鍵の勇者と錠の聖女

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2日目 村の薬と迷い人

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 今朝までは、なぜ怪魔を呼び寄せて都市部を破壊しようとするのか、その意図がわからないだけだった。だがその騒ぎの裏で操言士を誘拐していると知ると、破壊以上の恐怖を覚える。それは自分も操言士の端くれだからだろう。

「どうしてなのかはまだわからない。一番雑に考えられる可能性は、彼らがセカンディアの人間で、オリジーアの操言士を誘拐することでオリジーアを弱体化させたいのかもしれない、ってことだね」
「オリジーアの戦力を削いでから、また戦争でもする気か」

 ユルゲンは鼻で笑った。王黎は「雑に考えられる可能性」と言ったが、確かに雑な想像だ。

「でも、ピラーオルドという組織が『闇神様の下に集いし者』と自称している点も気になります。昨日、馬龍を揺さぶるために言ったことだけど、魂を作る闇の神様ヤオディミスの力を悪用して魂を持つ怪魔を操っている、という推測は、かなり真実に近いんじゃないかと思います。そしてその推測に、誘拐された操言士が関わっているのかもしれない」

 全員、何も言えずに沈黙した。
 水の村レイトでキヴィネと遭遇した時は、怪魔がまるで戦略的に陽動をしているようでそんな馬鹿な、と思った。しかし拭い切れない不自然さ、違和感は確かにあった。
 そして音の街ラフーアの怪魔襲撃事件と操言士ローベル、始海の塔で聞いた魂と身体と心や神様の話――それらがここポーレンヌでつながってくる。人々を脅かす悪事が人々の与り知らぬところで進んでいるようだ、と。

「世界が……大きく動く」

 重苦しい沈黙に包まれた中で、紀更はささやくように呟いた。
 ジャスパーに託された、フォスニア王子からの手紙。そこに書かれていた抽象的なその言葉は、いま目の前で起きている事象を指していたのだろうか。それともこれから起こり得る、何か別のことなのだろうか。

「優大王子が手紙で伝えたかったのはこのことなのでしょうか。優大王子はピラーオルドのことを知っているのでしょうか」

 紀更以外の誰も、何も言わない。その問いに答えられる者は、ここにはいない。どこにもいない。いま、自分たちは何を見ているのか。世界に何が起きているのか。何が動いていて、誰が知っていて、自分たちはこれからどうするべきなのか。

「操言士は人々の生活を守り支える、国にとって重要な存在です。祈聖石が盗まれ、怪魔によって都市部が襲われ、挙句の果てに操言士が誘拐されたら……。ただでさえ、操言士はなりたくてなれるわけじゃない……増やしたくても増やせるものじゃないのに」

 紀更は、自分の口から出てくる言葉に自分で恐怖した。

「もしも、すべての操言士がいなくなってしまったら……」

 瑞々しい緑の瞳を揺らす紀更に王黎は淡々と告げる。

「怪魔を殲滅できる操言士がこのオリジーアからいなくなったら、すべての都市部が怪魔に滅ぼされるかもしれないね。昨日見たからわかると思うけど、多くの騎士がどれだけ奮戦しても怪魔ゲルーネなんて物理攻撃だけじゃ絶対に斃せない。都市部を……国を守るために操言士の存在は絶対に欠かせない」

 ピラーオルド――新たな世界の柱を望んで闇神様の下に集いし者。
 操言士という存在を消すことが、彼らの望み? 操言士のいない世界が、新たな柱で創られた世界ということだろうか。馬龍やローベル、操言士の彼らがなぜ、同じ操言士を消したがるのだろう。

「王黎、そこの騎士さんたちが訊かないから俺が訊くけどよ」

 ピラーオルドの目的を想像して絶句していた紀更に構わず、ユルゲンが重々しく問いかけた。

「お前は奴らを知っているのか」

 言い出しに使われたエリックとルーカスは気まずそうに黙って床を見つめた。だがその話題に触れないわけにもいかず、ユルゲンと同じように王黎からの答えを待ち望む。

「馬龍って奴は、お前に何か憶えがあったようだぞ」
「それについてははっきりと言うけど、僕は彼らを知らないよ。〝闇の子〟と呼ばれたようだったけど、僕は闇が特別好きというわけでもないし、ましてや闇の神様ヤオディミスと話したことがあるわけでも、魂を作り出せるわけでもない。優秀な普通の操言士だよ」
「あいつらにとってはそうじゃないんじゃねぇの。『震えて待っていろ』……確かに馬龍はそう言った。あいつらはこの先お前に近付いてくるんじゃないのか。その理由をお前は本当に知らないのか」
「うーん……」

 ユルゲンに追及されて、王黎は珍しく返答に窮した。
 紀更は王黎に声をかけようとしたがなんと言ってよいのかわからず、唸る王黎をじっと見つめることしかできない。

「まあ、お前を疑ったところで俺に利はないし、お前の主張の真偽を確かめる術もないからこれ以上詮索はしない。けど、見習いでも構わないから操言士を誘拐する組織と、また来ることをほのめかす馬龍たち。そんな奴らがいるとわかって紀更はどうなる?」

