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第21話 フランソア喫茶室の会談

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 美希はそのまま歩道で話し始めた。親が「毒親」かもしれない、その成育歴から。

「ちょっと待て。それは立ち話で済ませられるものじゃないだろう」

 美希はぱっと顔を赤らめた。

「スミマセン、私ってばこんな往来で自分語りなんか始めてしまって……」

「偽装彼氏が必要であるからには、きっと深い事情があるんだろう。どこかでお茶でも……。そうだ。早速だが、女性同伴でないと入れないカフェに付き合ってくれないか?」

「え? ええ……」

「俺が前から入りたくても入れなかったカフェが四条木屋町にある。一緒に入ってくれる女性さえ居れば中が見られるのにと、悔しさに拳を握り、涙を飲んで前を通り過ぎるばかりだったカフェだ」

「はあ」と曖昧な美希の返事に、氏は「俺のためだから気にしなくていい」と重々しい口調で答えた。

 四条通を東に進み、木屋町通との交差点で氏が立ち止まる。

「北と南どちらがいいかな?」

「は?」

「北には『喫茶ソワレ』、南には『フランソア喫茶室』がある」

「ああ!」

 京都の洋館を取り上げた本ではどちらも有名だ。氏は北の、黄昏時にネオンサインが眩しくなってきた木屋町通の奥を見やった。

「そうだな……四条より北の木屋町通は、夜になると歓楽街の雰囲気が濃くなるし、今の時間帯は南に下がった方が落ち着くだろう。フランソア喫茶室にしようか」

 フランソア喫茶室はヨーロッパよりもヨーロッパな建物だった。黒い洋燈が入り口近くを照らしている。白い壁の軒先に何を支えるでもないアーチが連続して飾られているのがなんだか南欧風だ。柱は古代ギリシャ風でもあり、ステンドグラスはゴシック風でもある。

 氏が木製のドアをギイっと開けて店内に入り、美希も続く。黒っぽい木製家具にねじり柱、ベロア張りの椅子がいかにも昔のカフェという感じだった。

 テーブルについた美希は率直な感想を口にする。しかし、それは武田氏が言葉を発するのに重なってしまった。

「本で見た写真のとおりですね!」「本で見た写真と違うな」

 美希は慌てて「スミマセン」と謝った。相手と正反対の意見を口走ってしまうなんて、気を悪くしたに違いない。

「君は何も悪くないだろう?」

 氏は怪訝そうだ。

「君は何を謝ってるんだ? 君にとっては本で見たとおりなんだろう? 俺は建築が専門だから細かな差異に目が向かいがちだが」

 氏はズボンのポケットからすっとスマホを取り出し美希に突き出す。

「……?」

「済まないが、店内の写真を撮ってくれないか?」

「ご自身で撮影されては?」

「こういう場所でスマホかざすのは女の子と相場が決まっている」

 少々思い込みが過ぎる気はしたが、一般に男女二人連れなら女性の方がはしゃいで写真を撮りがちな傾向はあるかもしれない。

 美希は氏の指示通りに写真を撮るとスマホを返した。氏は写真を確認して微笑んで頷く。美希はいい仕事をしたらしい。

 コーヒーが運ばれてきてメイドさんが立ち去ると、氏はコーヒーカップを口元に持って行く。その仕草は、意外にも大人っぽくて様になっていた。なんだか未来の建築家らしいアーティストな感じとでもいおうか……。

 そんなことをぼんやり考えている美希を、氏は真面目な顔で見つめた。

「さて。君の事情を聞かせてもらおうか」

「はい……」

 一通り聞き終えた武田氏は、ただ「大変だな」と呟いた。

「俺も概ね寮の人々の意見に賛成だ。話に聞く『毒親』とはこういうものかと思う。一方で、由梨さんという人の『歪んだ認知をそう簡単に変えられない』というのも分かる。俺もそうだからなあ」

 武田氏も? その慨嘆は何に対するものなのだろう。

「俺の女性に対する苦手意識だ」

 美希の口から「ああ……」と音がこぼれたものの「なるほど」という言葉は呑み込んだ。

「ちょっと極端だと人から言われる。ジェンダーバイアスと呼ばれても仕方ないかもしれない。これも『認知の歪み』なのかと……」

 ここで氏は「でもなあ」と息を吐く。

「君と由梨さんが言うように、だからといって『認知の歪み』を指摘されただけでは、すぐにはどうにもならん。由梨さんの言うとおり『その歪んだ認知が自分の認知』だから」

「由梨さんとは、認知はコミュニケーションで形成されるものだという結論にも達しまして……」

「そうだな……。俺の女性に対する認知も、女性と接点を増やすうちに改善するかもしれん。だから、改めて君に当面『偽装彼女』を依頼しようと思う」

 氏はコーヒーカップをソーサーの上に置く。

「君は女性だがコミュニケーションが取りやすい」

「……そのお言葉は嬉しいですが、そうですか?」

 交差点の自転車の件、宵山の夜の帯の件、そして、さっきのモリスの『イチゴ泥棒』の件。この人と会うたびに何かドタバタしてばかりのような気がするが……。

 氏は腕を組んだ。

「俺だって女性と接点を持とうとしている。建築学科は理系にしては女性が多い方なんだ。ただ俺の周囲の女性達は、偶然かどうか分からんがクールでモダンなスタイルが好きで、あまり俺とかけ離れた感じがしない」

