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平城宮の大学寮についての講演を聞きました
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2024年秋の奈良平城宮跡歴史公園で開かれたイベント「平城のとよほき」で、専門家による、平城宮の大学寮についての講演を聞きました。
奈良時代の、平城宮についての大学寮を探る研究という内容ですが、平城京の遺跡だけではなく、中国の国子監や平安京の大学寮についてを参考にしながら考察がすすみ、中華ファンタジー・平安ファンタジーを書く上でも参考になったお話でした。
最初にお話されたのは龍谷大学の杉山洋という方で、平安京(京都)の大学寮に該当する辺りの発掘調査(平城宮第231次調査)の成果をお話されました。
↑
平安京についてはどこに何があったか、平城京よりは情報があります。
土器というのは、食器用、調理用、保管用とがありますが、厨に必要なのが保管用。
割と大型の甕が多く、厨と推定できる土器の組み合わせが発見されていることから、厨がある官衙ということで大学寮だということができるかもしれないということでした。
(ただ、宮中の大膳職とか内膳司は敷地の北にあるもので、このひょっとしたら大学寮と推定される官衙の厨が敷地の南に位置するのは検討を要するようですが)。
中には今の愛知県から運ばれたとみられる、香炉のような土器もあり、それは孔子を祀る釈奠に使われたのではないかいうお話でした。
次にお話されたのが奈良大学の渡辺晃宏さん。約一時間、「平城宮の外に置かれた役所」についてお話しになりました。
役所は全て宮内に置かれるわけではなく、外に設置されることもあります。それは宮内が狭いからだけではなく、京内にあった方が便利だという積極的な理由もあるそうです。
その一つが大学寮ですね。
その場所も2つの説があるそうです。片方は左京、片方は右京です。
上記のように、平安京で大学寮がある場所(左京)から、「大学寮の厨かも」という出土品が出てきています。
また、唐の長安城の国子監も左京にあり、唐から平安京への流れを継承すると考えると平安京と同様な場所(左京)にあるということになります。
一方で。
右京に該当する、「平城宮南面西門(若犬養門)外側の二条大路北側側溝」から大学寮の文字が入った木簡が出土してもいるのです。
文章の趣旨は「大学寮の辺りで馬を盗まれたので見つけたら教えてね」といったもので、長さ約70センチ、幅約3センチだそうです。
記載された日付から藤原仲麻呂の乱の直前で、当時軍事的に重要だった馬が盗難に遭っているというのはきな臭いエピソードだとご説明がありました。
この大学寮の文字が記載された木簡。なんのための木簡でしょう?
70センチもある大きさから、道端に立てる告知札だったかもという可能性もありますが、それにしては幅3センチは細すぎますし、裏面にも文字が書かれているのも告知札には向いていません。それに突き刺すような形もしていません。
この木簡以外にも、右京に大学寮があったのではないかとされる場所(右京三条一坊)のちょっと先に、基壇建物(礎石建物)の存在が知られているそうです。
ただ、やはり唐の長安や平安京で左京にあるのに、平城京では右京に設置する理由を積極的に説明することは難しく、講師の先生としてはどっちの可能性もあるけれど左京の方が「継承するんですよねえ……」とのお言葉でした。
左京説の場合、右京から出てきた木簡の存在は以下のように説明されます。
平安京では左京の大学寮とは別に、大学関係者の住む大学町が右京にありました。平城京でも同様の場所に大学町が右京にあり、大学寮が左京にあったとすると、大学寮の文字の入った木簡が見つかった辺りは大学寮と大学町を結ぶ「通学路」に当たります。
それで通学途中で木簡をそこに捨てたのかも、ということが考えられるそうです。
あと、こぼれ話。
最近、聖武天皇の大嘗祭についての木簡が見つかりちょっと話題になりました。この「嘗」の字の下半分がつぶれていたので、先生は一瞬「学」かと思い「大学寮について新たな知見が得らえるかも!」としばらくぬか喜びされていたそうですw
この講演では他にも、平城京内(宮外)に置かれた役所として、左右京職や市司、皇后職などについて触れられていました。
平城宮の東西の市についてはほぼ推定されれており、平安京とちがって朱雀大路からの距離が異なるそうです(平安京では東西で対称です)。
東市に運河があるという文献どおりに運河跡が出てきており佐保川から水を取ったのだろうとのこと。
西市の運河は、秋篠川が平城遷都時につけかえられたと考えられるそうです。
皇后宮職については、「奈良時代の皇后で宮内に棲んだ人はあまりいない」とのことでした。
鷲生は平安ファンタジーを書くのに、平安時代の女性史の本を読んだりしますが、奈良時代から平安のごく初期までは妻が独立した邸宅を持っているのでそれもあるのかなと思います。
先生のお話では、光明皇后が藤原氏であるがゆえに宮内にいることに抵抗があったらしいとおっしゃっていました。
他の役所についてのお話は少し駆け足でした。
全体に、文献資料・考古学的遺物・唐の長安と平安京との比較を、誠実に突き合わせながら、推論を組み立てていくという感じであり、専門家らしく「分かることと分からないこと」をきちんとコメントして分けてお話になるので、結構ボリュームのある内容でした!
