心の中にあなたはいない

ゆーぞー

文字の大きさ
上 下
39 / 69
ドナ

39 やってきた過去

しおりを挟む
「まぁ、ドナ。いきなり呼びつけて申し訳ないわね」 

 レティシア様のお屋敷に行くと、レティシア様に笑顔で迎えられた。お元気そうなその様子に私は内心安心した。時々体調を崩して寝込むこともあったのだが、最近はお元気になられたようだ。

「いいえ、とんでもございません」

 私も笑顔で挨拶をする。私はこんなふうに笑顔でいられるようになった。それも全てレティシア様のおかげなのだ。タセル国に来られてよかった。心の底からそう思う。

「今日はね、紹介したい人がいるのよ」

 レティシア様はそう言って、隣に立つ背の高い男性の方に目をやった。レティシア様と髪の色が同じだ。顔の輪郭も似ている。

「息子のエリックよ。私の様子を見に来たの」

 エリック様がにこやかに挨拶をされる。

「初めまして、母がいつもお世話になっているようで嬉しいよ」

 エリック様の笑顔はレティシア様によく似ていた。

「手紙では体力も衰えて余生は生まれ故郷のタセルで穏やかに過ごすとか言っていたのに、あまりにお元気で驚きました」
「ドナのお陰なのよ。私に気遣って色々してくれるの」

 レティシア様はニコニコと笑いながら、エリック様に近況を報告されている。

「母もあなたのお陰で元気になりました。ありがとう」

 エリック様は私に頭を下げてくださった。高貴な身分で私よりも年上の大人なのに丁寧に振る舞ってくださる。私は恐縮してしまい、

「や、やめてください」

 と、頭を上げてくださるように懇願した。

「ふふふ、今の私を見ればエリックがどれだけ感謝しても仕切れないわ」
「そうですね」

 レティシア様がお元気なのは私のお陰のわけがない。確かに当初はお疲れのようではあったが、生まれ故郷に帰られて気持ちも落ち着かれたのが良かったのだ。私はそんなことを一生懸命に説明した。そして私にもお茶が出され、取り止めもないような話をしていた。しかし目的はこんなことではないはずだ。私は少し訝っていた。

 わざわざレティシア様が私を呼んだのは理由があるはずだ。確かにエリック様を紹介したいということもあるかもしれないが、それだけではないだろう。

「実はね」

 しばらくしてレティシア様はお茶のカップを置くと、真剣な目で私を見た。

「ドナが訳したあの本がすごい売れているそうなのよ」
「あぁ、今まで本に興味がない人も夢中になっているんだ」

 そうだ、前の時もあの本はかなりの評判になった。身近にある植物が役に立つとわかり、手にする人も多かった。

「私は訳しただけですから」

 原本を書いた教授が凄いのだ。私は何もしていない。ただ訳しただけだ。そう言いながら気がついた。姉もあの時そう言っていた。ただ訳しただけ。姉はそう言って謙遜する仕草を見せた。人々は姉を称賛していた。そして私に言った。ただ訳しただけなんだから、あんたはちっとも偉くないのよ。

 姉の声を実際に聞いた気がして、私は心の中で何度も呟いた。大丈夫、あれは現実の出来事じゃないの。そうだ、現実ではないのだ。現実を把握しよう。

「訳すのがどれだけ大変か。私もタセル語を学んだけど、あんなにわかりやすく訳せないよ。何とかタセル語を普及しようと、辞書や入門書を配ったけど誰も習得しようとはしなかったよ」

 前の時にラガン家にタセル語の辞書や本があったのはエリック様の普及活動のお陰だったのか。おかげで私はタセル語を習得できたのだ。訳しただけではあったが、簡単ではなかった。そのことを理解してくれる人がいて私は嬉しかった。

