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ブライアン
6 ロゼルス家からの使者
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自室に戻った俺は手にしていた物をまじまじと見た。日記帳で間違いないようだ。赤い表紙でやや古ボケた印象である。アリーの物なのだろうか。いくら亡くなった妻のものであっても日記を読むのは憚れる。そう思いながらも好奇心はある。
俺は意を決して中を見てみることにした。開いてみると驚いた。まさにミミズがのたくったような字が並んでいた。妻のものであるわけがない。アリーの字はとても綺麗だった。手紙や書類の清書をしてもらうくらいだったのだ。となるとこれは妹のアニーの日記ということになる。途端にこの家の中で息を引き取ろうとしている彼女のことを少なからず思った。
やはり医者を呼ぶべきだろうか。そう思った瞬間、あの女の顔がチラついた。ガリガリに痩せて陰気臭く突っ立っている役立たず。アリーのお情けでいさせてやったが、本来あの女は実家に帰らせるべきだったのだ。何度か言ったことがあるが、アリーはその都度頼み込んできた。家に戻っても何もできないままなのだ、かわいそうな子だからと言われ、やむなくうちで面倒を見てやったのだ。
実際、アニーは何をしているのかよくわからなかった。これでは役立たずと言われても仕方がないだろう。うつろな目をして何を考えているのかわからない。アニーが視界の端に映るたびに俺は気分が悪かった。
そうだ、あの女がこれでいなくなるのだ。どうせならアリーが生き返ればいいのに。アリーのおかげでラガン家は今や陛下からも注目されている。見事な刺繍の腕前やタセル国の翻訳本。アリーのために泣く人間は多数いるが、アニーのために泣く人間はいないのだ。どうしてこんな不公平なことが起きるのだろう。望んだ結婚ではなかったが、望んだ未来は掴めそうだった。それなのに・・・。
翌朝。ジョンソンは医者を呼びアニーの死が確認された。すぐにロゼルス家から人が来た。養子に迎えられたピートという男である。本来ならこいつとアニーが結婚してロゼルス家を継ぐはずだったが、ピートがそれを拒んだと俺はアリーから聞いていた。養子が拒むことができるのかと疑問だったが、両親はアニーに家に残って欲しくなかったらしく、結局アニーは家を追い出されるしかなかったそうだ。
ロゼルス家の非常識さはわかっていたので、俺はすんなりアリーの話を信用した。ピートとは挨拶程度で話したことはなかった。両親ではなくピートが来たということに、俺はやはりアニーは家では嫌われていたのだと思った。
「自分と結婚するはずだったんですよ、アニーは」
夜中に何かの用事で起き出し、おそらく階段を踏み外してしまったのだろうと俺はピートに説明した。ピートは俺の説明を黙って聞き、そしてしばらく黙った後にそう言った。
「しかしアリーがどうしても連れて行くと言って聞かなくて。仕方なく一緒に行かせたんです」
アリーとは違うことをピートは言った。本当のところはどうでもよかった。正直言えばさっさと終わらせたかった。アニーの話をするのも面倒だった。
「こんなことなら無理にでも家に残らせればよかったです」
ピートは人を見下しているような慇懃な物言いだった。そんなに思っているならアニーを引き取ってくれてよかったのだ。俺だってあんな女に居座られて迷惑だった。だがそんなことを言うわけにはいかない。こちらとしては、2人も死人が出たことにショックを受けているのだ。アニーの分の葬式はうちでやるつもりはなかった。
「まさかあんなに痩せているとは思いませんでした」
確かにアニーは痩せていた。好き嫌いが多くマナーもなっていないのでディナーの席についても失礼な態度しか取れない。本人も人前に出られないと言っている。アリーの言葉が脳裏に蘇る。だから俺は一度もアニーと食事をしたことがなかった。
「こちらではどんな食事を?」
ピートの質問に俺は管轄外だから知らないと答えた。まるでうちが食べさせなかったと言っているようだ。
「医者通いをしていたアリーの方が健康的でしたね」
思わずピートを睨みつけてしまったが、彼の目は何の反応もなく自分を見返してた。疑っているのか。アニーの死が単なる事故とは思っていないのだろうが、アニーは不幸にも足を踏み外したのだ。運が悪かっただけだ。
