8 / 69
第一部 国売りのセド
閑話 と或る文官の災難
しおりを挟む
誰もいない総史庁に総史庁第三席ユビナウス・ハーレンはいた。ユビナウスはここ十日ほど季節外れの流行り病にかかっていた。そのせいで一番忙しいリドゥナの確認作業時期をずっと休んだ。今日はその穴埋めとしての出勤だった。だがセド当日の総史庁は暇以外の何物でもない。次のセドの準備をしようにも次回のセドのリドゥナの受付は明日からだ。ユビナウスはぼんやりと宙を見つめていた。
どたどたと音がした。
「大変だ! すぐに広場へ行ってセドを止めろ」
腹を揺らしながらグラージ総史庁副長官が駆け込んできた。
「なぜです?」
始まったセドを止めるなど前例がない。ユビナウスの疑問は当然のものだった。
「王が国をセドに出した。このままでは国がセドにかけられてしまう」
グラージ副長官は早口でまくし立てた。その焦りはユビナウスには伝わらなかった。怪訝そうに顔をしかめた。
「それはセドに出せばそうなりますね。それにしても国売りのセドなんてよく通しましたね。誰が許可印を押したのですか?」
縁故採用で副長官の座にあるグラージに代わり、実質的に総史庁の実務を取り仕切っているユビナウスである。自分が休んでいる間に何があったのだ、とグラージ副長官を見た。
「私ではない! 押されていたのはお前の許可印だ!」
グラージ副長官はユビナウスを指さした。腹がたぷりと波打った。
「……馬鹿な。私はずっと休んでいて――」
ユビナウスは絶句した。すぐに言葉を見つけられなかった。なんとかそれだけ絞り出した。
グラージ副長官は嫌そうに眉を寄せた。
「わかっている。仮に時間外にお前が登城したとしても許可印を使うことはできない。今ヴァレリアン長官が止めようとして下さってはいるが、王はきかないだろう。だから――」
そこまで言われればユビナウスに説明は必要なかった。すぐさま立ち上がった。椅子に掛けてあった制服を羽織り、総史庁の腕章をつけると部屋を飛び出した。
※
がたがたと石畳の上を荷馬車は走る。
一体誰が。
自分の「許可印」が使われた。その意味をユビナウスは考えていた。
リドゥナに押される総史庁の許可印は総史庁の文官の数だけ存在する。山のように出されるリドゥナを迅速に処理するためだ。そして外部の人間は知らないが、まったく同じに見える許可印は実はそれぞれ微妙に違う作りになっている。誰が何のリドゥナに許可を出したか後から確認するためだ。許可印の管理はそれぞれ厳重になされ、同じ総史庁の文官といえど他人の許可印を使うことはできない。ユビナウス自身許可印を入れている場所の鍵はこの十日間の休みでも肌身離さず持っていたし、合鍵も古すぎて作れないという代物なのだ。
ユビナウスはぎりと服の上から小さな鍵を握りしめた。
「ユビナウス様」
かけられた声にユビナウスは我に返った。荷馬車にはユビナウスのほかに、今年総史庁に入ったばかりの新人マハティ・タールと近衛兵が乗っていた。足に使われている近衛兵が御者台から憮然とした視線を投げてよこした。
「ユビナウス様、止めるって言ったって、どうやって止めるのですか。王は本気みたいですし」
初めてのセドの現場でとんでもない案件を見つけてしまったマハティの顔色は悪く、王に報告したというその緊張からか今も声が震えていた。
ユビナウスは一旦考えを止めると、不安そうなマハティに笑ってみせた。
「別に大げさに考えることはないでしょう。間違えたからセドを取り下げる、それでよくはないですか?」
「……それは、御璽も許可印も押されたリドゥナを間違いだったってことにするのですか?そんな無茶な!」
一度押された許可印は訂正できない。だからこそ判断は慎重に行うべし。マハティは総史庁に入って許可印を預けられたとき、そう教わった。規律違反だった。
「だったことにするのではありません。間違いに気付いたので訂正するのです。それに――」
私は押していない。マハティにだけ聞こえる声でユビナウスは言った。
マハティの顔が驚愕にひきつった。両手で口を押え、必死で悲鳴を飲み込むと、御者台を気にするように声を落とした。
「ユビナウス様の? ありえない。じゃあ誰が」
「だからこそ、止めるのです」
ユビナウスははっきりと言った。マハティも頷いた。
「もしかしたら犯人が来るかもしれませんしね」
果たしてそうだろうか。ユビナウスはセドの始まる鐘の音に唇を噛んだ。
どたどたと音がした。
「大変だ! すぐに広場へ行ってセドを止めろ」
腹を揺らしながらグラージ総史庁副長官が駆け込んできた。
「なぜです?」
始まったセドを止めるなど前例がない。ユビナウスの疑問は当然のものだった。
「王が国をセドに出した。このままでは国がセドにかけられてしまう」
グラージ副長官は早口でまくし立てた。その焦りはユビナウスには伝わらなかった。怪訝そうに顔をしかめた。
「それはセドに出せばそうなりますね。それにしても国売りのセドなんてよく通しましたね。誰が許可印を押したのですか?」
縁故採用で副長官の座にあるグラージに代わり、実質的に総史庁の実務を取り仕切っているユビナウスである。自分が休んでいる間に何があったのだ、とグラージ副長官を見た。
「私ではない! 押されていたのはお前の許可印だ!」
グラージ副長官はユビナウスを指さした。腹がたぷりと波打った。
「……馬鹿な。私はずっと休んでいて――」
ユビナウスは絶句した。すぐに言葉を見つけられなかった。なんとかそれだけ絞り出した。
グラージ副長官は嫌そうに眉を寄せた。
「わかっている。仮に時間外にお前が登城したとしても許可印を使うことはできない。今ヴァレリアン長官が止めようとして下さってはいるが、王はきかないだろう。だから――」
