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16 気位高き南の王朝(二)
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「……へ?」
「四神は天意を受けた皇帝を守るはず。だから四方の朝貢国に与えて帝国の守りとするのだが、その四神は前王朝を守らなかった」
「それは前王朝が天意を失ったからでしょう? だからもう皇帝ではない……」
「普通はそう解釈するところだ。しかし、今の蘇王は『前王朝の皇帝を守るはずなのに守らなかったのは、聖獣ではなく妖に過ぎないからだ』と主張してるんだ」
「は? それは……論理が反転してるというかなんというか」
「前王朝こそが真の皇帝家だとの主張を貫くと、それを守らなかった四神がただの妖ということになる。そしてそんな妖を蛮族に下げ渡すのは危険だと公言している」
白蘭は琥商人の情報網を通じて色んな知識を得ている方だと思うが、四神の聖性を疑う見解は初めて聞いた。
「どんな仮説でも唱えるのは勝手ですが。でも、そんなのは蘇王が自分の血筋を正当化するためだってバレバレじゃないですか。真に受ける者などいないでしょう」
「父帝以外はね」
「先帝は信じたんですか?」
ここで冬籟が「それは俺の親父がきっかけだったのかもしれん」と口を開いた。
「先帝は奴なりに理想の皇帝になろうと伝統的な学芸を身に着けるのに熱心だった。だが、その伝統的価値観には四方の蛮族への蔑視が含まれる。漣は遠いし、琥の商売人なら上手いことやりすごすのだろうが、真っ直ぐな気性の親父は先帝に対して真っ向から『董皇帝は四神国を尊重せよ』と申し入れたんだ」
卓瑛が「父帝にはものごとを被害的に受け止める傾向があってね」と息を吐く。
「四神国の毅王が皇帝である自分に反抗するのに、玄武が毅王を懲らしめるわけでもない。そこで、四神はただの妖だとする蘇王の説に傾くようになったんだ」
冬籟が吐き捨てる。
「このときの恨みで忽氏の反乱を黙認し、俺を捕らえて毅王家から玄武を取り上げようとしたんだろう」
「毅王の件もきっかけかもしれないが……。父帝が蘇王に共鳴するようになったのは、孤独であられたのも原因だろう。外廷にも後宮にも父帝の居場所はなかったから」
白蘭は「は!」と片手を振り上げた。
「自分で政をせずに皇后様を軽んじておいて何を言っているんだか」
「父帝のお考えでは、君子というものは実務的なことにかまけず、もっと高尚な学芸に秀でているべきなんだ。実際、父は古典籍に詳しかったし詩歌についてはなかなかの才能を発揮した」
「ですが、役にも立たない書物に詳しかろうがなんだろうが、現実の国を運営できなければ皇帝としては無能ってことじゃないですか」
実利に生きる商人の国、琥の人間にとっては、彼は暗愚以外の何者でもない。
「役に立たないものや現実から乖離したものほど世俗を超越した奥深い真実があって素晴らしいと考える人間は多いんだよ。父帝も董に残った貴族もそうだ。もちろん蘇王もね」
「貴族趣味ってやつですか。でも皇帝がそんな調子では……」
卓瑛が息を吐く。
「確かに浮世離れした学芸に生きる皇帝のもとでは、官吏達の意欲も削がれてしまってね。その弛緩した空気は地方にも及び、民からの税収も滞りがちになった」
「でしょうね。でも今の董はちゃんとしてます。皇后様が立て直されたんですよね?」
「いろいろ意見を申し上げる義母上に苛立った父帝が『だったらお前がやってみろ』と押し付けたのだが、義母上にとって幸いなことに非常に有能な宰相がいてね」
その存在は琥でも知られていた。卓瑛によれば名を銀蝉といい、元は卑しい身分だったという。生きるために職を転々とするうち、その優秀さを見込まれてまずは地方の胥吏となり、上司や同僚に推されて位を進め、とうとう宰相の地位にまでのぼった。
