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ロゼルス家
32 自覚する思い
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「もう・・・限界です・・・」
レイモンドはそう言って僕の部屋で泣く。毎晩のように彼は僕の部屋に来て涙を流し、僕はそれを慰めている。
「あんなことは・・・夫婦でないとできません・・・」
今夜もレイモンドは僕の部屋に来て、アリーから言われたこと、されたことなどを愚痴っていた。アリーからあることを要求され、レイモンドは苦悶しているという。確かにそれは夫婦だからこそのものだ。しかしそれを仕事にする女もいる。お金を払ってまでしたいという男がいるというのに、お金を払うことなく女から要求されているなら、相手が誰かはともかく僕は割り切ってもいいんじゃないかと思っている。
だが口には出さない。彼は華やかな顔をしているが、考え方は至極真面目だ。むしろ堅物とでもいうほどで、今の仕事がアリーのお守りということに後ろめたさを抱いている。そして徐々にエスカレートしていくアリーの要求に爆発寸前という状態だった。
レイモンドは夫婦でないと許されないことだと頑なに主張し、アリーのことを本当に伯爵家の令嬢なのか、あんなことを言い出す人のもとで働いて自分は不幸だと言い出した。何度も繰り返される愚痴に正直辟易していたが、顔に出さずに僕はただ聞いている。時折深刻そうな顔で相槌を打つと、レイモンドは安心したような表情になる。
ひととおり愚痴を吐き出すと、レイモンドは自室へ帰っていく。その後ろ姿は明らかに憔悴していた。気の毒ではあるが仕方がない。最初から僕は割り切っていた。
おそらくレイモンドの抵抗もあと少しだろう。アリーはレイモンドを手に入れるはずである。結婚前にすでに娘でなくなってしまったら、どうなるのだろうか。しかも相手は格上。通常なら相手の逆鱗に触れ、アリーはこちらに戻されるか修道院行きだろう。
そうなるとこの家も終わりだ。路頭に迷う義父母を想像すると愉快でたまらない。しかし同時に僕とアニーも路頭に迷うことになる。貧乏はごめんだ。あんな生活に戻りたくはない。
僕は違う想像をする。レイモンドとアリーはアリーの結婚後も関係を続けるのだ。おめでたいブライアンはそのことに気づかない。そうしてやがてアリーは妊娠する。自分の子どもとしてブライアンは、レイモンドとアリーの子どもの面倒を看る。ラガン家の血は一滴も入っていない平民の子どもを後生大事に養育するのだ。
アリーがいなくなれば、この家は天国だ。アリーにはラガン家でうまくやってもらうのだ。僕は義父母を隔離させる。悠々自適な引退生活とでも言えば、彼らは喜んで従うだろう。どうせ何もできないくせに、おそらく奴らは口だけ出してくるはずだ。所詮は貧乏男爵家、と彼らはいまだに僕を認めず蔑んだ目で見てくる。
ガンっと僕は拳でテーブルを叩く。あいつらの目を、言葉を思い出したからだ。さすがアリーの両親なだけある。人を見下し傷つける術を生まれながらに備えているのだ。
あいつらのせいで飢えることは無くなったが、眠れない夜も増えた。あいつらの声が聞こえてくるのだ。
『貧乏人』
『田舎の男爵家風情のくせに』
『誰のおかげで生きられていると思ってるんだ』
『もっと感謝しろ』
『役に立て』
あいつらには負けない。僕は心の中で何度も言う。あいつらには負けない。
爺様が亡くなった。訃報を聞いた義父は青白い顔でヨロヨロと立ち上がり、数歩歩くとその場で倒れ込んだ。駆け寄った義母は義父の肩に手を乗せ、自分もうずくまって泣き出した。爺様を思って涙を流しているわけではなく、いよいよ自分の代になるとわかり恐怖を感じているのだと僕はわかっていた。義父母には無理なのだ。
アリーは爺様の葬儀は出ないとごねた。レイモンドと出かける気満々で、さすがに義父母に止められた。厳しく言えばいいものの義父母にはできず、やんわりと宥めるだけで結局新しい喪服を買い与えご機嫌を取っていた。
