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第23話 ベルサイユの桜

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 女子寮の食堂でノートPCを広げた炭川さんが、長楽館の画像を見つけるやいなや小さく叫んだ。

「こりゃあ、偽装彼女が必要だわ! 男性が足を踏み入れるにはハードル高すぎ」

 隣から筧さんも同じ画面をのぞき込む。

「明治期に煙草の製造販売で財を成した富豪が、円山公園に建てた迎賓館かあ。今はカフェやホテルなどに使われてて……ゴージャスな建物だね」

 由梨さんは自分のスマホで長楽館のサイトを見ている。

「えーと。外観と一階の広間はルネサンス風で、玄関ポーチがイオニア式。内部に張り出したバルコニーはアメリカ風。そして、客間がロココ、食堂は新古典主義、中国風や和室の部屋もある……。色んな様式を使ってるのね」

 ほら、と由梨さんが藤原さんに画面を見せた。

「わあ、西洋、東洋、和の世界の建築を網羅する気で造ったんだろうなあ。そりゃ、建築学科なら入って見たいわ」

 そしてロココの部屋の画像を指さす。

「それにしても、このロココの部屋は特に派手! まるでベルサイユ宮殿みたい。京都って和の文化ばかりかと思ってたのに、こんな場所もあるんだ……」

 美希も「そうですよね」と口にした。長楽館がどんなところかは既に武田氏からスマホで見せてもらっている。

「そのロココの部屋がアフタヌーンティーを頂くカフェになっているんです」

 金田さんは少し離れた場所で夕食を食べていた。

「逆に言えばカフェでのアフタヌーンティーの客にならなければ、ロココの部屋は見られないわけだ」

 新市さんは金田さんの前の席で食べ終わった食器を重ねている。

「ウチの大学で長楽館に行った人がいたよ。ウチは私立大学だから女子も乙女な感じの人が多くてさ。私も前を通ったことあるけど、入口で順番待ちしている女性たちも何というか……」

 二つ向こうのテーブルで教科書を見ながら食事していた河合さんも、一段落着いたのか、立ち上がって寄って来た。

「女性の中でも特にガーリーなタイプがほとんどだよね。シフォンスカートにおリボンつけた女子たちの集団はなかなか壮観だ」

 美希がテーブルの側に立つ河合さんを見上げる。

「シフォンスカートって、フワっとした薄手の布が重なっているバレエのロマンティックチュチュみたいなアレですか? 私も着たいと思ってたんです!」

 河合さんの顔が少しひきつった。

「そ、そうだね、美希ちゃんが好きそうだね……」

 由梨さんが微笑む。

「美希ちゃんは長楽館のこのカフェも凄く気に入るでしょうね」

「はい、私も楽しみなんです! こんな華麗な空間ならお姫様みたいな時間が過ごせそう!」

 河合さんが由梨さんの隣の席に座った。

「なるほどね。武田氏が長楽館のロココの部屋に入りたいなら、確かに美希ちゃんを偽装彼女にして同伴するのが一番だ」

 美希は「そうだ」と思い出した。河合さんに伝えなければ。

「あ、河合さんには彼氏を貸していただかなくてよくなりました!」

「武田氏とこうなるのは意外でびっくりしたよ。でも、氏の役にも立つようだし、持ちつ持たれつでいいんじゃない?」

 筧さんが口を挟む。

「まあ、美希ちゃんが偽装彼女になるのは武田氏にメリット大だよ。でさあ、さっきから気になってるんだけど長楽館のアフタヌーンティーって結構なお値段だよ? 人助けの上に美希ちゃんが費用を持ち出しとというのは……」

「あ、武田氏が奢って下さるそうです」

 その言葉に今度は新市さんが目を光らせる。

「男性だから奢る、女性だから奢られるというのはジェンダー的にどうかな?」

「私も御馳走になるのは申し訳なくて訊いてみたんです。すると、氏は、代行サービス的なものを頼まなくて済む分安いくらいだと言っていました」

「代行サービス?」

「ええ。同じ研究室の女性を誘ってしまうと本気のデートだと誤解されかねないので、便利屋さんとか、それ以外にも女性が同伴するようなサービスを探してみたんだそうです」

 筧さんが「高いでしょう?」と経済的な問題を指摘し、新市さんが「それ、パパ活とかの風俗に近いんじゃ」と倫理的な問題を挙げた。

「そうなんです。それで断念したそうです。だから私という偽装彼女ができたのはとても好都合なのだそうで、喫茶代は出して下さるそうです。代行サービスに払う分のお金が浮いて安上がりなくらいだ、と」

