AFTER SCHOOL

よこすかなみ

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上っ面の偽善者

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 半分。
 この言葉から受ける印象は人それぞれだと思う。
 あと半分も残っているのか、半分しか残っていないのか。
 俺は場合によって使い分けるという曖昧な答えを提示するが、今この状況では確実に後者として使っていないと、俺の精神が耐えきれない。
 つまり何が言いたいかというと、期末が半分終わったということだ。
 というわけで今日は期末二日目。七月の上旬だ。
 帰りのHRすらも特にないこの日々は、学校に居残って勉強しようとする奴や直帰する奴らで、教室はざわざわしつつも人をだんだんと吐きだしていた。
 俺はというと、観念して自習室で勉強しようなんて、我ながら殊勝な行動を取ろうと決心していたのだが、やはり嫌なことは後回しにしてしまうもので、まだ残っている友達と少しだべっていた。
「あと何教科?」
「七!」
「いやぁー! 半分終わったべ!」
「終わった? どういう意味で?」
「レッドポイント!」
「英語にする意味!」
 あはは、と余裕ぶちかまして笑いあっていると、肩を誰かが後ろから小さな力でトントンと叩いた。
 振りかえると背の高い女の子が控えめに立っている。
「あの、少し、お話、いいですか……?」
 青いし、透けてるし、影はない。
 過去に死んでしまったらしい女の子は申し訳なさそうに右手で小さく手招きをした。
「あ、俺もう帰る」
「おぉー、またなー!」
 同じくらいの成績を取るであろう仲間に手を振って教室から出ると、女の子は人のよさそうな笑いをしたので、俺もそれに返して笑いながら、ポケットに入っていた笛を取り出して吹いた。
 多分、俺一人で解決できることじゃないと思う。
 ポケットにどっちの笛を入れていたかなんて把握してなかったけど、手の中を見たら白い方だった。
 試験終了後の学校に残る生徒なんて、俺みたいにだべってる奴ぐらいで、学校で勉強しようなんてやつは図書室や自習室に行っているから、廊下はがらんとしていた。
「すいません、急に呼んじゃって……。でもあなた、私のこと見えますよね? それが分かったらいてもたってもいられなくて……」
 女の子は百七十を超えていそうな長身。俺と同じくらい。髪が長くて、胸の下ぐらいまであるストレート。
「あぁ、いいですよ、別に。きっと俺が解決することじゃないだろうし」
「え?」
 女の子が少し眉を動かした時、だるそうな声が背中に振りかかった。
「なんだよつぐ、女の子のナンパに成功したから見せびらかすために呼んだのか?」
 頭をぼりぼり掻きながら近づいてくるソラの後頭部をロクさんが引っぱたいた。
「そんな理由で呼ぶわけないだろう」
 ロクさんは女の子と目が合うと、やあ、という風に微笑んだ。なんとイケメンで紳士なことだろう。
 女の子はというと、そんなロクさんに特に大した反応はなく、頭を小さくぺこりと下げただけだった。図書室の葉奈さんは頰を赤くしていたというのに。
 ロクさんに対する意外な態度にちょっと驚いていると、ソラがぐい、と俺の腕を引っ張って耳打ちしてきた。
「なぁ、あの子胸でかくね?」
 黙っとれ!
「いった!!」
 思いっきり足を踵で踏んでやると、思った以上にダメージがあったらしく、ソラは足の甲を押さえながらぴょんぴょんと跳ねた。
「なんだよ、お前もそう思っただろ?」
「…………」
 ……確かに気づいてはいた。学校ですれ違う人に比べては、やたら前に出ているなと。
 だがいくら小声だと言っても、本人の前でそんな話をできる度胸を俺は持ち合わせていない。
「デリカシーないんだよ、お前は」
「だからちっちぇ声で話したじゃん」
 俺とソラの争いにため息をついたロクさんが、茫然としていたその子をやっと促した。
「それで、何の用なんだい?」

