と或る王の物語

雪野 千夏

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第一部 国売りのセド

閑話 と或る文官の選択

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「由々しきことだ」
「とはいっても始まってしまった以上どうしようもない」

 急遽一室に集められた総史庁の文官たちは苦い顔だった。現在ユビナウス以外の総史庁の人間は今回のセドに関わっていたという一点において聞き取り調査の順番を待っていた。今は騎士たちが総史庁の捜査をしている。それが終わるまで総史庁に入ることはできない。
 だが彼らの不機嫌の理由の一つは、疑われていることではない。容疑者と目しておきながら、口裏合わせができるような状態で待たせている騎士たちへの苛立ちだった。
公明正大を旨とする総史庁の人間にしたら、何たる体たらくだと憤慨ものだった。
 結果、騎士が総史庁の捜査を終えるまでの間、総勢三十名の総史庁の文官たちは自主的に皆が自分のセドの期間のわが身の行動を述べ、その証明をするという一風変わった作業が行われた。
 誰もが許可印を押すことも、御璽を押すこともできなかったと確認できれば、ヴァレリアン総史庁長官は次の手を打つべく動くことにした。

「それで、ユビナウス。そなたの見立ては」
「おそらく、ハル・ヨッカーとラオスキー侯爵は白でしょう。ニリュシードとタラシネ皇子についてはなんとも」
「さもありなん」

 場を一切読まないハル・ヨッカーと、曲がったことができるはずもないラオスキー侯爵だ。ヴァレリアン総史庁長官は頷いた。

「ですが、どんな予断をも挟まず、判断するのが総史庁のはず。決めつけるのはまずいのでは?」

 異を唱えたのはマハティだった。総史庁には上下の別はない。セドにおいて自分の知っている情報や意見は忌憚なく述べるのがよしとされている。

「それはそうだが、一刻も早くこのリドゥナを出した犯人を見つけ出さなければ、来月のセドの準備ができないではないか」
「国が売られているというのに、来月のセドのことなんてグラージ副長官はすごいですね」
「そうか。尊敬するか」
「そんなことは言っていないですけどね」
 マハティは呆気にとられた。
「我ら総史庁の誇りにかけて、この国売りのリドゥナをセドに出した人間を見つけようではないか」
グラージ副長官は鼓舞するように立ち上がった。だがグラージ副長官の調子がいいのはいつものこと。誰も突っ込まなかった。冷静に分析し始める。

「でも、あのセドの修羅場の中で一体どうやって混ぜ込める?」
「受付にそんなものがくればはねます」
「仮に通ったとしても審査の段階で気づきます」

 一人が問えば、各自が自分の持ち場では不可能だ、と言い張った。

「もし気づかなかったとしても確認の段階で……」
 皆の視線がグラージ副長官に集まった。最終確認はグラージ副長官の仕事だ。
「なんだ、私だってそんなものが混ざっていればはじくぞ」
 胡乱気な視線を向けられたグラージ副長官はたじろぎながらも声を上げた。

「そうだな、すまない。疑っているわけではないよ。それに許可印の保管場所をこじ開けた形跡もない。仮にユビナウスが誰にも気づかれず許可印を押したとしても、御璽を押すことまでは不可能だ」

 ヴァレリアン総史庁長官が窘めた。結局話はそこに戻ってきた。

「貼るときにはどうだった?気づかなかったのか?」
「そんな数がたくさんあるのに、いちいち見ていませんよ」

 マハティが悲鳴を上げた。それもそうだ、と皆頷く。リドゥナを貼るときに確認など誰もしていない。

「やはり、王城内で混ぜられたとするより、当日、王城から広場に行くまでの間で混ぜられたとする方が自然か」
「そうでしょうね」
「ならば誰が――」

 いつ、だれが、どうやって。そこで話は行き詰る。そんなことをしても危険が大きすぎる。やる理由が思いつかなかったのだ。

「目的や動機はともかく、誰がというなら、誰にでもできたのではないですか?」

 口を開いたのは第四席のシャルロッテ・ダドリーだった。総史庁での数少ない女性だ。長身とその男装から彼女が女であると知る者は総史庁の人間のほかは数えるほどしかいない。

