月への出張

風宮 秤

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移動編 :1

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 月への出発カウンターはホテルのある複合施設の中にあった。図書館の名札を付けたままの職員が受付時間になると現れた。
「こちらにセキュリティーブレスレットを翳してください」
 豊彦はカウンター横の端末に翳した。
「月へは一月の予定で、初めてですね・・・。事前に注意事項を聞いていますか?」
 職員は端末を見ながら、荷物の量も確認をした。
「月でのウエアは手配済みです。ブレスレットがあれば生活が出来ると聞いています」
「シャトル搭乗に関しての注意事項は聞いていますか?」
 豊彦は月にいる職員からも何も聞かされていなかった。
「いいえ、何も聞かされていませんが、大変な事ですか?」
 職員は生温かい目で暫く見ると、困った様に言った。
「月では娯楽品を含め数多くの物資を必要としています。通信環境はプライベートに回せるほど容量が大きくないです」
 豊彦は前置きが意味するものをイメージ出来なかった。
「手荷物のストレージの空き容量はどのくらいありますか?」
「数テラバイトはあると思いますが・・・・、なぜ必要ですか?」
「福利厚生のために、リクエストのある番組や音楽、電子書籍のデータを送っています。向こうのカウンターでファイルを回収するので実務に支障は出ないはずです。お願いできますか?」
 カウンター側の端末のモニターの向きを変えケーブルを伸ばしてきた。そしてにこやかに返事を待っている。
「勿論大丈夫ですよ。データを入れても重くなりませんから」
「ご協力ありがとうございます。リクエスト順に並んでいるので上から順番にコピーして下さい」
「その間に手荷物検査の説明をします。許可を得た生体以外は持ち込み禁止になっています。植物の種、発酵食品などの検査をします。次に、過重検査をします。最後に虫が紛れ込んでいる可能性があるので物理的殺虫を行います。宜しいですか?」
 聞き慣れない物理的殺虫に興味津々の豊彦だったが、別の言葉を聞き逃していた。
「データのコピー終りましたよ」
 職員は、豊彦の端末を預かるとカゴに入れた。
「では、手荷物の検査を行います。スーツケースから出して下さい」
 全てをテーブルに並べると、職員の表情が緩んだ。
「食品が一つもないのはとても助かりますよ。持ち込みで揉めるのが多いのが発酵食品ですから」
 酵母や微生物も生体扱いだった。
「こちらの肌着は購入のままですか・・・・ この袋必要ですか? このクリップは必要ですか? 間の厚紙は必要ですか? 商品札は月で捨てますか? 今捨てますか?」
 にこやかに見える職員からは逃げ場のないプレッシャーが掛かってきた。ノーと言えない事を確認すると全ての商品から不要なモノを外し秤に載せた。
「協力ありがとうございます。全て合わせると百十グラムになりました。百二十五ギガバイトのメモリーカード二十枚分になります。月基地で検索順位の高いデータを送る事が出来ます。ありがとうございます」
 スーツケースの中身は全部カゴに収まった。スーツケースは閉じて横に置いてある。まるで関係のない荷物のようだった。
「荷物はスーツケースに入れて乗船ですよね?」
 豊彦は厭な予感がした。
「このサイズのスーツケース五キログラムぐらいですよね。生命維持の部材を三個送れます。もちろん、代わりの袋はあります。協力して頂けますか?」
 にこやかに『生命維持の部材』と言われてしまうと、スーツケースと命を天秤に掛けているように聞こえる。
「もちろん、協力します。スーツケースはどうなります?」
「協力ありがとうございます。月から戻る時もこのスペースポートタワーになりますのでお預かりした荷物は『無料』でその時まで管理させていただきます」
 持って行きたい荷物で弾かれたものはなかったが、モヤモヤはあった。
「次は、バックパックの検査を行います。こちらにお願いします」
「これには仕事で使う物しか入っていませんよ」
