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第一部 国売りのセド
1-2 ギリギリの依頼
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涼やかな声の持ち主はセドの会場には場違いな身なりのよい青年だった。
とんがり帽子を目深にかぶっているので顔はよく見えないが、年のころはブロードより幾つか若いくらいだ。藍色に染められた服はこの辺りでは珍しい。旅装であることからも、この国の者ではないのは見て取れた。青年の後ろには護衛らしき男と従者が控えている。大店の子息か、貴族の子弟といった風だ。
「依頼をすればリドゥナをとって貰えるというのは本当だろうか?」
依頼の形をとっているが、断られるなどとは微塵も思っていない口ぶりだった。
ブロードは鼻筋に皺を寄せた。
「いや、もう締め切った」
ぴしゃりと返したブロードに青年は帽子の奥、目を丸くした。ジャルジュは慌ててブロードを押しのけ前に出た。
「失礼いたしました。私、ブラッデンサ商会の統括をしております、ジャルジュ・ヨシナニと申します。セドのご依頼でしたら私が承ります。何かお目当ての物がおありですか」
「いや、旅の途中でね。記念に参加してみようと思っただけなのだけどね」
青年はむっつりとしたブロードを気にしつつ、ジャルジュに向き直った。
旅人が旅の記念にセドに参加することは珍しくない。ジャルジュは心得ています、と頷いた。
「では、仰った番号のリドゥナを取るようにいたしましょうか?」
「番号?」
「失礼ですが、セドが何かはご存じでしょうか」
「うん、競売でしょう」
青年はにこやかに頷いた。
間違ってはいないがあってもいない。ジャルジュはお客様用の笑みを浮かべると大掲示板を指さした。
「そうですね。セドは参加者が五人までの競売と思っていただければ近いかと存じます。セドの案内兼申込用紙である《リドゥナ》が一つの案件につき五枚、あの大掲示板に貼り出されます。それを正午の鐘の音とともに、皆が走っていき、大掲示板から《リドゥナ》を手にした者だけが売り主と金額の交渉をすることができます」
「ふつうに競売をすればよいのに」
青年は心底不思議そうに言った。
「それではこの国で我らのような持てる資産が限られた庶民に勝ち目はありません。ですが、セドではどれだけ財力があろうと身分があろうと、リドゥナを手に入れられなければ参加することはできません。だからこそ、セドを生業にする者たちはもちろん、一攫千金を夢見て腕に覚えのある男たちがセドに参加します。目ぼしい案件のリドゥナをとり、購入したい富裕層に交渉権であるリドゥナを売る者もいれば、自力で品物を手に入れ転売する者もいます。たった一枚の紙が金に変わる。身分や権力、財力がものをいうこの国において唯一、その人の力のみで成り上がれるもの、それがセドなのです」
「なるほど、皆必死になるわけだ。それで、どんなものが売られるのだい?」
青年はひしめき合う男たちに目をやった。
「家や美術品はもちろん、時には身分や人や生き物まで。セドを監督する総史庁の許可印さえあればなんでも、ですね」
「なんでも、とはね。豪気なことだ。それで番号とは?」
「セドには毎月千近くの物が出品されますから、整理番号がつけられます。ただその番号がなんのリドゥナかは取ってみるまでは分かりませんが。まあ運だめしのようなものです」
実際は何番が何のリドゥナかを知ることこそが、セドが情報戦と言われる所以であり、交渉班であるジャルジュの腕の見せ所だが、冷やかしの旅人に言う必要もない。ジャルジュは観光客用の説明を口にした。
「番号を言えば必ずそれが取れるのかい?」