「えっと……。私、みねって言います。美しい音って書いて、美音。私が死んだのは大学生の頃で……。その時にすごい大切な人がいたんです……」
 薄く笑いながら俯いてしまう美音さん。その言葉に天使と悪魔が同時に同じ質問をした。
「恋人?」
「リア充?」
 俺は迷わずソラのケツを蹴った。
「ってぇな! 何なんだお前はさっきから!」
 何なんだはこっちの台詞だ。お前の辞書にデリカシーという項目を付け足しておけ。
「あ、いいですよ別に……。その通りですし……。その頃付き合っていた人が今どうなっているか、気になるので……、調べて欲しいんです……」
 頬が赤くなっている。そうか、ロクさんになびかなかったのは、好きな人がちゃんといたからか。
「私……ほんと、こんな内気な性格だから、好きになっても友達とかに打ち明けられなくて……。でも、彼から告白してくれて……。それから、ずっと……一緒にいようって、大事にしてくれて……」
 その彼を思い出しているのか、心の底から愛しそうな話し方だった。
「ほんと……元気って分かれば、それでいいので……」
 死んだ後もまだ気になるって、本当にその人のことが好きだったんだな。
 俺もいつかそんな相手ができるのだろうか。
「そうか。それならお安い御用だよ」
 もじもじと言葉尻が聞こえなくなってきていた美音さんは、ロクさんの微笑みを受けて安堵の表情を見せた。
 が、
「オレは反対だ」
 平和な雰囲気をソラの一言が台無しにした。
 あからさまに傷ついた顔をした美音さんが視界に映り、俺はソラに反発した。
「なんでだよ、恋人の安否の心配くらいしたっていいだろ」
「馬鹿、お前は何回幽霊に殺されかけてんだよ。こいつにしたって、腹の底じゃ何考えてんのかわかんねーぞ。生きてるやつに関わらせたくない」
 この人は違うんじゃないのか?
「どっから出てくんだ、その根拠」
 幽霊が全員、悪者って決まってるわけじゃないだろ。
「高確率で悪いやつだ。今生きてるやつに逆恨みしてんだよ」
 純粋に今生きてる知り合いを気にしてるやつの立場はどうなる。
「諦めろ。人間の世界じゃ、幽霊なんて架空の存在なんだろ。お前が運悪く見えちまってるだけで」
 幽霊になった以上、どうにかしてやりたいだろ!
「ハイリスクノーリターンじゃねぇか! むしろ恩を仇で返されるかもしれねーだろ!」
「この人間不信!」
「信じた方が馬鹿を見るだけだ!」
 しばらくバチバチと視線の間で火花が散ったが、ロクさんがそれを破った。
「はいそこまで」
 冷静に俺とソラの間の空間をチョップすると、俺の肩にぽんと手を乗せた。
「僕は続くんの意見に賛成かな。確かに、全員が全員悪人と決まっているわけじゃあない」
「ロクさん……」
「勝手にしろ」
 ソラぷい、とそっぽを向いて、何処かへ行ってしまった。
 ロクさんと俺は、おろおろしていた美音さんに振りかえって、了解の意を示し、美音さんはにっこりと笑った。
「あの、できれば、彼の住所とか……教えて頂けると……」
「あぁ、いいよ」
 ロクさんと美音さんの会話は俺の頭にまったく入ってこない。
 俺は去ったソラの背中を思い出す。
 ……ソラのバカ。

