一つだった。

「なあ、お互い無実の者同士。協力しないか?」
「なんだと?」
「俺もこんなところに放り込まれているわけには行かない身の上なんでね」
「何を言っているんだ。ここは牢だぞ」
「だからなんだ? 牢っていうのは出るためにあるんだぜ」
ブロードはにやりと笑った。


 ※
ブロードとピートが牢から出ると、日は沈み、あたりは真っ暗だ。詰所から屋敷への道筋に等間隔にカンテラが吊るされていた。
「おい、一応聞いておきたいんだがな」
「なんだ?」
「お前、泥棒の経験は?」
「俺はいたってまっとうな男だぞ」
ブロードは心外だと肩をすくめた。足元には牢番が転がっている。
「まっとうな男は牢の鍵あけなんてできないものだ……武器の心配はしなくてよさそうだな」
ピートは呆れたような目をブロードに向けた。
「そっちこそ、まっとうな男は詰所を見て武器を奪うことなど考えないぞ」
 ブロードもまたピートを胡乱気に見やった。
「確かに、そうだ。つい癖でな」
ピートはすまない、と肩をすくめた。二人は周囲を見回した。
 詰所周囲の塀は高く人力で越えるのは難しい。二人はカンテラの明かりを頼りに門へ向かった。時折感じる兵士の気配に二人はどちらともなく陰に隠れる。そんなことを繰り返し、二人は進んだ。
 ブロードが片手をあげ、立ち止った。
「どうする?」
 詰所と屋敷の中間地点、小さな広場のように開けた場所は、鍛錬の場でもあるようだった。外へと続く門には見張りの兵士が五人。屋敷へとつながる門にも二人、見張りが立っている。厩舎の向こうに兵士たちの宿舎らしき建物が並んでいる。外へ行くにはどうあっても、兵士の見張りをくぐり抜けなければならなかった。ただ、広場は煌々と照らされ、どの角度からも死角がないように兵が配置されていた。
「殺すわけにもいかないわな」
 ピートは悔し気に牢番から奪った剣を握った。
ブロードはピートと、屋敷へと比べる門を見比べた。

「なあ、ピート一個頼みがある」
「なんだ。約束は守るぞ」
「それなら――」

ブロードは一案を告げた。

「おい、本気なのか?」
ピートは目を剥いた。
「俺はいつでも死ぬ気で本気だ。約束したよな、牢から出られるなら協力するって」
「それはそうだが……」
ピートは躊躇いがちにブロードをうかがった。
 夜空が一斉に赤くなった。
 ギャーと見張りの兵士が叫び、倒れた。
「火矢だ!」
 ブロードとピートは落下してくる火矢を薙ぎ払い、即座に物陰に隠れた。宿舎から飛び出してきた兵士たちが、水桶を持って走り回る。再び空が赤くなり、火矢が落ちてくる。

「火矢だ! 消せ!」

 兵士たちは剣を抜き、火矢を打ち払う。

「よせ、消火は屋敷の者に任せろ。すぐに馬を出せ。外に出る!」

 隊長らしき男の一括に兵士たちが走り出す。ブロードはこの隙を逃さなかった。

「じゃ、頼んだぞ」
「本当に大丈夫なんだろうな」
ピートがブロードの手を掴んだ。
「知るか。大丈夫にするんだよ。守れよ、約束。じゃあな死ぬなよ」
ブロードはピートの手を振り払い、屋敷の奥へと走り出した。
ピートは絶句しその後姿を見送った。
「あっちだ!」
家人の声に、ピートもまた、走りだした。
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