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60話~短編
短編 希望の呪縛
しおりを挟む挫折
占いを信じていいのかな?
学生のころは占いの結果に一喜一憂していたけれど、当たった例がなかった。今日に限って、なんで占いなんかに頼ったのだろう。
お弁当を買いに来たお客さんが話をしているのを聞いて、お店を持っている未来を知れば頑張れるかな? 出店場所とか色々と分かっていたら・・・カンニングするみたいに分かっていたら、頑張り続けられるかな? と思ったのに・・・・、それが間違いだったなんて。
あの占い師、初対面のはずの私の過去をあそこまで正確に言い当てていた。占い師との会話を思い返してみても、よく聞く曖昧や誘導もなかったと思う。それなのに、過去の部分は当たっている。ひどい目に遭ったのも事実だ。
でも、未来は・・・・、当たっているのかな? 占い師の眼差しは真剣だった。覚悟を持って伝えようとしていた。あの向き合う姿勢を信じたい。
全てを白紙に戻せと言われても・・・・。この歳でゼロからスタートしろと言われても・・・・。
「運命にも片思いがある」
占い師の言葉が頭に焼き付いて離れない。淡々と話す言葉は事実を述べているに過ぎないと言わんばかりだった。
夢の叶わない未来・・・・。
~・~
あの頃は漠然と、入社して、社内恋愛して、寿退職して・・・、それが常識だった。クラスメイトも、同期もみんなそうなった。だから、私もそうなると思っていた。
えり好みをしていないと思う。職場の男性と食事に行った事もあった。休日に会う事もあった。でも、『あ、違う』と気付いてしまうと、次には続かなかった。心配した友人が紹介してくれた男性も、かあさんが持ってきた縁談も、会ってみたけど『あ、違う』と気がついてしまう。どの人も私を気づかい優しくしてくれた。それなのに、何か『違う』と感じてしまった。あの頃、分からなかったのは自分を分かっていなかったからだ。
入社した頃は、まず朝一番に着て、遅くまで残業をしていた男性社員の湯飲みを洗い、机の灰皿を洗っておく。始業前に終わらせておかないと給湯室で先輩から指導が入った。
その後に会社ならではの仕事が始まるのだった。常にメモ帳を手に一つ教わっては書き残し、お昼になったらご飯を食べながら午前中の復習をする。だいたいの職場用語は常識から推測して仕事をこなしてきたけど、
「ゼロックスして」
初めて聞いた時には、何をどうしたら良いのか皆目見当がつかなかった。身動きが取れずに固まっていたら先輩に小突かれた。「複写機で複写して」と言う意味だった。
「焼いて」
と、言うのも何をしたら良いのか皆目見当がつかなかった。唯一想像できたのは「機密書類だから焼却処分」をする事だった。でも、これも「複写して」と言う意味だった。ビルの中にあるはずのない焼却炉を探して回っている時に先輩が気付いてくれなかったらと考えると、今でも冷や汗が出てくる。それからは職場用語の一覧表を作り一言覚える度に書き加えていった。
そして、職場用語より苦労したのは、和文タイプだった。二千文字以上が並ぶ表から右手のレバーの小さい四角のマスを合わせると、左手のレバーで打刻する。一文字打刻するたびにミスをした時の取り返しが大変になっていく。ミスをしないように考えるほどに何度も文字を確認するようになっていた。それでも、高価な器械の扱いを任されている事が社会人になった実感ができてうれしかった。
四月が来て次の新入社員が入ると、教わる立場から教える立場になった。
「新入社員のみなさんは、今日から実務を通して仕事を覚えて貰います」
と、言うと彼女たちに小冊子を配った。上司の許可を頂いて和文タイプで清書した私のノートだった。
「みなさんの役に立つと思い一年をかけてまとめました。少しでも早く仕事を覚えて職場の役に立つように頑張って下さい」
彼女たちの緊張は、去年の自分を見ているようだった。たった一年の違い。一年間でこれ程までに変われるとは彼女たちの初々しさが今の私の成長を教えてくれた。
小冊子を使った手順の説明に、彼女たちからは、
「小冊子のお陰で二度三度訊かなくても繰り返し確認できました」
指導役の同期からは、
「説明の難しい所が、簡素にまとめられていて助かった」
みんなの役に立っているのは嬉しかった。
四年目も指導役のリーダーが回ってきた。劇的な教育期間の短縮の所為で私だけが四年もやる事になった。後輩が新しい仕事や長期プロジェクトの一員として活躍しているのに私だけ入社二年目と一緒になって教育係の仕事になっていた。教育期間短縮と言う会社の役に立つ実績を作ったのに、その先の仕事を任されない。上司に相談しても、
「君にはリーダー役があるではないか。一つの仕事を任されている事に自信を持ちなさい」
と、言われてしまった。上司の本音が、みんなが敬遠する仕事だから入社二年目にやらせまとめ役を押し付けられる丁度いい人員がいた。それが私だったと気づいてしまった。
それでも、夏が終わる頃にはリーダー役から解放され、長期プロジェクト以外の仕事が回ってくるようになった。だからと言って、都合よく夏の終わりから始まり春に終わる仕事がある訳でもない。結局、タイピングが早いからと後輩と一緒に清書の仕事をやらされる事が多かった。
清書と言っても、タイピングをするだけではない。男性社員の手書きの企画書に課長が赤ペンで修正した原稿だった。赤ペンの下に判読困難な癖字を読み、企画書の体裁が整うようにレイアウトを考えながらタイピングをしていく。こんな事を繰り返していたら、企画書の構成が理解出来るようになった。
ある時、後輩が企画書をタイピングしている横で、その企画書が読みやすいように再構成して課長に両方を提出してみた。
「この企画書は誰が書いた?」
「元の企画書を参考に、伝わりやすいように再構成しました」
課長は暫く考えると、
「預かっておく」
と、机の引き出しに仕舞った。
当時は知らなかったけれど、私が書き直した企画書で会議が進められ、大きな反論に遭う事なく採用された。元の企画書を作成した男性社員は課長が書き直したと思っていた。
今度は会議資料をゼロックスしていた時に、新プロジェクトの立案を求めている事を知った。『売り上げが右肩上がりになるのは当たり前。競合他社を追い抜いてこそお客様から認められた事になる』部長が変わる度に発生する議案だった。部下から見れば、この議案で点数を稼げば出世に繋がると言う事だった。
競合他社を抜いて市場占有率を高める。日々の企画書のタイピングと裏付けとなる資料のゼロックスで必要な知識は身についていた。今までの資料を読み解けば一つの方向性を示している。それにアイデアが私にはあった。
課長に渡す資料と一緒に、市場占有率を上げる企画書を提出した。
「私なりのアイデアを企画書にまとめてみました」
課長は受け取ると企画書に目を通していった。時折、添付資料の数字も確認をしていた。
「これを一人で作成したのか?」
「はい」
暫くの沈黙・・・の後、
「いつ作成した?」
「お昼休みにコツコツと進めました」
課長は厄介なものを渡された・・・・、そう言う表情を隠していなかった。
「君は、この企画書をどうしたい?」
「え・・・」
作成する事が目的だった。ただ結果を見たいと言う思いがないと言えば嘘だった。
「企画書の作成と実行はセットの仕事だと言う事は知っているね?」
「・・・はい」
「それで、君はこの企画書をどうしたい? 会社のために役立てたいか?」
「はい・・・」
「分かった。預かっておく」
確かに、男性社員は夜遅くまで働いて、朝は私たちよりも早くから働いている。でも、昼間は思案中とかいってタバコを吸っていたり、喫茶店で息抜きしていたり・・・・。あの姿を見ていて同じにはなれないと思っていた。だから、心のどこかで企画書は作るだけでいいと思っていた。
あの企画書を出してから、企画会議の議事録係になった。企画書の作成は黙認されるようになった。
でも、そこまでだった。
~・~
一般職の女性が数を減らす中、全ての会議の議事録係が私の仕事になった。
課長の隣の席に座り、各自が担当した企画書に沿った報告を要約する事。それに対する課長の指示を書き残す事だった。会議とは名ばかりの上意下達の場であった。私は淡々と議事録と言う証拠を作成していった。
課長が変わっても会議は受け継がれ、部下の言質を残すための議事録作成を続けていた。そしてもう一つ、課長が変わっても企画書は受け取って貰えていた。
私が提出した企画書を課長が引きだしに仕舞った後にどうなるのか? 詮索する気がなくても、議事録係をしていると自然に分かるものだった。プレゼンが悪いと企画書の出来も悪い。課長は発表を中断させると会議室から追い出した。教材で渡した企画書が一瞬しか見えなくても私の書いたものであると直ぐに分かった。
別の会議の時、新入社員にしては上手過ぎる企画の発表、それに見覚えのある顔だった。
「課長、すみません・・・、彼は見覚えのある新入社員ですよね?」
「彼ね・・・・、専務の息子。ゴルフに誘われて付いて行ったら、家庭教師をさせられたよ」
縁故入社をしても次の権力者に潰される。それを考えれば派閥を作って支え合う仕組みにしておけば、自分も息子も安泰。なるほど専務になっただけの事はあると思った。
誰かの役に立ちたい、社会の一員として役立てるなら裏方でも良いと思っていた。でも、私の企画書が採用されても認められるのは男性社員だけだった。私に企画書を形にする事は認められなかった。結局『一般職だから』の一言で全てが遮られていた。
だから・・・
~・~
四十にしてやっと気づいた事は、進むべき道はおろかスタートラインにすら立っていない。自分の置かれている状況が見えた時、言い知れぬ恐怖と焦りが込み上げてきた。
恐怖と焦りを自覚しても、生活の為に今の状況を安易に変える事はできない。ただ漠然と何をするにもお金と体力は必要だろうと思った。だから、ランチはやめて弁当にした。化粧は・・・無くせないので薄くした。通勤は一駅手前で降りて歩くようにした。友達の誘いは二回に一回にした。節約しても生活にはお金が掛かるし、給料以上の節約ができない事も分かっている。それなので、残業を代わって受けるようにした。
節約と残業代で今までより貯金は増えていった。でも、肝心の答えがどこにあるのか分からなかった。分かっている事は会社の中には答えがない事。配置転換願を出しても一般職としか見てもらえない。転職を選んでもパートの仕事しかない。正社員で任されないのがパートになったら更に遠のいてしまう。
多分、答えは起業にしかない。でも、どうやって? 街にはお店が溢れている。新しくお店が出来ても直ぐに無くなるのは必要とされていないから。衣食や雑貨で困る事はないし、ファッションみたいに変化が激しいものでも起業して入り込める余地なんて見えない。新しいものでパソコン通信を聞いた事があるけど、アマチュア無線みたいに愛好家だけの世界みたいだし・・・・。
そもそも、商店主みたいな世界がイメージ出来ない。父親はサラリーマンだったし親戚もサラリーマンだったし。それに、お店をするにしても一人で仕事をしている訳ではない。雇わなければ売る事が出来ないし、売り上げがなければ雇う事も出来ない。結局、起業するには相当な資金が必要で私の安い給料で捻出した貯金だけでは到底かなわない。もし、銀行融資を受けられたら・・・・、銀行はお金を持っている会社にしか融資をしないし。
自分探しの旅に出かけて迷子になるような分不相応な夢をみているのかもしれない。それでも、どこかに夢に続く道があると信じたい。そんな思いを抱えている時に学生時代の悪友から電話があった。
ランチを食べながらの昔話がさらりと終わると、貸し剥がしの愚痴が延々と続いた。土地を担保に貸したのだから評価が下がれば融資上限を超えた部分は回収しなければならない。そう言う額まで借りている所はだいたい放漫経営ばかり。バブル崩壊に関わらず業績だって良くない。それなのに、私を恨んでも筋違いだし・・・・。真理子の本題は愚痴の捌け口だったか。全額出させないと割が合わない。でも、真理子なら相談に乗ってくれるはず。
「それで、何をやりたいの?」
今の愚痴を聞いてその切り替えしか! と言わんばかりだった。
「それは、まだ決めていないけど、世の中の役に立つ仕事がしたいの」
真理子が呼吸を整えている・・・、
「融資担当だからハッキリ言うけど、四十前後でそう言うのを患うのは沢山いるよ。話を聞くと起業したいんじゃなくて会社への不満なの。社長になれないから会社を創って偉そうにしたいだけ。だから、事業計画の甘さを突いて断っているわ。銀行は貸すのが商売じゃなくて、回収するのが商売だからね」
容赦ない。適当に返事されるよりかはありがたいけど、挫けそうにならないと言えば嘘になる。
「確かに、会社に対する不満はあるよ。企画書のゴーストライターばかりで、全部男性社員に持って行かれて相手は誰が書いた企画書なのか興味すらない。転職して活路を見出そうとも考えたけど、パートの仕事ばかりでゴーストライターすら出来なくなってしまう。仮に正社員での仕事があっても企画書のゴーストライターやっていました。私の企画書でみんな出世していきましたと言って信じて貰える? それで、社会に貢献できる仕事を任して貰えるかな?」
休みの日まで融資の仕事・・・・、真理子は不満そうな顔をしている。
「人に喜んで貰える仕事がしたいとか言うんでしょ? 恭美の事だから冗談で言っていない事は分かるし、服装を見れば節約しているのも分かるよ。でもね、それで起業しても一年続けられない人が殆どだよ。生活費と別に事業を動かす資金が必要なの。お金なんて直ぐに無くなってしまうの。貯めた人ほど開業にお金を使っちゃって後が続かないとかね。それで銀行に来るけど、土地の評価が落ちて担保不足の分を剥がしているのに、そんな人たちに融資する訳ないでしょう」
真理子のテンションは高くなっていた。
「開業資金も事業資金も貯める。私は世の中の役に立つ仕事がしたい。でも、自分に何が出来るのか分からない。身近に起業した人がいないし、自営業の人もいないし、どうしたら良いのか見当がつかないよ」
地に足の付いていない、何を浮ついた事を言っているのか・・・・、と目が言っていた。
「分かった。アンテナ張って情報収集しているわね?」
「新聞やテレビはメモを取りながら見ているよ。街を歩いている時も観察しているつもり・・・・、答えになっているかな?」
厳しい表情を崩していない真理子。
「駄目ね。何もしないで寝言を言っているのが多いから及第点はあげるけど、全然駄目よ。観察と言えば聞こえは良いけど、具体的に何を学び取るために見ているのかを言えなければ観光と一緒『凄い凄い』でお終い。店主でもいいから色々と話を聞くべきだわ」
その後、真理子は追加のデザートを食べながら延々と起業は生易しいものではないと説教が続いた。でも、『無理』とか『止めた方が良い』とは一言も言わなかった。
開店したばかりの店を見つけると、買い物がてら店主から開業の苦労話を聞くようにした。どこの店主も喜んで話をしてくれた。でも、話を聞くほどに社会のニーズが一つ満たされた事を実感し、自分の出る幕はないと感じたのであった。
最初の一歩目が見つからず焦りの日々が、社内では自暴自棄になって化粧が薄くなったと噂さされ、新しい店の店主を口説いて寿退職を狙っていると噂されていた。
ただ、自暴自棄になっているように見えるのは仕方がなかった。収入を増やすために始めた残業も、疲れが溜まり昼も夜もコンビニ弁当ばかりになり、ヤツレタ感じは拭えなかった。せめて、ご飯は自分で炊いて、美味しいおかずだけ買う事が出来れば、もう少し頑張れるのにと思うように・・・、
「そっか! 私の探していたのは、これだったんだ!」
私の今までのスキル、企画書作成ばかりじゃない。毎日自炊してきた事だって私のスキルの一つだ。
~・~
やっとスタートラインに立つ事ができた。振り返って見れば自分が必要とする事は他の人も必要とする事でもあった。