「アリーがタセル語を翻訳するとは思いませんでした」
話を変えようとしたのか唐突にピートは話し出した。
「そんなことができるとは思っていませんでしたから」
「我が家の図書室で本を見つけ、興味を持ったのがきっかけだったようです」
淡々と俺は返事をした。早く帰ってほしかった。しかしピートは帰るつもりはないらしい。
「へえ・・・」
彼は口角をあげて笑顔を見せたが、目は笑ってはいない。その様子が不気味だった。
「興味を・・・ね・・・」
何を言いたいのだろうか。何やら含みのある言い方だった。少しの間、彼は黙った。俺も同じく黙ってただ時が過ぎるのを待つことにした。
「アニーは連れて帰りますよ」
これで終わる。俺はホッとした。
「それからアリーの御者も。アリーと一緒に旅立ちましたが、一緒にさせてはいけないでしょう。御者はうちの者でしたから」
アリーはラガン家の納骨堂に納めることになっており、すでに手配は済んでいる。馬車が事故を起こした後、御者とアリーは並んだ状態で発見された。道はぬかるんでいて、操作を誤ったのだろう。御者はアリーを助けるためか、あるいは様子を見るためかアリーのそばまで行ってそのままこと切れた。と、現場を見た者に言われた。アリーはほとんど即死だったらしい。苦しまなかったのが救いだった。
ピートはようやく立ち上がった。俺も嬉しさのあまり口元が緩んでいた。
「ケイラとアダムも連れて帰りましょうか。家族ですから」
不意に聞かれ俺は面食らった。向こうの両親に会わせたいということだろう。確かに色々あり過ぎて落ち着かない状況だ。アダムのことも心配ではあるが、目を離すわけにはいかない。親である以上は責任を果たさなければならないからだ。
「いずれ挨拶に行かせます。今はまだ落ち着いていませんから」
俺がそう言うと、ピートは意外そうな顔をした。
「奇特な方ですね」
何を言っているのだろうと思ったが、ピートは足早にドアに向かっていく。ドアの前で立ち止まり振り返ると、今度は満面の笑みを浮かべていた。
「他人の子どもですし、やはり私には無理ですね」
向こうの両親からしたら、娘2人を失いピートは養子だ。血の繋がりがあるのはケイラとアダムだけになった。そう思うと気の毒である。早いうちに挨拶に行かせよう。
俺はピートに笑顔を返した。
俺は意を決して中を見てみることにした。開いてみると驚いた。まさにミミズがのたくったような字が並んでいた。妻のものであるわけがない。アリーの字はとても綺麗だった。手紙や書類の清書をしてもらうくらいだったのだ。となるとこれは妹のアニーの日記ということになる。途端にこの家の中で息を引き取ろうとしている彼女のことを少なからず思った。
やはり医者を呼ぶべきだろうか。そう思った瞬間、あの女の顔がチラついた。ガリガリに痩せて陰気臭く突っ立っている役立たず。アリーのお情けでいさせてやったが、本来あの女は実家に帰らせるべきだったのだ。何度か言ったことがあるが、アリーはその都度頼み込んできた。家に戻っても何もできないままなのだ、かわいそうな子だからと言われ、やむなくうちで面倒を見てやったのだ。
実際、アニーは何をしているのかよくわからなかった。これでは役立たずと言われても仕方がないだろう。うつろな目をして何を考えているのかわからない。アニーが視界の端に映るたびに俺は気分が悪かった。
そうだ、あの女がこれでいなくなるのだ。どうせならアリーが生き返ればいいのに。アリーのおかげでラガン家は今や陛下からも注目されている。見事な刺繍の腕前やタセル国の翻訳本。アリーのために泣く人間は多数いるが、アニーのために泣く人間はいないのだ。どうしてこんな不公平なことが起きるのだろう。望んだ結婚ではなかったが、望んだ未来は掴めそうだった。それなのに・・・。
翌朝。ジョンソンは医者を呼びアニーの死が確認された。すぐにロゼルス家から人が来た。養子に迎えられたピートという男である。本来ならこいつとアニーが結婚してロゼルス家を継ぐはずだったが、ピートがそれを拒んだと俺はアリーから聞いていた。養子が拒むことができるのかと疑問だったが、両親はアニーに家に残って欲しくなかったらしく、結局アニーは家を追い出されるしかなかったそうだ。
