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四章
沼の底から 2
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彼が、昼前に送ったメッセージ、その返信はすぐに着た。
昼食後、それくらいの時間に、彼女から、彼の事務所を訪れると、その申し出と共に。
通話か、それこそ報告書の送付で、終わるのであれば、まだ罪悪感も軽かっただろうが、そんなことを考えながら、煙草を咥えて、報告書を作成する。
完成したそれは、普段、これまで作ったものに比べれば、非常に簡素なものになる。
調査対象は、既に死亡している。
それは彼女が、その人物を見失った時点、そこから先がない。
結局のところ、依頼人は、死んでいる人間を探していた、それが、これから彼が依頼人に突きつける事実でしかないのだから。
彼がこれまで受けてきた仕事の多くは、相手がある程度の結末、浮気という事実、それを予想して、彼のところに来たものだった。
それはそうだろう、疑うから、調べるのだから。
だが、彼女はどうなのだろうか。受け入れられない、という事は、既に誰かから聞いているはずだ。
ならば、頭のどこかでは、理解しているのだろうか。
そんなことを考えながら、すでに死んでいる人間、それを生きているかのように話した、それ以外の人物についても考える。
結局、それに関しては何もわかっていない。それを言えば、この痣も、あの手も、沼の底も。
経過は分からない事ばかりだが、それでも、引き受けた物については明確な結果が出た。
後は、それこそこの仕事を終わらして、それからでいいだろう。
彼は無理やり気持ちを切り替えて、用意した書類の確認を終えると、時計を確認する。
後少しすれば、あの依頼人が訪れるだろう。
その先のことは、それこそ、結果を受け入れるだけだ。
そして、来てほしくはない、そんな時間が訪れる。
事務所の入り口を開け、ここしばらくの間で、誰のものかわかるようになった、そんな声が入口から聞こえてくる。
その声にこたえ、中にどうぞと声をかけながら、自分でそのまま入っては来ないだろう、そう考えた彼は入口まで、相手を迎えにいく。そしてそこには、変わらず、夢の中で見た明るさ、そういった物は伺う事の出来ない依頼人が、何か迷うように立っていた。
「その、お久しぶりです。えと、菜緒ちゃんの事が分かった、それを見たんですけれど。」
「はい。ひとまず調査は完了しました。
立ったままではなんですから、こちらへどうぞ。」
そう声をかけて、先に応接用の空間に案内する。
これまで、といっても短い期間ではあるが、伊澄に任せていたこと、お茶を入れ、簡単な菓子をつけ、そういったことをこなして、それをもって改めて彼女の前に座る。
緊張して見えるその様子は、最初から変わらず、そもそもこういった状況が苦手だからか、それともこれから話すことに察しがついているからか、その判断はできないが、彼は報告書、印刷された数枚の紙を、彼女に差し出してから、話を始める。
「長々と過程を説明するのは、好みませんので、まずは結論から。」
そう、彼が告げれば、相手は身を固くする。
その様子に構うこともなく、ただ事実を告げる。
「調査対象、中村美緒さんですが、死亡しています。」
そう告げると、相手は手に持っていた、報告書、それをそのまま机に落とす。
向かい合う相手の表情は、こちらがなにを言っているのかわからない、そういうものであった。
「おおよそ一年前。つまり、あなた片ご依頼を受ける前ですね。
その時点では、すでに亡くなっています。受け入れがたいのは分かりますが、それが事実です。」
そう告げて、彼は、対面に座る依頼人を伺うが、未だに反応を見せることはない。
ならばと、ただ、調べた事、分かったこと、それらを彼は順に口にしていく。
その過程で起こった、不可解な事実も含めて。
その途中、耐えきれなくなったのか、彼女は、叫ぶように、彼の言葉を遮る。
「まって、待ってください。」
そういわれて、彼はようやく言葉を止める。
相手は、視線をどこかにさまよわせながら、胸にあてた手を強く握りこむような、そんな仕草を見せている。
受け入れたくないのだろう。
これから、彼女が口にするだろう言葉も、彼はわかっていながら、ただ相手の言葉を待つ。
ここで、そういった物を吐き出してしまうのも、重要だ、そう彼は感じていたから。
「おかしいじゃないですか。」
そう言う相手の言葉は、怒りか、それ以外か、俯いた様子からは既に表情はよくわからない。
「だって、美緒ちゃんがいるって。
同級生も、担任の浅野先生も、そういっているんでしょう。
なのに死んでるって。そんな事、あるわけないじゃないですか。
じゃぁ、皆、死んでる人と、あって、話してた。
そういう事になるじゃないですか。
そんな事、あるわけないじゃないですか。」
彼は、ここで初めて、彼女がずいぶんと長い間、こちらの様子を伺うでもなく、一方的に話す、そんな姿を目にする。
