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第11話 宵山デートは雑踏の中に 

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 しかしながら、それっぽい服を選んでも着回しが上手く行っていないのか、清水さんから特別デートに誘われることはない。

 寮生達も「淡白だね~」「不器用な男性にしてももう少し何かしないと……」と不審そうで、美希の胸にも不安がよぎる。

「私、嫌われてしまったのでしょうか?」

 ブスで心の冷たい自分の値打ちの無さがバレてしまったのかもしれない。

 そんなことはないと否定だけされても単に美希を慰めているだけとしか思えないが、 寮生からはそれ以外にも説得力のある意見が出る。
「それなら部活に毎回出て来て美希ちゃんの隣に当然のように座るとかしないんじゃない?」
「部活で美希ちゃんの顔を見て満足してるのかも」

「まだ講義もあるしさ。夏休みとかにプランを練っているのかもよ」

 そして結論は「夏が来ればきっと祇園祭の宵山に誘ってくれるよ!」となった。
 
 確かに、六月の半ばの中央食堂で清水さんはちゃんと「宵山に一緒に行きませんか?」と誘ってくれた。美希が「はい」と勢いよく答えると、清水さんは照れ臭そうに「僕、京都生まれやけど、女の子と一緒に行くんは初めてでなんや恥ずかしぃわぁ」と頭の後ろをポリポリと掻く。その仕草がなんだか少女漫画の一場面のようだと思ってしまうのは、娯楽室でハマり過ぎてしまったせいかもしれない。

 美希はホッとして「ありがとうございます」とペコペコ頭を下げた。心から安堵していた。良かった、嫌われていなくて。可愛いという評価に変わりがないようで。自分が価値のない人間だとバレていないようで。

 今や下鴨女子寮のメンバーは毎日美希の報告を待っている。

「そうこなくっちゃあ!」 「やっと彼氏らしいとこ見せたね!」「これからアツい夏の始まりだねえ~」 と大盛り上がりだ。

 一方「いいなあー」と力のない声もした。 同じ新入生の藤原さんがテーブルに身を伏せている。

「私も彼氏欲しい~。ねえ、この寮の中で彼氏いない人ってどれくらいですか?」

 古株の寮生が黙り込む中、金田さんが落ち着いた声で答えた。

「ま、半々くらいだと思っておいて。彼氏ができるかどうかなんてご縁、偶然、時の運なんだから」

「あー。それじゃあ私は来年に賭けます。そうだ! じゃあ私の浴衣、今年は美希ちゃんが着たらどうだろう?」

「浴衣持ってるんですか?」

「うん。日本史志望だもの、日本の伝統文化がもともと大好き。浴衣以外のお着物も持ってる。着付けも出来るからやってあげるよ」

 炭川さんがなぜか拳を握って「よし。宵山には浴衣で決まりだ! 可愛いばかりの彼女が夏祭りに浴衣を着て現れる。その姿には普段にはないお色気が! 悩殺された彼氏と王道の胸キュン展開!」と一気呵成に言い切ると、「あ、浴衣姿スケッチさせてね」と頼んできた。美希はただただ苦笑して「どうぞ」としか答えるしかない。

 宵山の夕方。美希は浴衣を着て下鴨の寮から最寄の地下鉄北大路駅まで歩いた。美希は着物に不慣れだが、着物好きの藤原さんが着付けてくれた浴衣はしっかりと身に馴染み、賀茂川を渡る北大路橋に来る辺りでは緊張も解けていた。

 皮膚科医院の先からは商店街のアーケードだ。個別指導の学習塾に花屋さん、美容院などの前を通って烏丸通に突き当たる。地下鉄の駅に入ろうとすると地下道から冷房の風がふわっと頬を撫でるのを感じた。

