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23:古巣との戦い
しおりを挟む軍を通してバイソンテキサス社に問い合わせがあったのが始まりだった。
海洋には陸上から流れ出たゴミが風に流され海流に乗り海を渡る物もある。木星の模様のように渦を巻く海流に捕まるとその海域から出られなくなり浮島を形成するようになる。台風など激しい気象に晒され季節で変わる海流で離散集合を繰り返しながらも、海流で運ばれたゴミが浮島を成長させていた。
その中の一つ、南大西洋の浮島はゴミの供給量と海流の安定性で年々大きくなっていたが、今年の衛星写真では縮小傾向にある事が分かった。異常な何かを確認する必要があった。特に海流の変化は海軍の関心が高い事項だからだ。
当該海域で調査を進めていると、海洋調査船の移動に合わせ常に反対側にいるシロナガスクジラが発見された。ゴミの浮島から離れないシロナガスクジラに興味が行くのは自然な事だった。体形はシロナガスクジラに似ていたがダークグレーの体色。二頭での行動は群れとして少なすぎた。遺伝的特徴を調べる為に皮膚を採取すると、細胞と思われる組織は確認できたが核がなかった。細胞内の成分を分析すると金属有機化合物だった。その為、バイソンテキサス社に問い合わせが来た。
人工物であろう事は細胞組織を見た者の共通した印象だった。だからと言って人類の科学技術で造れると思う者もいなかった。私を除いて。
直感だった。バイオ研究の学会にも英国バイオ社にもいなかった。私の知る範囲で一人もいなかった。それなのに、ミス桂のイメージが過った。
在職中の彼女の発言、実験の履歴など人工生命体を前提に思い返すと示唆する発言、可能性を探る実験の痕跡に見えてくる。
日本人女性は何を考えているのか分からない所があった。他の研究者なら研究に没頭できる環境を捨てようとは思わない。出来もしないアイデアを誇示して会社にしがみ付く者が多いのに、実現可能なアイデアを隠して会社を去っていたとは。在職していれば、彼女が造ったと確信できる。しかし、彼女が帰国した日本には技術も設備もない。研究者が流出した日本に彼女に投資する企業もないだろう。
自分の直感を確認する事にした。環境保護団体のサイトを作りクジラの映像をネットに流せば環境保護団体のサイトを隈なく調べるIPアドレスが出て来るはず。
ビンゴだった。市町村レベルの特定で十分だった。西東京エリアと分かれば個人を特定したのと同じだった。ミス桂が住んでいるからだ。
現在の彼女を徹底的に調べさせた。職業が専業主婦と言うものらしいが、ソラナムのHNでネットにアップロードした讃美歌で荒稼ぎをしていた。一般住宅に収まりきらない設備の購入。一般住宅上限の電気使用量。個人レベルでは異常に高いと言っても研究チームには遠く及ばないレベルだった。彼女のハズバンドも調査した。真面目なようだが特筆するほどではなかった。
バイソンテキサス社から出向の二人から毎日レポートが送られてくる。日系で日本語も堪能で口も堅く役回りを巧く演じているようだ。彼にアイデアを出させる様に彼だけに責任が集中するように仕向けている。
彼の研究開発の進め方は一般的と同じだった。エンジニアでも仕事の進め方は同じようだ。しかし、彼が答えを見つける必要はない。身近な経験者に相談して答えを引き出せば良い。その為に彼を選んだのだから。
「社長さん、今週の報告をお願いします」
会社の命運より自分の命運しか考えない見本のような男だ。下を見る事がないヒラメ。と日本語のティーチャーが教えてくれた。
「今まで、水と炭酸ガスに電気を流す電極の材質や電圧を変えて開発を進めておりましたが、植物の光合成反応を参考に触媒の開発を進める事にしました」
二人からのレポートにも書かれていた。部長が葉緑体の反応プロセスを触媒開発の参考にすると突然の方針転換を決定したとあった。
「光合成反応とは葉緑体の反応プロセスを参考にしてアルコール合成を行う訳ですね?」