これまでは、常にこちらを伺うような、そんなそぶりを見せていたのに、こうして、それが必要になれば、ちゃんと自分の意見を言えるのだなと、そんな妙な感心を彼は覚えながら、その質問に端的に応える。
「そうですね。そちらに関しては、正直原因が分かりません。
何故、こんなことが起こっているのか。
それは、あなたに現れている痣も同様に。」
「そんなことは関係ないじゃないですか。」
彼女が机に落ちて、散らばった紙に両手をたたきつける。
ただ見た目通り、力もあまりないのだろう。迫力のある音などはなりもしなかった。
ただ、紙がさらに散らかり、何枚かは床に落ちる、その程度のものでしかない。
「だって、こうして、いるって、そういう人がいるんです。
だから、死んでなんかないはずで。
やっぱり、調べられないから、こんなことを言ってるだけ、そうなんでしょう。」
そういって、こちらを見るように顔をあげた彼女は、既に涙を流し、その目は、お願いだから、頼むから、肯定してくれと、そう訴えかけているように見える。
だが、それに対する彼の回答は変わらない。
「そちらの件については、不明です。
正直、訳の分からない事が、普通ではない、あえてそういう言い方をしますが、そういった事態が起こっていることは事実です。
ただ、調査の結果は、それに影響をされるものではありません。」
彼は、ただ、淡々と続ける。
感情的になれと、そういうのであれば、それこそこんなことを伝える、そんなことをしない。
前に彼女に入ったように、それこそ違約金を払って、調査から手を引く、それでいいのだから。
「事実として、犯人は現在逮捕されていて、裁判の準備中です。
その被害者が、中村美緒、調査対象です。
あなたも、その場にいたのでしょう。重症者が他に一名いたと、そう聞いていますから。」
「だから、死んでなんかないんです。」
彼の言葉に、依頼人は俯き、絞り出すようにそう呟く。
「その件に関しては、まぁ、ご自身で納得のいく形を模索していってください。
そうとしか言えません。私からお伝えできる、調査結果、それに関しては以上です。
内容が気に入らない、そうおっしゃるのであれば、以前お話ししたように、契約に基づいた違約金をお支払いします。それで、他の調査会社に依頼するのも、一つかと思いますよ。」
本当に、仕事として、彼にできることはそれ以上はないのだ。
だから、この事件、失踪した友人の調査、それに関してはここまでだ。
後はまた、彼独自で、伊澄について調べる、それだけだ。
「そんなことはないんです。
美緒ちゃんが死んだなんて、そんなことはありません。
だって、私が死んだほうがいいじゃないですか。いい子だったのに。
みんなに好かれて、こんな私の友達にもなってくれて。」
暫くして、彼女はぽつりぽつりと、そんなことを話し始める。
「あの時、私は何も出来なくて。ただ震えてるだけで。
私が、何かできてれば、私が何かしていれば。」
その呟きを聞いて、彼は、依頼人が調査対象、その他人物が死んでいる、その事実を理解はしているのだと、そう判断できた。
ただ、それと感情的な納得、折り合いは別なのだろうとも。
「他にも、仲のいい友達はたくさんいたんです。
私が起きたときには、もう終わっていたけれど、たくさんの人が、お葬式で泣いていたって、そう聞きました。」
明るく社交的、クラスの中でも、敵を作らず、上手く誰からも好かれる。
いるだけで、その場が明るくなるような、そういった人物だったのだろう。
そういった事は、これまでの調査からも理解できる。
「でも、不思議なんです。みんな忘れていくんです。
みんな、いないことが当たり前、そんな感じで。
あんなに仲が良かったのに、皆で遊んでいたのに。
お葬式の時に、泣いたって、そういっていたのに、なんで。」
その依頼人の言葉に、彼としては、長く生きている、比べればというだけでしかないが、そういった立場から、賢しらな、諭すような、そんな言葉はかけられるかもしれない。
だが、彼にしても、花家伊澄という人物を忘れていた。
人によっては、それこそ運命的なと、そう冠をつけて呼ぶような出来事だろう。
それでも、忘れていた。
理由は単純だ。
忘れたかったから。
それ以外の何物でもない。覚えているのがつらかったのだ。思い出せば、それは綺麗なものではなく、それに付随する面倒ごと、痛み、それらを思い出さざるを得ない。
そして、それと向き合ったうえで、彼女を覚え続けよう、そんなことを思うほどに、彼は英雄的な人間などではない。
だが、今になって忘れまいと、そんな努力をしている。
「本当に、なんでだろうな。」
彼は、未だにぐずぐずと泣き続ける依頼人に、そんな言葉しかかけられなかった。
そして、まぁ、いいだろうと、彼女と出会った、その切欠の事件。
不幸にも、依頼人と自分、その間にある共通点を何とはなしに話す。
花家、珍しい苗字ではあるし、彼女が知っているかもしれない。だから消えた、未だにそう、僅かに疑っているから、彼はその出来事を話す。
もし関係ないのであれば、そんな話でも、依頼人が彼女が消えた、そのことに関する罪悪感を取り除く助けになるかもしれない。
そんなことを考えて、話す。
話自体は、変わらず、淡々としたものではある。
