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13:アジサシから

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 窓を開けると物干し竿に黒い鳥が留まっている。烏ではない。渡り鳥の様に羽根が長いが、と見ている間も逃げる様子がない。人慣れしているのだろうか?
 冬花が隣に来ていた。ラボから出るとは珍しいと思っていると、黒い鳥は冬花の肩に留まった。
「アジサシが戻ってきたのか?」
 と、半ば独り言のように冬花に訊いてみた。
 こちらを一瞥すると
「助手くんも付いてくるか?」
 相変わらず、扱いがおかしいと思うがここは大人の対応をしておく。
「勿論だ。放流に携わったのだからクジラの今を知りたいと思うのは自然な考えだよ」
 と、教育を兼ねて言ってみるが反応がない。でも付いて来るかとは訊いてくるのは周りに気遣いできる証拠だと思うが・・・・。生まれて数か月と見るべきか外見通りの小学生と見るべきか。子どもの教育に疎外感が覚えるが子どもじゃないと言えば子どもじゃないし。
「助手くん、置いてくよ?」
 押し入れのところで冬花が待っている。
「そうか、マイペースだなこれは」
 素直に付いて行く。

 ラボは相変わらず湿度が高い。培養槽にはモニターが取り付けられ稼働状況が確認できるように変わっていた。
「やぁー」
 足元に黒猫がいる。猫が挨拶したのか? 『にゃー』の聞き間違いか?
「ちゃんとに聞き取れたかね?」
 こっちをずっと見ている。
「え・・・・、聞き取れたが人間に話しかけたら捕獲されるぞ」
 猫の表情は分からないが、不思議そうに見ている。
「大丈夫だ。ドクターと助手くんにしか使わない」
 ここでも『助手くん』なのか・・・・。ドクターではないのは分かるが、夏彦・冬花と同じ扱いなのか?
「まぁ、生きていれば良い事もあるさ」
 黒猫は足に身体を押しあてながら言った。出来たての黒猫に見透かされて人生語られても妙に虚しい。
「ありがとな」
 と、いちお言っておく。それより黒猫がいるのは何故だ? ネズミくんが怖がるから造らないと言っていた記憶があるが・・・・。
「にゃー」
 それは秘密だと言わんばかりに一声鳴くと行ってしまった。

 真理子さんはアジサシを解析装置にセットしていた。解析装置と言っても熱帯魚用水槽を培養槽にしたものだ。そこにアジサシを沈めるとイソギンチャクの様なものから伸びた触手がアジサシを取り囲んだ。B級ホラー映画の一場面の様な展開に夕飯に麺類は食べられないなと思うのだった。冬花はパソコンの前で準備を見守っていたが、合図を受けるとアジサシとコンピュータのデータリンクの確認を始めた。
「三羽送り出したと思っていたけど、残りの二羽はどうしたの?」
 作業の合間を見計らって訊いてみた。
「残りの二羽はクジラのアップデートで吸収されたはずだよ」
「クジラのアップデートで吸収?」
 パソコンの場合、脆弱性や新機能追加のためにネット経由で行うあれだ。でも、生物のアップデートって何だ?
「クジラは単純にゴミ処理をすれば良いと思っていたけど、今回の映像で好奇心への備えが必要だと感じたのでね。同時に人類の悪意や敵意への対抗にもなる。そこで、偵察用のアジサシをクジラでも生成出来るようにしたの」
 クジラがアジサシを産むと言う事なのか・・・。イメージが追いつかない。
「冬花、映像出せる?」
「ドクター、もう少し待ってください」
 と、操作を続けている。もう少し間がありそうだ。
「教育は順調に進んでいるみたいだね?」
 思うところは色々あっても助手としての姿には安心感がある。
「助手としては十分戦力になっているよ。どの装置も扱えるから。でも、データの評価は表面的だから色々な経験をさせて洞察力を身につけさせたいと思っているよ」
「二人の社会性は?」
 実験助手と割り切れば動く人工知能でも良いが人型である以上、人らしさを求めてしまうものだ。
「最初はテレビを見せていたけど害しかなかったわ。特にバラエティー番組はロジックがなくワァーワァー騒いでいるだけで害しかなかった。映画はピンキリ。古い映画の方が作り込まれているけど差別的要素が多くて現在の人権感覚と隔たりが大きいわ。結局ミステリーがロジックや人間関係とか学べる要素が多いかな。どうして?」
 なるほど、自分の位置づけが分かった気がする。
「僕に対して被疑者扱いと言うか・・・・、外の世界は見せるの?」
 厭な予感がした。『良く気がついたわね』と言われかねないから、話題は逸らしておく。
「その予定。簡単な買い物はお願いしたいからね」
「経験は大事だよ。可愛い子には旅をさせろと言うからね」
 今後に期待したい。