「涼しい……」 

 そう言えば、春先に京都暮らしが決まってからろくに季節の変化に気を留めていない。鴨川べりの光景をスーラの絵のようだと思ったのは春から夏に移る頃だっただろうか。

 梅雨に入ってどんどん暑くなり、寮の皆が「京都の夏は蒸す」と不平たらたらでも、美希は彼氏ができたことで頭が一杯で気候の変化どころではなかった。喜びだけじゃない。自分の値打ちの無さがバレてしまうという不安も頭から離れなかった。こうしてデートする仲になったのだから当面は大丈夫だと思うけど……。

 美希はふと黒田さんを思い出した。黒田さんは浴衣を着る女性だろうか。清水さんに嫌われないためには確認しておけばよかったと、美希は何か落ち着かない気持ちになる。

 少し注意散漫なまま地下鉄に乗り烏丸御池駅に降り立つと、改札の手前で「なに、その格好は!」という女性の大声が聞こえた。美希は自分と関係ないと歩き続けたが、いきなり肩を掴まれる。

「貴女、なんて帯の結び方をしてるの!」 

 声も出ない美希を中年女性が女子トイレに引っ張り込む。その女性は「最近の若い子は!」と怒りながら、美希の着物の帯を結び直してしまった。

「これでええわ。ちゃんとしといたから」

「スミマセン。あ、ありがとうございました」

 藤原さんの着付けはどこか間違っていたらしい。だからって有無を言わせず強引に帯を結び直すのはどうかと思うけれど……。でも、美希は謝ってお礼を言った。

「ええよ、ええよ。これからはちゃんとするんやで」

 中央の改札には天井から時計がぶら下がっている。待ち合わせの十九時までとあと五分だ。清水さんは時間に几帳面な人だから、遅刻するまいと美希は急いで階段を上がった。三番出口から烏丸御池交差点の東南に出て西を向く。烏丸通には、日の名残りを底に残す空を背に近代的なビルが並んでいた。ここから南はオフィス街のようだ。

 自分の知っている京都じゃないみたいだと美希は感じる。京都市だって政令指定都市なのだから、街の中心部がこうでもおかしくはないし、その割に景観に配慮してビルはさほど高くない。ただ、それでも文教地区しか知らない美希には久しぶりに街の中に出てきたという気がする。

 この烏丸御池の交差点の東南角で待ち合わせだ。美希は清水さんの姿を探しながら少し違和感を覚える。いつもなら彼の方から美希を見つけて「やあ」と声を掛けてくれそうなものなのに。

 清水さんは交差点から少し南に立ち、さらに南のNHK京都支局の方をじっと見つめていた。美希が「お待たせしました」と声を掛けてもちらりと見るだけだ。

「遅かったね」 

 この人が微笑んでいないのは初めてだ。しかも「スミマセン」と謝る美希に応えず、「ちょっと気になることがあるから、急ぐで」と固く事務的な口調で言い置いたまま、スタスタと烏丸通りを南へ歩き始めてしまう。

 怒ってる? どうして? 私、遅刻した? 美希は、藤原さんから浴衣と一緒に借りた和柄のバッグを開いた。中からスマホを取り出し時刻を確認する。今がちょうど十九時だから遅刻はしていない。