一人暮らしの自炊だと材料を使い切るために、何日も同じメニューになってしまい最後はカレーに溶かし込んでしまう。自炊経験者に訊くと同じような答えが返ってきた。たまには違う物を食べたくても、使い切れない材料を前に躊躇してしまう。だからと言って、砂糖の多いコンビニ弁当を食べたいとは思わない・・・。そこに社会的課題があった。顧客のニーズがあった。市場の隙間があった。家庭の味としておかずを作れば買って貰える。自分で作ったおかずを売るイメージが出来た。ただ、資金を考えると店舗を借りての開業は絶望的だった。やりたい事が決まっても、即起業してはいけないと真理子に散々言われていた。退職する前に出来る準備は全て行うようにと言う事だった。会社で働いている時間が勿体無いと準備が整う前に辞めてしまう人が多くいる。生活をするだけで何十万も貯金が減っていくのを目のあたりにして、慌てて失敗する人を何度も見てきたと言っていた。
次の一歩を進むには、企画書で行っていた問題点を整理する方法が使えた。退職前に出来る事と出来ない事、自分に出来る事と出来ない事の二軸で要素を書き出していくと、意外に退職前に出来る事が多かった。逆に販売場所は退職前に探せると思っていたが、休日に平日の販売場所を探そうとしていた事だった。販売時間帯の客層を確認しなければ場所を決める事はできない。紙に書いて客観視しなければ見落とすところだった。
キッチンカーで必要となる仕込み用の厨房なら立地を気にする必要がなかった。店舗兼用住宅なら退職前でも引っ越し出来るし、会社務めの方が信用高く好都合だった。それに、キッチンカーであれば、退職前に腕試しが出来る。平日と休日で客層が違っていてもお客さんの反応を確認できるのは大切な事だった。ダメなら引き下がる事もできるからだ。
自分で分析して、自分で企画して、自分で実行して、その結果が全部自分に来る。ここにはガラスの天井も壁もない。小さくとも社会が必要としている仕事ができる。私の夢、私の希望が形に一歩近づいた。
休日になると地図を片手に色々な場所を見て回った。機動性のあるキッチンカーなら必要とされる場所で必要とされる時間だけ出向いて販売ができる。そう言う場所を探して回った。常に人の多い場所では店舗販売が併設されていた。イベント会場のように開催期間だけ人が多い場所では、数台のキッチンカーが出店していた。買い物がてら出店方法などをオーナーに訊くと、どの人も細かく教えてくれた。イベント会場を渡り歩いている人もいた。平日はビジネス街で弁当を売り、イベントがある時にだけ出店する人もいた。
しかし、販売場所を探すのは難しかった。そもそも人の集まる場所は既に同業者に押さえられている場所ばかりだった。
もう一度、一から考え直す事にした。私は誰に何を売って喜んで貰おうとしているのか? それは、どこで売る事で叶うのか? 難しく考えるまでもなく、大きな勘違いをしている事に気づいた。食べ物を売るのではなく、明日の頑張りを美味しいおかずで後押しするために起業したい。だから、土日に売るお弁当も同じ思いで売りたい。
社会のニーズを見つけたと言っても、販売できる場所がなければ活かす事が出来ない。いや、販売する場所が見つからないのはニーズがない証左なのかもしれない。それでも、何回も何回も探して回った。
そして遂に、駐車場が埋まっている場所を見つけた。地図で確認すると中小企業の工業団地の裏側にある駐車場だった。表通りには工場の音が漏れ出ていたので土日も就業している事は気づいていたけど、土日の出勤者が多いとは想像していなかった。工場を見て回ると事務所には人影がなく、現場だけが稼働しているようだった。更に見て回ると、草むしりをしている男性がいた。声を掛けるとこの工場の社長さんで工業団地の理事長でもあった。
「よし、起業だ」
信じれば道が拓ける。頑張れば乗り越えられる。入社以来忘れていた感覚だった。週明けに有休を取ると税務署に行き個人事業の開業届出書を出しに行った。窓口で当面は副業で始め軌道に乗ったら専業に切り替える事。必要な道具は既に買い揃えてある事などを話すと色々なアドバイスを貰えた。そして、慎重さと大胆さのバランスが長続きする人の特徴だと応援してくれた。
副業が順調に進んだ。工業団地での試食会のお陰でお弁当のボリュームにおかずの種類、値段設定を間違わずに決める事ができた。何よりもその場で色々な感想を聞く事ができたのは社長さんの采配のお陰だった。
副業が順調だと平日に滲み出てしまうものだった。さりげなく探りを入れてくる後輩や噂話を耳にするものの・・・、「そうだよ。いよいよ寿退職だ!」と叫んでやりたくなった。でも、自慢をする暇などなかった考える事もやる事も沢山あったからだ。
~・~
「有能な人材を失うのは、我社にとっても大きな損失だよ」
辞職願を提出すると、社交辞令的に課長に言われた。そして、
「提案内容も良かったし、もっと積極的なら幾らでもフォローができたのに、残念だよ」
ガラスの天井で阻んでおいて、辞める時に私に落ち度があったような言い方。苦笑いしかなかった。でも、私は別の道を見つける事ができた。踏み出す事ができた。この会社に居る理由は一つもなかった。
有休消化期間が開業準備の仕上げの時だったが、販売を計画している時間に行ってみるとことごとく問題があった。夕方の賑わいが嘘のような昼間の街角。平日の公園は個人の庭先のようだった。メインの平日夕方の販売場所探しも難航していた。下見の時には好印象だったスーパーが実際の交渉になると、競合すると言って断られてしまった。ドラッグストアの店先は話が纏まりかけたところで、本部からストップがあった。お互いに相乗効果が期待できると思っていた分だけ残念だった。
結局、解決策は思わぬところにあった。平日昼間の販売は移動販売のパン屋を真似て住宅地を曜日ごとに巡回する事にした。平日夕方は駅前の住宅地に伸びる道に活路があった。ビル前のスペースを月極め駐車場として貸して貰える事になった。
これで、計画通りに場所の確保ができた。あとは目標達成のために頑張るだけだった。
専業になってからも、土日のお弁当は安定した売り上げを出していた。工業団地の中は常連さんだけなので家族的な雰囲気にもなり一言二言の会話も喜んでも貰え、感想やリクエストも貰えるようになった。毎日が土日ならどんなに幸せだろうと思うほどに順調だった。逆に、平日は『難しい』の一言だった。住宅地でのお客さんは子育て世代と高齢者だった。子育て世代はサラダにフルーツを好み、高齢者は少量で沢山の種類を味わうのが好みだった。好みの差が大きく中間的なおかずは見向きもされなかった。更に、前日の夕飯が残っていればお昼は買いに来ない。ママ友とランチに行けば買いに来ない。難しさが見えても打開策は見えてこなかった。
夕方は起業の目的の時間帯だった。元々人通りが少ない場所だったので、最後の一つを売るために一時間も粘る事があった。そう言う日々の中で、お弁当を買った後に駅に戻るお客さんを見つけた時、自分を認めて貰えたと思った。この日、久しぶりに自分にご褒美としてケーキを買ってきた。夢を叶えるための我慢や苦労が報われた瞬間だと思うと、一気に涙が込み上げて、折角のケーキがしょっぱくなってしまった。
~・~
平日の売り上げは一進一退で、見込みの数が掴めずに売り残しと売り逃がしを繰り返していた。売り残しは自分の分として食べればよかった。しかし、売り逃がしは売り切った安堵よりもお客さんのガッカリした顔に問題が隠れていた。陳列を確認するようになり、コンビニの袋を提げて通るように変わっていったからだ。売り逃がしと同じくらいに問題なのが好みを掴み切れない事だった。メニューの看板をチラ見して通り過ぎるお客さん。店先まで覗き込んで行ってしまうお客さんも、やがてコンビニの袋を提げて歩くように変わっていった。商品の魅力がない事をお客さんの行動が物語っていても、その先が難しかった。男性と女性では好みが真逆で、特に男性は定番のおかずと見せながら飽きが来ない工夫が必要だった。それが、買って貰えるお弁当作りから売れ残りの出ないお弁当作りに入れ替わっていたと気がついた。