アニーには使用人に支給する喪服だったのに、アリーには新しい服を簡単に買い与える。それも最高級の布地を使ったものだ。王族でもここまでのものを用意することはなかった、と仕立て屋に言われた。その言葉を褒め言葉と受け取る奴らはおかしい。伯爵家ごときが不敬であると言われているようなものなのだ。貧乏な田舎の男爵家の僕でもわかることだ。
「これは王族でも着られないものなの。私だから着られるのよ。あんたには無理ね」
いつものとおり、アリーはそう言ってアニーを罵っていた。いつものことだ。誰もそれに気を取られることはない。だが僕は見てしまった。たくさんの使用人と同じお仕着せの喪服を着たアニー。いつもは適当にまとめた髪だが、今日はきちんとまとめていた。アリーの理不尽な虐めを受け流す彼女の横顔は、凛とした美しさがあった。
僕は見惚れてしまった。化粧もせず顔色も最悪だ。栄養が行き届かずツヤのない髪が顔にかかって、彼女がそれを指で耳にかける。その細い指もカサカサなのが遠目でもわかる。それなのに、彼女は輝いて見えた。
一方でアリーはどうだ。バカな両親のおかげで全てを与えられたはずなのに、彼女は醜悪だった。ツヤのある長い髪は、まとめることもせずに髪飾りで止めている。かろうじて黒い髪飾りなのが救いだが、それも高価な黒い宝石を使われたもので義父母がご機嫌伺いで買い与えたものだ。化粧もけばけばしく塗りたくられ、元の顔を知っている身からすれば笑止千万である。
葬儀に出ないなどあり得ないと思っていたが、このままアリーを参列させていいものか悩むところだ。彼女の姿を見れば、我が家の資質が問われるだろう。しかし義父母は彼女を見て褒めちぎった。綺麗だの美しいだのと言って煽てまくる。聞いてるうちにバカらしくなった。
僕の目はアニーを探していた。アニーの姿を視線に留めておければ、僕は満足だった。彼女は僕の妻になる。それはもうじきだ。アリーが嫁げば、アニーと僕の生活が始まる。その時を僕は心待ちにしていた。
レイモンドはそう言って僕の部屋で泣く。毎晩のように彼は僕の部屋に来て涙を流し、僕はそれを慰めている。
「あんなことは・・・夫婦でないとできません・・・」
今夜もレイモンドは僕の部屋に来て、アリーから言われたこと、されたことなどを愚痴っていた。アリーからあることを要求され、レイモンドは苦悶しているという。確かにそれは夫婦だからこそのものだ。しかしそれを仕事にする女もいる。お金を払ってまでしたいという男がいるというのに、お金を払うことなく女から要求されているなら、相手が誰かはともかく僕は割り切ってもいいんじゃないかと思っている。
だが口には出さない。彼は華やかな顔をしているが、考え方は至極真面目だ。むしろ堅物とでもいうほどで、今の仕事がアリーのお守りということに後ろめたさを抱いている。そして徐々にエスカレートしていくアリーの要求に爆発寸前という状態だった。
レイモンドは夫婦でないと許されないことだと頑なに主張し、アリーのことを本当に伯爵家の令嬢なのか、あんなことを言い出す人のもとで働いて自分は不幸だと言い出した。何度も繰り返される愚痴に正直辟易していたが、顔に出さずに僕はただ聞いている。時折深刻そうな顔で相槌を打つと、レイモンドは安心したような表情になる。
ひととおり愚痴を吐き出すと、レイモンドは自室へ帰っていく。その後ろ姿は明らかに憔悴していた。気の毒ではあるが仕方がない。最初から僕は割り切っていた。
おそらくレイモンドの抵抗もあと少しだろう。アリーはレイモンドを手に入れるはずである。結婚前にすでに娘でなくなってしまったら、どうなるのだろうか。しかも相手は格上。通常なら相手の逆鱗に触れ、アリーはこちらに戻されるか修道院行きだろう。
そうなるとこの家も終わりだ。路頭に迷う義父母を想像すると愉快でたまらない。しかし同時に僕とアニーも路頭に迷うことになる。貧乏はごめんだ。あんな生活に戻りたくはない。