 次の日。
 というと、ロクさんの美音さん彼氏捜査が終わったのかどうかというより、俺は期末三日目という難関と戦うことの方が重要だった。
 シャーペン片手にがりがりと、ほとんど白紙の解答用紙とずらずらと英語が並ぶ問題用紙とにらめっこ。「俺、海外出る予定ないから」なんて皆言うけど、俺もまったく同意見。
 英語という言語とは全く縁がないと思う、つくづく。嫌いなものから逃げるなとは言うけど、こればっかりは俺が逃げてんじゃなくて、英語が俺を避けてんじゃないかってくらいだ。
 そんな英語も今日の最終科目。これが終われば、残すは後四分の一になるわけで……!
 試験終了のチャイムと同時に、俺はシャーペンと煙を上げていた頭をほっぽり出した。
 俺の列の一番後ろの席の女子が、真っ白な解答用紙を回収していく。いや、真っ白は盛った、というより減らしたな。ちゃんと何個か埋めてある箇所もある。恐らくは目標を達成できるくらいは書いてある。
 俺の目標は赤点回避。
 赤点取り続けて、内申が悪くなり過ぎれば、当然留年だってある。さすがにもう一度高校一年生をやり直すのは勘弁したいものだ。
 と言ってもまだ最初の期末だけど。だが、ここでどれだけ点数を稼いで置くかで後の余裕が決まる。最初が肝心なのだ。
 ぷしゅー、と机の上に突っ伏して、燃え尽きた……とか思っていると、ロクさんが目の前に立っていた。
「!?」
 ビビった。なんでこう音もなく現れるんだ。
「あ、ごめん、驚かして。返事しなくていいから聞いてくれるかな?」
 ロクさんの問いに俺はわずかに頷いた。
「調べ終わったから、とりあえず美音ちゃんに知らせる前に、続くんに報告しとこうと思ってね」
 と、前置きして始まったロクさんの話はまとめるとこんな感じだ。
 相手は福田晃(ふくだあきら)さん。現在大学二年生。塾で講師のバイトをやっていて、今年で二十歳。今は親元から離れて大学の寮に住んでいる。K大学文学部英文学科。
「それで、寮の住所がこれ」
 ロクさんがそっと小さな紙を机に置いた。
 俺はその紙を見て少し驚いた。
「すげー近所」
 K大学が俺の家の近くにあるから、大学名を聞いた時からなんとなく予想はしていたが、まさか寮で暮らしているとは思わなかった。
「そうなのかい? まぁ、言われたことは調べてみたんだけど……」
 けど?
 複雑な表情で歯切れの悪いロクさんに怪訝な顔をする俺。
「彼、今は新しい彼女がいるんだ。前の彼女が死んだのに、もう次の人と付き合ってるのかと思うと、信じられない神経をしてると思うよ」
 …………マジか。
「それは……伝えにくいですね」
「……うん。でも今日は僕ちょっと手が離せないから、続くんから知らせてもらえるかい?」
 ……別に、いいですけど。
「よかった。ごめんね、汚れ役頼んじゃって」
 ロクさんは申し訳なさそうに、両手を顔の前に合わせて首をちょこんと傾げた。
 ……なんでこの人は男なんだろうか。

 友達としゃべることもなく、俺はさっさと教室を後にした。
 早く、美音さんに知らせてあげたい。
 ………元気にしてるってことだけ教えて、彼女がいるってことは黙っておこう……。嘘も方便って言うし、不用意に傷つける必要はないよな。
 下校が始まったばかりで騒々しい中を、俺は周りを見渡しながら、廊下を歩いた。
 前を見ずに、横ばかりに気が行っていたせいで、どん、と誰かにぶつかってしまった。
「あ、すみませ……」
「おい」
 ………………ソラ。
 謝って損した。俺は華麗なスルーをかまして、何事もなかったようにソラに背を向ける。
「待てよ」
 なんだよ。
 腕を掴んできたので、思いっきり振り払う。
「もう分かったんだろ、アイツの元カレの身元」
 そうだけど、それがなんだっていうんだ。勝手にしろって言っただろ、お前。
「これからどうする気だ」
 どうするも何も、それを伝えに行くんだよ。
「それ、明日にしてくれねーか」
 は?
「だから、アイツに元カレの個人情報教えんの、明日に引き延ばしてくれって言ってんの」
 なんでだよ、美音さんも早く知りたいだろうに。妙な意地悪するなよ。
「そういうんじゃねぇよ!」
 突然、何の前触れもなく怒鳴ったソラに、少なからず俺は怯んでしまった。ソラの方もはっとしたように、口を押さえる。思わずでかい声が出てしまったという表情だ。
「悪い……。そうじゃなくて、違うから、頼むから……!」
 茫然とする俺の前で、ソラは腰を折って、長い体を直角に曲げた。
「この通りだから……明日まで待ってくれ……!」
 俺に頭を下げるソラ。なんて、俺は予想しなかった事態にかなり動揺した。
「そこまで言うなら……別に、いいけど……」
「ほんとか!」
 俺が折れると、ソラは子供っぽい笑顔で、ぱあっと輝いた。
「じゃあ、明日な! 絶対な! 言う時は知らせてくれ!」
 手を振りながら、どんどん遠くへと行ってしまうソラ。なんなんだアイツは。
 既に友達と別れてしまった俺も、大人しく帰ることにする。
 しかし、そんなに今日伝えるのがいけないことなのか。
 明日でも今日でも、そんなに変わらないと思うし、ソラが頭を下げる程の理由はどこにもなかったと思う。あのまま喧嘩腰でやめろと言われてたら確実に教えていただろう。
 ソラにとって、明日だと何か都合が悪いのかもしれない。
 ロクさんも今日は都合が合わないみたいだった。
 まぁ、俺だけが美音さんといても、何か要望があった時に応えられないし、二人がいた方が色々と心強いから、俺も今日じゃない方がよかったかもしれない。
「あの……」
 自転車を押して、あと少しで校門、という所で背後から話しかけられた。声の主に目を向けると、立っていたのは美音さんだった。
「彼のこと、何か分かりましたか……?」
 期待と恐れの詰まった瞳が俺を捉えている。
 その瞳に、何故か俺は一瞬怯えた。
「あぁ……」
 良い人のはずなのに、なんで今、俺はこの人を怖いと思ったんだ?
 真実を言おうか、少し躊躇ったが、頭を下げるソラがよぎり、俺は情けない笑顔を顔面に張り付けた。
「もうちょっと時間かかるそうですよ」
「……そう、ですか」
 落胆する彼女。
 しかし、すぐに俺の両肩をがっと掴んできた。
「いっ!?」
 ぎりぎりと強められる力に、いつかのジャンケンに混ざってきた人を思い出す。
 ホントに女子の握力かこれ!?
「急いでください……! 時間がないんです……!」
 俯いていて顔は見えないが、とてつもなく低い声色に、彼女が苛立ち怒っていることが窺えた。
「で……でも……明日には分かるそうですよ……」
「ほんとですか!」
 苦痛に耐えながら、なんとか言うと、ぱあっと花がほころぶような素敵な笑みと同時に肩にかかっていた圧力もなくなった。俺は思わず距離をとる。
「ありがとうございます……!」
 深々と礼をする美音さん。長い髪が肩から流れた。今日はよく人のつむじを見る日だ。
「じゃあ、明日、絶対に教えてくださいね!」
「はい、必ず」
 控えめに振ってくれる手に、軽く会釈をして応えた。
 その手を見ながら、まだじんじんと痛む肩を触る。
 ………なんだったんだ、今の?