久しぶりに大学での講義を受けたような感じで、学生に戻った気分になれましたw。文化の秋を迎え、お出かけして良かったです!
奈良時代の、平城宮についての大学寮を探る研究という内容ですが、平城京の遺跡だけではなく、中国の国子監や平安京の大学寮についてを参考にしながら考察がすすみ、中華ファンタジー・平安ファンタジーを書く上でも参考になったお話でした。
最初にお話されたのは龍谷大学の杉山洋という方で、平安京(京都)の大学寮に該当する辺りの発掘調査(平城宮第231次調査)の成果をお話されました。
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平安京についてはどこに何があったか、平城京よりは情報があります。
土器というのは、食器用、調理用、保管用とがありますが、厨に必要なのが保管用。
割と大型の甕が多く、厨と推定できる土器の組み合わせが発見されていることから、厨がある官衙ということで大学寮だということができるかもしれないということでした。
(ただ、宮中の大膳職とか内膳司は敷地の北にあるもので、このひょっとしたら大学寮と推定される官衙の厨が敷地の南に位置するのは検討を要するようですが)。
中には今の愛知県から運ばれたとみられる、香炉のような土器もあり、それは孔子を祀る釈奠に使われたのではないかいうお話でした。
次にお話されたのが奈良大学の渡辺晃宏さん。約一時間、「平城宮の外に置かれた役所」についてお話しになりました。
役所は全て宮内に置かれるわけではなく、外に設置されることもあります。それは宮内が狭いからだけではなく、京内にあった方が便利だという積極的な理由もあるそうです。
その一つが大学寮ですね。
その場所も2つの説があるそうです。片方は左京、片方は右京です。
上記のように、平安京で大学寮がある場所(左京)から、「大学寮の厨かも」という出土品が出てきています。
また、唐の長安城の国子監も左京にあり、唐から平安京への流れを継承すると考えると平安京と同様な場所(左京)にあるということになります。
一方で。
右京に該当する、「平城宮南面西門(若犬養門)外側の二条大路北側側溝」から大学寮の文字が入った木簡が出土してもいるのです。
文章の趣旨は「大学寮の辺りで馬を盗まれたので見つけたら教えてね」といったもので、長さ約70センチ、幅約3センチだそうです。
記載された日付から藤原仲麻呂の乱の直前で、当時軍事的に重要だった馬が盗難に遭っているというのはきな臭いエピソードだとご説明がありました。
この大学寮の文字が記載された木簡。なんのための木簡でしょう?
70センチもある大きさから、道端に立てる告知札だったかもという可能性もありますが、それにしては幅3センチは細すぎますし、裏面にも文字が書かれているのも告知札には向いていません。それに突き刺すような形もしていません。
この木簡以外にも、右京に大学寮があったのではないかとされる場所(右京三条一坊)のちょっと先に、基壇建物(礎石建物)の存在が知られているそうです。
ただ、やはり唐の長安や平安京で左京にあるのに、平城京では右京に設置する理由を積極的に説明することは難しく、講師の先生としてはどっちの可能性もあるけれど左京の方が「継承するんですよねえ……」とのお言葉でした。
左京説の場合、右京から出てきた木簡の存在は以下のように説明されます。
平安京では左京の大学寮とは別に、大学関係者の住む大学町が右京にありました。平城京でも同様の場所に大学町が右京にあり、大学寮が左京にあったとすると、大学寮の文字の入った木簡が見つかった辺りは大学寮と大学町を結ぶ「通学路」に当たります。
それで通学途中で木簡をそこに捨てたのかも、ということが考えられるそうです。
あと、こぼれ話。
最近、聖武天皇の大嘗祭についての木簡が見つかりちょっと話題になりました。この「嘗」の字の下半分がつぶれていたので、先生は一瞬「学」かと思い「大学寮について新たな知見が得らえるかも!」としばらくぬか喜びされていたそうですw
この講演では他にも、平城京内(宮外)に置かれた役所として、左右京職や市司、皇后職などについて触れられていました。
平城宮の東西の市についてはほぼ推定されれており、平安京とちがって朱雀大路からの距離が異なるそうです(平安京では東西で対称です)。
東市に運河があるという文献どおりに運河跡が出てきており佐保川から水を取ったのだろうとのこと。
西市の運河は、秋篠川が平城遷都時につけかえられたと考えられるそうです。
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鷲生は平安ファンタジーを書くのに、平安時代の女性史の本を読んだりしますが、奈良時代から平安のごく初期までは妻が独立した邸宅を持っているのでそれもあるのかなと思います。
先生のお話では、光明皇后が藤原氏であるがゆえに宮内にいることに抵抗があったらしいとおっしゃっていました。
他の役所についてのお話は少し駆け足でした。
全体に、文献資料・考古学的遺物・唐の長安と平安京との比較を、誠実に突き合わせながら、推論を組み立てていくという感じであり、専門家らしく「分かることと分からないこと」をきちんとコメントして分けてお話になるので、結構ボリュームのある内容でした!
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