「はい、開発部長はそう言っていました」
無意識に開発部長を強調するのは処世術に長けている証拠だ。責任の所在を明確にする事で保身を図る意図が見え見えだ。
「既知の反応プロセスを参考にすれば開発期間も短くなりそうですね?」
「もちろん、そうなると信じております」
「分かりました。進捗管理は大事です。カップ麺のようにお湯を入れて待つだけでは上手く行きません。進捗管理を細かく行い必要なサポートを遅れなく行って下さい」
今日の報告は終わったと社長は安堵している。しかし、今日の本題はここからだ。
「ところで、社長さん」
表情が強張っていくのが良く分かる。
「推薦書類に開発部長の奥さんは優秀な方だと書いてありましたが、奥さんの支援が期待できるのですか?」
部下に丸投げで作成させたのだろう。勿論、内容を覚えていると思っていないが。
「私はそれに期待しましたが、協力は得られているのですか?」
「仕事の話は家庭ではしないものです。彼は優秀なので結果を出せると期待しています」
「そうですか。私も彼に期待しています。欲しいのは結果です。社長さんのサポートをお願いします」
激励の握手をすると社長を送り出した。湿った手と握手するのは気持ち悪いものだ。
~ ・ ~
仕事が行き詰っている時に同僚に相談し議論をする者は大丈夫だ。問題を言語化出来て違う視点を取り込んで打開策を見つけられる。仮に失敗だとしてもリセットして別の方向に進める。しかし、口数が減っていくのは危険だ。周りが相談に乗らない議論に応えない、追い詰められて自滅しかないと思い込む。
砂糖を多めに入れたココアを出した。
「ありがとう。モンブランは出ないの?」
口数が減っている割には、踏ん張っているみたいだ。
「部下は役に立っている?」
社長がポンコツなのは聞いているが、新人二人の話は殆ど聞かない。
「どうやら、部下じゃなかったみたいだよ」
訊いちゃったのね。みたいな皮肉を浮かべている。それ帰国したばかりの私みたいだ。あの時の俊くんは、黙って次の言葉を待ってくれた。
「社長に『嫁は優秀らしいよね?』と言われて悟ったんだよ」
「悟った?」
「ベンソンはクリスティではないかと。そこで社長の毎週の報告を労う事にしたよ。色々と愚痴を聞かされたけどベンソンの特徴はクリスティと重なったよ」
設立祝いで来たはずのクリスティがタクシーの中でも店の中でも俊くんとの会話が多かったのは俊くんが防波堤になってくれたからと思っていた。でも、私が技術を出さないと分かれば狙うのは俊くんになる。あれは面接だったのか。
「直接の報告をさせない。社長の報告だけで資金を出せるのは、部下だと思っていた二人が監視役と考えれば辻褄が合うよね?」
クリスティの性格なら自社にスカウトするだろうけど、リスクを考えたら町工場を買収する方が確実。タダみたいなものだし。
「触媒の開発自体は面白いよ。温暖化になる二酸化炭素を使って人類に必要な燃料を作り出せたら社会はもっと良くなると思うからね。でも、アルコールを合成する触媒は口実でしかないとも思っている」
俊くんは気がついている。クリスティが欲しがっているのはナノマシン。人工生命体になりうるナノマシンの技術が欲しいと。
「葉緑体を参考に触媒の開発を進めているけど、明日にでも完成させろと言わんばかりの圧力だよ。『会社の命運が掛かっている。同僚と同僚の家族が路頭に迷っても良いのか』と言うのなら専門家と提携させろと思うけど、それはさせてくれないし」
会社の命運に責任があるのは社長であって部長ではない。それに気づけなければ問題は解決しない。
「どうするの?」
考えがまとまっていないようだ。
「葉緑体を人工的に・・・。開発の話ではないよね?」
私の安堵が伝わったみたいだ。
「正直言って考えてなかった。でも、辞めて大丈夫なの?」
含みが大き過ぎて言葉に詰まるよ。たぶん、クリスティが手柄を独占するために手駒だけで動いているはず。町工場で開発をさせて英国バイオ社からもバイソンテキサス社からも見えない様にしているのが証拠だ。