そこまで言われればユビナウスに説明は必要なかった。すぐさま立ち上がった。椅子に掛けてあった制服を羽織り、総史庁の腕章をつけると部屋を飛び出した。
※
がたがたと石畳の上を荷馬車は走る。
一体誰が。
自分の「許可印」が使われた。その意味をユビナウスは考えていた。
リドゥナに押される総史庁の許可印は総史庁の文官の数だけ存在する。山のように出されるリドゥナを迅速に処理するためだ。そして外部の人間は知らないが、まったく同じに見える許可印は実はそれぞれ微妙に違う作りになっている。誰が何のリドゥナに許可を出したか後から確認するためだ。許可印の管理はそれぞれ厳重になされ、同じ総史庁の文官といえど他人の許可印を使うことはできない。ユビナウス自身許可印を入れている場所の鍵はこの十日間の休みでも肌身離さず持っていたし、合鍵も古すぎて作れないという代物なのだ。
ユビナウスはぎりと服の上から小さな鍵を握りしめた。
「ユビナウス様」
かけられた声にユビナウスは我に返った。荷馬車にはユビナウスのほかに、今年総史庁に入ったばかりの新人マハティ・タールと近衛兵が乗っていた。足に使われている近衛兵が御者台から憮然とした視線を投げてよこした。
「ユビナウス様、止めるって言ったって、どうやって止めるのですか。王は本気みたいですし」
初めてのセドの現場でとんでもない案件を見つけてしまったマハティの顔色は悪く、王に報告したというその緊張からか今も声が震えていた。
ユビナウスは一旦考えを止めると、不安そうなマハティに笑ってみせた。
「別に大げさに考えることはないでしょう。間違えたからセドを取り下げる、それでよくはないですか?」
「……それは、御璽も許可印も押されたリドゥナを間違いだったってことにするのですか?そんな無茶な!」
一度押された許可印は訂正できない。だからこそ判断は慎重に行うべし。マハティは総史庁に入って許可印を預けられたとき、そう教わった。規律違反だった。
「だったことにするのではありません。間違いに気付いたので訂正するのです。それに――」
私は押していない。マハティにだけ聞こえる声でユビナウスは言った。
マハティの顔が驚愕にひきつった。両手で口を押え、必死で悲鳴を飲み込むと、御者台を気にするように声を落とした。
「ユビナウス様の? ありえない。じゃあ誰が」
「だからこそ、止めるのです」
ユビナウスははっきりと言った。マハティも頷いた。
「もしかしたら犯人が来るかもしれませんしね」
果たしてそうだろうか。ユビナウスはセドの始まる鐘の音に唇を噛んだ。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。

生まれる世界を間違えた俺は女神様に異世界召喚されました【リメイク版】
雪乃カナ
ファンタジー
世界が退屈でしかなかった1人の少年〝稗月倖真〟──彼は生まれつきチート級の身体能力と力を持っていた。だが同時に生まれた現代世界ではその力を持て余す退屈な日々を送っていた。
そんなある日いつものように孤児院の自室で起床し「退屈だな」と、呟いたその瞬間、突如現れた〝光の渦〟に吸い込まれてしまう!
気づくと辺りは白く光る見た事の無い部屋に!?
するとそこに女神アルテナが現れて「取り敢えず異世界で魔王を倒してきてもらえませんか♪」と頼まれる。
だが、異世界に着くと前途多難なことばかり、思わず「おい、アルテナ、聞いてないぞ!」と、叫びたくなるような事態も発覚したり──
でも、何はともあれ、女神様に異世界召喚されることになり、生まれた世界では持て余したチート級の力を使い、異世界へと魔王を倒しに行く主人公の、異世界ファンタジー物語!!
素材採取家の異世界旅行記
木乃子増緒
ファンタジー
28歳会社員、ある日突然死にました。謎の青年にとある惑星へと転生させられ、溢れんばかりの能力を便利に使って地味に旅をするお話です。主人公最強だけど最強だと気づいていない。
可愛い女子がやたら出てくるお話ではありません。ハーレムしません。恋愛要素一切ありません。
個性的な仲間と共に素材採取をしながら旅を続ける青年の異世界暮らし。たまーに戦っています。
このお話はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
裏話やネタバレはついったーにて。たまにぼやいております。
この度アルファポリスより書籍化致しました。
書籍化部分はレンタルしております。
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

魅了が解けた貴男から私へ
砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。
彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。
そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。
しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。
男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。
元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。
しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。
三話完結です。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる