1 / 69
アニー
1 私の生まれた意味
しおりを挟む「あー、疲れたぁ」
永和宮を辞してしばらく歩くと、黒花は大きく伸びをして肩を回した。ある程度年季の入った女官でも、よその宮、しかも徳妃の前となると緊張したらしい。翠明がいたらこんな真似はしないだろうが、白狼と二人での訪問で余計に気疲れしたのかもしれない。
白狼も首と肩を解したかったが、今は籠盛りの果物を持っているので腕を振り回すわけにもいかず、首だけ左右に動かすだけにとどめた。
「しっかし、徳妃様のところってみんな若かったわね」
「だよなぁ」
「確か、徳妃様って孫家の御姫様なのよね。乳母とか、年上の侍女とか連れてこなかったのかしら」
そう言いながら首を傾げる黒花の体内から、こきりと変な音が漏れる。思考を巡らせるために首を回していたのではなく、単に肩を解していただけか。
「まあ、でも若いのが多いからあんまり厳しくないみたいだし、みんな楽しそうだからいいんじゃねえの?」
「そうなんだけどね。でも四夫人のおひとりとしての格を考えると、ちょっと物足りないかなって。経験がないと乗り切れないこともあるだろうし」
出産とか、と黒花が呟く。
「ご懐妊したっていうの、どうやら噂じゃなかったみたいだしね」
「ああ、そういやそうか。あの服……」
白狼も頷く。確かに徳妃はかなりゆったりとした服を着ていた。腹が目立たないようなものを選んでいるのだろう。帯らしい帯も付けておらず、そう考えると既に産み月は近いのかもしれない。
男御子か、それとも女御子か。それも出産まで無事にたどり着けるか。
永和宮の女官や下女の様子を思い出し、どっちにしろ無事産まれるといいなと思いながら白狼は帰路についた。
★ ★ ★ ★ ★
贈り物のお返しに行ったのにそのお返しを持って帰った白狼を見て、小葉はけたけたと笑っていた。これはいよいよ燕が白狼に惚れている説が濃厚だ、徳妃もそれを後押ししていると銀月にも伝える始末だ。
もはや否定するのも面倒くさい。というより、白狼自身もその説を信じてしまいそうな、そんな永和宮訪問だった。
「で、徳妃はこれからも仲良くしてくれと?」
「これもご縁だから、銀月とも親しくしたいって言ってたぜ?」
ふむ、と銀月は白い碁石を指先で弄んだ。夕餉の後、いつものように寝室に軟禁され碁盤を挟んで差し向いに座る帝姫は何か考え込んだようだ。
結局戻って来た白狼は、銀月の碁に付き合わされていた。とりあえず姫君の部屋着を着せられ、頭には付け毛を緩く結び付けられている。さっき言ったことを黒花が覚えていたらしい。
化粧をするとき一瞬手が止まっていたのが気になるが、毎回顔をしかめる白狼に何か配慮しようとしてくれたのかもしれない。
「忘れ去られたような帝姫に近づきたいなど、どういう思惑があるものやら」
「うーん、思惑っていうよりは……」
「ん?」
「あの宮の女官とか、下女とか見たらさ。多分、徳妃ってすげえ世話好きなんだと思った」
「どういうことだ?」
「下女ってさ、後宮に売り飛ばされたり女官に応募してきた庶民の子だろ?」
明け透けな物言いだが、銀月は頷く。
「基本的にそうやって雇われた下女は後宮全体の尚服や尚食で働く」
「それをさ、後宮に来てすぐの子を徳妃は自分とこの宮で引き取ってんだよ」
出会ったとき、燕はそう言った。欠員が出たから急遽配置換えをされたと聞いていたようだが、あの人数をみれば「欠員がでた」せいではないだろう。見かけた年端のいかない少女たちを、自分の宮で保護しているとみるのが正解ではないだろうか。
あの懐き方、宮全体の雰囲気、慈愛に満ちた徳妃の目。以前、毒見要員で庶民の燕を雇ったのだろうと穿った視点で見て申し訳なかったかも、と思うほど永和宮は穏やかだった。
