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ドナ
48 お店の噂
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食べ終わって店を出る前、私は化粧室に入った。身支度を整え外に出ようとすると、女性に呼び止められた。確か店内にいたお客さんだ。少し離れた席にいた女性2人組だった。
何だろう。知らない人から声をかけられるなんて、何かしただろうか。女性たちはどこかオドオドした感じだった。
「あの・・・、もしかして、ドナ・スタンさんではないでしょうか」
片方の女性に名前を呼ばれた。どうして知られているのだろうか。もしかしたら、どこかで会った人かもしれない。刺繍を教えた人?それとも教授の付き合いで会った学生さん?頭の中でぐるぐると記憶を呼び戻す。
「は、はい。そうですけど」
思い出せないまま、私は素直に返事をした。
「やっぱり」
「うわぁ、感激」
女性たちは嬉しそうに抱き合っている。どういうことだろうか。
「私の兄の友人が以前、ドリアリー教授に習ったことがあって。私も植物に興味があるので、翻訳本の発表会の時に出席させてもらったんです」
なるほど、あの時はたくさん人がいたのでわからなかったけど、向こうは私のことを覚えてくれていたのか。恥ずかしいけど嬉しい。
「本当は我が国の人じゃないのに、すごくタセル語がお上手ですね」
「翻訳本もすごい人気らしいですね」
「私の友人も刺繍を習ったんです。ドナさんの刺繍はすごく繊細ですごかったって言ってました」
2人は興奮したように早口で話している。
「あ、握手してください」
「私も!」
手を差し出され、私は面食らってしまった。私の刺繍なんてたいしたことないのだ。タセル語だって今もきちんと話せているか疑問だ。それなのにこの人たちは私に握手を求めてくれている。差し出された手を私は両手で包むように握った。
「うわぁ」
「嬉しい・・・」
彼女たちは泣きそうな顔をしながらも、みんなに自慢しようと言い合っている。大袈裟だなと思い私は苦笑いを浮かべた。
「ところで、スティーブ様とヴィンス様、どちらと婚約されるのですか?」
すると片方の女性からいきなり聞かれた。婚約?何で?そう思ったが、この店は恋人と来たい店ナンバーワンだ。一緒にこの店に入ると、それなりの関係に思われるのだろうか。失敗したと思う。スティーブ様もヴィンス様もファンクラブがあると言われている。そのくらいかっこいいし、独身女性たちの憧れなのだ。その相手が私なんて、ありえないだろう。2人に申し訳ない。
「私はスティーブ様かと思っています。我が国の頭脳の一部とまで言われているスティーブ様ですよ。どんな試験もトップの成績で今の地位を築いてきたんです。才女と呼ばれるドナさんにピッタリだわ」
するともう1人の女性が言い出す。
「あら、ヴィンス様よ。我が国の守り神の一員。ドナさんはあのお方に守られてお幸せになるのだわ」
何だかすごい誤解を与えているようだ。2人は忙しいし、今日はたまたま時間を作ってくれただけ。本来私なんかが相手にされるわけがないのだ。でも2人は私のことを熱い視線で見つめてくる。
「きっとお二人がドナさんを取り合っているのだわ」
「そうよね、ドナさんはどちらを選ぶのかしら」
まるで恋愛小説のようなことを言い出し、興奮して話し合っている。そんな2人を私は呆れたように見てしまった。茫然自失とはこのことだろう。
「私が相手にされるわけないですよ」
私は愛想笑いを浮かべた。とりあえず、早くここから脱出したい。適当に答えて退散しよう。2人を待たせるのも良くないし。
「そんなことないですよ」
「そうですよ、すごくお似合いです」
「まさか、他に好きな人が?」
「そんなバカな、あの2人より素敵な人がいる?」
「でも・・・」
散々話をした後、2人はピタリと動きを止めて私のことをじっとりとした目つきで見ている。ちょっと怖い。
「い、いえ・・・」
これ以上一緒にいるとどうなるかわからない。
「は、早く行かないと。次の用事があるので」
私はそう言うと、化粧室から出た。何か言っている声が聞こえたが無視をした。かなり疲れてしまった。
「ドナ」
私の姿を見つけると、スティーブ様が軽く手を上げた。周りには店員さんが勢揃いしている。
「月ごとにお茶とケーキが一部変わるそうだよ。来月も来ようね」
スティーブ様が嬉しそうに言うと、店員さんたちも嬉しそうに笑っている。
「ぜひまたお越しください」
「お待ちしております」
口々に言われ、恐縮してしまう。お店の方もスティーブ様がくるのなら歓迎するだろう。しかし実際に来ていいのかと不安に思うのだが、スティーブ様にそんなことは言えない。
「実はうちの店、男女でお越しいただくと幸せになれるという噂がございまして」
するとそばにいた店長さんか、もしかしたら料理長さんかもしれない中年の男性が得意満面な表情で語り出した。そんな噂があったのか。確かに恋人と来たい店だわと思う。しかしスティーブ様は何も知らないのだ。知らないままでいてほしかったが、もう遅い。
「女性だけでお越しくださるとパートナーが見つかるという噂もございますが、お2人でしたらもう・・・」
そこまで言うと男性はハッハッハッと快活に笑った。
「良いお知らせはそろそろ・・・でございますか?」
何か勘違いをしているようだ。スティーブ様も迷惑に感じているに違いない。恐る恐る見上げると、スティーブ様は口元を緩ませ少し赤い顔をしていた。