美味しいおかずで明日の活力に。と起業したのにお弁当形式で販売をしていた。売り上げを考えておかずだけの販売に踏み切れなかったからだ。そこで、ごはんとおかずを別々に売る事にした。男性客の中にはごはん二つとおかずを買う人が出てきた。女性客はおかずだけを買う人が出てきた。結局、おかずだけ買う人が増えて売り上げ減になってしまった。
しかし、暫くするとコンビニ袋を提げて通っていた男性客が買うようになってくれた。男性客は男性客の呼び水になっていた。買う場所も買う品物もなかなか変えないけれど、一度変えると売り上げの予測を付けやすいのはありがたかった。それとは逆に、女性客は新しいものにチャレンジするので明日来るのか、どのおかずを買うのかの予測が難しかった。結果的に全体としては売り残しと売り逃がしの変動が大きく、食べ切れない分を泣く泣く捨てる日が多くなってしまった。
男性客にも女性客にも受け入れられるアイデアはどこかにないかと、仕事が終わるとコンビニやスーパーに行って誰が何を買うのか観察した。一つのアイデアが形になるとテスト販売を行った。その中で見えてきたのは旬の食材を使うのが、男性客にも女性客にも受け入れられる事だった。売り上げが伸びてきたけど、新しい洋服を買えるところまではいかなかった。
~・~
午後の仕事を頑張ろう。明日も頑張ろう。そう思って貰えるお弁当作りに励んできた。その結果、毎日のように買いに来てくれるお客さんが現れた。私の目指している事が間違いでないと実感できた。あとは同じようなお客さんをいかに増やすか? だった。
時間を作ってはコンビニ弁当を食べ比べた。セミナーに参加してはノウハウを学んだ。でも、直接的な答えは自分で見つけるしかなかった。
普段とは違う視点を求めて、デパ地下に行ってみた。総菜の専門店が並び、餃子専門店の向かいにコロッケ専門店が構えていた。注文をすると、トングでケーキ用ぐらいの箱に型崩れしないように詰めてくれた。別の通路ではサラダ専門店が色々な野菜で作ったサラダを並べて一塊単位で売っていた。
「お客さんのリクエストを聞いてから、組み合わせれば全てのお客さんの好みに対応できるのに・・・」
自分で呟いた言葉にハッとした。デパ地下のサラダはパック詰めされていないのに、お客さんがリクエストを出せる仕組みになっていなかったからだ。数種類のサラダから選ぶにしても、どれもレタスやベビーリーフは使っている。あとは色合いや食感の違いを出すために卵を入れたりパプリカを入れたりしていた。これではコンビニのパックサラダと同じだ。トッピングを選べるようにするだけでも満足度は良くなるはずだった。
デパ地下は全体でバランスを取っていた。専門の惣菜店によって、毎日通っても食べ飽きる事がない。私の目指している弁当屋は、デパ地下の魅力をキッチンカーに詰め込むと一緒。デパ地下は私にとっての先輩であり相談相手なんだ。これをキッチンカーで真似をすれば注文を貰ってから渡すまでの時間が延びる。これは、お客さんが店の前にいる事で他のお客さんの興味を惹く事ができる。お客さんと話す時間になるからリクエストを聞いて次に活かす事もできる。
販売場所の見直しも必要だった。特に平日昼間の巡回販売は想像以上に難しかった。買いに出て来て貰うと言う事は、買いに出られる身形に整えている人で、そう言う人はお昼の準備は造作もない人だった。逆に、自分で作る余裕のない人は外に出て来る余裕もないと言う事だった。
思い切って平日昼間の販売をやめて一から探す事にした。元々巡回販売のパン屋を真似た事だったが、パンは簡単に作れない事を見落としていた。そこで、買い物の帰り道や家に着いたタイミングを狙った販売なら売れそうだと気がついた。最初に行ったのは、幼稚園に送りおえてお喋りをしているお母さん達のところだった。話を聞いてみると、お弁当持参の幼稚園だから自分のお弁当も作っている人が殆どだった。
平日昼間の販売場所探しは難航していたけれど、売り残しがなくなった事で売り上げの落ち込みの割には利益が減らなかった。昼間の販売は売り上げも廃棄率も悪かったからだ。
やっぱり頑張りは報われる。
市民体育館の前を通ると駐車場が埋め尽くされていた。定期開催のスポーツイベントだった。周辺を見るとレストランもコンビニもなかった。イベントのない時は人がいない、商売が成り立たないのは素人目にも分かる事だった。
「そうだ。キッチンカーならイベントの日だけ来て営業ができる」
路面店にできない事がキッチンカーならできる。問題は誰から許可を取れば営業ができるのか? だった。商工会議所で相談すると市民体育館側からも相談を受けていたとの事だった。あまりにもあっけなく出店許可が手に入った。
「やっと・・・」
自分がお給料を貰っても黒字経営になった。人件費が出ない状態から時給百円になった時も嬉しかったが、事業が成り立っていると言うには自分のお給料を出せる必要があった。
「固定費分は売り上げたから、売り上げが増えれば材料費を引いた分がそのまま利益になる。これで、次のステップに進める。平日昼間の販売場所が増えれば店舗資金の貯蓄に回す事ができる。あともう少し。あともう少し」
私の夢、私の希望の実現に一歩近づいた。黒字は通過点でしかない。でも、今日はゆっくり自分を褒めてあげよう。明日からは店を持つための道が始まるにしても、今日はゆっくり自分の頑張りを讃えてあげよう。
~・~
黒字が安定して続くようになった。開店資金の積み増しができるくらいの黒字にもなった。融資の話も、担保が必要だった時代から黒字経営の実績を示せば受けられる時代に変わっていた。時代の変化は私に追い風となった。
あとは、良い店舗物件を見つける事ができるか? に全てが掛かっていた。希望通りの物件が見つかれば何の苦労もない。ただ、良い物件なら取り合いになるかもしれない。妥協した物件だと商売が行き詰まるかもしれない。場合によっては、妥協して選んだ後に良い物件が見つかるかも知れない・・・・、考えだすとキリがない。とりあえず、融資をスムーズに受けられるように銀行から内諾は取り付けた。事業計画書の評価も良かったけれど、二年間の実績が認められたようだった。
あとは店舗。不動産屋を見つけると、希望の条件を伝え良い物件がなければ名刺を置いてきた。自分でも地図を片手に立地を探し『空き店舗』の看板を見つけては不動産屋に電話をした。少し離れた街の駅の近くで、私のイメージに近い物件を見つけた。店の前には『空き店舗』の張り紙と見慣れない不動産屋の名前があった。
その不動産屋は物件の説明以外に、人気エリアで競争率が高い事。手続きに滞りがあると次のお客さんに交渉の権利が移る事。更に、仮契約段階でもキャンセルの場合は違約金が発生する事を付け加えられた。これほど探していた条件に近い物件が見つかるとは思っていなかった。私の一つ一つの頑張りが次のステップへと導いてくれる。銀行の内諾は得ていて手続きが滞る要素は何もない。私には必要のない説明だった。
次は内装業者への発注だった。これは不動産屋が何軒かの業者を紹介してくれた。前金が多いほど値引き率が良いとアドバイスをしてくれた。
さっそく、数社に問い合わせをした。その中に広域で商売をしているので安定的に仕事がある事と、前金を使って安く仕入れている事で他社よりコストカットできるのが売りの業者があった。確かに理にかなったコストカットだと思った。融資が予定通りに下りれば資金繰りでショートする心配はないし、借入金額を小さくできれば負担が軽くなる。
この業者を断る理由はなにもなかった。
見積もりをお願いすると、思った以上に早く出てきた。一式金額ではなく部材の見積もりもセットになっていた。図面上の説明でも物件の広さからコンセントの位置に至るまで不慣れな自分でもイメージできた。細かい部分を質問しても丁寧に答えてくれ、プロの仕事に感心するばかりだった。