「必ず、とはお約束できませんが――。あちらの黄色い服の者はすべてうちの者です。私どもは目的のリドゥナをとるためにチームを組んで動きます。リドゥナをとるには速さが必要です。誰よりも早く目的のリドゥナを見つけたとしても、誰よりも速くそれを手に入れなければ始まりませんから」
「なるほど、万全の布陣なのだね」
綱の最前列、通路近辺、申請窓口、要所にいるのはル・ヨッカー対策に配置された人間だ。実情を知るブロードは鼻白んだ。ジャルジュは無視して続ける。
「ええ、では何番にしましょうか。三桁の数字を仰ってください」
そうだね、青年は小首を傾げた。
「ジャルジュ殿の好きな数字は?」
「七ですね」
ジャルジュが答えると、青年はブロードを見た。帽子の隙間からこぼれた金髪が陽の光を浴びて輝き、白い肌の上、帽子の奥で赤い唇が印象的に笑みを形作った。
「ブロード殿は?」
ブロードは眉を顰めた。
「特にないな」
「ブロード」
「四」
ジャルジュに窘められ、ブロードは投げやりに言った。
「では、二四七番にしようかな」
青年はにっこりと笑った。
ブロードは軽く目を見開いた。ジャルジュも一瞬固まったが、すぐに「確認いたしますね」と懐から帳面を取り出す。すでに受けている仕事と被っていないかを照らし合わせた。かぶっていないことを確認すると頷いた。
「承りました。急なお話ですので、リドゥナを取るまでとし、交渉はそちらでお願いするとして……十万ガリナとなります」
「な、法外な!」
青年の従者が声を上げた。
「法外? 心外ですね。セドとは財力だけの勝負ではありません。どれほど金をもっていようとリドゥナをとることができなければ参加すらできないのがセドというもの。しかも掲示板のどこに目当てのリドゥナが張り出されるかはあの幕が落ちるまで分からないのです。セドは鐘が鳴って終わるまで十分とかからない。その短時間で目当てのリドゥナを的確に手に入れられるのなら、安いものだと思いますが」
ジャルジュはブラッデンサ商会一と恐れられる微笑みを従者に向けた。
従者はうっと呻き、じりじりと青年の影に隠れた。主人の後ろに隠れるとは、従者としては失格だろうが、青年は気にもしないようだった。くすくすと笑うと、鷹揚に頷いた。
「構わないよ。急な話だからね。リドゥナは五枚あるのでしょう。すべて取ってくれて十万ガリナなのだから無茶を言ってはいけないよ」
「は?」
今度はジャルジュが口をあんぐりと開けた。
十万ガリナは五枚取った時の価格ではなく、一枚とったときの価格だ。五枚とれば五十万ガリナだ。
「いえ、申し訳ありませんが――」
すぐさま説明しようと口を開いた。だが青年の方が早かった。
「彼らもプロなのだから、きちんと正当な対価を支払うべきだろう。五枚とって十万ガリナなんて、彼らの技量と比べればとても良心的だ。ほら、お金出して」
ジャルジュに背を向けあっという間に従者を諭した青年は振り返る。
「期待しているよ」
笑顔で二万ガリナを差し出した。
「よろしく頼むよ」
青年はジャルジュの目を見て、にっこりと笑った。鐘楼ではセドの開始を知らせる鐘を鳴らすべく兵士が行きかっている。
「承りました」
ジャルジュは青年と紙幣の間を数度、視線を行き来させたあと、手を胸に当て腰を折り、依頼主に丁寧に礼をとった。
「らしくねえな」
ブロードは青年が少し離れたのを確認すると、ジャルジュに近づき囁いた。
「この場にはほかのセド業者も客もいますからね。断ることは簡単ですが変な噂を立てられるのも迷惑というものです。信用と利益。どちらをとるかは自明の理でしょう」
ジャルジュも小声ながらもはっきりと告げた。
「だからってなあ、いつもなら絶対――」
カーン。カーン。
セドの開始を知らせる鐘が鳴った。大掲示板の幕が落ちる。男たちが一斉に走り出した。
「ああ、始まる。楽しみだね」
青年が歓声をあげた。