 翌日。
 盛大なチャイムの音と同時に、俺は盛大に両腕を上にあげた。
 期末終了……!!
 長かった……今まで……!
 高らかなガッツポーズは、後ろから答案用紙を回収していた女子に笑われてしまった。俺は満足そうに、ほとんど白い紙を手渡す。
「あはは、全然書いてないじゃん。それ、できたーっていうガッツポーズじゃないの?」
 終わったーって意味。
「そうだね。私もオワターって感じ、あは」
 その子も小さく両腕を上げ、さっきの俺と同じポーズをしながら、先生へと近付いて行った。
 さて……と。
 期末が終了したため、部活も今日から解禁となる。ノット帰宅部の連中が弁当の入ったカバンを片手に、同じ部活同士で固まり始めた。
 帰宅部の俺とだべっていた友たちも、今日からはそうもいかなくなる。
 だから、俺は大人しく美音さんへの報告をして、さっさと帰る予定だった。
 廊下へ出て、駐輪場に足を進めながら、周りに誰もいないのを確認して、黒い笛を取り出して吹いた。
 すぐにロクさんが来た。教える時は呼べよ、とかなんとか言っていたくせに、遅刻とは何事だ。
「どうしたんだい?」
 不思議そうな顔で見てくるロクさんに訊かれておっとと思った。
 そうだ、昨日美音さんに教えなかったこと、ロクさんには話してないんだった。
「ソラに、教えるのは今日にしてくれ、って頼まれて、昨日は黙ってたんです。これから伝えに行こうと思うんですけど、美音さんがどこにいるかわかりますか?」
 簡単に説明しつつ、人探しを求めると、ロクさんはふむ、と納得して、手招きしながら歩き始めた。
 俺は大人しくついていく。すると、自転車置き場の、俺の自転車の前に、美音さんは立っていた。
「あっ! お待ちしてました!」
 無邪気な笑みに、俺はどこか気味悪さを感じてしまった。
 なんて、だめだろ。失礼、失礼。
「彼、今どうしてるんですか?」
「元気だよ。特に、悪い病気とかには罹っていないみたいだ」
 美音さんの質問に、ロクさんが答える。美音さんを見ていると、何故かだんだん口の中が乾いてくる気がした。
「その、住所って……」
「あぁ、これ」
 ロクさんが前に俺に見せてくれた紙を渡す。
 美音さんはそれを無駄に恭しく受け取った。
 そして。
 突然、笑い始めた。
「あはは、そっか、まだここに住んでんだ……。あはははは!」
「あの……美音さん……?」
 明らかに様子が豹変した美音さんに、恐る恐る話しかけると、今までとは全く違う人を蔑んだ目で見返された。
「こいつ、今、彼女いるでしょ?」
「え……、まぁ……はい」
 話さない方向で行こうとしていた話を、ふいに美音さんから突かれて、思わず正直に暴露してしまった。
「だろうな! まだ別れてなかったのかよ! ……あ、それとも、新しい子かな?」
「美音さん……話がよく……」
 全然掴めない。この人はなんの話をしているんだ?
「調べてくれてありがとう。お礼に少しだけ教えてあげる」
 ぽんと俺の頭に手を乗せる美音さん。
「あいつ、私と付き合ってた時、二股してたんだぜ?」
 台詞が終わると同時に、目の前を旋風が吹いた。そして、美音さんの姿はどこにも見当たらない。ぽかんと口が閉じない俺の隣で、ロクさんが舌打ちした。
「しまった! そういうことか!」
 なんだ……? どういうことなんだ……?
「彼女、今から福田さんの所に行ったんだ!」
 続くロクさんの言葉を待つ。
「…………多分、殺しに」
「は!?」
 何で安否を心配していた人間を殺してしまうんだ?
「そんなの、真っ赤な嘘だろう。彼の今の住所を聞き出すための。幽霊って自覚してたから、恐らくこの学校以外にも移動距離が広がっているのかもしれない」
 そんな……。
 やっと……幽霊でも、ちゃんと信じられる人がいたと思ったのに……。
「僕はこれから福田さんの所に行くけど、君はどうする?」
 俺……? 俺は……。
 ぐらつく足元と頭の中。
 どうしたいんだ、俺は。
 ソラの言葉がうなだれた頭をぐるぐるとリピート。
『信じた方が馬鹿を見るだけだ』
 はは、その通りだったよ……。
 乾いた笑いをしてから、きりっとロクさんを見つめた。
「俺も行きます」
 行っても何の役にも立たないと思うけど。
 俺のせいで、福田さんを殺させるわけにはいかない。
 ロクさんはそんな俺をどう思ったのか、にこりと優しく微笑んだ。
「場所は分かるんだろう? 速くおいでよ」
 そう言って、ロクさんは姿を消した。
 俺は超高速で自転車の鍵を開けると、立ちこぎ全開でK大学の寮を目指した。

