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2:スペースポートタワー編
スペースポートタワー :5
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壁面から扇状に突き出た空中テラスはエリアを一望できる人気の場所だった。スタジアムの観客席の様に階段状に造られていて、音楽を聴いていたり眺めていたり、読書をしていたり昼寝をしていたり、誰もがのんびりと過ごしていた。
二人は工場ツアーの後にここに来ると植物園の高木を眺めながらコーヒーを味わっていた。
「待望の工場ツアーは満足でしたか?」
「良かったですね。実際に自分の目線で物を見て稼働音を聞いて存在感を身体で受ける事が出来ました。ここが月面基地の実験施設でもあると納得がいきました。今回の出張のミッションのナノマシンの効率向上の目的も良く分かりました。建設が進めば広い空間も手に入るし発電所を設置する事も出来ます。発電所が出来れば電磁カタパルトで資材を打ち上げられます。何より地球外で精錬が出来れば月の資源を使って惑星間航行宇宙船を建造できます」
始めて来た時は予定を変更したばかりに工場ツアーが出来なくなっていた。
「映美さん、これで良かったんですよ」
「? 何がですか?」
映美は何の話か分からなかった。
「前回、オーロラを先にしたから工場ツアーの時間が無くなったと思っているでしょ?」
「楽しみにしていたのを知っているから・・・・」
「でも、前にも言ったでしょ。工場ツアーは逃げないって。もし、予定通りに工場ツアーを先にしていたら頭頂部に上がれなくなってオーロラを横から見られなかったでしょ。それに今回は白夜で見られないし極点でのチャンスはあの後一度もないし」
「うん、ありがとう」
いつも、私の事を優先してくれる。でも、私も豊彦くんを優先したいのに。
「ツアーガイドのラインムートさん。ちゃんと知っていましたね。あの空気砲が作物の生長に効果があるから設置されていると言っていましたけど、なぜ効果があるのかな? どうやって気がついたのかな?」
映美は、普段よりお喋りな豊彦の腕をぎゅっと掴んだ。豊彦が話すのを止めると周りのお喋りが聞こえてきた。
「毎日、別々の職場で働いて帰ってくる。実験で徹夜の時もある。外国でのフォーラムに出席すれば一週間近く留守にする時もある。一月が特別長い時間じゃない事は分かっている。分かっているのに、言葉に出来ない不安に押しつぶされそう」
豊彦は映美の手に手を重ねた。
「ここに来るまでは、豊彦くんともう一度来られる。今度は工場ツアーを一緒に巡るんだと思っていました。それなのに、何年の時を費やしても歩いても泳いでも辿り着けない場所がある。どうしようもない絶望的な隔たりのある場所、それが月であると気づいてしまった。でも、月の人口は五百人を突破していて致命的な事故は起きていない。確率で言えば街中で生活するのと変わらない。地球の裏側に行くのと変わらない事は知っている。頭ではそう理解できているのに・・・・」
二人とも黙っていた。いつの間にかテラスから人影は消え眼下から観光客向けのアナウンスが聞こえてくる。空調の低いうなり音も聞こえてくる。天井が高く開放感を演出されていても密閉された空間だと感じずにいられなかった。
「僕も気持ちは同じです」
豊彦がぽつりと言った。
「僕たちが研究開発しているナノマシンで月面の地下に基地の建設が出来ます。それによってロケットの廃材の月面基地から自由に設計できる空間も桁違いに大きい新しい月面基地を建設できます。これは宇宙進出の大転換点です。そこに関われる事はとても嬉しいです。でも、月に行く事がどう言う事なのか分かっていませんでした。同じ重力と言う檻の中での移動とは違う完全に別な檻に行く事と気がついた時。言いようのない淋しさに襲われました。今もそれに潰されそうです」