「なんだと?」
「なぜ皆、本物の御璽と許可印が使われたと思うのです?この世にいくつ御璽の押された書類と許可印の押されたリドゥナがあると思っているのです?時々、君たちはあまりに公明正大すぎて世の中というものを忘れているのじゃないかと思うのですよ」
「貴族の手練手管と花街に通じている人に言われたくはないですよ」
「何を、私はこれでも情報収集をだな。それに総史庁の人間が花街に言ってはいかんという法はないだろう。大体勤務時間外にどこで何をして遊ぼうと私の勝手だろう」

 シャルロッテは堂々と言ってのけた。身分と能力で言えば第三席でもおかしくない実力のシャルロッテだが、その素行から万年第四席という微妙な地位に甘んじている。本人としてもその方が気楽だと公言してはばからない。長官としても、花街に顔を出しても、特に誰かに篭絡されているわけでもない様子だから何も言えない。ほぼ同期のユビナウスにすると扱いにくい相手だった。

「女が女を侍らすというのはきいたこともないですがね」
「一人も侍らすことのできない堅物君に言われてもね」
「はいはい、それで、シャルロッテどういうことだ」

 グラージ副長官が間に入った。

「これだけ状況的に本物を使うのが難しくても、印影から偽物の印を作りだすことくらいできなくはないでしょう」
「でも、印影はとてもはっきりしていました。とても偽造したものには」
「もしお前が偽造するとしたら、一枚の紙だけを参考にするか?」
 シャルロッテはユビナウスを見た。
「何枚も、集めたと?」
「その可能性もあるということだ。私は犯人じゃないからそんなこと知るわけないだろう」

 シャルロッテは肩をすくめた。
 ユビナウスは少し考えるとヴァレリアン総史庁長官を振り返った。

「だとしたらだいぶ絞れます。私の許可印は先月少し変えました。今回リドゥナに使われた許可印の印影は新しいものでした。つまり犯人はたった一か月で私の印影を手に入れることができ、なおかつ作ることができる技術か財力を持つ人物ということになります」
「おいおいおいおい」

 それができる人物をとっさに頭の中で拾い集めた文官たちの顔から血の気が引いた。

「そもそも、ユビナウス様の許可印だけでしょうか」
「おいおい、マハティ怖いこと言うなよ」
「そうだぞ、そんなわけ」

 いやな予感に皆が黙った。許可印と御璽の偽造が真実ならどんなリドゥナも出し放題。総史庁が意味をなさない。

「やはり捜査を待つしかないということか」
 ヴァレリアン総史庁長官は考え込んだ。
「ヴァレリアン長官」
「別に何もしないとは言っていない。だが我らはセドをつかさどるもの。どのような経緯であれ、セドが行われるのならば、原則に則り、この国売りのセドを進めねばならん」
「国売りを進めるというのですか!」
「しっかたないじゃん。王が売るって言っているんですし」

 さっきは平然とセドの進行をしていたユビナウスが目を見開けば、沈鬱な空気にシャルロッテの乾いた声が響いた。
 ユビナウスはシャルロッテの胸倉をつかみ上げた。

「シャルロッテ・ダドリー。あなた自分が何を言っているか分かっているのか!」
「分かっているよ」
「分かっていない!」

 シャルロッテは胸倉をつかまれたまま、冷めた目でユビナウスを見た。
「だったら聞くけどさ。ユビナウス、あなた、止められたよね。何が何でも止めるつもりなら、止められた。マハティでも、今日の担当の騎士でも、セドの参加者でも、長官でも、誰かをその時犯人に仕立てあげれば、セドは止められた。少なくとも引き延ばすことはできた。だけど、止めなかった」

 はっと皆が息をのんだ。

「……無実の人に罪をきせるなど」
「あんたは選んだ。そして、選ばなかった」

 何を、とは言わなかった。

「すまない」

 ユビナウスはシャルロッテから手を放した。
 ヴァレリアン総史庁長官はユビナウスの肩に手を置いた。

「彼の責任ではない。私の指示だ。私がユビナウスをこのセドの担当に任じたのだ。だが、セドをつかさどる総史庁としてこのまま放置するわけにはいかないのも事実だ。むろん、犯人が参加者にいれば、そのものは捕えられるべきだ。だからこそ、セドに詳しい我々が関わっている必要がある」