「ドクター、お待たせしました」
 冬花は、メインモニターにアジサシのデータを映し出した。
 アジサシはアパートを出ると真っ直ぐ東京湾から房総半島を越えて太平洋に出た。データがタイムラプスになっている。天気が良い日は空を飛び、夜間や荒天の時はコンテナ船の隙間に潜り込んでいる。広い太平洋と言っても経済活動を支える船舶が航行していて羽休めに丁度良い飛石のように存在していた。パナマ運河に入ると数珠つなぎのコンテナ船を飛び越え大西洋に入った。大西洋でも天気が良い時は空を飛び、夜間や荒天の時は船の隙間に潜り込んでいた。
「船が違う方向に行く心配はないの?」
 無事に戻って来たから大丈夫だったのは分かるが外観だけで行き先が分かるとは思えなかった。
「アジサシが船舶追跡サイトにアクセスしているから間違わないよ」
「フライトレーダーの船舶バージョンのあれ?」
「そうよ。ネットに繋がるから他の船舶の位置も分かるし気象データも取れるし、使えるものは何でも使っているわ」
「それなら、戻ってこなくても映像をアップロードすれば早かったのでは?」
「最初はそれも考えたけど、潜り込めてもログデータは残るからね。そのアクセス先が全部ここだったら直ぐにバレるよね。緊急の時以外は使わないようにしてあるの」
 電気代の方が疑われると思うけど、ネットの方が足が付きやすいのは分かる気がする。でも?
「誰かに疑われているの?」
 一瞬、きつい目になった。
「ナノマシンも遺伝子改変も既存技術なの。多くの大学や企業が研究している分野なの。その目標の一つが人工生命体。どこの組織も開発に鎬を削っているけど見つけたのは私だけで他の人は答えがある事さえ知らない。でもクジラは答えの存在を示すものなの。何よりも開発者がいる事を示すものなの」
 見ている先の違い、ハンドメイドの意匠侵害とは違う奥深さ闇の深さを感じてしまった。
「ドクター、目標海域に近づきました」
 丁度良く冬花が話題を変えてくれた。
 モニターには穏やかな青い海がどこまでも広がっていた。アジサシにもクジラにもGPSが組み込まれているが相手の位置情報が分からなければ見つけ出す事は出来ない。この海域でクジラを見つけるのは砂浜に落としたダイヤを探すぐらい難しいはずだ。
 アジサシは上昇気流を探すと高度を上げていった。無暗に飛び回らずに高度を上げて視野を広げようとしているのが分かる。
 アジサシの視界に青くない物が映り込んだ。アジサシは進路をそちらに変えると飛び続けた。青くない物のは砂浜だけの薄く広がる島に見えたが、近づくにつれ巨大な浮遊ゴミの集合体だと分かった。海流の袋小路に集まったゴミはゆっくりと回転しながら成長を続け街一つ呑み込むくらいになっていた。
「島に見えていたのが全部ゴミだったとは・・・・」
「私も、分かっていたつもりだったけどこれ程大きいとは・・・・」
 クジラたちは一ヶ所のゴミを食べ尽くすと次のゴミの場所を探し移動する。それを延々と繰り返す様に造ってあったが、食べきれないほどの浮遊ゴミでは食べ過ぎで問題を起こすかもと思わずにいられなかった。
「クジラは食べ過ぎると太るの?」
 モニターに釘付けになっている真理子さんも、同じ事を考えていた様だ。
「メンテナンス機能が定期的に動くから、食べ過ぎはない筈だけど処理オーバーは考えてなかった・・・・」