卓瑛が「叩き上げの逸材だね。義母上にとって本当に心強い補佐だった」と言うのに、白蘭も深く頷く。皇太后がいくら賢くとも、ご自身は外国の王女としての暮らししかご存知でない。白蘭は王族でも生活のために商人となり世間を知る経験を積んだが、皇太后様にはそれがない。銀蝉のような人材はとても頼もしかっただろう。
国政を上から下まで知悉していた銀蝉の勧めで、皇后も地理や人口、税収などの資料を読みこんだ。こうして統治の実務を掌握した皇后は宰相とともに、能吏を引き立て官衙の雰囲気をひきしめ、地方からの要求に耳を傾けそれに報い、再び董帝国の営みを軌道に乗せることに成功した。
ただ、皇帝は彼らの働きを認めようとしない。
冬籟が「素直に皇后様の器量を認めりゃいいのに。先帝ときたら『女と胥吏上がりにできるのなら政などしょせんその程度のつまらないものに過ぎない』と言いやがる」と憤る。
「笑えるよな。女房に仕事を押し付けておいて、女房の方に手腕があると分かったら、そんなものは男子の仕事ではないと言うんだから」
白蘭も「で、男子の仕事は哲学や文学を修めて徳を磨くことってわけですか。バカバカしい」と冬籟に同調するが、実子の卓瑛は同情的だ。
「そうでも言わなければ矜持を保てなかったんだよ。それほどに孤独であられた……」
東妃が「後宮でもそうでらっしゃいましたわね」と吐息混じりにこぼす。
「冬籟が皇后様に引き取られたすぐ後から私も一緒に後宮で暮らすようになりましたけれど……。たまに先帝がお越しになられても私たちとはどうもチグハクだったというか……」
冬籟は素っ気ない。
「あの男がバカだったんだから仕方ないだろう。頭の回転が速い皇后様と銀蝉がぽんぽん会話を進めていても、あいつは飲み込みが悪い。自分が分からないからといちいち話の腰を折る。しかも話の本筋とは関係ない所でだ」
「まあ、父上は沈思黙考して文学作品を生み出すのに向いていらしたぶん、当意即妙なやりとりをするには鈍い方ではあったね……」
冬籟は興味なさげに鼻を鳴らすだけだ。文学作品を愛好する冬籟など想像もつかないから当然か。
「四神は天意を受けた皇帝を守るはず。だから四方の朝貢国に与えて帝国の守りとするのだが、その四神は前王朝を守らなかった」
「それは前王朝が天意を失ったからでしょう? だからもう皇帝ではない……」
「普通はそう解釈するところだ。しかし、今の蘇王は『前王朝の皇帝を守るはずなのに守らなかったのは、聖獣ではなく妖に過ぎないからだ』と主張してるんだ」
「は? それは……論理が反転してるというかなんというか」
「前王朝こそが真の皇帝家だとの主張を貫くと、それを守らなかった四神がただの妖ということになる。そしてそんな妖を蛮族に下げ渡すのは危険だと公言している」
白蘭は琥商人の情報網を通じて色んな知識を得ている方だと思うが、四神の聖性を疑う見解は初めて聞いた。
「どんな仮説でも唱えるのは勝手ですが。でも、そんなのは蘇王が自分の血筋を正当化するためだってバレバレじゃないですか。真に受ける者などいないでしょう」
「父帝以外はね」
「先帝は信じたんですか?」
ここで冬籟が「それは俺の親父がきっかけだったのかもしれん」と口を開いた。
「先帝は奴なりに理想の皇帝になろうと伝統的な学芸を身に着けるのに熱心だった。だが、その伝統的価値観には四方の蛮族への蔑視が含まれる。漣は遠いし、琥の商売人なら上手いことやりすごすのだろうが、真っ直ぐな気性の親父は先帝に対して真っ向から『董皇帝は四神国を尊重せよ』と申し入れたんだ」
卓瑛が「父帝にはものごとを被害的に受け止める傾向があってね」と息を吐く。
「四神国の毅王が皇帝である自分に反抗するのに、玄武が毅王を懲らしめるわけでもない。そこで、四神はただの妖だとする蘇王の説に傾くようになったんだ」
冬籟が吐き捨てる。
「このときの恨みで忽氏の反乱を黙認し、俺を捕らえて毅王家から玄武を取り上げようとしたんだろう」