なるほどな、と銀月は白石を碁盤に打った。
「銀月も十五だし、徳妃にしたら自分とこの下女とか女官みたいに世話してあげたい歳頃なのかもしれないなって。俺に対してもまだ子どもなのにって言ってたぜ?」
「貴族の娘や歴代の帝姫は、十三、四で笄礼の儀を経て十五になる前に輿入れをするのが一般的だ。徳妃も、孫家の令嬢でそのくらいのことは分かっていると思うがな」
「へえ。やっぱちょっと早めなんだな」
「どうせ政略に絡んだ婚姻だ。輿入れして共寝に至るまで数年かかるということもあると聞いたことがある」
「……数年!?」
びっくりしたついでに白狼は黒石を打つ。思惑とはズレたところに置いてしまったがもう待ったは利かないためそのままにするしかない。
「なんだよ、数年かかるんだったら銀月も輿入れしてすぐに男ってバレるわけじゃないのかよ」
馬鹿め、と銀月が白石を置く。いい一手だった。ひょいひょいと黒石を除けられ、白狼肩を落とした。
「帝姫だからといって共寝を拒否したところで、湯あみやら着替えやらですぐ向こうの女官が気付く。そもそも女帝擁立の話がある以上、何年もあの皇后が放って置いてくれると思うか?」
「そっか、そうだよなぁ……」
確かにそれは無理だろう。輿入れした途端にやられるか、あるいは道中にやられるか、どっちにしろその二択か。選択肢が増えなかったことにややがっかりしながら白狼は碁笥から黒石をつまみ出す。
そして碁盤に置こうとして、止まった。いくつも並べられた石と石が燭台の灯りを艶やかに反射する。自陣の黒石が一つ、孤立無援の状態だったが、今持っている石をとある目に打てば自陣とつながりが増える。それを見てふと思いついたことがあったのだ。
「どうした?」
訝し気に銀月が白狼を覗き込んだ。
永和宮を辞してしばらく歩くと、黒花は大きく伸びをして肩を回した。ある程度年季の入った女官でも、よその宮、しかも徳妃の前となると緊張したらしい。翠明がいたらこんな真似はしないだろうが、白狼と二人での訪問で余計に気疲れしたのかもしれない。
白狼も首と肩を解したかったが、今は籠盛りの果物を持っているので腕を振り回すわけにもいかず、首だけ左右に動かすだけにとどめた。
「しっかし、徳妃様のところってみんな若かったわね」
「だよなぁ」
「確か、徳妃様って孫家の御姫様なのよね。乳母とか、年上の侍女とか連れてこなかったのかしら」
そう言いながら首を傾げる黒花の体内から、こきりと変な音が漏れる。思考を巡らせるために首を回していたのではなく、単に肩を解していただけか。
「まあ、でも若いのが多いからあんまり厳しくないみたいだし、みんな楽しそうだからいいんじゃねえの?」
「そうなんだけどね。でも四夫人のおひとりとしての格を考えると、ちょっと物足りないかなって。経験がないと乗り切れないこともあるだろうし」
出産とか、と黒花が呟く。
「ご懐妊したっていうの、どうやら噂じゃなかったみたいだしね」
「ああ、そういやそうか。あの服……」
白狼も頷く。確かに徳妃はかなりゆったりとした服を着ていた。腹が目立たないようなものを選んでいるのだろう。帯らしい帯も付けておらず、そう考えると既に産み月は近いのかもしれない。
男御子か、それとも女御子か。それも出産まで無事にたどり着けるか。
永和宮の女官や下女の様子を思い出し、どっちにしろ無事産まれるといいなと思いながら白狼は帰路についた。
★ ★ ★ ★ ★
贈り物のお返しに行ったのにそのお返しを持って帰った白狼を見て、小葉はけたけたと笑っていた。これはいよいよ燕が白狼に惚れている説が濃厚だ、徳妃もそれを後押ししていると銀月にも伝える始末だ。