 K大学の寮がやっと見えてきた時、丁度寮の門から出てきた男の人がいた。
 その人はそのまま左に曲がる。それは別にいいんだ。
 反対側から、美音さんが近づいていることを除けば。
 まずい! きっとあの人が福田さんだ!
 美音さんの殺意をはらんだ両腕が着実に福田さんに近づく。
 俺は疲れ果てている両足を必死で漕ぐが、距離が距離なだけに全然追いつかない。
 というか、ロクさんは? あの人先に行ったんじゃないのか?
 いいや、今いないならそれまでだ。いない人に頼っている場合じゃない。
 自分で撒いた種だ。俺がなんとかしないと!
 ソラがいなくても、ロクさんがいなくても。
 俺が、美音さんを止めるんだ。
 このまま自転車で突っ込む!
 美音さんの手と、福田さんの首との間があと三センチくらいになった時、
「はい、残念でしたー」
 その両手をソラが掴んだ。
「なんだよ、お前。離せ!」
 ソラの片手で両腕の自由を奪われた美音さんが、じたばたと暴れる。
 それを無視して、ソラは冷静に空いている方の手でポケットから黒のハンドガンを取りだした。
「殺人未遂現行犯逮捕ー」
「ちょっと! 私は悪くないでしょ!?」
「生きてる人間に危害を加えようと目論んだ時点でアウト」
 抗議を試みる美音さんに、まるで聞き耳をもたずに、ソラの銃はぴたりと美音さんの眉間に押しつけられた。
「地獄で反省しろ」
 ソラがトリガーを引くと、美音さんはあっさりと霧になって消えていった。