 隣りで冬花が淡々と作業をしている。と、映像を止めモニターを指さした。浮遊ゴミが不自然に揺れる場所があった。アジサシはその場所に近づいて行った。
「あれは、クジラだよね?」
 ゴミを押し分けクジラの背中が浮上した。
「思った以上に大きくなっている。三十メートルぐらいかな? シロナガスクジラと同じぐらいに成長したんだね」
 大きくなった我が子を見上げて喜ぶ母親の様だった。わずか十センチほどで放流し無事に育つと信じていても、肉食魚からすれば一口だった。数メートルに育っても鮫や鯱の脅威は残る。肉食魚の脅威が少なくなっても、漁網に掛かれれば脱出は難しい。スクリューに巻き込まれればスライスにされてしまう。時化た海では海面下と言え揉みくちゃにされてしまう。
 苦難の旅を終え目的の海域で役目を果たしているのは、正しく大人になった我が子と同じだった。
「もう一頭は?」
「モニターに映ってないけど、近くにいます。アジサシが認識しているとログが残っています」
 冬花の普通な返事に感動を覚えつつも、まだ疑問があった。
「今回はゴミの中にクジラがいるけど?」
「船が近づくとゴミの海域から離れるようにしていたの。ゴミの傍にいたら怪しまれるでしょ?」
「用心深いね」
「こちらの体制が整うまでは慎重に慎重を重ねないと。それでも、いづれ誰かが気がつくものよ」
 映像が等速に変わった。一羽のアジサシがクジラの背に留まると動かなくなった。
 真理子さんを見ると、モニターを指さした。
 クジラの周りを旋回するアジサシの視線の中心には背中に留まったアジサシがいるが、見るポイントが分からない。
「あ!! アジサシが融け込んでいる」
 潮が満ちて水没する様に足元からゆっくり吸い込まれていた。アジサシは生き物としての反応は何もなかった。動かないと言うより剥製が置かれているようだった。
「背中から吸収されるなんて、気持ち悪い。まだ、口から吸収される方がマシだよ」
「それだと、ゴミと区別がつかなくなるからね」
 妙に冷静に返されると言葉がない。確かにゴミとの区別は大事だけど、クジラを造る時にここまで考えていたとは。
「クジラ製造の時にアップデートの事まで考えていたの?」
「漠然と、コンピュータアプリみたいに脆弱性の改善やバージョンアップは必要かもと思ったけど具体的には考えてなかったよ」
 アジサシを吸収したクジラは、変化の兆しもなく波に漂っていた。もう一頭のクジラはアジサシの視界に入るところでゴミの処理を続けていた。
 映像はタイムラプスに戻りアジサシはゴミの上で夜を過ごし明るくなるとクジラを視界に捉えつつ周辺を飛行していた。アップデートしたクジラは波に漂うばかりだった。
「アップデートしたクジラは大丈夫なの?」
「動かないけど大丈夫だよ。このアップデートで通信機能とアジサシを追加したの。だから時間が掛かっているの」
「アジサシを追加? 食べたじゃなくて・・・」
 通信機能の大切さはアジサシの飛行を見て良く分かった。嵐をコンテナ船で凌ぎ、休憩の時も目的地に向かって移動している。でも、アジサシを追加とは?
 こちらを見る真理子さんがドヤ顔に変わった。
「アジサシを造れるようにしたの。アジサシはドローン兼中継器となって理論上では地球のどの地点でも視覚する事が出来るようになるの」
「今のドヤ顔のポイントはそこじゃないでしょ?」
 ニンマリすると、
「百聞は一見に如かずよ」