「頼めますか?」
ジャルジュはブロードをまっすぐ見た。
「――っお前の案件だからな!」
ブロードは青年を一瞥し、一歩踏み出した。
とんがり帽子を目深にかぶっているので顔はよく見えないが、年のころはブロードより幾つか若いくらいだ。藍色に染められた服はこの辺りでは珍しい。旅装であることからも、この国の者ではないのは見て取れた。青年の後ろには護衛らしき男と従者が控えている。大店の子息か、貴族の子弟といった風だ。
「依頼をすればリドゥナをとって貰えるというのは本当だろうか?」
依頼の形をとっているが、断られるなどとは微塵も思っていない口ぶりだった。
ブロードは鼻筋に皺を寄せた。
「いや、もう締め切った」
ぴしゃりと返したブロードに青年は帽子の奥、目を丸くした。ジャルジュは慌ててブロードを押しのけ前に出た。
「失礼いたしました。私、ブラッデンサ商会の統括をしております、ジャルジュ・ヨシナニと申します。セドのご依頼でしたら私が承ります。何かお目当ての物がおありですか」
「いや、旅の途中でね。記念に参加してみようと思っただけなのだけどね」
青年はむっつりとしたブロードを気にしつつ、ジャルジュに向き直った。
旅人が旅の記念にセドに参加することは珍しくない。ジャルジュは心得ています、と頷いた。
「では、仰った番号のリドゥナを取るようにいたしましょうか?」
「番号?」
「失礼ですが、セドが何かはご存じでしょうか」
「うん、競売でしょう」
青年はにこやかに頷いた。
間違ってはいないがあってもいない。ジャルジュはお客様用の笑みを浮かべると大掲示板を指さした。
「そうですね。セドは参加者が五人までの競売と思っていただければ近いかと存じます。セドの案内兼申込用紙である《リドゥナ》が一つの案件につき五枚、あの大掲示板に貼り出されます。それを正午の鐘の音とともに、皆が走っていき、大掲示板から《リドゥナ》を手にした者だけが売り主と金額の交渉をすることができます」
「ふつうに競売をすればよいのに」
青年は心底不思議そうに言った。
「それではこの国で我らのような持てる資産が限られた庶民に勝ち目はありません。ですが、セドではどれだけ財力があろうと身分があろうと、リドゥナを手に入れられなければ参加することはできません。だからこそ、セドを生業にする者たちはもちろん、一攫千金を夢見て腕に覚えのある男たちがセドに参加します。目ぼしい案件のリドゥナをとり、購入したい富裕層に交渉権であるリドゥナを売る者もいれば、自力で品物を手に入れ転売する者もいます。たった一枚の紙が金に変わる。身分や権力、財力がものをいうこの国において唯一、その人の力のみで成り上がれるもの、それがセドなのです」
「なるほど、皆必死になるわけだ。それで、どんなものが売られるのだい?」
青年はひしめき合う男たちに目をやった。
「家や美術品はもちろん、時には身分や人や生き物まで。セドを監督する総史庁の許可印さえあればなんでも、ですね」
「なんでも、とはね。豪気なことだ。それで番号とは?」
「セドには毎月千近くの物が出品されますから、整理番号がつけられます。ただその番号がなんのリドゥナかは取ってみるまでは分かりませんが。まあ運だめしのようなものです」
実際は何番が何のリドゥナかを知ることこそが、セドが情報戦と言われる所以であり、交渉班であるジャルジュの腕の見せ所だが、冷やかしの旅人に言う必要もない。ジャルジュは観光客用の説明を口にした。
「番号を言えば必ずそれが取れるのかい?」
「必ず、とはお約束できませんが――。あちらの黄色い服の者はすべてうちの者です。私どもは目的のリドゥナをとるためにチームを組んで動きます。リドゥナをとるには速さが必要です。誰よりも早く目的のリドゥナを見つけたとしても、誰よりも速くそれを手に入れなければ始まりませんから」