ロゼルス家の非常識さはわかっていたので、俺はすんなりアリーの話を信用した。ピートとは挨拶程度で話したことはなかった。両親ではなくピートが来たということに、俺はやはりアニーは家では嫌われていたのだと思った。
「自分と結婚するはずだったんですよ、アニーは」
夜中に何かの用事で起き出し、おそらく階段を踏み外してしまったのだろうと俺はピートに説明した。ピートは俺の説明を黙って聞き、そしてしばらく黙った後にそう言った。
「しかしアリーがどうしても連れて行くと言って聞かなくて。仕方なく一緒に行かせたんです」
アリーとは違うことをピートは言った。本当のところはどうでもよかった。正直言えばさっさと終わらせたかった。アニーの話をするのも面倒だった。
「こんなことなら無理にでも家に残らせればよかったです」
ピートは人を見下しているような慇懃な物言いだった。そんなに思っているならアニーを引き取ってくれてよかったのだ。俺だってあんな女に居座られて迷惑だった。だがそんなことを言うわけにはいかない。こちらとしては、2人も死人が出たことにショックを受けているのだ。アニーの分の葬式はうちでやるつもりはなかった。
「まさかあんなに痩せているとは思いませんでした」
確かにアニーは痩せていた。好き嫌いが多くマナーもなっていないのでディナーの席についても失礼な態度しか取れない。本人も人前に出られないと言っている。アリーの言葉が脳裏に蘇る。だから俺は一度もアニーと食事をしたことがなかった。
「こちらではどんな食事を?」
ピートの質問に俺は管轄外だから知らないと答えた。まるでうちが食べさせなかったと言っているようだ。
「医者通いをしていたアリーの方が健康的でしたね」
思わずピートを睨みつけてしまったが、彼の目は何の反応もなく自分を見返してた。疑っているのか。アニーの死が単なる事故とは思っていないのだろうが、アニーは不幸にも足を踏み外したのだ。運が悪かっただけだ。
「アリーがタセル語を翻訳するとは思いませんでした」
話を変えようとしたのか唐突にピートは話し出した。
「そんなことができるとは思っていませんでしたから」
「我が家の図書室で本を見つけ、興味を持ったのがきっかけだったようです」
淡々と俺は返事をした。早く帰ってほしかった。しかしピートは帰るつもりはないらしい。
「へえ・・・」
彼は口角をあげて笑顔を見せたが、目は笑ってはいない。その様子が不気味だった。
「興味を・・・ね・・・」
何を言いたいのだろうか。何やら含みのある言い方だった。少しの間、彼は黙った。俺も同じく黙ってただ時が過ぎるのを待つことにした。
「アニーは連れて帰りますよ」
これで終わる。俺はホッとした。
「それからアリーの御者も。アリーと一緒に旅立ちましたが、一緒にさせてはいけないでしょう。御者はうちの者でしたから」
アリーはラガン家の納骨堂に納めることになっており、すでに手配は済んでいる。馬車が事故を起こした後、御者とアリーは並んだ状態で発見された。道はぬかるんでいて、操作を誤ったのだろう。御者はアリーを助けるためか、あるいは様子を見るためかアリーのそばまで行ってそのままこと切れた。と、現場を見た者に言われた。アリーはほとんど即死だったらしい。苦しまなかったのが救いだった。
ピートはようやく立ち上がった。俺も嬉しさのあまり口元が緩んでいた。
「ケイラとアダムも連れて帰りましょうか。家族ですから」
不意に聞かれ俺は面食らった。向こうの両親に会わせたいということだろう。確かに色々あり過ぎて落ち着かない状況だ。アダムのことも心配ではあるが、目を離すわけにはいかない。親である以上は責任を果たさなければならないからだ。
「いずれ挨拶に行かせます。今はまだ落ち着いていませんから」
俺がそう言うと、ピートは意外そうな顔をした。
「奇特な方ですね」
何を言っているのだろうと思ったが、ピートは足早にドアに向かっていく。ドアの前で立ち止まり振り返ると、今度は満面の笑みを浮かべていた。
「他人の子どもですし、やはり私には無理ですね」
向こうの両親からしたら、娘2人を失いピートは養子だ。血の繋がりがあるのはケイラとアダムだけになった。そう思うと気の毒である。早いうちに挨拶に行かせよう。
俺はピートに笑顔を返した。
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