 と、念を押す豊彦だった。でも、職員にとっては何度も繰り返される職務でしかなかった。一つ一つ丁寧に並べて品物を確認するとカゴに入れた。
「こちらのボールペンと万年筆は低重力の月では文字が掠れますが、交換しますか?」
 引き出しから加圧式のボールペンを出して来た。
「ちょっと待って下さい。万年筆は使い続けないと内部でインクが固まってしまいます。ここに置いていく訳に行きません」
 紙に手書きをする事は趣味と言われるほどの社会になっていたが、万年筆で書く事がアイデアを引き出す引き金になっていた。
「万年筆を持ち込む人は同じ事を言われます。文字を書く為ではないアイデアを書く為だと。こちらのボールペンにも拘りがありますか? なければ、こちらで交換すれば積載重量の無駄が減ります」
 積載重量の無駄を極限まで削る検査だと感じていた豊彦は思わぬ配慮に気持ちが揺らいでしまった。出張に万年筆を忘れてもアイデアが出ない訳ではなかった。自分の拘りを抑える事で誰かの役に立つのは悪い事ではなかった。
「一月の出張だから大丈夫かも。ダメなら分解メンテナンスしますよ」
 職員は申し訳なさそうに万年筆を受け取ると袋に入れた。
「あとは・・・、貴重品はどうされますか? 月での生活はセキュリティーブレスレットで管理なのでお金もカードも身分証明書もパスポートも必要ありません。こちらのスーツケースに入れて保管されるか、『無料』の貸金庫に保管される方法もあります」
「貸金庫にお願いします」
 カウンターの後ろの部屋から貸金庫を持ってくると貴重品と万年筆とボールペン、小物を数点入れた。
「施錠は、そのブレスレットで行います」
 ブレスレットを翳すと赤いランプが点いた。
「これで、全部ですよね?」
 豊彦は身包み剥がされた気分になっていた。
「その上着は、月基地では必要ないと思います。ここより暖かいですから」
「え、まだ剥ぐんですか?」
 本音が出た豊彦に笑顔で応える職員だった。
「見て下さい。水海道さんの協力のお陰で職員が必要とている物資を沢山送る事が出来ます。あともう少しで検査も終わります。ご協力お願いします」
 スーツケースの中の着替えの袋も値札も全て外されていた。仕事用のバックパックも月基地で必要ない物は全部出した。上着は脱いだ。あと残っている無駄な積載物・・・・、豊彦には有るように思えなかった。
「ここに、月基地で働いている職員に宛てたビデオレターがあります。テキストのやり取りは出来ても、家族の成長はビデオで伝えたいものです。お預かりしているビデオレターのうち職員が待ち望んでいるものがここにあります。ちょうど宿便と同じぐらいの重さになります。協力して頂けますか?」
「え?・・・・」
「家族の成長を記録したビデオレターです」
「いえ・・・・そこじゃないです。宿便なんて出せないから宿便ですよ」
「ご心配は必要ありません。専門医が処置をするので無駄な積載物は残しません」
 使命に燃えた熱いまなざしで真っ直ぐ豊彦を見る職員だった。豊彦が口を開く前に、
「月基地に行くのは簡単な事ではありません。そのためにビデオ会議やリモート操作などで対応しているのでプライベートの画像データを送れるほど回線に余裕がありません。そこで容量の少ないショートメッセージは誰でも無制限に使える代わりに、動画はビデオレターで送る様になりました。月に行くのは簡単ではありません。同じように地球に帰るのも簡単ではありません。どの職員もこのビデオレターを楽しみに月でのミッションを頑張っています」
 豊彦に断る選択肢は残っていなかった。これから一緒に仕事をする職員のビデオレターもあるかも知れない。天秤に掛けない訳ではなかったが、断る事は出来なかった。
「はい・・・・」
 職員のホッとした表情に、ビデオレターを一番運んで欲しいのはこの職員かもと疑う気持ちが芽生えたが、職員の分だけだとしても断ってはいけないと思い直した。
「もう一つお願いがあります。この検査の事は経験者外秘でお願いします。一グラムでも削減するには変な先入観を防ぎたいのです」
 自分に知らされなかった理由が分かったと思った。
「分かりました・・・・」
 気がつくと白衣姿が微笑んで待っていた。
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