「なるほど、万全の布陣なのだね」
綱の最前列、通路近辺、申請窓口、要所にいるのはル・ヨッカー対策に配置された人間だ。実情を知るブロードは鼻白んだ。ジャルジュは無視して続ける。
「ええ、では何番にしましょうか。三桁の数字を仰ってください」
そうだね、青年は小首を傾げた。
「ジャルジュ殿の好きな数字は?」
「七ですね」
ジャルジュが答えると、青年はブロードを見た。帽子の隙間からこぼれた金髪が陽の光を浴びて輝き、白い肌の上、帽子の奥で赤い唇が印象的に笑みを形作った。
「ブロード殿は?」
ブロードは眉を顰めた。
「特にないな」
「ブロード」
「四」
ジャルジュに窘められ、ブロードは投げやりに言った。
「では、二四七番にしようかな」
青年はにっこりと笑った。
ブロードは軽く目を見開いた。ジャルジュも一瞬固まったが、すぐに「確認いたしますね」と懐から帳面を取り出す。すでに受けている仕事と被っていないかを照らし合わせた。かぶっていないことを確認すると頷いた。
「承りました。急なお話ですので、リドゥナを取るまでとし、交渉はそちらでお願いするとして……十万ガリナとなります」
「な、法外な!」
青年の従者が声を上げた。
「法外? 心外ですね。セドとは財力だけの勝負ではありません。どれほど金をもっていようとリドゥナをとることができなければ参加すらできないのがセドというもの。しかも掲示板のどこに目当てのリドゥナが張り出されるかはあの幕が落ちるまで分からないのです。セドは鐘が鳴って終わるまで十分とかからない。その短時間で目当てのリドゥナを的確に手に入れられるのなら、安いものだと思いますが」
ジャルジュはブラッデンサ商会一と恐れられる微笑みを従者に向けた。
従者はうっと呻き、じりじりと青年の影に隠れた。主人の後ろに隠れるとは、従者としては失格だろうが、青年は気にもしないようだった。くすくすと笑うと、鷹揚に頷いた。
「構わないよ。急な話だからね。リドゥナは五枚あるのでしょう。すべて取ってくれて十万ガリナなのだから無茶を言ってはいけないよ」
「は?」
今度はジャルジュが口をあんぐりと開けた。
十万ガリナは五枚取った時の価格ではなく、一枚とったときの価格だ。五枚とれば五十万ガリナだ。
「いえ、申し訳ありませんが――」
すぐさま説明しようと口を開いた。だが青年の方が早かった。
「彼らもプロなのだから、きちんと正当な対価を支払うべきだろう。五枚とって十万ガリナなんて、彼らの技量と比べればとても良心的だ。ほら、お金出して」
ジャルジュに背を向けあっという間に従者を諭した青年は振り返る。
「期待しているよ」
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「よろしく頼むよ」
青年はジャルジュの目を見て、にっこりと笑った。鐘楼ではセドの開始を知らせる鐘を鳴らすべく兵士が行きかっている。
「承りました」
ジャルジュは青年と紙幣の間を数度、視線を行き来させたあと、手を胸に当て腰を折り、依頼主に丁寧に礼をとった。
「らしくねえな」
ブロードは青年が少し離れたのを確認すると、ジャルジュに近づき囁いた。
「この場にはほかのセド業者も客もいますからね。断ることは簡単ですが変な噂を立てられるのも迷惑というものです。信用と利益。どちらをとるかは自明の理でしょう」
ジャルジュも小声ながらもはっきりと告げた。
「だからってなあ、いつもなら絶対――」
カーン。カーン。
セドの開始を知らせる鐘が鳴った。大掲示板の幕が落ちる。男たちが一斉に走り出した。
「ああ、始まる。楽しみだね」
青年が歓声をあげた。
「頼めますか?」
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