あとは、振り込むだけになった時、「次の仕事が入り、今年は忙しい」と担当者がボヤいていた。嬉しい悲鳴のようだった。
そして、
「振り込みを確認したので、資材を揃えて来週から工事を始めます」
この電話を最後に連絡がつかなくなった。
名刺に書いてあった住所を訪ねても使われていない公民館があるだけだった。そして、不動産屋からの電話で詐欺にあったと認めざるを得なかった。貸出用のカギは手元に置かれたままと言う事だったからだ。
今までの準備も、何もかもが崩れ去った。不動産屋からは即時契約か違約金の支払いを求められ、融資の内諾は前提条件が崩れたと仕切り直しと言われてしまった。会社員時代に頑張って貯めたお金、この時の為に残しておいたのに。赤字経営の時も残り物を食べて開店資金には手を付けなかったのに。こんなにも簡単にあっけなく失ってしまうとは。更に被害届を警察に出すのに休業を余儀なくされ、お客さんにも迷惑を掛ける事になってしまった。
~・~
内装業者の持ち逃げ、不動産屋の違約金、融資の取り消し。連鎖的に起こったトラブルで全てが振り出しに戻ってしまった。また、追い討ちを掛けるように土曜日・日曜日にお弁当を売っていた工業団地の隣にコンビニが出来てしまった。ジュースやお菓子を買うついでにお弁当も買う人が増え、この場所で続けられないほどに売り上げが落ちてしまった。一つ一つ掴み取って来たものが、手をすり抜けて逃げていく。ここまで来たのに。やっと見つけた道なのに・・・・。
冷静に考えれば、前払いがお互いにメリットがあるならば他社も追従する筈だった。
こんな所で立ち止まらない。涙が止まらなくても前に進み続けるしかない。この先にある夢を掴むためにこの試練を乗り越えてみせる。
「私は負けない。今までだって頑張って乗り越えてきた。だから、これからも乗り越えていく」
と、鼓舞しても不安が消えてなくなる訳ではなかったが、早く明日が来てほしい。黒字の日を重ねる事で早く忘れ去りたかった。
営業が飛び飛びになった事で心配してくれたお客さんに訳を話すと二個買ってくれたり、弁護士に相談を勧められたりした。その中で、パート先を紹介してくれたお客さんがいた。安定した収入源があれば見通しを立てる事ができると言う事だった。指摘の通り赤字の多かった昼間の販売を止めてパート務めにすれば収入が増える事が見込まれる。夢があっても資金がなければ実現できない。渡りに舟の話だった。
とんとん拍子で採用され、パートにしては高い時給で早上がりも認めてもらえた。社長さんからは高い密度で働いて周りに刺激を与えてほしいとまで激励された。しかし、一緒に働く同僚の気持ちが社長さんと一緒とは限らなかった。職場に一人だけのパート勤務。職場に一人だけの早上がりでは、良くも悪くも特別扱いになってしまった。後から聞いた話では、仕事を早く終わらせても退勤後にはズルイと言われていた。
時折、課長からは、
「うちの会社は社員で働く人を探しているんだよ」
と、暗に兼業を止めろと言われていた。
そうは言っても表面上は波風が起きずに毎日を送る事ができた。私も噂話を良くも悪くも気にしている余裕がなかった。失った開店資金と違約金の支払いを一刻も早く解決する事だけだったからだ。
何も得る事のない違約金も社会勉強と割り切るしかなかった。と言っても不動産屋の用意したリストの中になぜあの内装屋があったのか。不動産屋から執拗に違約金制度の話をされたのか。冷静に考えれば不自然なところが多かった。仮に不動産屋がグルだとしても、違約金を取り戻すのにエネルギーを使うより明日のために使う方が自分のためになる。彼らが同じ事をするのを許す形になるのは不本意だけど、二択であれば私自身の明日のために時間を使いたかった。お金はいつでも取り戻せる。でも、時間だけは取り返す事ができないからだ。
~・~
店の前を通る人のコンビニの袋にお弁当が入っているのが分かる。コンビニなら飲み物やスイーツと一緒にお弁当を買う事ができる。しかし、お弁当だけは私のところで買って欲しかった。多品種大量のコンビニ弁当に勝る魅力は・・・、工業団地でのリベンジをしたかった。
今まで以上にお客さんと話をするように努めた。好みの総菜や味付けはもとより野球やサッカーの結果も覚えるようにした。学生さんとは就職活動の話になる事もあった。お互いに気軽に話せるようになると売り上げに繋がるアイデアを貰えるようになったり、買い物のついでに販売を手伝ってくれる人も現れた。その結果、賑わいを生み新しいお客さんを呼び寄せるようになった。売り上げも右肩上がりになっていった。
今まで以上に個別対応できるように、半調理品を増やしキッチンカーでの作業を増やしていった。そうする事で、コンビニ袋を提げて通り過ぎるだけのお客さんがお弁当はうちで買ってくれるようになった。利益率が犠牲になっているものの利益額は順調に上がっていった。諦めかけていた店を構えての商売が視野に入り、道のりも幽かに見えるようになった。
希望を捨てずに頑張れば道が拓けて協力してくれる人も出てくる。試練を乗り越えた先には必ず希望がある。そう確信して毎日が過ごせるようなった。
販売を手伝ってくれるお客さんの中には、巧みなセールストークでもう一品を売ってくれている。それでいてお客さんも喜んでいた。もし、詐欺に遭っていなければこの時間は存在していない。それを考えると成長のためには必要な試練だったのかもしれない。どちらにしても遅れた分を早く取り戻して次のステップに進みたかった。
~・~
手伝って貰っている事に感謝しかないと思っていた時に、私は何を見ていたのだろうか。売り上げが増えていったあの時が始まりだった。
順番待ちの列が長くなっている時に、ついでにと常連さんが他のお客さんの注文を確認し組み合わせのアドバイスをしてくれた。そして、自分の分を受取ると帰っていった。それがお客さん同士の交流に繋がり、そんな会話に混ざりながらキッチンカーの中で調理を続けていた。
程よい関係が出来上がった頃、もっと盛り上げようとする動きが一部の常連さんから出てきた。普段より早めに来ると販売を手伝ってくれる。順番待ちの間に味付けを確認して注文を聞いてくれる。アドバイスもしてくれる。勧められたお客さんも喜んでいるようだった。
暫くすると、特定の常連さんより一足早く来ると手伝ってくれる別の常連さんが現れた。同じように販売を手伝ってくれる。順番待ちの間に注文を確認している。迷っているお客さんには代わりに注文を決めている。お客さんが何か言いたそうでも、
「大丈夫。美味しい事に間違いなし」
と、言い切ってしまう。
私が確認しようとすると、
「調理に専念して貰って大丈夫です。要望は私が聞いておきます」
と言って遮ってしまう。常連さん相手にもマンネリは良くないからと、高いメニューを勧めていた。
年度が変わると、人の異動がある。他の常連さんがいなくなる中、毎日の様に手伝ってくれる常連さんには感謝しかなかった。多少、押しの強いセールスは困る部分もあったけど、お客さんに合うように調理をしていると、ヘルプに頼らざるを得なかった。まして、売り上げが伸び悩んでいる時には尚更だった。悩みながらの毎日だと、手伝ってくれる常連さんにも伝わってしまっている。普段より多くセット販売を押してくれていた。
お客さんの好みに合うように調整しているのに、新しい常連さんが増えなかった。それどころか、店の前を通る人が減っているようにさえ感じた。学校帰りの学生さんは変わらないのに、仕事帰りの人は街からいなくなったのかと思うほどだった。
「久しぶりに、買いに来たよ」
良く買いに来てくれていたお客さんだった。
「最近お見えにならなかったので引越をされたのかと思っていました」
「あー、仕事が忙しくてね。久しぶりに覗いたら車があったから寄ってみたんだよ」
お客さんはいつものを注文すると、周りを見渡した。
「いつも手伝っている人はいなくなったのかな?」
来ていてもおかしくない時間だった。
「そうですね。今日はまだお見えになっていないです。あの方には色々と手伝って貰って感謝しかありません」