 筧さんがほっと息を吐いた。

「よし、それじゃあ心置きなく奢られておいで」

 パソコンの画面から炭川さんが顔を上げた。

「ねえ、私にも写真撮って来てもらえない?」

「いいですよ?」

「私は歴史漫画を描いたことないけど、これを機に資料写真を持っておきたい。いつか池田理代子先生の『ベルサイユのばら』の世界に挑戦できるかも!」

「いいですねえ!」
 
 氏とは円山公園内の有名な枝垂れ桜の前で待ち合わせをした。

 氏は既にげっそりとした顔つきだ。「長楽館の前の女性たちの行列……あれに混じるのかと思うと……」とこぼす声は弱々しく、このまま「帰る」と続いてもおかしくない。

 それは良くない。長楽館には様々な建築様式が詰め込まれている。ある種の女性が苦手だからという理由で見ないで過ごすなんて!

 それに美希だってあのロココの部屋に入りたい。炭川さんのために資料写真だって撮らなきゃ、なのだ。ここで氏に怖気づいて貰っては困る。

「寮の人たちが、私はきっと長楽館のカフェを気に入るだろうと言っていました」

「……だろうな」

 美希が「いいですか?」と詰め寄った。

「偽装彼女である私が是非とも入りたいと思ってるんです。偽装とはいえ、彼女のおねだりをきかずして何のための彼氏ですか!」

 氏が「う……」と声を詰まらせたところに美希が畳みかける。

「建築家志望たる者、女性が集まる部屋を怖れていてはなりません!」

 氏の中で火がついたらしい。吹っ切れたように「お、おう」と答えた。

 そして、二人は枝垂桜から南にすぐの長楽館の入口へ意気軒昂に向かい始める。
 
 予約していたので、氏が恐れる女性達の列には並ばなくて済み、二人はすんなりロビーに通された。ルネサンス様式の長楽館の外壁はロココほど派手ではないし、ロビーだってダークブラウンの木材が落ち着いた印象を与える空間だ。アフタヌーンティーの開始時刻までここで待機することになっている。

「君、あの吹き抜けに張り出してるバルコニーを撮ってくれないか?」

「構いませんが……。ここのロビーは特に女性向けって感じでもないですし、ご自身で撮影されてもいいんじゃないでしょうか」

「そ、そうかな……」

「この長楽館は明治の煙草王が紳士淑女を招いた社交場なのでしょう? 伊藤博文とか有名な人も見に来たとか。そういった賓客だって当時スマホがあったらバンバン撮影したはずです」

「なるほど。元々女性専用に建てられたわけじゃないものな」

 氏は、カウンターにいた黒いスーツの男性従業員に写真撮影していいか尋ねた。三十歳くらいの彼に「もちろんでございます」と微笑まれ、それが氏の背中を押したらしい。

 氏はあちこちにカメラを向け、そしてロビー脇の別の部屋にもずんずん入っていく。女性の眼さえ気にしなければ、氏は己の好奇心を遺憾なく発揮するものらしい。

 ──そう、女性さえいなければ。

 カフェの扉が開き、ロビーで待つ客たちに声がかかる。いよいよロココの部屋だ。

 クラシカルな装飾が施された白い壁。ところどころが上品なベージュピンクに塗られている。奥には三つの大きな窓が外に弧を描いて張り出すように並び、フリルとレースたっぷりの白いカーテンが緩く開いた状態で掛けられていた。この窓のおかげで秋の午後の琥珀色の光が部屋中に満ち、床の絨毯の瑠璃色が空間の彩を引き締めつつ互いの色を引き立てる。

 テーブルにはカトラリーが燦然と並び、アフタヌーンならではのプレートスタンドが輝きを放ち眩しいほどだ。
 しかし、それらを前に座席についた氏の顔が再び強張ってしまっている。それもそうだ。どのテーブルにもフワフワとした女の子ばかりが揃い、キャッキャと楽し気な声でさえずっている。はっきり言って氏は完全に場違いだ。

 それは氏も嫌と言うほど分かっているようで、硬直したまま写真のこともすっかり失念してしまっている。ここは美希がしっかりしなければ。

「武田さん、武田さん」

「あ? ああ……」

「写真、私が撮りますね」

「うん、頼む……」

 美希はスマホを構えながら、話しかける。

「炭川さんが『ベルサイユのばら』みたいな部屋だって言ってました。あ、炭川さんも資料用の写真が欲しいそうです。だから、私、今から武田さんだけでなく炭川さんの為の分も撮りますね」