 私の何が悪かったのだろう? 美希は不安を抱えて、不機嫌そうな清水さんの背を追いかける。

 その前方の視界の隅に、どこかで見たことがある建物がちらりと見えた。西へ入る通りの角にあるその建物。

「あれ? 東京駅に似てる」

 赤煉瓦に白い石の帯。横ストライプに見える華やかな壁。東京駅と同じだ。

 だけど、ここからではビルとビルとの谷間にほんのわずかしか見えない。なにしろ東京駅よりずっと小さい。

 祭の中心部はここから南西の方角だ。このまま南に直進してあの小さな東京駅の角を西に曲がれば近くで見られるだろう。

 そう思う美希をよそに、清水さんは無言ですぐ手前の通りを西に折れてしまう。

「あの……」

「黒田さんだ。さっきから似た人がいると思ったら本人だ」

「彼氏さんとご一緒なのでは?」

「いや、知らない怪しげなオヤジと一緒だ。何か悪いことに巻き込まれているのかもしれない。後を追おう」

 清水さんはどんどん先へ歩いて今度は南に曲がった。

 熱気が身体に纏わりつく。それは暑気を抱き込む京都盆地の地形のせいでもあり、そして祭りに向かう群衆の人いきれのせいでもあるだろう。

 祭の中心に近づくにつれどんどん人が増えていく。同じ人混みでも、東京のラッシュ時などの雑踏は学校や勤め先に向かう無表情な人々が集まっているだけの無機質で静かなものだが、この古都の祝祭空間では、非日常を楽しむ人々の騒めきが建物の間で反響し、化け物じみたうねりとなって街を呑み込んでいく。

 前方に祇園祭に特徴的な形の山鉾が見えてきた。その方向に向かう人の群れが更に密度を増している。

 青墨色の空の下に広がる街中に無数の提灯が光っていた。思った以上に背の高い山鉾には提灯が縦に吊り下げられて壁をなす。道路の家々に灯された明かりとともに、その赤みがかった輝きは夜の熱気を煽るかのようだ。

 どこからともなく金属の楽器と笛の音色が風に乗って運ばれてきた。コンコンチキチンと聞こえるこれが祇園囃子《ぎおんばやし》なのだろう。厄除けの粽《ちまき》を売る子どもたちの澄んだ口上も聞こえる。だが、耳に馴染みのないそれらの音声は、美希には魔術の呪文めいて聞こえてしまう。

 進めば進むほどたかぶっていく祭の狂騒感に、美希はだんだん不安になる。

 ──怖い

 美希の見たことがある近所の神社のお祭りなど、その境内からちょっとはみ出るだけのこじんまりしたものに過ぎなかった。現実を不思議な世界に変えてしまうほど迫力のある祭なんて美希は経験したことない。

 清水さんはその中心に向かおうとしている。その先では、妖しい空気がより一層濃密なものとなろうとしているのに。

「清水さん!」

 助けて欲しかった。全く不案内な世界に入り込んでいくのに一人はあまりにも心細い。

 それなのに、「何?」という清水さんの返事にはトゲがあった。清水さんは何かを邪魔された苛立ちを隠さない。美希をちらりと振り返ったが、それだけだ。

 わんわんと響く群衆の声。煌々と照らされる提灯。祇園囃子に、独特の節回しの子どもたちの甲高い声。これらが混然一体となって美希の恐怖を掻き立てる。

「清水さん、待って! 待ってください!」

 その時、美希の腰の周りが妙に軽くなった。

「帯が!」

 帯が解けかけている。このまま動き続けてしまうともっとひどく着崩れてしまうだろう。美希は、既に背中から地面に垂れてしまった帯をお腹の前で押さえて立ち止まった。そうしなければ浴衣の前の合わせもはだけてしまいそうだったからだ。

 どん、と背中から人がぶつかった。この混雑の中、止まっている美希はただの邪魔だ。ぶつかったのは若い女性だったが、連れの彼氏しか眼に入っていないようで何事もなかったかのように前に進んでいく。前に、鉾が並ぶ祭の中心へ。

 清水さんはもういない。たった今美希を突き飛ばしたカップルが吸い込まれていくように彼もあの祭の中に姿を消してしまったのだ。美希のことなどお構いなしに。

 どん、と別の人がぶつかる。その男の人は「あ、すみません」と謝ってくれたが、美希を一瞥しただけでやはり前に行ってしまう。

 ――誰も助けてくれない

 美希はとにかく前を合わせて帯をぐるぐると巻きつけてみた。正しい結び方など知らないから、とりあえず固結びにしておく。

 ―――帰りたい

 寮に帰りたい。食堂の蛍光灯の白々とした明かりはぶっきらぼうだけど、でも、そこにはあたたかい寮生がいるのだから。
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