後宮出入りの女商人 四神国の妃と消えた護符

washusatomi

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33. 女商人白蘭への襲撃(三)

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 白蘭の焦りはそれだけではない。そばに冬籟がいて、手を伸ばせばいつでも低く優しい声で「白蘭」と答えてくれ、たくましくて温かな腕で抱きしめてくれる。ずっとこんな時間が続いてほしいという願いが日ましに強くなってきている。こんな気持ちを育てては決してならないにもかかわらず。

 ──なんとかしなければ……。

 冬籟の方も同じことを考えていた。ある夜。白蘭が目を覚ますと冬籟の姿がなかった。彼の姿を求めて牀から部屋の戸口に向かったところで、扉の外から冬籟と璋伶の話し声が聞こえて白蘭は歩みをとめた。

「冬籟様もお疲れでしょう。昼は禁軍の仕事で夜はほとんど眠らず白蘭嬢につききりです。明らかに睡眠不足というお顔をなさっていますよ」

「俺は大丈夫だ。こんなことになったのも俺があのとき彼女を一人にしてしまったせいだ。彼女が回復するためなら何でもしてやりたい」

「冬籟様のせいではありません。白蘭嬢をおびき寄せるのに下男の家を焼くなど春賢のやり方が悪辣すぎます。冬籟様、ご自分を責めて身体を虐めることはありません。私は冬籟様の健康も心配です」

 しばらくの沈黙の後の冬籟の声には、深い感情がこもっていた。

「……だが、俺は心穏やかに眠る彼女の寝顔を見ていたいんだ……」

 璋伶もまた少しの間黙ってから、ささやくように応える。

「……冬籟様、そのお気持ちは……」

「分かってる。彼女は他の男に嫁ぐ身だ。いくら心配していても結婚相手でもない男が臥室にいるのはまずい。いつまでもというわけにはいかない。そろそろ……しかし……」

 武人らしくない歯切れの悪い口調だった。白蘭は静かに扉から離れて牀に入り、眠れぬ頭で考え続けた。

 夜が明け、璋伶が「白蘭嬢、おはようございます」と挨拶しながら部屋に入ってくるのを、白蘭は牀に腰かけて迎えた。

「璋伶さん、私、もう冬籟様の看病をお断りしなければと思うんです。私一人でも眠れるようにお薬を強めることはできますか?」

「それはできますが……。ただ、あまり強い量を連用するべきではありません」

 璋伶が顎に拳を当てて考え込む。

「白蘭嬢、貴女の心の傷の深さを考えると、回復には薬だけではなくいろんな支えがあった方がいい。貴女にとってまだ冬籟様の看病は必要です。一方で冬籟様にもご負担ではあるわけで……うーん、どうしたものか……」

「私は他人に嫁ぐ身です。いつまでも寝室に男性を侍らせるわけにもいきません」

 璋伶は枕元の、いつも冬籟が座る丸椅子に腰かけた。

「白蘭嬢、 立ち入ったことを伺いますが、その結婚はどうしてもしなくてはならないものなんですか? 琥商人たちのためとはいえ、望まぬ結婚なら逃げ出せばいいと朱莉姫や私は考えますが……。その結婚さえなければ憚ることなく冬籟様を頼りにできますよ?」

 白蘭が自由の身なら、例えば彼の住む墨泰宮で療養することもできるかもしれない。

 白蘭が無言なのに、璋伶は不審な面持ちだ。

「東西交易の守護は西妃の役割でしょう? 王女の沙月姫がお淑やかすぎて頼りにならないと聞いていますが、白蘭嬢がそこまで気負わずとも姫一人でどうにかできませんか? 朱莉姫だって協力しますし」

 白蘭は「朱莉姫のご助力はありがたいです」と笑みを作って応じた。

「ですが、その朱莉姫の話では、蘇王が東西交易を海運で取って代わろうとしています。そうなれば内陸の琥の民が困窮してしまう……。それ自体は遠い将来避けられずとも、できるだけ時間を稼いで衝撃をやわらげるようにしなければなりません」

「それも西妃から皇帝陛下に願うことではないですか? 確かに西妃が陛下と東妃の間に割り込んで寵愛を得られる可能性はあまりなさそうですが、陛下は慈悲深い方だとか。妃への寵愛の度合とは別に、琥の民を助けて下さるのではないかと思いますよ」

「確かに陛下は琥の民を思いやって下さるでしょう。けれど、従来の西妃が賜った以上の恩寵を陛下が与えようとしても、貴族たちが同意するかどうか……」

 皇帝の卓瑛の足元は盤石ではない。そもそも琥と董の交易を阻むのは蘇王の企みだ。有力貴族はそちらに従うだろう。

「それに董に従属する四神国の一つが、外敵に襲われたわけでもなく単に勢いを失って沈みゆくからといって、董が積極的に手を差し伸べなくてはならない理由は必ずしもありません。董に珍しい文物をもたらす運び手は琥ではなく、蘇の商人でも構わないわけですし」