「それでね、ドナを我が国に招待したいと思っているのだが」

 エリック様の申し出に私は驚愕してレティシア様を見た。レティシア様は心配そうな目で私を見ている。嫌だ、国には戻りたくない。

 私は今タセル国の人間だ。きちんとした身分もある。一時的にも戻りたくない

「私主催のパーティに来て欲しい。非公式だが、国王陛下も参加を希望しているんだ」

 前の時、姉は国王陛下に賞賛された。今回もそうだろうか。それでも行きたくない。目立つ場所に行けば私のことがバレるのではないか。ドナ・スタンではなく、アニー・ロゼルスとバレたらどうなるだろう。家に戻されるかもしれない。姉や両親に会うことを考えると、私は身体中が震えるくらいに恐怖を感じた。

 姉はブライアン様と無事に結婚したのだろうか。あの時は私が刺繍を私、結婚が成立した。今回は刺繍はないが、きっと姉のことだから違う方法でも見つけて結婚しているはずだろう。刺繍も翻訳もなくなった姉はどう過ごしているだろうか。考えると怖くてたまらない。全てを壊してしまった私を姉が許すわけがないからだ。

「ドナ、ごめんなさい。大丈夫よ」

 レティシア様が私のそばに駆け寄り、私を抱きしめてくれる。

「大丈夫よ、何も心配ないわ」

 気づけば、私はレティシア様の腕の中で赤ん坊のように泣きじゃくっていた。エリック様はさぞや驚き幻滅しただろう。でもそんなことは気にしていられなかった。呼吸すら今はうまくできない。レティシア様の手が優しく私の背中をトントンと叩いてくれる。そのリズムに合わせ、私は深呼吸をする。

「大丈夫、何も心配ないわ。もう大丈夫、大丈夫なのよ」

 何度も繰り返される大丈夫の言葉。私は徐々に落ち着きを取り戻していく。タセル国に来てからもこういうことは何度もあった。そのたびに私は何度もレティシア様やマリア様に抱きしめられた。大丈夫、大丈夫と何度も言われて来たのだった。

「辛いことはわかっているの。でもね、もう少し話を来て欲しいの」

 涙が止まり、少しだけ落ち着いた私にレティシア様が穏やかに切り出す。暖かなレティシア様の腕の中で私は次の言葉を待つのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

なにをおっしゃいますやら

基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。 エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。 微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。 エブリシアは苦笑した。 今日までなのだから。 今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

彼が愛した王女はもういない

黒猫子猫(猫子猫)
恋愛
シュリは子供の頃からずっと、年上のカイゼルに片想いをしてきた。彼はいつも優しく、まるで宝物のように大切にしてくれた。ただ、シュリの想いには応えてくれず、「もう少し大きくなったらな」と、はぐらかした。月日は流れ、シュリは大人になった。ようやく彼と結ばれる身体になれたと喜んだのも束の間、騎士になっていた彼は護衛を務めていた王女に恋をしていた。シュリは胸を痛めたが、彼の幸せを優先しようと、何も言わずに去る事に決めた。 どちらも叶わない恋をした――はずだった。 ※関連作がありますが、これのみで読めます。 ※全11話です。

訳ありな家庭教師と公爵の執着

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝名門ブライアン公爵家の美貌の当主ギルバートに雇われることになった一人の家庭教師(ガヴァネス)リディア。きっちりと衣装を着こなし、隙のない身形の家庭教師リディアは素顔を隠し、秘密にしたい過去をも隠す。おまけに美貌の公爵ギルバートには目もくれず、五歳になる公爵令嬢エヴリンの家庭教師としての態度を崩さない。過去に悲惨なめに遭った今の家庭教師リディアは、愛など求めない。そんなリディアに公爵ギルバートの方が興味を抱き……。 ※設定などは独自の世界観でご都合主義。ハピエン🩷 さらりと読んで下さい。 ※稚拙ながらも投稿初日(2025.1.26)から、HOTランキングに入れて頂き、ありがとうございます🙂 最高で26位(2025.2.4)。

追放された悪役令嬢はシングルマザー

ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。 断罪回避に奮闘するも失敗。 国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。 この子は私の子よ!守ってみせるわ。 1人、子を育てる決心をする。 そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。 さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥ ーーーー 完結確約 9話完結です。 短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。

嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

処理中です...