「毅王の件もきっかけかもしれないが……。父帝が蘇王に共鳴するようになったのは、孤独であられたのも原因だろう。外廷にも後宮にも父帝の居場所はなかったから」
白蘭は「は!」と片手を振り上げた。
「自分で政をせずに皇后様を軽んじておいて何を言っているんだか」
「父帝のお考えでは、君子というものは実務的なことにかまけず、もっと高尚な学芸に秀でているべきなんだ。実際、父は古典籍に詳しかったし詩歌についてはなかなかの才能を発揮した」
「ですが、役にも立たない書物に詳しかろうがなんだろうが、現実の国を運営できなければ皇帝としては無能ってことじゃないですか」
実利に生きる商人の国、琥の人間にとっては、彼は暗愚以外の何者でもない。
「役に立たないものや現実から乖離したものほど世俗を超越した奥深い真実があって素晴らしいと考える人間は多いんだよ。父帝も董に残った貴族もそうだ。もちろん蘇王もね」
「貴族趣味ってやつですか。でも皇帝がそんな調子では……」
卓瑛が息を吐く。
「確かに浮世離れした学芸に生きる皇帝のもとでは、官吏達の意欲も削がれてしまってね。その弛緩した空気は地方にも及び、民からの税収も滞りがちになった」
「でしょうね。でも今の董はちゃんとしてます。皇后様が立て直されたんですよね?」
「いろいろ意見を申し上げる義母上に苛立った父帝が『だったらお前がやってみろ』と押し付けたのだが、義母上にとって幸いなことに非常に有能な宰相がいてね」
その存在は琥でも知られていた。卓瑛によれば名を銀蝉といい、元は卑しい身分だったという。生きるために職を転々とするうち、その優秀さを見込まれてまずは地方の胥吏となり、上司や同僚に推されて位を進め、とうとう宰相の地位にまでのぼった。
卓瑛が「叩き上げの逸材だね。義母上にとって本当に心強い補佐だった」と言うのに、白蘭も深く頷く。皇太后がいくら賢くとも、ご自身は外国の王女としての暮らししかご存知でない。白蘭は王族でも生活のために商人となり世間を知る経験を積んだが、皇太后様にはそれがない。銀蝉のような人材はとても頼もしかっただろう。
国政を上から下まで知悉していた銀蝉の勧めで、皇后も地理や人口、税収などの資料を読みこんだ。こうして統治の実務を掌握した皇后は宰相とともに、能吏を引き立て官衙の雰囲気をひきしめ、地方からの要求に耳を傾けそれに報い、再び董帝国の営みを軌道に乗せることに成功した。
ただ、皇帝は彼らの働きを認めようとしない。
冬籟が「素直に皇后様の器量を認めりゃいいのに。先帝ときたら『女と胥吏上がりにできるのなら政などしょせんその程度のつまらないものに過ぎない』と言いやがる」と憤る。
「笑えるよな。女房に仕事を押し付けておいて、女房の方に手腕があると分かったら、そんなものは男子の仕事ではないと言うんだから」
白蘭も「で、男子の仕事は哲学や文学を修めて徳を磨くことってわけですか。バカバカしい」と冬籟に同調するが、実子の卓瑛は同情的だ。
「そうでも言わなければ矜持を保てなかったんだよ。それほどに孤独であられた……」
東妃が「後宮でもそうでらっしゃいましたわね」と吐息混じりにこぼす。
「冬籟が皇后様に引き取られたすぐ後から私も一緒に後宮で暮らすようになりましたけれど……。たまに先帝がお越しになられても私たちとはどうもチグハクだったというか……」
冬籟は素っ気ない。
「あの男がバカだったんだから仕方ないだろう。頭の回転が速い皇后様と銀蝉がぽんぽん会話を進めていても、あいつは飲み込みが悪い。自分が分からないからといちいち話の腰を折る。しかも話の本筋とは関係ない所でだ」
「まあ、父上は沈思黙考して文学作品を生み出すのに向いていらしたぶん、当意即妙なやりとりをするには鈍い方ではあったね……」
冬籟は興味なさげに鼻を鳴らすだけだ。文学作品を愛好する冬籟など想像もつかないから当然か。
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