私の言葉に驚いたように見えたけど、そのままお弁当を受け取ると帰った。
この日をから、あのお客さんが手伝う事も買いに来る事もなかった。気がつくと住宅街の一角で売っている様な静寂に包まれていた。
~・~
店には流行り廃りがある。だからこそ、身近な存在になれるようなお弁当を作ってきたのに気がつけば振出しに戻っていた。
人の流れが変わったとは言え、駅に近い立地に変わりはなかった。安定して売れていた時に比べると売り上げの振幅が大きくなり、早々に売り切れになったり見切り品ですら売れ残ったりした。見通しを立て辛くなったからと言って立ち止まっては貯める事も生活すらできなくなってしまう。続けていくには乗り越えるしかなかった。
今まで以上に天気予報を、地域イベントをチェックして、通勤途中の人混みもチェックして、関連性のありそうなものはすべてチェックしてお弁当の数を決めるようにした。
予測をしても雨の日だと待たされるのを嫌がり買う人が少ない時もあれば、帰宅時のついでに買う人が増える時もあった。結局、売れる時には売れ、売れない時には売れない。売り上げの振幅に対処できずにじわりじわりと赤字の日が増えていった。
見切り販売を続けていると、見切り価格を狙って遠巻きに待つお客さんが増えてしまった。それで売るよりもと夕飯も朝食もパート先でのお昼も売れ残りを食べるようにした。萎れたレタスを見ると涙が込み上げ、おかずが美味しいと涙が込み上げ、頑張っても売り上げに繋がらない現実を痛感させられるのであった。
たまに来る初老のお客さん、来てもらえるとホッとする。
「いらっしゃいませ。旬の食材を使ったお弁当です。今日はどれになさいますか?」
にっこり笑ってくれた。覚えている事が伝わったようだ。
「これと、お勧めのそれを二個ずつお願いします。・・・材料費と利益の絶妙なバランスだよね・・・」
ハッとした。分かる人には分かる。どう言う思いで食材を選んでいるのか。調理をしているのか。全て伝わっていたと言う事だ。
「いやぁ、失礼。仕事から離れないと駄目だよね」
思い出したかのように、周りを見ている。
「最近、旦那さんを見ないね」
周りからそう見られても仕方がないとしても、理解者だと思っていたのは間違いだった。
「いえ・・・・、常連さんが手伝ってくれていました」
「そうでしたか。それは大変でした。買い物奉行がいなくても決められますからね」
やっぱり、私だけが気づけていなかった。お客さんは言葉を続けた、
「色々と工夫してメニューを決めているように感じるけど、仕入れも大変でしょ?」
競合しているコンビニ弁当では出来ない事で頑張るしかないと説明した。時折、頷きながら話を聞いて貰えた。
お客さんは駅の方に帰って行った。わざわざ買うために足を運んでもらえるのは嬉しい。一人でも多くのお客さんに戻ってもらえるように頑張らないと。
だから、今まで以上にお客さんの好みに応えられるように味に始まり、調理方法、アレルギーの有無など、受け渡しの短い時間に訊けるように工夫を凝らしていった。楽して儲かるのなら誰もが儲かっている筈、苦しい時にこそ基本に帰って頑張る。開店の夢をもう一度掴むために、頑張るだけだった。
現実は、売れる日がなくなり変動が収束していった。場所を変えないと打開できない。分かっていても次の場所が見つけられない。いっその事、店を構えればと思っても融資を断られた時より資金が減ってしまった。考えれば考えるほど閉塞感しかなかった。
そんな時にお客さんから聞いたのが未来を過去形で話す占い師の事だった。成功している未来を確認できれば、乗り越えられると思ったのに。
リセット
職場に戻るとみんなの視線が集中した。示し合わせたように課長に視線が集まるとそれぞれのパソコンに戻っていった。
気づかぬ振りで仕事をしている課長の席に向かうと、
「お昼休み前に抜けさせて貰ったのに戻りが遅くなってすいませんでした」
深々と頭を下げた。
「調子が悪いなら早退した方が良い。弁当屋も休んで早く治した方が良いだろう」
コンサルタントに会いに行くと言ったのに、病気と勘違いをしているのかも。
「いいえ、大丈夫です。直ぐに仕事に戻ります」
「ダメだ。今日は帰りなさい」
反論の余地はなかった。こんなにきつい口調の課長は初めてだった。
普段より早い帰り道。タイムカードを押した事は覚えているけど、気がつくと玄関前に立っていた。横を見るとキッチンカーがある。
私のキッチンカー・・・・、涙が込み上げてきて止まらない。
占い師の言葉がフラッシュバックしてくる。
『お店を構えると言う事は、売り上げではなく利益額の向上に繋がるアドバイスを求めた訳ですよね。お客さんからのアドバイスでは品数が増えて廃棄率が高くなる方向です。相談窓口は一般論と現状把握の方法論で具体的には自分で考えなさいと、言葉の裏に隠れている部分はそれになります。親切に対応してくれる事と、役に立つ対応をしてくれるのはイコールではないですよね』
『全ての人が夢を見つけて、叶える努力をしている訳ではありません。不本意でお弁当屋をしている人と同じ様に、逆の人も存在します。恋愛と一緒で運命にも片思いが存在しています。私は占い師としてクライアントに本来の役割を気づかせて軌道修正を手伝う事が、私の運命です。そうする事でその人が普通に幸せを感じる世界に戻る事が出来るのです』
『お弁当屋もパート務めも全て辞めて、心の底から湧き出て来る言葉に耳をすませなさい。全てを白紙に戻し出会いに対して神経を研ぎ澄ませなさい。その時に聞こえてくる言葉に死力を尽くしなさい。既に可能性の扉は殆ど閉まっていますが、針の孔ほどは残っています。今日私の所に辿り着いたのがラストチャンスです。希望を追い求める猪突『盲進』から、心の底から湧き出てくる言葉に耳をすます『縁』で行動出来る様になれるのかの、分かれ道です』
『生まれた時に賜った役割を果たす事が出来た時に、幸せを感じるものだと思います。今は、今の価値観を全て捨て去る事です』
今日までの人生を全否定された。やっと見つけた存在意義を否定された。心が折れそうになっても希望を胸に頑張ってきたのに、あともう少しなのに一から自分を探せと言う。
占い師は、起業後でも軌道修正するチャンスがあったと言っていた。では、私が会社務めを続けていたら夢が叶っていたのだろうか? 結婚していたら夢が叶っていたのだろうか? 分からない。お弁当屋と言う形にならなくても、誰かに使われるのではなく誰かの役に立ちたい思いは叶っていたのかもしれない。それが家族に対してかもしれないけど。
占い師は、人生をリセットするように言った。私の夢はまだ間に合うのか? でも、未来は隠されていると言っていた。偽者ならそんな言い方はしないと思う。それより、私が来るのが分かっていたから、時間が長くなるのが分かっていたからお昼は食べておいたと言っていた。だからと言って、言葉通りに食べていた保証なんてない。むしろ、お昼に占いをしているのだから普段から早くに食べている筈・・・だと思う。
占いを抜きに当時を振り返ると、会社の業績はバブル崩壊から悪くなっていき同じ部署の男性社員の多くが転職を考えるようになっていた。その穴を埋めるように総合職の女性社員の活躍の場が増えていった。一般職も総合職に近い仕事が求められるようになっていった。でも、単価の安い女性社員を使おうというだけで、重要な部分は総合職の女性すら任せてもらえていなかった。
起業した事が間違いだったのか。占い師はお弁当屋を目指す事自体が間違いだと言っていた。あの時ハローワークで職を探した方が良かったと言う事なのだろうか。でも、一般職の経験がキャリアとして評価されない事ぐらい分かっている。だから、起業を選んだのに。それとも、お弁当屋を選んだのが間違いだったのか。コンサルタント関係の資格を取得して転職した男性社員がいた。企画書のゴーストライターとコンサルタントの仕事は似ていたのかもしれない。占い師はそれを指していたのかもしれない。でも、でも、でも、振り出しに戻れと言われても・・・・。