 璋伶が「若いのに冷徹なことをおっしゃる」と呟くが、商人たるもの、希望的観測にすがらず冷静に先をみすえなくてはならない。

「陛下個人の好意に甘えるのは陛下にご負担であり、それに、本質的な解決でもない……」

 では、落日の琥を誰がどう支えるか。

「琥の商人たちも自力で頑張らなければなりません。今までの陸路での交易の強みを活かしながら質、量ともにその内容を充実させ、董の誰が聞いても琥を助けるべきだと考えるような状況を作り出していく……」

 卓瑛には皇帝として董をしっかり統治することに専念してもらう。彼の治世で社会が豊かになれば、人々は珍しい物品や未知の文化を求め続けることだろう。それに応え、魅力的な品々を、これまで以上に内陸の広い範囲から多種多様に集めて運んでくれば、琥の東西交易はもう少し持ちこたえられるはずだ。

 そのために琥側の人間がすべきことは……。

「東西交易を守護する西妃の入内は必要です。ただ、その役割は今までよりもずっと困難で複雑なものとなるのに、後宮から出られない立場では自由に行動できません。それに、妃はあくまで皇帝に付随する存在。董皇帝とその周囲が容認する範囲でしか動けないのです。つまり、後宮内の西妃の存在だけでは問題を解決するには弱い」

「……」

 だから華都には西妃に加え、後宮出入りの女商人、戴家の娘の白蘭が必要なのだ。

「西妃と違い、琥商人白蘭は琥の利益のためだと大っぴらにして自由に行動できます。それに他の商人達と連携を密にして、いろんな対策だって打てる……。そのために女商人白蘭は華都にいなければ」

 そう、白蘭は自身の役割を果たさなければならない。そして、これは琥の商人の利益のためだけではない。

「誰かが蘇王の野望を挫かなければなりません。商いに生きる琥の民のためだけではなく、蘇王たちの価値観で虐げられる全ての民のためにも、そうしなければならないのです」

 璋伶は無言で注意深く白蘭を観察してから息を吐いた。

「大きなお話ですな……」

 白蘭は急に恥ずかしくなった。

「大それたことを言いました。私はこんなに心弱りして部屋にひきこもったままだというのに……」

 璋伶は優しくほほえんだ。

「いやいや。そちらが白蘭嬢の本来の姿なのでしょう。こんな風に将来の意気込みを口になさるのは回復の道を歩み始めた良い兆候かもしれません」

「ですが」と璋伶は間を置かずに続けた。

「ご自身もおっしゃるように、今は外出もままならないのも事実です。私としては今の貴女にはまだ心の休息が必要だと考えます。ですから眠る前に冬籟様と顔を合わせる機会を持つべきです」

「でも……」

「寝室に入るのが問題なんですよね。なら、奥の角部屋をお使いになるといい。その部屋には路地に向かって窓があるんです。物置になっていますがそこを片づけて榻を運び入れましょう」

 璋伶は片眼をつむって見せた。

「たまたま外を通りかかった知り合いの男性と窓越しに立ち話をするくらい、とがめる人もおりますまい。そんな時間を設けた上で、その夜の服薬量を決めていきましょう」

「それは……ありがたいです」と礼を言うと同時に、白蘭の口から安堵の息が漏れた。冬籟と距離を置かなければと分かっていても、会いたい気持ちが消えはしないのだった。

 その夜、白蘭は路地に面した部屋の窓辺で男を待っていた。

 冬籟がいつもどおり大路に面した門に来た気配がしたが、扉を開けた璋伶に事情を聞いたようで、武人らしく規則正しい足音が壁を巡って白蘭のいる窓に近づいてくる。

 彼は白蘭と視線が合うとぱっと喜色を湛えたものの、すぐに寂しそうな表情を浮かべた。

 今夜も会える。だけど今後は部屋で二人きりにはならない。おそらく白蘭は自分も彼と同じような表情をしているのだと思った。

「璋伶から聞いた。己の役割を果たそうとするところは実にあんたらしいな」

 瞳に哀し気な色を浮かべながらも、彼は口の両端を引き上げて笑って見せた。白蘭も精一杯の笑みを作る。

「ありがとうございます」

「あんたは利己的な商人ぶろうとするが、他人の為なら、より頑張ることができる人間だ」

 冬籟は「だから俺は……」と続けようとしたが、そこで言いよどみ、そして以前と同じ回りくどい表現をとった。

「俺は、そんなあんたが嫌いじゃない」

 白蘭も返す言葉に迷ってから「ありがとうございます」とだけ答えた。自分の心の中を表すにはあまりに他人行儀な言葉だが、白蘭もまた彼への言葉を選ばなければならないのだった。

 話題をザロの仕事ぶりなどに移してしばらくしてから、彼は夜闇が濃密にたちこめる路地から大路へ戻っていった。

 毎夜、彼は窓辺にやってくる。

「今日はどうだ?」

「大丈夫です」

「そうか」

 彼の黒曜石の瞳が濡れたように、何かを訴えるように光る。きっと彼が天青の色と呼んでくれた自分の瞳も、彼の瞳に応えるものであるだろう。

 二人はしばらくただ見つめ合う。

「それじゃ……」

「お休みなさい」

「ああ、あんたも」

 白蘭は冬籟の背中が見えなくなるまで、その足音が聞こえなくなるまで、窓から身を乗り出して彼の後姿を目だけで追う。そしてその日の彼の姿を思い浮かべながら眠りにつくのだった。
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