 クジラが動き出した。アジサシを吸収してから一週間ほど過ぎていた。
「ドクター、クジラのアップデートは正常に終了しました」
 と、冬花が報告した。
 クジラが泳ぎ出すと浮遊ゴミを食べ始めた。口を大きく開けるとゴミが流れ落ちるように吸い込まれて行く。海水を濾し出すと口を大きく開けゴミを吸い込んでいく。本物のクジラがオキアミの群れを一網打尽にするように食べている。航跡のようにゴミのない場所が出来ると小魚が見え隠れした。時おり、鼻から呼気が上がった。
「呼吸をしているように見えるね」
「呼吸と一緒かも? 呼吸もゴミ処理も化学反応だから。それより、これを見てくれる」
 真理子さんは冬花にアイコンタクトした。
 アジサシの視界に窓が開きクジラの視界が映し出された。浮遊ゴミの下には沿岸魚、回遊魚など同じ場所に居合わせない魚が集まっていた。
「あの魚たちは何を食べて生きてるの?」
「クジラが分解したゴミが周辺のプランクトンを繁殖させているの。それが餌になって食物連鎖を作っているはずよ」
「砂漠の真ん中のオアシスみたいだね」
「もう一つ見せ場があるのよ」
 と言うと真理子さんは不敵な笑みをした。が、それで分かってしまった。本棚にあるどれかをオマージュしていると。
 また、クジラが動かなくなった。クジラの心配はしていないが自分の心配をしている。この後に何を見せつけられるのか。アジサシが出てくるのは分かっているが、扉が開いて出てくるとは思っていない。口から飛び出してくるのは普通過ぎてなさそう。
 クジラの背中におできの様な膨らみが出来ると、あっと言う間に風船のように大きくなり液体をぶち撒けた。黒いアジサシが浮かび上がるとそのまま飛び立った。
「あ・・・・、二羽だから堪えられたかも。クジラに吸収されるアジサシよりこっちの方がエグイね」
 となりで頷く真理子さん。僕たちの遣り取りを不思議そうに見ている冬花だった。
「帰路の映像も見る?」
「その前に、もう一頭のクジラのアップデートはしないの?」
「このアジサシはクジラの近況とアップデートの動作確認が目的だからもう一頭のクジラの確認はしなくても大丈夫なの」
「他のクジラたちもアップデートするの?」
 答えるまでもなく気持ちは固まっているようだ。
「最初は海洋生物のために人知れずゴミ処理を頑張ってほしいと思っていたけど、現状の確認は大切だと思い知ったわ。連絡が取れなければ効果の確認が出来ないし、適切な支援も出来ない。だから、残りの四海域のクジラもアップデートする」
 アジサシのデータ処理を続けている冬花を見ながら続けた。
「夏彦は培養槽を増やす作業をしているから、直ぐにでもアジサシを造り出せるわ。早く他の海域のクジラも確認しないとね」
 次から次へと課題が見つかる。でも、今一番必要なのはそこじゃない筈。
「真理子さん、クジラたちの頑張っている姿を確認できたから、上でコーヒーでも飲みながら讃えましょう」
 冬花はこちらの会話に関心を示さず作業を続けている。
「どうでしょう。冬花と夏彦にもコーヒーを用意しましょう。みんなで一息入れるのも社会性の教育に役立つかもしれませんよ」
 真理子さんは、何かに気がついたようだ。
「ありがとう。二体に休憩は必要なくても、そう言う時間から学ぶものも多いわよね」
「冬花、夏彦。コーヒーをご馳走になりましょう」
 冬花は、途中までのデータ処理をセーブすると近づいてきた。
「助手くんはコーヒーを淹れるのは上手いのか?」
「僕の入れるコーヒーは美味いよ」
 と言ってみた。冬花はなにやら考えていたが、聞き流す事にしたようだ。
「茶菓子は用意してあるのかね?」
 と、純粋に質問してくる冬花を見ながら外に出す前に僕が常識を教えようと心に誓った。

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