たまたま入った店なのにスティーブ様には申し訳ないと心から思う。もしかしたら、言わないだけで本命がいるかもしれないのだ。私なんかと来て、その人が悲しい思いをしなければいいけど。ふとそんなことを思ったら、胸の奥が窮屈に感じたのだった。
何だろう。知らない人から声をかけられるなんて、何かしただろうか。女性たちはどこかオドオドした感じだった。
「あの・・・、もしかして、ドナ・スタンさんではないでしょうか」
片方の女性に名前を呼ばれた。どうして知られているのだろうか。もしかしたら、どこかで会った人かもしれない。刺繍を教えた人?それとも教授の付き合いで会った学生さん?頭の中でぐるぐると記憶を呼び戻す。
「は、はい。そうですけど」
思い出せないまま、私は素直に返事をした。
「やっぱり」
「うわぁ、感激」
女性たちは嬉しそうに抱き合っている。どういうことだろうか。
「私の兄の友人が以前、ドリアリー教授に習ったことがあって。私も植物に興味があるので、翻訳本の発表会の時に出席させてもらったんです」
なるほど、あの時はたくさん人がいたのでわからなかったけど、向こうは私のことを覚えてくれていたのか。恥ずかしいけど嬉しい。
「本当は我が国の人じゃないのに、すごくタセル語がお上手ですね」
「翻訳本もすごい人気らしいですね」
「私の友人も刺繍を習ったんです。ドナさんの刺繍はすごく繊細ですごかったって言ってました」
2人は興奮したように早口で話している。
「あ、握手してください」
「私も!」
手を差し出され、私は面食らってしまった。私の刺繍なんてたいしたことないのだ。タセル語だって今もきちんと話せているか疑問だ。それなのにこの人たちは私に握手を求めてくれている。差し出された手を私は両手で包むように握った。
「うわぁ」
「嬉しい・・・」
彼女たちは泣きそうな顔をしながらも、みんなに自慢しようと言い合っている。大袈裟だなと思い私は苦笑いを浮かべた。
「ところで、スティーブ様とヴィンス様、どちらと婚約されるのですか?」
すると片方の女性からいきなり聞かれた。婚約?何で?そう思ったが、この店は恋人と来たい店ナンバーワンだ。一緒にこの店に入ると、それなりの関係に思われるのだろうか。失敗したと思う。スティーブ様もヴィンス様もファンクラブがあると言われている。そのくらいかっこいいし、独身女性たちの憧れなのだ。その相手が私なんて、ありえないだろう。2人に申し訳ない。
「私はスティーブ様かと思っています。我が国の頭脳の一部とまで言われているスティーブ様ですよ。どんな試験もトップの成績で今の地位を築いてきたんです。才女と呼ばれるドナさんにピッタリだわ」
するともう1人の女性が言い出す。
「あら、ヴィンス様よ。我が国の守り神の一員。ドナさんはあのお方に守られてお幸せになるのだわ」
何だかすごい誤解を与えているようだ。2人は忙しいし、今日はたまたま時間を作ってくれただけ。本来私なんかが相手にされるわけがないのだ。でも2人は私のことを熱い視線で見つめてくる。
「きっとお二人がドナさんを取り合っているのだわ」
「そうよね、ドナさんはどちらを選ぶのかしら」
まるで恋愛小説のようなことを言い出し、興奮して話し合っている。そんな2人を私は呆れたように見てしまった。茫然自失とはこのことだろう。
「私が相手にされるわけないですよ」
私は愛想笑いを浮かべた。とりあえず、早くここから脱出したい。適当に答えて退散しよう。2人を待たせるのも良くないし。
「そんなことないですよ」
「そうですよ、すごくお似合いです」
「まさか、他に好きな人が?」
「そんなバカな、あの2人より素敵な人がいる?」
「でも・・・」
散々話をした後、2人はピタリと動きを止めて私のことをじっとりとした目つきで見ている。ちょっと怖い。
「い、いえ・・・」
これ以上一緒にいるとどうなるかわからない。
「は、早く行かないと。次の用事があるので」
私はそう言うと、化粧室から出た。何か言っている声が聞こえたが無視をした。かなり疲れてしまった。
「ドナ」
私の姿を見つけると、スティーブ様が軽く手を上げた。周りには店員さんが勢揃いしている。
「月ごとにお茶とケーキが一部変わるそうだよ。来月も来ようね」
スティーブ様が嬉しそうに言うと、店員さんたちも嬉しそうに笑っている。
「ぜひまたお越しください」
「お待ちしております」
口々に言われ、恐縮してしまう。お店の方もスティーブ様がくるのなら歓迎するだろう。しかし実際に来ていいのかと不安に思うのだが、スティーブ様にそんなことは言えない。
「実はうちの店、男女でお越しいただくと幸せになれるという噂がございまして」
するとそばにいた店長さんか、もしかしたら料理長さんかもしれない中年の男性が得意満面な表情で語り出した。そんな噂があったのか。確かに恋人と来たい店だわと思う。しかしスティーブ様は何も知らないのだ。知らないままでいてほしかったが、もう遅い。
「女性だけでお越しくださるとパートナーが見つかるという噂もございますが、お2人でしたらもう・・・」
そこまで言うと男性はハッハッハッと快活に笑った。
「良いお知らせはそろそろ・・・でございますか?」
何か勘違いをしているようだ。スティーブ様も迷惑に感じているに違いない。恐る恐る見上げると、スティーブ様は口元を緩ませ少し赤い顔をしていた。
たまたま入った店なのにスティーブ様には申し訳ないと心から思う。もしかしたら、言わないだけで本命がいるかもしれないのだ。私なんかと来て、その人が悲しい思いをしなければいいけど。ふとそんなことを思ったら、胸の奥が窮屈に感じたのだった。
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