二人の気持ちは一緒だった。研究者として未知の分野に挑み続ける事に躊躇いはなかった。しかし、電車で職場に通い、近所のスーパーで買い物をして、長靴を履いてあぜ道を歩き、空港で鉄の塊が浮き上がるのを見て感動して・・・、今までの全ての体験が地球上でしか起こり得ない事ばかりと気がついた。その常識の外に行く事が理性と感情を引き剥がしていった。だからと言って不安にさせたくない足枷になりたくない思いも一緒だった。
空調の低いうなりもテラスに人が戻ると聞こえなくなった。最前列で指さしながら観光スポットを確認している二人連れがいる。楽しそうに話している二人を豊彦も映美も見ていた。
「同じ星にいなくても同じ太陽に照らされています。地球の裏側と違って見上げたそこに僕たちはいます。遠く離れていても僕たちはお互いに見える場所にいます。だから僕たちは大丈夫です」
「そうだよね。外国に行くのが命がけだった時代と同じ感覚かもね。今ではコンビニの袋を提げて行くような距離感になっているからね。きっとガニメデに出張するのに比べればと言われる時代が来るんだと思う。でも・・・・」
映美は不安を抑え込もうとしていた。
「ダメですよ、声を詰まらせるなんて・・・・。帰りの便までは沢山時間があります。不安な気持ちがなくならなくても、一緒にいる今を大切にしましょう」
二人は公園の中を歩いている。ただ手を繋ぎ歩いている。何かを見つけると立ち止まり他愛のない事を話し、また歩いていく。遊歩道を歩く他の人たちと一緒に流れに任せて歩いていく。ベンチを見つけるとそこに座りお互いが隣に座っている事を実感した。
日曜日の朝の便で映美は帰る事になっている。時差の分だけスペースポートタワーを離れる時間は早くなる。
「火曜日は報告会ですよね」
「はい、楽しみです。今回の実験で原理を立証できたので予算獲得につながる筈です。そうしたら、色々な身体の傷が元通りになる筈です。摘出した部位も再生できるようになる筈です。患者さんの社会生活の質が向上します。顔の傷がなくなれば心の傷もなくなります。社会が必要としている筈の研究だから一日でも早く結果を出したいです」
映美は思い出していた。不安が消えなくても私にしか出来ない事。今はそれだけを考えようと。
二人は工場ツアーの後にここに来ると植物園の高木を眺めながらコーヒーを味わっていた。
「待望の工場ツアーは満足でしたか?」
「良かったですね。実際に自分の目線で物を見て稼働音を聞いて存在感を身体で受ける事が出来ました。ここが月面基地の実験施設でもあると納得がいきました。今回の出張のミッションのナノマシンの効率向上の目的も良く分かりました。建設が進めば広い空間も手に入るし発電所を設置する事も出来ます。発電所が出来れば電磁カタパルトで資材を打ち上げられます。何より地球外で精錬が出来れば月の資源を使って惑星間航行宇宙船を建造できます」
始めて来た時は予定を変更したばかりに工場ツアーが出来なくなっていた。
「映美さん、これで良かったんですよ」
「? 何がですか?」
映美は何の話か分からなかった。
「前回、オーロラを先にしたから工場ツアーの時間が無くなったと思っているでしょ?」
「楽しみにしていたのを知っているから・・・・」
「でも、前にも言ったでしょ。工場ツアーは逃げないって。もし、予定通りに工場ツアーを先にしていたら頭頂部に上がれなくなってオーロラを横から見られなかったでしょ。それに今回は白夜で見られないし極点でのチャンスはあの後一度もないし」
「うん、ありがとう」
いつも、私の事を優先してくれる。でも、私も豊彦くんを優先したいのに。
「ツアーガイドのラインムートさん。ちゃんと知っていましたね。あの空気砲が作物の生長に効果があるから設置されていると言っていましたけど、なぜ効果があるのかな? どうやって気がついたのかな?」
映美は、普段よりお喋りな豊彦の腕をぎゅっと掴んだ。豊彦が話すのを止めると周りのお喋りが聞こえてきた。