「大丈夫だよ。クリスティ相手に油断をしていたけど、ちゃんとに備える。それに、生活費だって大丈夫だよ」
「ありがとう。問題は社長が簡単に辞めさせてくれないと思う。出来れば同僚に嫌われる辞め方はしたくない」
辞める選択肢に気がついた俊くんの状況は、まだ変わっていない。葉緑体を参考に開発を続けていた。部下の二人に主体性が期待できないのがはっきりした分、道具として使う事に躊躇いが無くなったと言っていた。
俊くんにもう少し頑張って貰いながら社長攻略法を検討していた。渉外担当の春陽の技量アップにも繋がるはずだ。しかし、弁護士を通して退職届を送り付けるのが現実的な解決策だった。弁護士を通して離職手続きをさせる。夏彦・冬花の意見も弁護士に依頼するものだった。
「ドクター、聴覚を活性化するナノマシンを使えないだろうか?」
議論の成り行きを聞いていた猫くんの提案だ。
「社長相手に聴覚を活性化しても円満退社に結びつくとは限らない・・・」
と、私の意見を遮ったのは冬花だった。
「ナノマシンを活用する猫くんのアイデアは、ありだと思います」
冬花は黒猫のアイデアを一花から八花と議論しながら私たちとの議論をしている。
「冬花たちの議論からアイデアが出そう?」
『活性化』が議論の流れを変えたけど、漠然とし過ぎていた。
「人間の本能を活性化したらどうだろうか?」
猫くんが言い足した。『本能』の一言で議論の方向性が見えてきた。ラボの中でテレビからの情報に頼っている夏彦・冬花とは違う視点だ。街中で人々を観察しているから出る意見のようだ。
「何が本能か分からないけど、ドラマにはヒラメや太鼓持ちと言われるキャラが無批判にトップに従っている。あれを再現できれば円満退社が実現するのでは?」
冬花のイメージが固まってきた。
「営業さんと話をしていると、肩書による序列がありますね。何が正しいかは序列で決まると言っていました」
議論の流れを黙って聞いていた春陽が口を開いた。
「人間の本能・・・、猫くんグッドジョブだよ。聴覚の活性化の応用で出来るかもしれない」
「ドクター、円満退社とどの様に結びつけますか?」
夏彦は社長を活性化する方法を心配していた。
「夏彦さん、たぶん私が役に立ちます」
春陽にアイデアが生まれたようだ。
社長室で春陽と待っていた。春陽がアポイントメントを取るとベンソン氏に一報を入れられる危険があったので、決裁のお願いとして時間をとって貰う事にした。
「忙しい中、申し訳ありません。こちら海洋研究所の飛田春陽です。触媒の開発について提案があるので同席して貰いました」
春陽は、社長と握手をすると名刺交換をした。
「本日はお時間を頂きありがとうございます。弊社の桂真理子よりの提案を持参しました」
社長は嫁の名前を聞いて事態を把握したようだ。怪訝な表情から勝利を確信したように変わった。
春陽はプロジェクターを使って説明を始めた。基礎的な部分に始まり電気を反応エネルギーに使い触媒の連鎖反応でアルコール合成が可能だと、もっともらしい説明を三十分ほど行った。
「如何でしょう? 私の提案を受け入れて貰えますか?」
やや高圧に春陽は回答を求めた。
「飛田さんの言う事なら、もちろん受け入れます」
受け入れるのが当然のように社長は返事をした。
「もう一つあります。岩井俊の退職手続きを進めて下さい。開発の後任は穂村氏と黒鉄氏で大丈夫でしょう」
「分かりました。総務に伝えてやらせます」
「もう一つ、総務の担当者以外に知られる事なく秘密裏に進めて下さい」
「大丈夫です。飛田さんの意に反する事はしませんよ」
社長と春陽の会話を聞きながら序列本能の怖さを実感した。握手の時に注入したナノマシンが脳に定着するまでの変化が見て取れた。特にヒラメや太鼓持ちと言われる人種ほど強い作用が起きるらしい。自分も暴露しているが春陽相手に遜る事はなかった。
気がつくと春陽を社長と二人で玄関までお見送りになった。
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