 そういうタイプとなら友人づきあいが可能なのだが、と氏はこぼす。

「彼女たちはいわゆる『女の子らしい』デザインは好まないようだ。そこで『女の子らしい』女性と合コンで話す機会を設けているが……」

 美希はこれまで合コンともご縁が無かったし今後もなさそうだが、伝え聞く合コンというもののイメージはある。確かに、そこで氏と氏が言う『女の子らしい』女性との間で会話が盛り上がるとは想像しづらい。

「だが君は……。今日イノブンという『女の子らしさの殿堂』ともいうべき空間を見て回ったが、そこでの君の話は面白かったし、わりと会話が弾んだように思う。俺の方が自己満足しているだけでなければだが……どうだろう?」

「楽しかったです。武田さんが耳を傾けて下さるので、私もお話しやすかったですよ」

「ありがとう。本当に君の話は聞いてて面白いんだよ。アイテムについて君がどう思うか自分の言葉で多彩な表現をしてくれて、それを切り口に下鴨女子寮の人々を活き活きと話してくれるからね。おかげで女子寮のメンバー一人一人を立体的に感じることができた。まるで、君を通して一人一人と親しくなれたかのような気がする」

「それは嬉しいです!」

 美希の心がばっと浮き立つ。そう、下鴨女子寮の仲間はみんなそれぞれに個性があって素敵だ。みんなの魅力を自分が伝えられたなら、親切にしてくれている皆に少し恩返しができたような気がする。

「嬉しそうに笑うね」

 氏も笑った。そしてスマホを取り出す。

「君がコミュニケーション上手だと思うのは、このフランソアの内部の写真からもうかがえる」

「……?」

「君にお願いした写真だが、俺はかなり細部を指定した」

 そうだ。例えばアーチでもその頂点が円弧なのか尖っているのかを細かく気にかける。建築を専門にしている人はそこが重要なのかと美希は感心しながら聞いていた。

「建築家志望なら細部が知りたい。『神は細部に宿る』というからね。一方で全体との関係も知りたい」

「ごもっともです」

「君はその点もよく分かってるようだ。僕の指示したものを画面の中央にピントの合った状態で撮影してくれる上に、背景の切り取り方も上手い。一枚の絵として構図に安定感と躍動感がある」

「安定感と躍動感は矛盾するのでは?」

 氏は目を細める。

「それが両立するから、君の写真はいいんだよ」

「あの……たまたまではなく?」

「いや、君は撮影するときに何度か縦横にスマホを持ち換えていた。意識していなくても、良い写真についての具体的な判断が君の中にあるんだろう。俺の指示に的確に応えた上で君の美意識も感じさせる。うん、いい写真だ」

 そういえば、と氏は何かを思い出した。

「デジタル写真部には誘われたから入ったという受動的な話だったが、君自身も美術に興味があったんじゃないか? 鴨川の荒神橋の辺りをスーラの絵に似ていると思ったそうだし」

「興味って程でもないですが、高校の選択科目は美術でした。そして美術室にゴンブリッチという人の『美術の歩み』という美術史の本があって」

 氏は愉快そうな声を上げた。

「俺も読んだよ。名著だよな! あ、モリスについても言及があったはずだよ」

「え……」

「名前が一ヵ所出てきただけだから覚えていないのも仕方ない」

「覚えていなくてお恥ずかしいです……」

「でも、俺の話で君はまた読み返すだろう? ああいう本は一度読み通して、実物を見て、再び読んでというプロセスを経てより深く内容を知っていくものだと思う。あの本、建築についても紙幅が割かれているが……」

「ええ! とても面白かったです。建築も芸術なんですね」

 氏はニコリと頷く。美希も何だか嬉しい。

「私、その本を読んで少し美術史に詳しくなったので、東京上野の国立西洋美術館に行くようになりました。あの建物も有名な建築家の作品なんですよね?」

 氏が間髪入れずに名前を挙げる。

「コルビュジエだ」

「そうです!」

 美希の勢い込んだ様子に氏は一度軽く顎を上げて笑い、ふと真顔になった。

「君は……こういう風に上手に会話を膨らませるのだから、やはり弁護士とかのコンサルティング業が向いているだろうな」
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