 ユルゲンが問いかけると、紀更以外の全員の視線がいっせいに紀更へ注がれた。全員に見つめられて、紀更は気まずそうに瞬きをする。

「ピラーオルドの目的は操言士の誘拐だ。さらに馬龍は王黎に用があるらしい。奴らにとっては紀更と王黎、二種類の餌があるようなもんだろ」
「まあ……そうだね」

 王黎は頷くしかなかった。
 先ほど、祈聖石巡礼の旅は予定通り続けるのかとエリックに問われて即答できなかった理由はそこにある。

「紀更」

 王黎は紀更に顔を向けると唐突に言った。

「王都に戻ろう。祈聖石巡礼の旅はここで終わりだ」
「え……」

 紀更は息を呑んだ。それはあまりにも無機質な宣告だった。

「ユルゲンくんの言うとおり、この先も旅を続けるには情勢が不透明すぎる。僕らの安全を脅かすのがただの怪魔や野生動物、野盗程度ならまだ対処もできるけど、ピラーオルドは僕らの知らない力……怪魔を操ることのできる力を使うみたいだからね。裏切りの操言士ローベルのこと、始海の塔のこと、そして昨日知ったピラーオルドのこと。すべて王都の操言士団に話して判断を仰ごう」
「それは……でも、旅を終えたら、私……」
「間違いなく、また操言院に閉じこもることになるね。でも、それも修了試験に合格するまでだ。合格して一人前になれば操言院での生活も終わる。永遠に続くわけじゃない。大丈夫、あと少し基本を完璧にすればすぐに合格できるよ」

 王黎は励ますように言ったが、その言葉は紀更には届かない。
 王都に戻って旅が終わるかもしれない――港町ウダに着いた時からその可能性は見えていた。けれどもどこかで王黎に期待していた。なんだかんだ理由をつけて王都には戻らず、この旅を続けてくれるのではないか。仮に王都に戻ったとしても、操言院でのあの息苦しい日々をまた過ごすような目には遭わせないでいてくれるのではないかと。しかし無意識のうちに抱いていたその期待は泡となって消えた。

「そういうことでエリックさん、王都に戻りましょう」
「それは今すぐ出発するという意味か? 王都に出した手紙の返事はどうする。行き違いになるかもしれないぞ」
「そうですね、さすがに今すぐは慌ただしいですし、明日出発しましょうか。今日中に返事が来るかもしれないですしね」

 進路を決めた王黎はすぐに頭を切り替えて、次の行動をエリックと相談する。あまりにも普段と変わらないその調子には、旅を終わらせることへの寂しさや残念さは微塵も感じられない。所詮、王黎にとってこの祈聖石巡礼の旅はその程度のものだったというのか。自分はこんなにも複雑な気持ちでいるというのに。

(戻る……王都に……)

 紀更は気持ちの整理ができず、床に視線を落としたまま動かない。しかし王黎と二人の騎士は建設的な会話を粛々と進める。

「王黎殿、最美殿はいいのですか。ここで戻りを待った方がいいのでは」
「ああ、最美なら大丈夫。どこにいても必ず僕を見つけて戻ってくるから」
「明日出発するなら、馬は今日中に用意したいところだな」
「ポーレンヌ操言支部に相談してみます。エリックさんとルーカスくんは騎士団で調達できますか」
「っ……」

 紀更はいたたまれなくなって、無言で王黎に背を向けた。そして客室を出ていこうとドアノブに手をかける。

「紀更、宿からは出ないでね」

 無言の苛立ちを放つ子供な弟子の背中に、王黎は少し棘のある声を投げる。
 返事をせずに宿の階段を下りていく紀更のあとを、紅雷が黙って追いかけた。



――王黎師匠。
――なんだい?
――あの……お休みを……いただけませんか。
――休み?
――家に帰って……一日で、いいんです。見習い操言士になる……前のように……普通の時間を、過ごしたいんです……。操言院から出たくて……。

 喋ることさえ重くて苦しい。笑顔でいようとしても笑えない。暗記しろと言われたことはすべて右から左に抜けてしまって、自分なりに頑張っているはずなのにもう何も憶えられない。何も理解できない。べっとりと重たい泥が身体に張り付いて、じわじわと沈んでいく。そして誰もそのことに気付いてくれない。自分も、この身体にまとわりついた重さをどう説明していいのかわからない。苦しいのにそれを表現する言葉が見つからず、誰にも理解してもらえない孤独感がつのっていく。
 王黎に休みを願い出たあの時の自分は、思い返してみれば心身ともに限界だった。慣れない環境で、それでも頑張らねばと自分に言い聞かせ続けてきた真面目な心があと少しで壊れてしまうところだったように思う。

(遠い昔のことのように感じる……まだ一ヶ月も経っていないはずなのに)

 王黎たちから離れて一人になりたくて、しかし宿から出ることは許されなくて、紀更は仕方なく、宿の一階にある談話室のソファに腰掛けた。さいわい、昼間の宿の談話室で時間を浪費しているほかの宿泊客はおらず、静かな談話室を独り占めにできた。
 だがそれも束の間のことだった。
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