もはや否定するのも面倒くさい。というより、白狼自身もその説を信じてしまいそうな、そんな永和宮訪問だった。
「で、徳妃はこれからも仲良くしてくれと?」
「これもご縁だから、銀月とも親しくしたいって言ってたぜ?」
ふむ、と銀月は白い碁石を指先で弄んだ。夕餉の後、いつものように寝室に軟禁され碁盤を挟んで差し向いに座る帝姫は何か考え込んだようだ。
結局戻って来た白狼は、銀月の碁に付き合わされていた。とりあえず姫君の部屋着を着せられ、頭には付け毛を緩く結び付けられている。さっき言ったことを黒花が覚えていたらしい。
化粧をするとき一瞬手が止まっていたのが気になるが、毎回顔をしかめる白狼に何か配慮しようとしてくれたのかもしれない。
「忘れ去られたような帝姫に近づきたいなど、どういう思惑があるものやら」
「うーん、思惑っていうよりは……」
「ん?」
「あの宮の女官とか、下女とか見たらさ。多分、徳妃ってすげえ世話好きなんだと思った」
「どういうことだ?」
「下女ってさ、後宮に売り飛ばされたり女官に応募してきた庶民の子だろ?」
明け透けな物言いだが、銀月は頷く。
「基本的にそうやって雇われた下女は後宮全体の尚服や尚食で働く」
「それをさ、後宮に来てすぐの子を徳妃は自分とこの宮で引き取ってんだよ」
出会ったとき、燕はそう言った。欠員が出たから急遽配置換えをされたと聞いていたようだが、あの人数をみれば「欠員がでた」せいではないだろう。見かけた年端のいかない少女たちを、自分の宮で保護しているとみるのが正解ではないだろうか。
あの懐き方、宮全体の雰囲気、慈愛に満ちた徳妃の目。以前、毒見要員で庶民の燕を雇ったのだろうと穿った視点で見て申し訳なかったかも、と思うほど永和宮は穏やかだった。
なるほどな、と銀月は白石を碁盤に打った。
「銀月も十五だし、徳妃にしたら自分とこの下女とか女官みたいに世話してあげたい歳頃なのかもしれないなって。俺に対してもまだ子どもなのにって言ってたぜ?」
「貴族の娘や歴代の帝姫は、十三、四で笄礼の儀を経て十五になる前に輿入れをするのが一般的だ。徳妃も、孫家の令嬢でそのくらいのことは分かっていると思うがな」
「へえ。やっぱちょっと早めなんだな」
「どうせ政略に絡んだ婚姻だ。輿入れして共寝に至るまで数年かかるということもあると聞いたことがある」
「……数年!?」
びっくりしたついでに白狼は黒石を打つ。思惑とはズレたところに置いてしまったがもう待ったは利かないためそのままにするしかない。
「なんだよ、数年かかるんだったら銀月も輿入れしてすぐに男ってバレるわけじゃないのかよ」
馬鹿め、と銀月が白石を置く。いい一手だった。ひょいひょいと黒石を除けられ、白狼肩を落とした。
「帝姫だからといって共寝を拒否したところで、湯あみやら着替えやらですぐ向こうの女官が気付く。そもそも女帝擁立の話がある以上、何年もあの皇后が放って置いてくれると思うか?」
「そっか、そうだよなぁ……」
確かにそれは無理だろう。輿入れした途端にやられるか、あるいは道中にやられるか、どっちにしろその二択か。選択肢が増えなかったことにややがっかりしながら白狼は碁笥から黒石をつまみ出す。
そして碁盤に置こうとして、止まった。いくつも並べられた石と石が燭台の灯りを艶やかに反射する。自陣の黒石が一つ、孤立無援の状態だったが、今持っている石をとある目に打てば自陣とつながりが増える。それを見てふと思いついたことがあったのだ。
「どうした?」
訝し気に銀月が白狼を覗き込んだ。
56
お気に入りに追加
216
あなたにおすすめの小説