僕は違う想像をする。レイモンドとアリーはアリーの結婚後も関係を続けるのだ。おめでたいブライアンはそのことに気づかない。そうしてやがてアリーは妊娠する。自分の子どもとしてブライアンは、レイモンドとアリーの子どもの面倒を看る。ラガン家の血は一滴も入っていない平民の子どもを後生大事に養育するのだ。
アリーがいなくなれば、この家は天国だ。アリーにはラガン家でうまくやってもらうのだ。僕は義父母を隔離させる。悠々自適な引退生活とでも言えば、彼らは喜んで従うだろう。どうせ何もできないくせに、おそらく奴らは口だけ出してくるはずだ。所詮は貧乏男爵家、と彼らはいまだに僕を認めず蔑んだ目で見てくる。
ガンっと僕は拳でテーブルを叩く。あいつらの目を、言葉を思い出したからだ。さすがアリーの両親なだけある。人を見下し傷つける術を生まれながらに備えているのだ。
あいつらのせいで飢えることは無くなったが、眠れない夜も増えた。あいつらの声が聞こえてくるのだ。
『貧乏人』
『田舎の男爵家風情のくせに』
『誰のおかげで生きられていると思ってるんだ』
『もっと感謝しろ』
『役に立て』
あいつらには負けない。僕は心の中で何度も言う。あいつらには負けない。
爺様が亡くなった。訃報を聞いた義父は青白い顔でヨロヨロと立ち上がり、数歩歩くとその場で倒れ込んだ。駆け寄った義母は義父の肩に手を乗せ、自分もうずくまって泣き出した。爺様を思って涙を流しているわけではなく、いよいよ自分の代になるとわかり恐怖を感じているのだと僕はわかっていた。義父母には無理なのだ。
アリーは爺様の葬儀は出ないとごねた。レイモンドと出かける気満々で、さすがに義父母に止められた。厳しく言えばいいものの義父母にはできず、やんわりと宥めるだけで結局新しい喪服を買い与えご機嫌を取っていた。
アニーには使用人に支給する喪服だったのに、アリーには新しい服を簡単に買い与える。それも最高級の布地を使ったものだ。王族でもここまでのものを用意することはなかった、と仕立て屋に言われた。その言葉を褒め言葉と受け取る奴らはおかしい。伯爵家ごときが不敬であると言われているようなものなのだ。貧乏な田舎の男爵家の僕でもわかることだ。
「これは王族でも着られないものなの。私だから着られるのよ。あんたには無理ね」
いつものとおり、アリーはそう言ってアニーを罵っていた。いつものことだ。誰もそれに気を取られることはない。だが僕は見てしまった。たくさんの使用人と同じお仕着せの喪服を着たアニー。いつもは適当にまとめた髪だが、今日はきちんとまとめていた。アリーの理不尽な虐めを受け流す彼女の横顔は、凛とした美しさがあった。
僕は見惚れてしまった。化粧もせず顔色も最悪だ。栄養が行き届かずツヤのない髪が顔にかかって、彼女がそれを指で耳にかける。その細い指もカサカサなのが遠目でもわかる。それなのに、彼女は輝いて見えた。
一方でアリーはどうだ。バカな両親のおかげで全てを与えられたはずなのに、彼女は醜悪だった。ツヤのある長い髪は、まとめることもせずに髪飾りで止めている。かろうじて黒い髪飾りなのが救いだが、それも高価な黒い宝石を使われたもので義父母がご機嫌伺いで買い与えたものだ。化粧もけばけばしく塗りたくられ、元の顔を知っている身からすれば笑止千万である。
葬儀に出ないなどあり得ないと思っていたが、このままアリーを参列させていいものか悩むところだ。彼女の姿を見れば、我が家の資質が問われるだろう。しかし義父母は彼女を見て褒めちぎった。綺麗だの美しいだのと言って煽てまくる。聞いてるうちにバカらしくなった。
僕の目はアニーを探していた。アニーの姿を視線に留めておければ、僕は満足だった。彼女は僕の妻になる。それはもうじきだ。アリーが嫁げば、アニーと僕の生活が始まる。その時を僕は心待ちにしていた。
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