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8:死神
しおりを挟む死神が馬上から大鎌を一振りすると、黄金色の麦穂が天に舞い上がった。
「綺麗・・・」
死神が振り返ると夢魔がいた。
「おや、このような場所に夢魔がいるとは珍しい」
夢魔は会釈をした。
「死神様、ここからの風景が好きなんです」
死神は白馬を夢魔の隣に寄せた。
「これは失礼。夢魔殿のテリトリーでしたか?」
「それには及びません死神様。それより先ほどの麦穂の様なものは何ですか?」
死神は夢魔が言う麦穂には見えていなかったが、大鎌を振った時の事だと気がついた。
「夢魔殿には麦穂に見えたようですね。あれは人が持つ可能性です」
「人が持つ可能性? ですか?」
「そうです。可能性を刈り取っています」
夢魔にはイメージ出来なかった。人は成長の中で可能性を増やし手に入れていると思っていた。しかし、死神の言う可能性は最初から備わっていると聞こえた。
夢魔の疑問に死神は気がついた。
「人は生まれ落ちた瞬間から可能性を失いながら死に向かって進むのです。例えば、あそこの赤ん坊をご覧なさい」
母親に背負われた赤ん坊がすやすやと眠っていた。死神が大鎌を一振りすると黄金色の麦穂が舞い上がりゆらゆらと死神の手の許に降りてきた。
「夢魔殿、これをお取り下さい」
麦穂を受け取ると、夢魔の中にイメージが流れ込んできた。赤ん坊が耳にする世界中の言葉が詰まっていた。
「世界中の言葉が詰まっています。これが赤ん坊の可能性ですか?」
「夢魔殿、世界中の言葉の中に日本語だけ入っていない事に気づきましたか?」
夢魔はもう一度麦穂のイメージを感じ取った。
「見落としていました。日本語がありません」
死神は満足そうに頷いた。
「あの赤ん坊はこれから先、日本語しか聞き取れません。外国語に接しても日本語の音としてしか理解できません。例えば右のライトと明りのライトの聞き分けが出来なくなるのです」
夢魔には日常生活で必要としない外国語の能力を失う事が赤ん坊の人生にどの様な影響を与えるのか見当がつかなかった。
「夢魔殿、俗物的な言い方をするなら、あの赤ん坊は外国語の成績が平均以下になり進学が不利になります。就職先に外資系を考える事すらしないでしょう。通訳や翻訳の仕事は勿論夢にも選ばないでしょう。その麦穂一つで失った可能性です。でも、まだ可能性はたくさん残っていますよ」
夢魔は努力によって夢を勝ち取っていくもの・・・。漠然とそう思っていた。
「こちらをお取りください」
死神は就活生から刈り取った二つの麦穂のうち一つを渡した。
夢魔は麦穂を掴むとイメージを感じ取った。
「第一希望の銀行でITエンジニアになるようですね。良い話に見えますが不幸になりますか?」
死神はもう一つの麦穂を渡した。
「教授の伝手でベンチャー企業に就職してITエンジニアになるようですね。どちらの人生がベターかは分からないですよね?」
夢魔から二つの麦穂を受け取ると一つの就活生に返した。
「夢魔殿は勘違いをされていると感じます。人の幸不幸に関心はありません。人が死を受け入れ生を諦めるようにするのが仕事です。言わば伏線を張り巡らせ。死の瞬間に全て伏線を回収する事が死神の仕事であり、この仕事の醍醐味です」
「あの就活生は、どちらの人生を歩むのですか?」
死神は手元にある麦穂を渡した。
「これはベンチャーの未来ですね。と言う事は第一希望の人生を歩めますね」
夢魔はなぜか安堵した。望んだ未来に進める事こそ人の幸せだと思っていたからだ。
「夢魔殿、ベンチャー企業の先にある可能性をご覧ください」
銀行の内定が貰えず教授に泣きついて入ったベンチャー企業で営業から開発まで全ての業務を熟さなければならない。仕事を教えてくれる上司も先輩もいない。客先に怒られながら技術力と営業力を身につけていったが、倒産。
「夢魔殿、続きを」
客に惜しまれ起業を決断。人の縁に恵まれて事業が成長していく。
「これが、失った可能性ですか?」
「はい。夢魔殿、人が死を受け入れ生を諦めるようにするのが死神の仕事です」
就活生が失った可能性では、苦労もしていたが人に囲まれ充実した日々を送っている様に見えた。少なくとも夢魔には幸せそうに見えた。
「就活生の手元に戻った可能性は・・・・」
第一希望の銀行に就職した後の就活生はどうなるのか? ドラマの続きが気になるのと同じ気持ち。
「夢魔殿、残った可能性が不幸と言う事でも確定した未来でもありません。有り過ぎる可能性に溺れない様に整えているのですよ」
夢魔は考えていた。夢に溺れ現実を見失い落ちていく人間を見てきた。あの人間たちは自分の見たい世界だけを見て自分が聞きたい事だけを聞いて自分が思った通りに動く相手だけがいる世界を求めていた。それは、死神に刈り取られた可能性を見ていたのかもしれない。
生まれた瞬間から可能性を削ぎ落とされ、残っている可能性を失うまいと握りしめても最後は全てを刈り取られる。
「全ての可能性を刈り取られ、残ったものは絶望ですね・・・・」
「夢魔殿は、個人の視点で物を言われている。たしかに個人から見れば我らは邪悪なものとしか映らないでしょう。しかしながら、種としての人間にとって我らは必要不可欠な存在です」
夢魔は考えていた。私には人間の時の記憶がある。だから私は人間の夢を弄ぶのだ。人間が崩れていく様を見るために本人が望んで進んでいる様に誘惑をするのだ。それを死神は人間に必要な事と考えている。
「死神様の思われる『必要不可欠』とはどの様なものでしょうか?」
「夢魔殿は、人の可能性が麦穂に見えました。一人一人個性があり一つ一つ違う可能性なのに全て同じ麦穂に見えたと言う事です。人間の側から見ている筈なのに同じに見えたと言う事です・・・・」
夢魔は頷くしかなかった。
死神は見ている範囲の違いに気がついたが、それは仕方がない事だとも気がついた。
「・・・・しかし、一人一人には個性がありますが太古の人間が永続していたらどうなるでしょうか? 新しく人が生まれ出る場所はありません。変わらない社会には可能性は存在しないのです。可能性とは変化の一面だからです。そして、個々の可能性を刈り取る事で、種としての可能性を広げる。刈り取られて出来た隙間があるからこそ次の命がそこで可能性を掴めるのです」
夢魔には腑に落ちない部分があったが、それが何なのか掴めていなかった。
死神は考え込んでいる夢魔を見ていた。考えが何処に辿り着くのかを見極めるかのように見ていたが夢魔の役割では無い事を思い出した。
「夢魔殿、これで失礼いたします」
死神は向くのを待つと、位相がズレるかのように見えなくなった。
夢魔は死神との話を思い返していた。全ての可能性を刈り取られた末の死と言うのなら、私はどんな可能性を持って生まれてきたのか? 今の私は最後に残された可能性なのか?
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