「あ、ああ……漫画学科の……。うん、そりゃ欲しいだろうね」

 二人ともアペリティフにエルダーフラワージンジャーエールを頼んでいた。ウェイトレスさんが優雅な手つきでほっそりとしたグラスを二人の前に置いてくれる。

 美希は急いで口に含むと、氏に尋ねた。

「ええと、撮影のポイントってあります?」

「部屋全体。天井の高さ。そして窓の大きさ。ギリシャ風の柱のてっぺん部分……」

「ああ、柱頭にはイオニア式とかコリント式とかの種類があるんですよね。世界史で習いました」

「うん。俺が周囲を見回したり指さしたりすると、部屋中のお嬢さん方に不審がられそうで怖いから……ここは君に任せる。よろしく頼む」

「お引き受けします!」

 美希は上下左右にスマホをかざし、この国内最大級のロココの空間を舐め回すようにカメラに収めていく。

 アペリティフが済むと、香り高い紅茶が注がれて軽食も運ばれて来た。氏がぎこちなく、最下段のケークサレをトングでつまんで、自分の皿にポトリとのせる。それを見て美希の口からため息が漏れた。そんな無表情で手を伸ばすなんて。なにせ二人で一万円もするのだ。出来るだけ楽しんで食べたい。

 氏も無言はマズいと思ったらしく、会話を始めようとする。女性なら少女漫画の話題というのは些か安直なチョイスだが。

「ええと……君は『ベルサイユのばら』読んだの?」

「いいえ。実家では漫画が一切禁止だから読んだことないんです。大まかな筋書きは知っていますが」

「家で禁止でも、学校で友達に漫画を借りたりとかしなかったの?」

「学校も漫画禁止でしたので……」

「お固いなあ」

 美希は苦笑を浮かべざるを得ない。

「その反動で寮の娯楽室の蔵書にハマってるんです。ただ、『ベルばら』は超基本文献すぎて寮の娯楽室にはないんだそうで……」

 氏が「基本文献、ね」と軽く笑う。そして「どうだろう」と続けた。

「君は京都国際マンガミュージアムに行くといいんじゃないかな?」

「ミュージアム? 漫画が展示ケースに並んでるんですか?」

「いや。基本的に壁に並んでいる漫画が読み放題だ。その数確か五万冊」

「へえっ!」

「建築的にも面白いんだ。廃校になった小学校を活用しているんだが……」

 氏の顔に生気が戻ってきた。やっぱりこの人は建築学が本当に好きなんだなあと思う。

「学校ですか……」

「京都の小学校は立派でね。明治政府が学校制度を設ける前に、町内会が自力で学校を建てたんだ。首都が東京に移ってしまい、街から活力がなくなるのを憂いてね」

「そこで学校を作るって発想が先進的ですね」

「うん。人間をつくる教育に着目した人々は、その建物にも資金を投じた」

「偉いですね」

「だから、京都市の元小学校は近代建築として優れたものが多いんだ。マンガミュージアムも元は龍池小学校という。石造りの手すり付き階段や木の床がレトロで、いかにも昔の学校という雰囲気だよ」

 美希はふふっと笑った。何に笑ったのか氏が訝しそうにしている。

「私にとって学校は漫画を読むのを禁じられた場所です。こっそり持ち込んでも教師に見つかったら取り上げられるようなところなんですよ? そんな学校という空間で漫画を読み耽る……背徳感でぞくぞくします」

「背徳感!」

 氏は飲みかけの紅茶でむせた。ダージリンがもったいない。落ち着いた氏が大きく笑う。

「はっはっはっ! 背徳感かあ。ははは」

 自分がロココの部屋で委縮していたことなどすっかり忘れたかのような寛いだ笑顔だ。

「君は面白いことを言うねえ!」

 次は悪戯めいた顔になる。氏の表情が活き活きしてくると美希も嬉しい。

「俺もベルばらは未読だ。もちろん、有名であり、日本の女性にとってヨーロッパのイメージの源泉になっている作品だと知っている。前から読んでみたかった。だから、君、一緒にマンガミュージアムに読みに行こう」

 美希は首を捻る。

「そこに入場するのに、別に偽装彼女は必要ないのでは?」

「いや。少女漫画が並ぶ辺りは別だ。若い女性からお年を召した方まで女性が集まる空間に俺は一人では……」

 皆まで言わずとも事情は分かった

「あ、ご一緒します」

「うん。君に助けてもらうと、俺も少女漫画の棚の所で『ベルばら』が読める」

 氏は指を軽く立てた。

「学校という建物で男の俺が少女漫画を読む。二重に背徳感を覚えるかもしれん」

「うわあ……」

 氏はまた「はっはっはっ」と声を立てて笑った。

「ぞくぞくするなあ!」
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