なにをおっしゃいますやら
基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。
エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。
微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。
エブリシアは苦笑した。
今日までなのだから。
今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

誰も残らなかった物語
悠十
恋愛
アリシアはこの国の王太子の婚約者である。
しかし、彼との間には愛は無く、将来この国を共に治める同士であった。
そんなある日、王太子は愛する人を見付けた。
アリシアはそれを支援するために奔走するが、上手くいかず、とうとう冤罪を掛けられた。
「嗚呼、可哀そうに……」
彼女の最後の呟きは、誰に向けてのものだったのか。
その呟きは、誰に聞かれる事も無く、断頭台の露へと消えた。

王女を好きだと思ったら
夏笆(なつは)
恋愛
「王子より王子らしい」と言われる公爵家嫡男、エヴァリスト・デュルフェを婚約者にもつバルゲリー伯爵家長女のピエレット。
デビュタントの折に突撃するようにダンスを申し込まれ、望まれて婚約をしたピエレットだが、ある日ふと気づく。
「エヴァリスト様って、ルシール王女殿下のお話ししかなさらないのでは?」
エヴァリストとルシールはいとこ同士であり、幼い頃より親交があることはピエレットも知っている。
だがしかし度を越している、と、大事にしているぬいぐるみのぴぃちゃんに語りかけるピエレット。
「でもね、ぴぃちゃん。私、エヴァリスト様に恋をしてしまったの。だから、頑張るわね」
ピエレットは、そう言って、胸の前で小さく拳を握り、決意を込めた。
ルシール王女殿下の好きな場所、好きな物、好みの装い。
と多くの場所へピエレットを連れて行き、食べさせ、贈ってくれるエヴァリスト。
「あのね、ぴぃちゃん!エヴァリスト様がね・・・・・!」
そして、ピエレットは今日も、エヴァリストが贈ってくれた特注のぬいぐるみ、孔雀のぴぃちゃんを相手にエヴァリストへの想いを語る。
小説家になろうにも、掲載しています。


別に要りませんけど?
ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」
そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。
「……別に要りませんけど?」
※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。
※なろうでも掲載中

あなたの運命になりたかった
夕立悠理
恋愛
──あなたの、『運命』になりたかった。
コーデリアには、竜族の恋人ジャレッドがいる。竜族には、それぞれ、番という存在があり、それは運命で定められた結ばれるべき相手だ。けれど、コーデリアは、ジャレッドの番ではなかった。それでも、二人は愛し合い、ジャレッドは、コーデリアにプロポーズする。幸せの絶頂にいたコーデリア。しかし、その翌日、ジャレッドの番だという女性が現れて──。
※一話あたりの文字数がとても少ないです。
※小説家になろう様にも投稿しています

二度目の婚約者には、もう何も期待しません!……そう思っていたのに、待っていたのは年下領主からの溺愛でした。
当麻月菜
恋愛
フェルベラ・ウィステリアは12歳の時に親が決めた婚約者ロジャードに相応しい女性になるため、これまで必死に努力を重ねてきた。
しかし婚約者であるロジャードはあっさり妹に心変わりした。
最後に人間性を疑うような捨て台詞を吐かれたフェルベラは、プツンと何かが切れてロジャードを回し蹴りしをかまして、6年という長い婚約期間に終止符を打った。
それから三ヶ月後。島流し扱いでフェルベラは岩山ばかりの僻地ルグ領の領主の元に嫁ぐ。愛人として。
婚約者に心変わりをされ、若い身空で愛人になるなんて不幸だと泣き崩れるかと思いきや、フェルベラの心は穏やかだった。
だって二度目の婚約者には、もう何も期待していないから。全然平気。
これからの人生は好きにさせてもらおう。そう決めてルグ領の領主に出会った瞬間、期待は良い意味で裏切られた。

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢
岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか?
「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」
「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」
マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる