と或る王の物語

雪野 千夏

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第一部 国売りのセド

3-4 タラシネ

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 バルドー農学博士が宿の前を行ったり来たりする姿に、宿に戻ったタラシネ皇子とカーチスは顔を見合わせた。バルドー博士はタラシネ皇子が怪しまれず国外に出るために利用した人物だった。今日は地元民たちからどんな作物をどんなふうに育てているのか聞き取っているはずだった。
「どうした、こんなところに立って」
「いきなり変な男が部屋に入り込んできて、研究中の資料を全部ばらまいたのです!隠していないか、とかわけわからないこと言ってきて」
 バルドー博士の顔は怒りとおびえで高揚していた。

「それで、その男は?」
「今も、部屋にいるはずです。目つきは悪いし、資料をばらまいて謝りもしないし、酔っぱらっているわけでもなさそうで」

 バルドーは心配そうに三階の窓を見上げた。

「店の者には?」
「いえ、まだ。あなた様は強引について来られましたけどね。私にだってそれくらい分かっています」

 バルドーは憤慨したように言った。遊学に出るバルドー博士に強引についてきた自覚のあるタラシネ皇子は苦笑した。

「それは助かった。カーチス」
 カーチスは頷き、三人は揃って宿に入る。先頭に立ったカーチスは、いつでも剣が抜けるように体勢を整えた。一般客と如才なく挨拶を交わしながら階段を上る。そのあとにタラシネ皇子とバルドーが続く。二階の踊り場にくるとタラシネ皇子とカーチスは視線を交わした。ここまでくれば二階客から姿は見えない。二人は剣を抜いた。そのまま階段を上がる。
 三階にあるのはタラシネ皇子たちが滞在する暁の間ともう一つだけだ。そちらの部屋に人の気配がないのを確認し、カーチスは静かに扉を開けた。
 薄い煉瓦色の内装の暁の間には資料が散乱していた。窓が開け放たれギッギッと窓が揺れる。窓際には男が一人外を向いて立っていた。

 バルドーが頷く。
 カーチスは資料を踏んで音を出さないよう、気配を殺し男に近づいた。男に気づく気配はない。カーチスは静かに剣を持ち上げる。とった、とカーチスが思った次の瞬間、カーチスの目の前に男の幅広の剣があった。

「ぐっ」

 鈍い音とともに、男の剣とカーチスの剣がぶつかった。

「ご挨拶だな。カーチス」

 広場にいた男だった。男はカーチスと競り合いながら、後ろに立つタラシネ皇子に目をやった。目を丸くしているタラシネ皇子に向け、笑ってみせた。
「お久しぶりです」
「カーチス」
「失礼いたしました」
 タラシネ皇子の制止に、カーチスは相手が力を抜く呼吸に合わせ、剣を引いた。相手の装備が剣一本であることを確認し、一礼し剣をおさめた。さっと場を開けた。背後に庇っていたタラシネ皇子が男と正対する形になる。

「いや、急だったからな。それにしてもマルドミに俺の顔を知らない宮廷人がいるとは思わなかった」

 男もまた剣をおさめた。視線はバルドー博士に向けられていた。

「申し訳ないね、彼は従者の恰好をしているけれど、農学博士だから。宮廷のことには疎いのだよ」

 タラシネ皇子は部屋に入り、散乱した資料を拾い始めた。それを見てバルドー博士も動き出した。あ、足跡が、破れているなどぼやきながら拾う博士に、男は目を細めた。

「どおりで何をきいても知らないの一辺倒だったはずだ。俺はてっきりタラシネ皇子が裏切ったのかと思いましたよ。悪いな」

 男はほれ、この通り、と肩をすくめ一歩窓際によった。タラシネ皇子の位置から、寝室として使っている隣室の様子が見えた。引き出しや戸棚は全て開けられ、床の上には着替えや荷物が散らばっていた。寝台の位置も変わっている。見事な家探しだった。
 タラシネ皇子はそんな部屋の惨状にも顔色一つ変えなかった。

「へたに、事情を知っている人間を増やすと危険なのでね。疑いは晴れたかい?」

 さらりと言った。
 男は肩をすくめるだけで返事にかえた。

「あのう、皇子、この人は誰ですか?」

 この場で唯一男を認識していないバルドー博士が恐る恐る口をはさんだ。彼にとっては、男は研究資料をめちゃくちゃにしたひどい人物である。

「ラブレヒト将軍と言えば分かるかな?」
「炎のラブレ!皇太子殿下の旗下で絶対の強さを誇る将軍が、えっとこんな……」

 研究一筋世俗のことに疎いバルドー博士はマルドミ帝国の中でも有名な男の突然の登場に悲鳴をあげた。

「もっと格好いい男を想像していたのならすまないな。現実などそんなものだ」
「いえ、焼き畑農業をするにはその何もかもを焼き尽くして平然と立っていられる精神力の強さは勉強に値します」

 支離滅裂だった。混乱するバルドーにタラシネ皇子は少し席を外すよう言うと、カーチスに部屋を整えるように命じ、ラブレヒト将軍をバルコニーに誘った。

「よい、街ですな。活気があり、人が行き交い、明るい」

 バルコニーの下の大通りでは露店が開かれていた。夜は酔客が行き交う通りも、今は老若男女が行き交う。賑やかな声が響き、時折外国語が混じっている。
 タラシネ皇子もラブレヒト将軍の横に同じように並び、露店を見下ろした。

「そうだね。いい街だ。それにしても、まさかあなたが来るとはね」
 タラシネ皇子は手すりに肘をつき、慰みにと植えられている小さな植木鉢の葉を撫でた。
「あのようなものを送られては、動かざるをえないでしょう。困った方だ」
「そうかな。だけど将軍も人が悪い。あんなふうにいきなり現れるなんて」
「久しぶり、でしたからな。すこし驚かせてみたくなったのです」
「あなたがやると、皆が怖がるから」
「窮屈なものですな」

 タラシネ皇子が何かを懐かしむように、呆れたように言えば、猛将と名高い将軍は軽く笑い飛ばした。

「整いました」

 カーチスの声に、タラシネ皇子は体を起こし、部屋の中へと踵を返した。

「行こうか」
「よい、街ですな」

 ラブレヒト将軍は街を見下ろした。


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