占いなんて・・・・、心の弱さが占い師を訪ねさせた。弱さを乗り越えた先に私の夢が待っているのではないか・・・・。しかし、遣り尽くして二進も三進もいかなくなったからではないか。未来のヒントがあればそれを糧に頑張れると思っていたではないか。思いつく事は全て試し、頼れる人は全て頼ったではないか。
占いを信じないと決めたところで、今の状況から逃れる策がある訳ではない。八方塞がりなのは事実だし他人事であればリセットを勧める助言に賛同するかもしれない。だからと言って、その後が・・・縁に任せてと言われても宝くじに活路を見出すのと同じくらい無責任に聞える。でも、淡々と話す姿勢。真っ直ぐこちらを見る瞳にプライドを感じた。いや、単純に思い込みの激しい占い師かも・・・、大学生では社会経験も積んでいないから無責任な事が言えるかもしれない。
ダメだ、ダメだ。楽しみにしてくれているお客さんがいる。毎日買いに来てくれるお客さんがいる。そのお客さんを裏切るような事はできない。
~・~
「こんばんは」
占い師が現れた。あの時と同じ服装だから彼女にしか見えないけど・・・・。
「いらっしゃいませ。えーと・・・・お店の場所を話しましたか?」
占い師はゆっくりと首を振ると、
「占い師ですから」
揺るぎない事実として言われると答えようがない。たぶん、占い師の友人がこの場所を教えたのかもしれない。この駅から国文大学に通う学生がいてもおかしくはないからだ。どちらにしても、全てお見通しと言うなら私から話す事はない。私の答えは格好良い言い方をすれば『足掻いてみたい』だった。
「お昼の時間だけでは伝えきれない事もありました。ゆっくり話をしたいのでお弁当を売り切ってから、お時間を貰えますか?」
「それは、構わないですが一月の一番寒い時期に外で待つのは大変ですよ」
食品を扱っているキッチンカーの中で待ってもらう訳にはいかない。
「大丈夫ですよ。そんなに待たないで売り切れますから」
数少ない常連さんの帰りはいつも遅い。コンビニでビールを買ってからお弁当を買いに来てくれる。だから、お弁当が早く売れても一つだけは残している。買いに来ない時もあるけど、帰りが遅くなった時にこそ、うちのお弁当を食べて欲しいからだ。
「いつもの弁当ある?」
コンビニの袋をぶら提げて常連さんがきた。こんな早い時間に来た事はなかったのに。
「ありますよ。今日は早いですね。折角なので温かいうちに食べて下さいね」
「ありがとう、そうするよ。実は今日で単身赴任が終わりでね。明日からは女房の手料理だよ。女房の料理も美味しいけど、このお弁当も美味しかったよ。今まで美味しいお弁当ありがとう」
「褒められると照れるじゃないですか。奥さんもちゃんと褒めて下さいね」
明日からは、取り置きする必要がなくなってしまった。
今日に限って、素通りするお客さんが買ってくれる。人通りもいつもより多く感じる。なぜだろう? 毎日このくらいのお客さんが来てくれれば直ぐに開店資金が溜まるのに・・・、あっという間に売り切れてしまった。
「こんなに早く売り切れるなんて思わなかった」
「はい、だからそんなに待たないと言いました」
占いなのに、こんなに揺るぎないものなのか。ずっと右肩下がりだから占いをしてもらったのに、占い師がいるとお客さんが集まってくるのか? 奇抜な服が客寄せになっているのか? 逆に避けて通る方だと思う・・・・、そもそも占い師が立っている事にお客さんが気付いている感じもなかった。
「お腹すいちゃいましたね。ご飯を食べながら話をしましょう」
半ば強引に話を逸らされてしまった。
「お弁当、二人分残してあるから一緒にどうですか?」
占い師にはお弁当を食べた上で話をしてほしかった。味を知れば私の気持ちも伝わると思っているからだ。
少し冷めたご飯とおかずを盛り付けると二人して食べた。占い師の食べ方は上品だった。
「ほんとに美味しいです。出汁を過不足なく入れて深みを出しながら素材の旨味を感じられる濃すぎない味付けですね。家庭的な味だと思います。毎日食べても飽きない美味しさです」
予想外に褒められた。拘っているポイントを拾い上げて感想を言って貰えるなんて思ってもみなかった。食べながら、会社員時代から今日までの話をした。世の中に役立ちたい思いが会社員時代には叶わなかった事。お弁当を売るようになって『美味しかった』と言われた時、はじめて世の中の役に立ったと思った事。その時に進む道が間違っていないと実感した事。占い師は時折頷きながら、時折質問もしてきた。
占い師は大学の授業の合間に占いをしている事を話してくれた。休みの日は家業として神社で御神託をしている事。御神託は夢見で行われ未来が映画のように見える事。ただ、行動力がある場合や運命に抗っている者の場合は抽象的断片的に見えると言う事だった。
「私は、抗っている事になる・・・のですか?」
「はい」
「占い師さんは、私の作ったお弁当を美味しいと言ってくれた。それでも、廃業を勧めるのですか?」
「はい」
「生活の保障もないのに・・・」
廃業と引き換えに幸せが手に入る保証なんてない。ただ、この場所の本来の購買力を見せつけられては、場所を変えれば立て直せると言う事ではない。占い師に言われるまでもなく今のままでは資金を喰いつぶして息絶えてしまう・・・・
占い師は、穏やかな表情のまま私に廃業の決断を促していた。
縁
日の短さが夏の終わりを実感させる。ハローワークに通い始めて半年がたっていた。会社員時代の雇用保険がこういう形で役に立つとは思ってみなかった。そうは言っても、残り僅かな給付期間で見つかるのか? それならば、住んでいる店舗物件を活かして店先でお弁当を売れば生活費ぐらいは稼げるかもしれない。維持費が掛かるキッチンカーは手放したけど、調理器具は残してあるから直ぐ再開できる。近隣なら歩いて配達もできる。仕事探しと並行して始めても良いし、軌道に乗れば弁当屋一本でもいい。私は弁当屋の方が向いていると思うし。
こんな事を考えながら順番待ちをしていると・・・・、床ばかりを見ていた。不採用通知の数だけ社会から必要とされていないと感じてしまう。みんな一緒、不安で仕方がない。もう何でも良い。採用してくれるならどんな所でもいい。待遇が悪くても成果を取られても不安を抱えながらの生活から解放されるのなら・・・・
「こんにちは」
声を掛けてきたのは初老の男性だった。私より大変な年齢なのに穏やかに声を掛けてくれるなんて・・・。私は自分の不幸ばかり嘆いて床ばかりを見ていた。そう思うと涙が溢れてくる。
「え・・・、どうしたの? 大丈夫?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。自分ばかり大変だと思い込んでいました」
「となりに座っても良いかな?」
一人分に満たない隙間だったけど、みんなが少しずつ詰めると座れるようになった。
「お元気とは言えないようだけど、お会いできて良かったです」
私を知っている人のようだった・・・。
!
「思い出しました。お弁当を買いに来てくれていましたよね。何度かお話もさせて頂いたと思います」
初老の男性はニッコリ笑うと、
「思い出して貰えて良かったよ。ところで、ここに座っているところを見ると就職活動のようですが、あの美味しさを出していたのに残念です」
私のお弁当を評価してくれるのはありがたい事だ。でも、
「工夫が足らなかったようです。存続できなかったので」
「そうですか・・・・。場所が悪かったのですかね。ところで、就職活動の見通しはどうですか?」
結局、縁なんてものは存在しなかった。
「そろそろ半年になります。内なる言葉に耳を傾けるようにアドバイスを頂きましたが、面接まで進んでも採用されませんでした。縁には恵まれていないようです。給付期間もそろそろ終わるので、パートでも良いから働かないと生活が行き詰まってしまいます」
初老の男性は、どこか合点のいった笑顔をしている。
「アドバイスとは、神社の娘さんですか?」
彼女を知っている?
