後宮出入りの女商人 四神国の妃と消えた護符

washusatomi

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29 禁軍将軍との朝食(二)

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「冬籟様?」

 冬籟の顔は覆われて見えない。節高で意外と長い指の下からのぞく口元がわずかにわななき、そして何か言葉を発しかけた瞬間、ごくりと咽喉仏が大きく動いた。そうして何かを飲み込んだあと、彼は「参ったな……」と放り出すように呟く。

「何に参ったんですか?」

 彼は姿勢を正した。白蘭に向けた顔の頬がほのかに紅く染まっている。ただ、白蘭の問いには答えない。

「もう十七歳だから嫁ぎ先が決まっているというわけだ」

「まあ、立場上。仕方ありません」

「そんな寂しいことを言うな。嫁いだら亭主に惚れてやれ」

「私は誰にも恋なんかしませんよ。仕事の一環として嫁ぐだけです。だから朱莉姫みたいな結婚生活を送りたいですね。夜伽なんかご遠慮したいです」

「……」

「別にこちらも相手を好きではないし、相手もこちらを好きなわけじゃない。それじゃあ夜は好きな本でも読んでた方が生産的な時間の使い方でしょう」

「生産的……」

「ええ。これは皇太后様についてもそう思うんですよ。雲雀は夜伽がない皇太后様を不幸と決めつけてましたけど、バカの相手をするくらいなら一人で気ままにしてた方が楽しいに決まってるじゃないですか。それに話を聞くと、皇太后様は銀蝉と三人の子どもに囲まれて温かい時間を過ごしてらしたようですし」

「皇太后様はそうだったが、あんたは……」

「自分に惚れてもいない男に、わざわざこちらを向かせようとは思いませんよ」

 冬籟は白蘭と話しているのに、ぷいっと横を向く。

「向こうがあんたに惚れることだってあるだろう」

「……」

 言い返す言葉を探しているうちに、冬籟がそっぽを向いたまま尋ねてきた。

「あんた、その亭主との結婚はどうしてもしなきゃならんのか?」

「私は商人ですので。自分だけでなく他の琥の商人や民たちのためにも華都の大得意の妻にならねばなりません。しかも、朱莉姫の話では、蘇が海運で東西交易に乗り出すとか。今後、内陸の琥の立場も難しくなりますからなおさらです」

「……あんた……商人であることを棄てて生きられないか?」

「商人の立場を棄てる? いえ、そんな気はないですね。財があれば自分を助け、人を助けることができます。それが商人として生きるということで、そこに生きる甲斐がありますから」

 そうだ。白蘭は思い出した。

「そういえば。私が商人になったきっかけって毅国の人に会ったからなんですよ?」

 冬籟が正面に向き直る。

「毅国の?」

「私の最初の上得意ですね」

 白蘭は祖父母が他界して身寄りがなくなったあと、邸宅にあったものを切り売りしてなんとか生きのびていた。十歳かそこらの頃だ。暮らし向きが悪くなった祖父母がそうしており、白蘭もそれを真似たのだ。

 その頃、内乱で荒れていた毅から琥に流れ着く者が度々現れていた。琥王は既に西の帝国に心が傾いており、董や毅などの古い付き合いの国には無関心だった。そして特に利益もない相手に情けは無用だと、王は毅の流民に富を与えることを禁じていた。

 あれは毅の反乱勃発から数年ほど経った頃だろうか。巌のように体格のよい毅の武人が、病に倒れた若い男と助けを求めて白蘭の家の門を叩いたことがあった。

 現在十七歳になった白蘭が語る話に、冬籟が静かに耳を傾けている。

「その人達は街はずれで野宿していたんですが水が無くて。他の家で断られたので私の家に来たんです。私はその二人をかわいそうだと思ったので『どうぞ家に泊まって井戸も使って下さい』って言いました。そして母の残した宝石で高価そうなのもあげたんです」

「今のあんたからすると破格の気前良さだな」

「私はまだ幼かったですからね。かわいそうな人を助けなきゃと素朴に考えてたんですよ。そしてそれで良かったんです」

 母の宝石をその巨漢は「ありがたい」とむせび泣きながら受け取った。そして「必ず利子をつけてお返しする」と誓い、しばらく白蘭の家で休養してから北の街へ出立した。若者の病を治して再起を図ると言い残して。

「だけど一年ほどしてから、その男だけが戻ってきました。残念ながら若者の方は病で亡くなったのだそうです。その人は約束通り私が渡した宝石を売った額を倍にして返してくれました。巨体を活かして用心棒などの仕事で稼いだそうです」

 その男は大きな体躯を屈めて、小さな白蘭に礼を言った。

「お嬢さん。私の亡くなった連れは貴女にとても感謝していた。だから必ず利子を付けて返したいと思って参じたのだ」

 白蘭は「別に良かったですのに」と答えたが、彼は大きく首を振った。

「返さなければ我らは物乞いということになる。我らは受けた恩は返すのです。商人だって同じでしょう? 品物を受け取れば対価を払う」

「……」

「街で話を聞くと貴女は寄る辺ない孤児でいらっしゃるとか。私が再び毅に戻って王家のための戦に身を投じるのでなければ養育して差し上げたいが、そうもいかない」

 男は金の入った袋をぐいっと白蘭の前につきだした。

「この財貨は貴女が稼いだものです」

「私が稼いだ?」

「貴女は我々に施しを与えたんじゃない。我々に投資したのです。貴女は我々という人間を信頼し、我々も貴女の信頼に応えた。貴女、これからは手元にあるもので得た財貨を自分で使うのではなく、これはと思う人物に利子をつけて貸しなさい。すると財貨が増えて貴女に戻ってくることになる」

 そのとき、白蘭は初めて金を貸して利益を得る術があると知ったのだった。

 もちろんためらいもした。毅国の二人は貸したお金を返してくれたが、他の大人達はどうだろう? なけなしのお金を貸して返してくれなかったらどうしよう?

 けれど他にどうしようもなかった。家の中からだんだん売り物になりそうなものが尽きていく。がらんとした部屋の中にいれば孤独と恐怖は募るばかり。このまま何も売るものが無くなればどうなるのか。そうなってしまうのなら……それならいっそ……。

 琥には新たに商売を始めたい人間がたくさんいた。彼らの話を聞き、その内容と人柄を見て手元の金を貸し付けた。

 確かに借金を踏み倒す者もいなかったわけではない。意気込んで始めた商売がうまくいかずにどうしても返済できなかった者もいた。けれども、だんだんと白蘭の金貸し業は軌道に乗った。商人の街では借りた金を返さない奴だとの評判が立つと、他の商人からも信用を失ってしまうからだ。

 毅の男は「切実に必要なときに投資してくれた方への感謝の念はいつまでも薄れません」とも言い残していた。彼の言うとおり、白蘭の投資が軌道に乗ると資金のみならず人望もまた集まるようになった。

 白蘭は嬉しかった。父には母ごと見捨てられ、母も、そして祖父母もお前が愛らしい娘じゃないからだと白蘭を責めた。――だけど、自分は人を助けた。白蘭が助けた人は、施しではない投資を卑屈にならずに受け取り、そして利子と感謝を添えて返してくれる。やっと自分は生まれてきてよかったのだと自分を肯定できるようになったのだ。

 そして、これからも自分は商人であり続けたい。琥の商人達を守り、彼らに敬愛されていくこと。それが白蘭の人生だと思っている……。

 ここまで白蘭の話をじっと聞いていた冬籟は「なるほどな」と呟くと、とても丁寧な所作で頭を下げた。

「毅国の二人連れを助けてくれたことに感謝する。俺も毅国の王子だ。父王に仕えてくれた者を救ってくれた礼を言いたい」

「……」

「その男も今はもう亡いかもしれない。だが、生きていれば、あんたがこうしていっぱしの商人として逞しく生きているのを喜ぶだろう」

「生きていていればいいのですが……」

「難しいな……」

 散発的に抵抗していた王家側の人間の動きも絶えて久しい。戦闘だけでなく逃亡中に怪我や病で命を落とすこともあるだろう。あの若者のように。

「あ!」
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