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6:和牛のステーキ

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 今日は僕の誕生日なので、真理子さんが夕飯の準備をしている。何を作るかは秘密と言っていた。狭い台所だから凝った料理を作れないのは良く分かっている。ここは本を読みながら静かに待つ事にしよう。
 そう思っていたけど、食材の匂いや調理の音が現実世界に引き戻してくる。小さい部屋だから匂いや音から逃れようがないのは仕方がない。

 仕方がないので、読書を止めてメニューを推理する事にした。
 ご飯は炊いているから、主食はご飯。味噌汁は冷蔵庫の中身を考えると玉ねぎを具として作るはず。メインのおかずは・・・たぶんステーキのはず。夕飯のリクエストを一月前に訊かれた時にそう答えたからだ。しかし、その翌日に一人分のステーキ肉を分けて食べている。まさか、あれでリクエストに応えた事になっているのかも。でも、言ったのはお腹いっぱいステーキを食べたいだった。一人分を分けて食べただけでは応えにならないはずだ。
 ちょっと待て、ステーキに味噌汁なのか? でも、今のところ味噌の香りは流れてこないし、料理の最後で味噌を入れていたはず。となると、味噌汁かスープかは判断つかない。食材の匂いで考えるのは難しい。

 予算からアプローチすると和牛ステーキに答えが行きつくか? で考える方法もあるな。まず、マンドレイクの再生回数は順調に増えている。お気に入りの登録数も増えている。一回目の再生のハードルを心配していたけど衰え知らずだ。スピーカーの問題も広告収入を見ると関心が高いようだ。マンドレイクの効果が広まれば相乗効果で収入は更に増えるはずだ。順調な証拠に大阪湾まで海洋プラスチックを食べるクジラを運んだばかりだ・・・・。
 そうだ、収支バランスを忘れていた。収入があればこそのナノマシン集合体のクジラの開発だ。ラボには熱帯魚用の水槽が大小何種類もあった。そもそもラボがあんなに広かったとは、あの時は懐中電灯だったからホントの広さに気がついていなかった。今は・・・・、明るいから気がついたって事は電気代もバカにならないって事だ。
 マンドレイクの収入は分からないけど、ラボの設備と電気代が支出なのは間違いがない・・・・。夕飯を待っている間に、落ち込む事しか思いつけない。
 でも、研究の成果が出ているのなら応援しなくちゃ。頑張って残業しよう。前倒しで処理をすれば会社にもメリットがあるしな。電気代を稼がねば・・・・。ステーキに浮かれている場合じゃない。夕飯づくりも頑張ろう。朝に仕込みをしておけば僅かな時間で夕飯を並べる事が出来る。多少の残業なら夕飯時間は同じに出来るしな。
「お待たせ!」

 こちらの不安を吹き飛ばすように、出来上がった料理を運んできた。
「リクエストの通り、和牛ステーキよ」
 分厚い霜降り肉に滲み出る肉汁。アメリカ産の牛肉では味わえない、柔らかく口の中で熔ける様なお肉・・・。口の中は迎い入れる準備が既に整った。
 が、ちょっと待て、分量だけでも一月分の食費が飛びそうな値段に見える。大丈夫なのか? それほどマンドレイクは稼いだのか?
「焼き方は、こないだ練習したから完璧よ。冷める前に食べてね」
 信じられない。一生食べる事はないと思っていた和牛のステーキが予想を超える分量で目の前にある。
「買ってきたの?」
「そうだよ」
 確認せずにいられない現実だった。
「ソースは何が良いのかな?」
「霜降り肉だから、シンプルに醤油で良いと思うよ」
 そう言うものなのか。
「いただきます」
 フォークを刺すと、肉が収縮した。
「す・凄い、薄っぺらい肉とは訳が違うね?・・・」
 ナイフを当てるとハンバーグを切るような柔らかさ、捻じれるように肉が収縮すると湧き出るように肉汁であふれた。
「あ・・・、厚みがある肉は、薄っぺらい肉とは訳が違うんだね」
 肉の声なき悲鳴が聞こえてくるようだ。でも、真理子さんは美味しそうに食べている。
「これが和牛なのか・・・・。まるで生きているみたいだ」
 キラキラ輝いた瞳でこちらを見つめる真理子さん。
「こないだ買ったお肉を培養したの。冷凍していない国産のお肉だから活性細胞が沢山あったわ。活魚ならぬ活肉よ。他では味わえない私だから振る舞える究極の逸品よ」
「ありがとう。間違いなく逸品だよ。味は凄く良い」
 僕の反応に満足そうに頷いている。
「だって、俊くんの誕生日だから」
 そうだ、今日は自分の誕生日だった。
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