「だからさ、アイツは福田と付き合っていた頃に二股されていたのを知って、悔しくなって自殺したんだ」
 後日の放課後、みんなが帰りきった教室で、ソラは俺とロクさんに説明してくれた。
 ソラは机に座って、俺は隣の机によっかかって、ロクさんは背筋をまっすぐにして立っている。
「自分が自殺して、福田はどう思っているのか知りたかったんだろ。で、なんとも感じてないことをどこかで知って、復讐しようと思った。怪しいと思ってあいつを調べてたんだが、思いの外時間がかかったから、教えるのを一日待ってくれって頼んだんだ」
「そうだったのか……」
 俺はソラの話を聞いていて、辛くなった。
 美音さんの過去に胸が痛んだんじゃない。そういう同情とかじゃなくて。
 信じたのに、裏切られたことに、俺は予想以上のダメージを食らっていたんだ。
 だって、今まで顔も知らないやつに殺されかけてばかりで、理不尽迷惑もいいところだった。
 そんな時に、人が良さそうで、大人しそうな女の子が助けてくれと言ってきた。できることならなんとかしてあげたいものだろ。
 ……違う。
 本当は、信じたかったんだ。
 幽霊でも、生きている人間に逆恨みとか、無差別的な仕返しとか発想しない人もちゃんといるんだって。
 信じたかった。
 ……でも、駄目だった。
 それが、やたらと俺の周りを黒い渦になって、ぐるぐると回る。
「……何で、俺は見えちゃうんだよ……」
 こんなことなら、見えなきゃよかった。見たくなんか、なかった。
 好きで見えてるわけじゃないのに、なんでこんなに危ない目にあわなきゃいけないんだ……!
「たまに、いるんだよ、そういう人が。前にもいたんだ。ね、ソラ」
 ロクさんが俺の独り言にそっと相槌をして、目を細めて、ソラに同意を求めた。それにソラは、
「うるさい」
 と心底嫌そうに顔をしかめた。
 ソラがしかめっ面になるのはいつものことだけど、ここまで酷いのは初めてだった。ロクさんの言葉には何か裏があるみたいだ。
 というか、
「前にもいたって……」
「うん。ソラが前担当していた学校にも、君みたいに幽霊が見えた女の子がいたんだ。それで、ソラがその子に恋しちゃったんだ」
「え」
 コイって……。
  恋!? ソラが!?
「ええええええ!?」
「ロク!!」
 ソラはロクさんの話を切ろうとするが、俺はかなり続きが気になる。
「それで? どうしたんですか? その子とは」
「死んじゃったんだ」
 え?
「ソラが仕留め損ねた幽霊がソラを恨んでね。ソラがその子を好きなことを知って殺されちゃったんだ」
 そんな……。
 俺は思わずソラを振りかえる。ソラは微妙な表情で斜め下を向いていた。
 ロクさんはそんなソラを小さくため息をついた。
「……何より君はその子と似ている」
「え、顔が?」
 思わず聞き返すと、ロクさんは軽く笑いながら首を横に振った。
「違うよ。考え方。その子も幽霊みんながみんな悪人だけじゃないって主張する子だったんだ。だから今、ソラは君のことが放っておけないんだと思うよ」
 ソラにそんな過去があったなんて思いもしなかった。
 美音さんの時に反論してきたのはそういう理由があったからか。
「だから、ソラが君に話しかけたのは、笛を渡して助けられるようにするためなんだよ」
「ソラ…………」
 でも、俺、ソラの銃に殺されかけてる……。
「あぁ、それはマジでただのノーコン」
「おい!」
 お前は俺を守りたいのか殺したいのかどっちなんだよ。
「守りたいに決まってんだろ」
 冗談だったのに、真面目な口調と目で答えられてしまった。
 よっ、と言って机から降りるソラ。
「もう死んじまってるやつはともかく、生きてるやつの命は限りがあるんだ。それをむやみやたらに殺したくなるわけないだろ」
 ソラの真面目な声色に、なんでこんなに安心してしまうんだろう。
「いいか、俺は同じ失敗は絶対繰り返さない」
 そう言って、ソラはロクさんを睨んだ。
 ロクさんは軽く肩をすくめるだけ。
 そんなソラに俺は以前ソラが言っていたことを繰り返す。
「人を助けるのに理由なんていらないんだろ?」
 すると、ソラはにっと白い歯を見せつけてきた。
「絶対に、お前は俺が守るよ」
 心強い言葉。
 ソラがいれば俺はこの先どんな危険なことがあっても乗り越えていける気がした。
「じゃあその前にそのノーコンをどうにかしてくれないか?」
「…………善処する」
 俺の頼みに、目線を逸らしつつ、かなり遅い返事をするソラ。

 もし俺が高校時代で死んでしまったら、死因は幽霊ではなくて、きっとソラの流れ弾だろう。



 終わり
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