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第一部 女武人、翠令の宮仕え

翠令、陰口をたたかれる(一)

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 武徳殿前の広場で弓の鍛錬を重ねる翠令には、必ずしも愉快な声ばかりが耳に入ってくるわけではない。

 ある日、朝服を着た官人達の集団が広場の一角で足を止めた。面識のない翠令に声を掛けてはこないが、聞こえよがしに大声を出す。

「あの女か。佳卓が目をかけているというのは」

「色仕掛けで近づいたんだろ」

「錦濤なんぞの田舎者は哀れなものだねえ……身体を使ってコネをつくらなきゃならんとは」

 翠令の弓を持つ手が震える。彼らの悪口雑言は姫宮に及び、東宮を女童呼ばわりしてはばからない。

「田舎育ちの女童の方も、円偉様がお貸しした本を読んでるんだそうだが……」

「真名の哲学書を子どもが読めるもんか。読むふりだけだよ、読むふり」

「今に音を上げるさ。だって、俺たちにだって難しい本なんだぜ? 読みこなせるわけがない」

「円偉様だって子どもの浅知恵くらいすぐにお分かりになる。円偉様に見放された時に備えて、お気に入りの女武人を佳卓に差し出してるんだろう、きっと」

「女童は、佳卓が東国から連れて来たつまらぬ元地方官吏とも会ってるんだって?」

「下級官吏風情と話が合うと見える」

「早く己の身の程を知ればいいのに。女の子どもの分際で人の上に立てるわけがない。円偉様のような優れた方を重用して助けてもらわなければ何もできやしないくせに」

「そうだ。円偉様と張り合おうとする佳卓なんかに目をかけている場合じゃない」

 翠令は弓を持ったまま、彼らに近づこうとした。
 この者達はただの通りがかりではなく、翠令を見物がてらはっきりと悪意を伝えに来たのかもしれない。ならば、姫宮や自分の言い分を伝えてやりたい。

 姫宮は円偉を重用する必要性を既に十分お分かりだ。円偉が美しい理想を掲げるに至った心情を知り、そして書物を読むことで彼が貴ぶ徳というものを理解しようと真摯に取り組んでいらしゃる。十の少女が難解な哲学書に苦戦されているのは確かだが、聡明な方ゆえいつかは理解もされるだろう。

 それに何より、姫宮は円偉様と双璧を為す佳卓様を依怙贔屓してはならないことは良くお分かりだ。この翠令という女を差し出して佳卓と繋がろうとしているだと? 下種の勘繰りも甚だしい。

 しかし、翠令が官人たちの群れに一歩踏み出そうとしたとき、背後から声がかかった。

「翠令」

 落ち着いた、穏やかな声だ。

「趙元様……」

 右近衛大将趙元がにこりと笑む。そして、彼は軽く身を反らして翠令の全身を見た。

「だいぶ弓を射る姿勢が安定してきたね。筋肉がついてきたかな」

 そして、姿勢を戻しがてら小声で囁く。

「射貫くのは的だけにしてくれ。頼むからあの官人達に矢を向けてくれるなよ」

 翠令も苦笑を返す。

「そのようなこと……」

「いや、翠令は直情径行なところがあるから。止めておかないとな」

「恐れ入ります」

 右近衛大将は高位の官職だ。彼の姿を見て小役人たちはそそくさとその場を立ち去っていく。小心な連中だと連中だと翠令は呆れた。趙元も彼らの背中に溜息を一つ落とす。

「翠令に声を掛けに来たのは休憩を勧めるためでね。実は美味そうな菓子があるんだ。朗風が市で買って来たのを右近衛にも持ってきてくれた。どうだ?」

 翠令は微笑んだ。

「馳走になります」

 右近衛の役所の卓に、揚げ菓子が山のように篭に盛られて置かれていた。朗風が既にちゃっかりその一つにかじりついている。

「あ、お先にいただいてまーす。翠令もどうぞ。あれ、何で俺を変な顔で見てるんですか?」

「いや……。朗風様の陽気さがなんだか嬉しくて……」

「何か嫌なことでもありました? ま、そんなときには美味しいものを食べましょうよ」


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