「毎日、別々の職場で働いて帰ってくる。実験で徹夜の時もある。外国でのフォーラムに出席すれば一週間近く留守にする時もある。一月が特別長い時間じゃない事は分かっている。分かっているのに、言葉に出来ない不安に押しつぶされそう」
豊彦は映美の手に手を重ねた。
「ここに来るまでは、豊彦くんともう一度来られる。今度は工場ツアーを一緒に巡るんだと思っていました。それなのに、何年の時を費やしても歩いても泳いでも辿り着けない場所がある。どうしようもない絶望的な隔たりのある場所、それが月であると気づいてしまった。でも、月の人口は五百人を突破していて致命的な事故は起きていない。確率で言えば街中で生活するのと変わらない。地球の裏側に行くのと変わらない事は知っている。頭ではそう理解できているのに・・・・」
二人とも黙っていた。いつの間にかテラスから人影は消え眼下から観光客向けのアナウンスが聞こえてくる。空調の低いうなり音も聞こえてくる。天井が高く開放感を演出されていても密閉された空間だと感じずにいられなかった。
「僕も気持ちは同じです」
豊彦がぽつりと言った。
「僕たちが研究開発しているナノマシンで月面の地下に基地の建設が出来ます。それによってロケットの廃材の月面基地から自由に設計できる空間も桁違いに大きい新しい月面基地を建設できます。これは宇宙進出の大転換点です。そこに関われる事はとても嬉しいです。でも、月に行く事がどう言う事なのか分かっていませんでした。同じ重力と言う檻の中での移動とは違う完全に別な檻に行く事と気がついた時。言いようのない淋しさに襲われました。今もそれに潰されそうです」
二人の気持ちは一緒だった。研究者として未知の分野に挑み続ける事に躊躇いはなかった。しかし、電車で職場に通い、近所のスーパーで買い物をして、長靴を履いてあぜ道を歩き、空港で鉄の塊が浮き上がるのを見て感動して・・・、今までの全ての体験が地球上でしか起こり得ない事ばかりと気がついた。その常識の外に行く事が理性と感情を引き剥がしていった。だからと言って不安にさせたくない足枷になりたくない思いも一緒だった。
空調の低いうなりもテラスに人が戻ると聞こえなくなった。最前列で指さしながら観光スポットを確認している二人連れがいる。楽しそうに話している二人を豊彦も映美も見ていた。
「同じ星にいなくても同じ太陽に照らされています。地球の裏側と違って見上げたそこに僕たちはいます。遠く離れていても僕たちはお互いに見える場所にいます。だから僕たちは大丈夫です」
「そうだよね。外国に行くのが命がけだった時代と同じ感覚かもね。今ではコンビニの袋を提げて行くような距離感になっているからね。きっとガニメデに出張するのに比べればと言われる時代が来るんだと思う。でも・・・・」
映美は不安を抑え込もうとしていた。
「ダメですよ、声を詰まらせるなんて・・・・。帰りの便までは沢山時間があります。不安な気持ちがなくならなくても、一緒にいる今を大切にしましょう」
二人は公園の中を歩いている。ただ手を繋ぎ歩いている。何かを見つけると立ち止まり他愛のない事を話し、また歩いていく。遊歩道を歩く他の人たちと一緒に流れに任せて歩いていく。ベンチを見つけるとそこに座りお互いが隣に座っている事を実感した。
日曜日の朝の便で映美は帰る事になっている。時差の分だけスペースポートタワーを離れる時間は早くなる。
「火曜日は報告会ですよね」
「はい、楽しみです。今回の実験で原理を立証できたので予算獲得につながる筈です。そうしたら、色々な身体の傷が元通りになる筈です。摘出した部位も再生できるようになる筈です。患者さんの社会生活の質が向上します。顔の傷がなくなれば心の傷もなくなります。社会が必要としている筈の研究だから一日でも早く結果を出したいです」
映美は思い出していた。不安が消えなくても私にしか出来ない事。今はそれだけを考えようと。
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