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1:マンドレイクの栽培

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「ただいま」
 アパートのドアを開けると下駄箱も置けない玄関に資源ごみに出す段ボールが畳んで置いてあった。箱の表示は英語、運送屋の送り状も英語、どこからどう見ても海外通販の段ボールだった。何を買ったのかは分からなくても、米袋が入るような大きな段ボール。胸騒ぎがした。
「おかえり、夕飯もう少しね」
 最近はご飯を作ってくれるようになったけど、まだまだ。本人には内緒だけど。
「何買ったの?」
「土、培養土」調理の手を止めずに答えた。
「培養土? 海外から・・・・、ご禁制の品では?」
「詳しいのね。でも、大丈夫よ。陶芸用の粘土として輸入したから」
 と、サラリと言う。ここは驚かないといけないポイントかもしれない。
「培養土って、何か育てるの? カブトムシ?? と、言うか輸入してまで必要なの?」
「栽培の決め手は土の質なのよ。この培養土を使わないと可愛く育たないのよ」
 真理子さん視点で可愛い植物? って想像が出来ない。
「花農家の真理子さん、植物のお世話はトラウマになったんじゃないの?」
 子どもの頃から家業を手伝わされていた。その植物に最適な水をやる時間、間隔、量を徹底的に叩き込まれ、その植物が好む千差万別の土壌を叩き込まれ、植え替えの時のデリケートな根の扱いを叩き込まれ、大人顔負けのスキルを身につけた時には、植物嫌いになっていた。それがあって中学からは部活と勉強漬けの日々を送り、今の真理子さんが出来上がったのだが・・・。
「あ・・・・そうね。でもね、この子たちはそれを覆す可愛いさがあるの」
 一瞬、瞳の奥に計り知れない闇が広がった時には・・・・、包丁を持っている時に話しかけた事を心底後悔した。が、笑顔が戻った。
 「見て見て」とベランダに連れて行かれた。
「ちぢみほうれん草に似ているような?」
「確かにそうね。ほうれん草です」と断言した。
 ニコニコとほうれん草を見つめる目が怖い。絶対にほうれん草じゃないのは分かるけど、厭な予感しかしない。


 培養土が届いてから、お世話に余念がないみたいだ。特に日当たりを好むらしく陽の位置に合わせてプランターを動かしているのが分かる。かなりの重さのはずなのに、厭わずお世話をしている。
「ベランダより、駐車場に置けば?」
 真理子さんの頭の上にエクスクラメーション・マークが出ている。
「日当たり良いし、駐車する時に取り込むよ」
「それは嬉しい提案だわ。蕾も出てきたからもう少しなのよ」
 紫の蕾が膨らみかけていた。来週くらいには咲くのかもしれない。通販で取り寄せてまで買った植物にどんな花が咲くのか興味津々だった。
 でも、その前にご近所で問題が起こっていた。夜な夜なうめき声が聞こえるらしい。犬のうめき声ではないらしい。発情期の猫と言う話があるらしい。虐待で子供がうめき声を上げていると児相に電話した人もいた。と聞いたばかりだった。
「ねぇ、真理子さん。夜中のうめき声が噂になっているけど、聞いたことある?」
「うん、ご近所で噂になってるね。でも、俊くんは聞いたことあるの?」
 ん?・・・・思い返してみても、それらしいのが思いつかない。
「聞き覚えがないな・・・? 今『うん』って言わなかった?」
 視線が、おかずに行くと迷い箸になっている。
「まさか、あの植物がうめき声を上げているとか?」
 おかずをご飯の上に取るとゆっくり咀嚼している。ちらりとこちらを見る視線が図星と言っている。
「さすがね、実はマンドレイクなの。可愛いでしょ」
「え・・・まさか、引き抜いたら死んじゃう奴?」
「あれは、おとぎ話の世界の事で普通はうんともすんとも言わないのよ」
 このおかず、ちょっと味が濃いような・・・。おとぎ話は作り話だから死んじゃうのか?
「普通は? 普通じゃない特別があるの? まさか、培養土」
 満面の笑みの真理子さん・・・、完全に開き直っている。
「今日は、特別に冴えていますね」
「真理子さん、ご近所にバレたら不味いでしょ?」
「そうね。今日からリビングにシートを敷いて置く事にする」
 嬉しそうにご飯を食べている真理子さんに違和感しかない。特別に冴えているって、この事態を予見していたかのような言い方。まだ何かありそう・・・まさか五月蠅くて眠れないとか? とりあえず、寝てしまえば大丈夫。そこまで五月蠅い様ではないしな。


 これは夢の世界だ。知らない街、知らない建物、誰もいない路地・・・・知っている。前に夢で見た街だ。そんな事はどうでも良いんだ。黒い物体が自分を探して彷徨っている。黒い物体が何かは分からない。ただはっきりしているのはヤバイ、見つかったらヤバイ。直感だった。
 瓦礫の陰に隠れてやり過ごす。気がついている様子はない。だからと言って逃げ切れる保証なんてない。気づかれた瞬間でアウトだ。なるべく離れなくては安心できない。こちらから見えると言う事は、向こうからも見えると言う事。なるべく遠くに逃げれば、追って来れない場所に逃げれば・・・・目覚めれば逃げ切れる。
 夢の世界では身を隠しながら、身体を無理やり引き起こした。
 自分の家にいる。大丈夫だ、夢から生還した。部屋の中を見渡し黒い物体がいない事を確認すると、身体の力が抜けた。ホントの恐怖を初めて知った気がした。
 ふと、隣を見ると真理子さんも目を見開いたまま汗まみれで起きていた。どんな夢を見ていたかは分からないけど、自分の夢と大差ない恐怖なのは想像に難くない。

 甲高い笑い声と野太い笑い声が聞こえた。風がないのにゆさゆさと揺れるマンドレイクからだった。悪夢より恐ろしい現実かもしれないと背筋が凍った。
「真理子さん、家の中には置けないね」
 と、言っても返事が来ない・・・・。恐る恐る見るとまだ放心状態のままだった。
「大丈夫?」肩を揺すってみた。
「ふふふふ・・・・、あははは」膝を叩きながら笑い出した。
「思った以上の効果だわ。これで楽しい夢が見れる」
 と、言うと崩れ落ちるように寝てしまった。この状況で一人残されても朝はまだまだ遠い。
「仕方がない」
 マンドレイクのプランターをベランダに戻すと窓を閉めた。近所には猫の喧嘩だと言っておこう。
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