心の中にあなたはいない

ゆーぞー

文字の大きさ
4 / 75
アニー

3 悪夢を忘れるために

しおりを挟む
 私はドナとして生きていくことになった。

「まずはきちんとした生活をするのよ」

 そう言われたが、きちんとした生活とは何かわからなかった。

「朝起きて夜になったら寝る。食事は3食きちんと食べる。まずはそれからね」

    今までの私の生活は、姉と一緒に過ごしていた。姉はすぐに体調を崩して寝込んでしまう。私はそんな姉の看病をしながら、いつも姉の側にいた。

 姉は食欲がないと言って1日何も食べないで過ごすことがあった。そんな時は私も食事ができない。姉が食べられないというのなら、私も食べてはいけないのだ。両親からは、姉と同じように過ごすようにと言われている。私はいずれ姉の代わりに生きていかなくてはいけないからだ。だから姉と同じものを同じように私は食べなくてはいけない。いくら私がお腹が空いて今すぐにでも食事をしたいと思っても、姉が食べなければ食べてはいけないのだ。

   姉がようやく小さなパンのかけらを口にしたら、私もパンのかけらを口に運べる。その様子を見た姉はため息をつきながら呆れたように言うのだ。

「私、あんなに醜い食べ方をしてるのかしら?」

    すると側にいるメイドたちが口々に言い出す。

「卑しいお方ですわ」

「本当に食いしん坊な方ですわね」

「アリー様と大違い」

    姉の取り巻きとも言えるメイドたちは、皆姉の味方だ。本来は姉の世話をするために雇われていたはずなのに、いつの間にかそれは私の仕事になった。メイドの仕事は姉の機嫌を取ることだった。姉が癇癪を起こすと、両親たちは私を叱りつける。誰も姉に注意できないので、私は理不尽と思ってもどうすることもできなかった。

    姉は具合が悪いと言って昼はずっと寝ている。夜になると眠くないと言ってずっと起きている。だから私は寝ることができない。姉が寝ないのだから私も寝てはいけないのだ。

    それなら姉が寝ている昼間に私も寝ていいと思うが、それは許されなかった。健康な私は昼のうちにやれることがあるだろうと姉が用事を言いつける。私はわずかな隙間に眠ることを覚えてしまった。まともにベッドに入って眠ることは、1週間のうちに数回という状態だった。

 だから、1日3食食べて朝起きて夜眠るという生活は信じられなかった。それがきちんとした生活と教わり、驚いてしまった。最初のうちはベッドがふわふわしていて落ち着かなかった。こんなふうに寝ていていいのか。怒られるのではないかと不安だった。

 食事もそうだった。皿に盛られた料理を見て驚愕した。いつも1口か2口程度しか食べられなかったから、椅子に座って食事をするということもあまり経験がなかった。そういえば両親はこんなふうに食事をしていたことをなんとなく思い出した。家族で揃って食事をするということもなかったように思う。

 私が当たり前と思っていたことは、当たり前ではないということがわかった。徐々に今のこの生活に慣れてきて、私は朝になれば自然と目覚め夜になれば眠くなって眠りに落ちるということが自然なことだと理解した。そうして毎日が穏やかに過ぎていった。






 ここに来て3ヶ月が経った。修道院の生活は私にいろいろなことを教えてくれた。そんなある日。

「ドナ、今日は大切な話があるの」

 朝食が終わったタイミングでレティシア様に呼び出された。レティシア様はこの修道院の創設者であり、ここに来るときに馬車の中で私を見ていた貴族の女性である。普段はここにはいないのにその日は朝早くに来られたのだ。

「私は元々はタセル国の人間なの」

 レティシア様が静かに話し出した。タセル国。身体の中で冷たい何かが流れていく。姉はラガン家の蔵書を翻訳したが、それは植物についての研究本だった。我が国の薬剤研究にも大いに貢献したとのことで、ラガン家は国王陛下からも褒賞を受けた。姉も注目され美貌の才女ともてはやされた。思い出して私は身体が震える。

 翻訳したのは私なのだ。

 ベッドでただ寝ているだけでは聞こえが悪いから何か本でも持ってきてと姉に言われ、私はラガン家の蔵書の中から1冊適当に持って行った。植物の絵がたくさん描かれていたので読みやすそうに見えたのだ。どうせ姉は我が国の言葉もタセル語の言葉も読めないのだ。それなら絵が描かれている方がいいだろう、そう思った。

 姉は人からわざと見えるように窓を開けてその本をめくった。あくまでも読むふりだけだ。しかしいつの間にか姉はタセル語を読めると思われてしまった。タセル語は教育を受けた貴族の中でも読める人間はごく少数だった。実際、ラガン家の人も読める人はいなかった。おそらく誰かから譲られたか、貴族間の付き合いで購入した本なのだろう。図書室の蔵書のほとんどは誰も読まない、ただ飾られているだけの本ばかりだった。