皆、頷いた。偽造の依頼などこれまでにもいくつもあった。賄賂の申し出もいくつもあった。それらを突っぱね、かいくぐり総史庁は進んできたのだ。

「シャルロッテ君」
「別に、責めているわけじゃないですよ。事実を言っただけです。じゃあ、調べるのですね参加者を」

 ヴァレリアン総史庁長官は頷いた。

「無論だ。セドは公平であるべきもの。犯人が分かれば私が王に進言しよう。副長官、君はニリュシード・ラオロンに、マハティはハル・ヨッカーに。ユビナウスは――」
「タラシネ皇子ですね」
「頼む。マルドミの専門官で関わっていないのはそなたしかいない」
「分かりました。長官は?」

 ユビナウスは元の冷静な第三席の顔をして訊いた。

「私はラオスキー侯爵を探ろう。何もないとは思うが、彼を慕うものは多い。担がれる可能性もあるだろう」
「あの、でも副長官で大丈夫なのですか」

 口を挟んだのは普段副長官の下に仕える文官だった。

「何を言う。これでも我が家はトルレタリアン商会と付き合いのある大貴族なのだぞ。任せておけ」
「だからじゃないですか。副長官が袖の下をもらって口止めされたらどうするのですか」
「気持ちは分からなくもないが、副長官とて総史庁の人間、大丈夫だ」

 ヴァレリアン総史庁長官が頷けば、グラージ副長官は胸をそらした。

「あの、どうして――」
 マハティはおずおずと進み出た。新米の自分が、それも今日のセドの担当官であった自分が任命される理由が分からなかった。

「だからだ。様子を見る限りハル・ヨッカーは白だ。とはいえ、誰も監視しないわけにはいかない。だったら一番手が空いている人間がするべきだろう」
「え?」
「ほかの人間はもっと危ない奴らの裏取りをするということです」
 グラージ副長官が言えば、ユビナウスも言葉を添えた。
「だったら、自分も――」

 ヴァレリアン総史庁長官は首を振った。

「できることとできないことの見極めができないうちは、勝手に動かないことだ。本当は内勤を任せたいが、今の状況では城内にいる方が危険かもしれないからね。下手をすれば、捕えられかねない。誰かとともに外にいた方が安全だ」
「それって――」
「海千百千のお貴族様の相手ができるかってこと。もし、大貴族の誰かが犯人で、当日のセドを担当した文官に罪を擦り付けようと思えば、お前ほど易しい相手もいない。そういうことでしょう、長官?」

 シャルロッテの言葉に、ヴァレリアン総史庁長官は頷いた。皆の顔を見渡した。

「そんなことさせはしないが、各自用心はしてほしい。それからシャルロッテ君、君は――」
「分かっています。許可印の流れでしょう?」

 任せてください、とシャルロッテは立ち上がった。ヴァレリアン総史庁長官は首を振った。

「いや、それは騎士たちに任せよう。こちらが動いては変な疑いをかけられない」
「確かに、軽率でした」
「いや。君には私たちがいない間、総史庁を任せたい。それこそ、海千山千の相手だ。少し骨が折れるかもしれないが――」
「楽勝ですよ。なにせ――」

 ユビナウスがすっと右手をあげ、シャルロッテの言葉を制止した。そのまま、短剣に手を当て、廊下に向かう。マハティがその後に従った。
 ユビナウスは扉を開け放したまま、窓の外の様子をうかがった。

「どうかしましたか?」
「いえ、今外に何かいた気が」
 ユビナウスは外の気配を探った。
「ニカンルーじゃないですか。最近夜になるとよく歩きまわっていますから」
 王家の森に面した総史庁には時折野生の獣が訪れる。ユビナウスはじっと暗い森を見つめた。やがて、ぽてぽてと腹を引きずるようにして、ニカンルーの雛が現れた。
 ユビナウスはふっと息をついた。
「雛だけか、親鳥は――」

 ぬっそと大人二人分はあろうかという、ニカンルーの成鳥が姿を見せた。赤い冠羽を立たせ、羽を大きく開いている。警戒している。

「ユビナウス様、下がってください」

 言われなくともユビナウスはニカンルーの雄からさっと目をそらした。子育て期のニカンルーは狂暴だ。背を向けないように後退した。ニカンルーの雄はケケ、と雛を促した。雛がぽてぽてと尻を振り、親の元へと歩いていく。しばらくして、二匹は暗い森に姿を消した。

「おーい二人とも、大丈夫かあ」
 シャルロッテの声に、二人は部屋に戻った。
 ニカンルーの去ったその場所で、人影が動いた。
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