「はい、神社の家系と言っていました。赤髪のゴシックファッションで・・・、ビルのロビーで占いをしていました」
「普段はそう言う格好ですか。私が御会いした時は神社だったので神職の衣装でしたよ」
「彼女は、有名な人ですか?」
「はい、地元では有名な方ですよ。それより、仕事を探しているならうちで働きませんか?」
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なるほど、彼女が縁を取り持ってくれている。縁とはこう言うものなのかもしれない。
「私で、本当に良いのですか?」
「はい・・・。失礼、仕事の内容を説明していないですね。うちの会社は給食センターで弁当を作って事業所に届ける仕事をしています。当面は栄養士と協力して顧客のニーズに合わせたメニューの開発をして貰います。どうですか?」
顧客ニーズに合わせたメニュー開発なら経験がそのまま活かせる。やっと、私を必要としてくれる場所が見つかった。
「私で良ければ、頑張ります」
これで、半年の及んだ就職活動が終わる。彼女が言っていた心の底から湧き出る言葉を聞き取れたのだろうか? でも、彼女が取り持ってくれたのなら間違いないはずだ。
たぶん、これで合っている。
~・~
給食センターで働き始めて三ヶ月が過ぎた。私が感じた社長の人柄がそのまま職場の雰囲気になっていた。困っていると手を貸してくれる。みんな黙々と働いているのにギスギスしていなかった。ただ、社長はそれを変えようとしていると気づいた三ヶ月目だった。
社長は私に意見を言わせた後、他の者にも意見を言わせていた。社長曰く、意見を言う一人目がいなかったので議論が始まらなかった事。社長自身が意見を言うとそれが結論になってしまった事。これを変えようとしていた。社長の視線の先には、デフレを抜け出せない社会と顧客の減少で収益の改善が見込めない問題があった。その解決には多面的な意見を言える社風が必要と言う事だった。
それに対し、大切にしてくれる社長に意見する事は恐れ多いと従業員側は思っていた。
メニュー開発で感じていた事と、社内の問題は同じ構図だった。メニューの開発は漫然と日替わりにするだけでは顧客が減る中で会社は存続できない。会社も漫然と今日の作業を行うだけでは存続できない。どちらも、明日を意識しなければ解決できない問題だった。それならば、今までの経験が活かせるはずだった。危機感だけでは方向が分からない。遠慮だけでは会社は良くならない。企画書を通して目的地を明確に出来れば、従業員と同じ側に社長がいる事が分かれば、きっと良くなるはず。そう考えると、あの頃の企画書は今日のための練習と言える。弁当屋の苦労も活かす事ができる。
~・~
企画書を発表してから、三ヶ月が過ぎた。社長に言われた通り、作成途中もオープンにしてみんなの意見を取り込みながら書き上げた。色々な意見を集めて付箋に書いて廊下に貼っていった。ふざけた意見と思っても貼っていった。そうすると、意見を書いて貼ってくれる人が出てきた。
会議で発表する時には、会社の未来像もそこに至る道筋も誰もが知っていた。
書き上げる前から良いアイデアは実行していった。例えば、献立ごとの食物アレルギーの有無を栄養士は把握していた。それを献立表に書き加えただけで売り上げが一パーセントも上がった。食物アレルギーによって弁当を持参せざる得ない人がいたと言う事だった。少しの気づかいが隠れた要望に応える事ができる好例となった。未来のあるべき姿に向かってみんなで話し合い、時にはやり方を戻して少しずつだけど前進を実感できる今日この頃だった。
エピローグ 御参り
「最近、浮かない顔をしているね。どうしたの?」
「たいした事ではないですが占い師さんを何度訪ねても会う事が出来なくて、ビルの管理人に訊いても『会えるか会えないかは縁次第とお嬢様も良く言われているので』と言われてしまい、縁が切れてしまったのかと思っている次第です」
社長も考え込んでしまった。
「神社に直接伺ってみたらどうかな? 神社で待っていると言う事かもしれないしね」
占い師さんから神社の事は聞いているけど・・・、確かに行ってみなければ分からない。
豊雲野神社に境内に入ると、静かな森が広がっていた。一歩入るごとに街の音が遠ざかり、神社を実感していた。さらに進むと子供の声が聞こえてくる。そこに広がる光景は子供時代にタイムスリップしたかのようだった。さすがにベーゴマやケンダマではなかったけど、男の子が集まってゲーム機で遊んでいる横で女の子が鬼ごっこで走りまわっていた。昔と逆だったけど昔と一緒だった。
拝殿で手を合わせると今までの事が蘇ってきた。それでも私は夢に手が届いた。今なら夢を見つけられずに会社員を続けている人、自分の夢より大切なもののために会社員を続けている人がいる事が分かる。あの時の上司や男性社員の気持ちも分かる・・・。
「こんにちは」
腰まで届く黒髪の巫女さんが声を掛けてきた。凛として美しい立ち姿は巫女さんに相応しいと、つい見惚れてしまった。
「こんにちは。子供の遊ぶ声が聞こえるのは落ち着くものですね」
「そうですね。地域から必要とされてこその神社ですから」
鬼ごっこをしている女の子たちから歓声が上がる。全員捕まえたのか別の子が追いかけ始めた。男の子たちは黙々とゲームに興じていた。
それにしても占い師さんの姿が見えないのは、出掛けているのかもしれない。
「大丈夫ですよ。あっていますから」
そわそわしているのが巫女さんに伝わってしまった。
「あっている? 豊雲野神社で良いのですよね?」
巫女さんは一瞬、キョトンとしたものの、
「縁は切れていませんよ。こちらにお出でになるのを待っていました」
社長との会話が蘇る。アポイントを取っていないのに巫女さんにまで私の訪問が知られている。やはり凄い占い師だと実感した。
「給食センターでのお仕事は慣れましたか?」
「はい、お陰様で職場の皆さんと良い仕事が出来ています。私のやりたかった事が、夢を諦める事で叶おうとしています。占い師さんのお陰で人生を修正する事ができました」
「いえ、私の役目はその人が見失った運命に戻る手助けでしかありません。本人の決断と努力の結果ですよ」
? 話は噛み合っているけど、占い師さんにお礼を言いに来たのに・・・ !
「ひょっとして、あの時の占い師さんですか?」
「そうですよ。別人に見えましたか?」
どこをどう見たら同一人物に見えるのか? 厚化粧とスッピン、赤毛と黒髪、ゴシックと和装・・・、何もかも違い過ぎる。
「化粧していないし、黒髪のロングを赤毛で隠していたなんて・・・、想像できないです」
何かを思い出したように、
「これ、ウィッグですよ」
ウィッグを外した姿は、ボーイッシュなショートカット。
「赤毛もウィッグでしたか・・・」
「はい、占い用と神職用を使い分けています」
何をしに来たのか、忘れてしまうほどの衝撃だった。
「ところで、私に訊きたい事があったのではないですか?」
「あ、はい、そうです。ショックで忘れてしまいました」
改めて占い師さんと向き合うと、
「今の仕事に就けて本当に幸せです。それだから不安なのです。私の縁は給食センターと繋がっているのか分からないのです。ハローワークで社長にあった時、心の底から湧き出てくる言葉は聞こえなかったです。でも、社長さんは占い師さんのアドバイスでハローワークにいらしていますし、今の仕事にも仲間にも恵まれたと感じています。それだけにこの道を歩いて行っていいのか不安なのです」
どんなに頑張っても手に入らなかったものが、簡単に手に入った。でも、縁がなかったら通り過ぎてしまうのではないか。言いようのない不安でいっぱいだった。
「井戸は使わないと水脈が変わり枯れる場合があります。あなたの場合、殆ど塞がっていました。一歩踏み外すごとに遠ざかり心の底からの声が聞こえ辛くなっていきました。それに対して社長さんの方が言葉を感じとったようです。ハローワークで姿を見つけた時に探している人が現れたと確信したと言っていました」
「私は社長に出会うまでハローワークに通う運命だったのですか?」
「給食センターの求人は何度も出ていたはずですよ。社長さんには御神託の前にハローワークに求人登録するのが現実的ですとアドバイスをしたのですが、あなたの縁が消えかかっていたようです。それなので、後継者探しは総務任せではダメですよとアドバイスをしました。その甲斐があって良かったです」
社長はそのような事は一言も言っていなかった・・・
「後継者ですか?」
占い師さんはニッコリと微笑んでいる。
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私が出会ったのは立花家の7人家族でした・・・――――
これは、内気な私が成長していく物語。
親の仕事の都合でお世話になる事になった立花家は、楽しくて、暖かくて、とっても優しい人達が暮らす家でした。
【完結】王子に婚約破棄され故郷に帰った僕は、成長した美形の愛弟子に愛される事になりました。──BL短編集──
櫻坂 真紀
BL
【王子に婚約破棄され故郷に帰った僕は、成長した美形の愛弟子に愛される事になりました。】
元ショタの美形愛弟子×婚約破棄された出戻り魔法使いのお話、完結しました。
1万文字前後のBL短編集です。
規約の改定に伴い、過去の作品をまとめました。
暫く作品を書く予定はないので、ここで一旦完結します。
(もしまた書くなら、新しく短編集を作ると思います。)
キャッチ・ボール ~子どもは親を選べませんが~
冴季栄瑠
ライト文芸
僕の父はイケメンと呼ばれるが節操なしの最低男。
楓義母さんは父の後妻だが、正義感のある強い女性だった記憶がある。
義母の連れ子の桜も、いいやつだった。
しかし父の浮気が原因で両親は離婚。僕は父に引き取られ、すっかりひねくれて数年が経ち……。
あちらの顔も思い出せなくなった頃、桜が突然会いに来て……?
変わり者の父と息子とかつて家族だった少女の、家族の物語。
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