 姉は私にタセル語を訳すように命じた。幸い簡単なタセル語の辞書もあったので、私は暇を見つけてはタセル語の勉強も開始した。しかしそれも他の人にわからないようにだった。そのため姉の面倒を見ることができない時間ができてしまう。すると何も知らないメイドが大げさに騒ぎ立てた。私がさぼっていると姉に言いつける。姉はそんな報告を微笑みながら聞いた後こう言うのだ。

「本当に。アニーったら怠け者なのよ。何もしないから家も追い出されて、仕方なくこちらに連れてきたの」

 メイドたちは姉が慈悲深く心優しい聖女のような人だと誤解した。そして私を怠け者で何もできないどうしようもない人間だとも思うのだ。

 思い出すと身体が震えてくる。姉は私を蔑み、私はそれをしかたがないことだと思って暮らしていた。それは私が何も知らなかったからだ。でも今は違う。姉も家族も全ておかしかったのだ。私は何度も深呼吸をした。大丈夫大丈夫、と何度も心の中で言い続ける。あの悪夢のことを思い出すと、私はいつもこうやって心を落ち着けている。今は違う。もうあの悪夢の中にはいない。

「それでね、近いうちにタセル国に帰ることにしたの。あなたも一緒に行かない?」

 レティシア様の次の言葉に私は考える間もなく答えていた。

「はい!」

 あまりの勢いにレティシア様も驚いていたけど、すぐに笑顔になった。

「よかったわ。すぐに支度を始めましょう」

 この国にいたら、いつか姉に会ってしまうかもしれない。姉じゃなくてもメイドたちやラガン家の人に会ってしまうかもしれない。そう考えて、思い出してしまった。ブライアン様のあの冷たい目・・・。タセル国に行けばもう会うこともないだろう。外国に行くなんてすごい冒険だけど、でもその方がきっといい。

 私はもうアニーではないのだ。私の名前はドナ。知らない国で新しい自分と生きていく。そう心の中で誓った。

    
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

年に一度の旦那様

五十嵐
恋愛
愛人が二人もいるノアへ嫁いだレイチェルは、領地の外れにある小さな邸に追いやられるも幸せな毎日を過ごしていた。ところが、それがそろそろ夫であるノアの思惑で潰えようとして… しかし、ぞんざいな扱いをしてきたノアと夫婦になることを避けたいレイチェルは執事であるロイの力を借りてそれを回避しようと…

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

<完結> 知らないことはお伝え出来ません

五十嵐
恋愛
主人公エミーリアの婚約破棄にまつわるあれこれ。

さようなら、私の愛したあなた。

希猫 ゆうみ
恋愛
オースルンド伯爵家の令嬢カタリーナは、幼馴染であるロヴネル伯爵家の令息ステファンを心から愛していた。いつか結婚するものと信じて生きてきた。 ところが、ステファンは爵位継承と同時にカールシュテイン侯爵家の令嬢ロヴィーサとの婚約を発表。 「君の恋心には気づいていた。だが、私は違うんだ。さようなら、カタリーナ」 ステファンとの未来を失い茫然自失のカタリーナに接近してきたのは、社交界で知り合ったドグラス。 ドグラスは王族に連なるノルディーン公爵の末子でありマルムフォーシュ伯爵でもある超上流貴族だったが、不埒な噂の絶えない人物だった。 「あなたと遊ぶほど落ちぶれてはいません」 凛とした態度を崩さないカタリーナに、ドグラスがある秘密を打ち明ける。 なんとドグラスは王家の密偵であり、偽装として遊び人のように振舞っているのだという。 「俺に協力してくれたら、ロヴィーサ嬢の真実を教えてあげよう」 こうして密偵助手となったカタリーナは、幾つかの真実に触れながら本当の愛に辿り着く。

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

【完結】私を捨てて駆け落ちしたあなたには、こちらからさようならを言いましょう。

やまぐちこはる
恋愛
パルティア・エンダライン侯爵令嬢はある日珍しく婿入り予定の婚約者から届いた手紙を読んで、彼が駆け落ちしたことを知った。相手は同じく侯爵令嬢で、そちらにも王家の血筋の婿入りする婚約者がいたが、貴族派閥を保つ政略結婚だったためにどうやっても婚約を解消できず、愛の逃避行と洒落こんだらしい。 落ち込むパルティアは、しばらく社交から離れたい療養地としても有名な別荘地へ避暑に向かう。静かな湖畔で傷を癒やしたいと、高級ホテルでひっそり寛いでいると同じ頃から同じように、人目を避けてぼんやり湖を眺める美しい青年に気がついた。 毎日涼しい湖畔で本を読みながら、チラリチラリと彼を盗み見ることが日課となったパルティアだが。 様子がおかしい青年に気づく。 ふらりと湖に近づくと、ポチャっと小さな水音を立てて入水し始めたのだ。 ドレスの裾をたくしあげ、パルティアも湖に駆け込んで彼を引き留めた。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 最終話まで予約投稿済です。 次はどんな話を書こうかなと思ったとき、駆け落ちした知人を思い出し、そんな話を書くことに致しました。 ある日突然、紙1枚で消えるのは本当にびっくりするのでやめてくださいという思いを込めて。 楽しんで頂けましたら、きっと彼らも喜ぶことと思います。

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

処理中です...