心の中にあなたはいない

ゆーぞー

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ラガン家

26 どうしてこうなったのだろう

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 母とマリーベルとの仲はどんどん悪くなっていく。挨拶の仕方が悪い、お辞儀の角度も浅い、お茶の飲み方が下品だ、など母はマリーベルがいかに不出来な嫁か話し続ける。聞いているとうんざりしてくるが、聞かないと母の機嫌はいっそう悪くなっていく。

「どうしてこんなことに・・・」

 母はそう言って黙り込む。愚痴を言いながら涙を流すので、メイドたちが気の毒そうな顔をしてハンカチを差し出す。そのあたりから、母の愚痴は終わりを迎える。俺もようやく終わると心の中でほくそ笑む。しかしあくまでも母の前では神妙な顔で俯いている。

 だがそれで終わりではない。母の愚痴を聞くと次はマリーベルの愚痴が待っている。

「またお義母様とお話されていたのですか。よほどお義母様のことがお好きなのですね」

 マリーベルは俺と母の仲が良すぎることも不満に思っている。親子なのだから仲がいいのは当たり前のことだ。俺が1日に1度必ず母と会話をすると聞き、マリーベルは驚いて目を剥いた。

「うちの兄と母は話などしませんよ」

 まるで俺が異常とでも言わんばかりの言い草だ。聞けばマリーベルの家では家族が集まることは皆無だったらしい。子どもは専属の家庭教師やメイドに育てられたそうで、両親と顔を合わすのも1年に1度だったと言う。

「貴族ってそういうものではないですか?」

 と、子爵でしかないのにそんな言い方をする。だからマリーベルは母とも合わない。

「うちでは両親も一緒にいることは少なかったですよ」

 マリーベルの家がどうであれ、うちにはうちのやり方がある。それを母から教わってほしい。俺はやんわりとそんなことを言った。

「何の意味があるのでしょうか?」

 しかし俺の言葉にマリーベルは異を唱えた。

「私とブライアン様の家になるのでしょう。でしたらお義母様の意見ではなく、2人の意見を示し合わせて作るべきではないですか」

 マリーベルはそう言って鋭い視線を俺に向けた。生意気な女だ。俺は立ち上がり、彼女以上に冷たい視線を返した。一瞬、マリーベルの視線が揺らいだ。

「意見を聞いてもらいたいなら、まずは人の話を聞け」

 自分でも驚くほど低い声が出た。そうは言ったが、マリーベルの話を聞く気はなかった。ただ一緒にいるだけで不愉快でしかなかった。俺はそのまま彼女を見ずに部屋を出た。どうしてこんなことになるのだろう。どうにも訳がわからなかった。


 しばらく行っていなかった図書クラブに俺は向かっていた。そこでピートの顔を見た瞬間、俺は来たことを後悔した。俺が子爵家の娘と結婚したことを当然知っているだろう。

「久しぶりですね、ブライアン」

 俺を見るとピートは笑顔で挨拶をした。自分と顔を合わせるのが気まずくて来れなかったんだよね、と言われているようで俺は目を逸らしながら曖昧に挨拶を返した。そのままピートから離れようとしたのだが、どういうわけかピートは俺についてくる。

「いい本があるんですよ、見てみませんか」

 そう言ってピートは俺に1冊の本を差し出した。

「今、話題になっているんです。ご存知ないですか」

 すぐ近くにいた別の男が本を見ると目を輝かせて話しかけてきた。

「もう読みましたか?」
「えぇ、驚くほどわかりやすくて、面白くて。一気に読んでしまいましたね」

 ピートともう一人の男が話している。そこにまた別の男がやってきた。

「植物図鑑ですよね、本当にすごい本ですよね」

 あの日、アリーがタセル語の本と一緒に1冊のノートを手渡してきた。植物の名前やどんなところに生えているか、どんな効用があるかが植物の絵とともに書かれている分厚い本を彼女は独学で訳したという。俺は驚愕し、ノートを見た。綺麗な字で丁寧に書かれている。いつの間にこんなことをしていたのだろう。俺は疑いもしなかった。

「この本は・・・」

 あの本だった。本当はアニーが訳した植物学の本。おそらくどこかで誰かから譲られた出所のわからない本。アニーが見つけなければ、きっと我が家の図書室で開かれることもなく置かれたままであった本。その本が今俺の手にある。

「タセル語・・・ですよね」

 俺は震える声でかろうじて言った。喉がカラカラに乾いていて痛いくらいだ。

「中身は我が国の言葉になっていますよ」

 俺が今どんな顔をしているかわからない。俺を見た相手はギョッとした顔をしている。中身はタセル語ではない。誰かが訳したのか。誰が?

「大丈夫ですか?」
「顔色が良くないようですよ」

 男たちに心配されたが、俺は構わず本を開いた。そうだ、あの時も表紙はタセル語だった。一番最初のページには本の題名と作者の名前。その下に ラガン訳 と書かれていた。本の中身は最初だけしか読まなかった。そのページだけで十分だった。

 アリーの名前を入れなかったのはアリーが断ったからもあるが、嫁の名前を大々的に出すことは父が反対したせいもある。これはアリーではなくラガン家の功績なのだ、と父は主張した。俺も同じ意見だった。しかし実際はアリーが全て翻訳したということは世間にはバレていたし、国王陛下からもアリーとラガン家に褒賞を受けた。

 おかげでラガン家は派閥の中でもトップの扱いを受けた。格上のはずの侯爵が俺に擦り寄ってきた。アリーは稀にみる良妻と呼ばれ聖女とまで崇める者までいた。

 開いた本の1ページ目にある本の題名と作者の名前。ドリアリーの名前はきっとあの時と同じだ。だがその下にある名前はドナ・スタン。

「ドリアリー氏はタセルの教授で、ドナ・スタンはその助手だそうだ」
「ドナ・スタンが我が国の言葉に訳したそうだ。大変な頭脳の持ち主らしいぞ」
「しかも妙齢のご令嬢だそうだ」

 男たちの声が自然に耳に入ってくる。

「王族もこの本を読まれて、軍部にも配られたそうだ」
「そこらへんに生えてる草が薬にもなるんだから驚きだよな」

 あぁそうだ。あの時もそうだった。国中が大騒ぎになったんだった。俺は思い出していた。あの時、ラガン家は栄華を極めていた。決して現実にはならない俺だけの記憶。

 どうしてこうなったのだろう。俺はゆっくりと自分自身に問いかけてみた。答えは見つからなかった。
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