だが、それを聞いている依頼人からは、鼻をすする音が消え、そんな様子に、少しは持ち直したのだろうか、そんな楽観的なことを彼は考える。
話し終わった後、彼女から出た言葉は、彼が予想していない物だった。
「じゃぁ、あなた達が原因なんじゃないですか。」
それを今知ったように、依頼人は口にする。
その言葉に、彼はまぁ、そうだよな、そんなことをどこか他人事として考える。
「だって、あなた達が、殺されてたら、美緒ちゃんは死ななくて済んだかもしれないじゃないですか。
それに、その時、その男を殺してくれればよかったんです。
ナイフ、奪えたんでしょう。だったら、それを使えばよかったんですよ。」
こういった言葉を口にするとき、人は普通怒りに顔をゆがめると、そう彼は思うのだが、彼の目の前にいる依頼人、その少女は、ただただ悲し気で、嗚咽はこぼさず、ただ涙をこぼして、訴える。
「なんで、私の時は助けてくれなかったんですか。」
そんなものは決まっている。その時側にいなかったから。それ以外に何もない。
「なんで、そんな人が、普通に町中を歩いてるんですか。」
最期に呟いた言葉は、彼が楠林にぶつけた物と同じだった。
「嫌です。そんなの。そんな、訳の分からない、そんな事故みたいなことで、なんで美緒ちゃんが。」
そして、少女はうわごとのように呟き始める。
それをぼんやりと聞いていた彼の視界に、手が映る。
これまでと変わらない、ただどこからともなく生えて、緩く手招きをする、それだ。
それに気が付いて、彼が足元を見れば、やはり彼の足を、掴む手がある。
向かいに座る少女も、その足を掴まれていることだろう。
「やっぱり、あの時私が死ねばよかったんです。
美緒ちゃんだったら、こんなひどいことは言わなかったし。
きっと、もっと前向きで。」
そして、彼女がそんなことをつぶやいた時に沈む。
これまで、何もしないと、そう高をくくっていた、そんな手が、彼と少女を沼の底へと引きずり込む。
それを、彼はただ諦めたように受け入れる。
向かいに座る彼女は、それにも気が付かない風で、まだ、同じ言葉を繰り返している。
あの子じゃなくて、私がと。
ああ、そういえば花家の両親も、彼に謝るときにそんなことを言っていた。
もしもと。
もしも叶うのであれば、彼の傷、その全てを引き受けたい。
それができない自分を責めてくれても構わない。
そう、泣きながら、言っていたなと、そんなことを思い出した。
昼食後、それくらいの時間に、彼女から、彼の事務所を訪れると、その申し出と共に。
通話か、それこそ報告書の送付で、終わるのであれば、まだ罪悪感も軽かっただろうが、そんなことを考えながら、煙草を咥えて、報告書を作成する。
完成したそれは、普段、これまで作ったものに比べれば、非常に簡素なものになる。
調査対象は、既に死亡している。
それは彼女が、その人物を見失った時点、そこから先がない。
結局のところ、依頼人は、死んでいる人間を探していた、それが、これから彼が依頼人に突きつける事実でしかないのだから。
彼がこれまで受けてきた仕事の多くは、相手がある程度の結末、浮気という事実、それを予想して、彼のところに来たものだった。
それはそうだろう、疑うから、調べるのだから。
だが、彼女はどうなのだろうか。受け入れられない、という事は、既に誰かから聞いているはずだ。
ならば、頭のどこかでは、理解しているのだろうか。
そんなことを考えながら、すでに死んでいる人間、それを生きているかのように話した、それ以外の人物についても考える。
結局、それに関しては何もわかっていない。それを言えば、この痣も、あの手も、沼の底も。
経過は分からない事ばかりだが、それでも、引き受けた物については明確な結果が出た。
後は、それこそこの仕事を終わらして、それからでいいだろう。
彼は無理やり気持ちを切り替えて、用意した書類の確認を終えると、時計を確認する。
後少しすれば、あの依頼人が訪れるだろう。
その先のことは、それこそ、結果を受け入れるだけだ。
そして、来てほしくはない、そんな時間が訪れる。
事務所の入り口を開け、ここしばらくの間で、誰のものかわかるようになった、そんな声が入口から聞こえてくる。
その声にこたえ、中にどうぞと声をかけながら、自分でそのまま入っては来ないだろう、そう考えた彼は入口まで、相手を迎えにいく。そしてそこには、変わらず、夢の中で見た明るさ、そういった物は伺う事の出来ない依頼人が、何か迷うように立っていた。
「その、お久しぶりです。えと、菜緒ちゃんの事が分かった、それを見たんですけれど。」
「はい。ひとまず調査は完了しました。
立ったままではなんですから、こちらへどうぞ。」
そう声をかけて、先に応接用の空間に案内する。
これまで、といっても短い期間ではあるが、伊澄に任せていたこと、お茶を入れ、簡単な菓子をつけ、そういったことをこなして、それをもって改めて彼女の前に座る。
緊張して見えるその様子は、最初から変わらず、そもそもこういった状況が苦手だからか、それともこれから話すことに察しがついているからか、その判断はできないが、彼は報告書、印刷された数枚の紙を、彼女に差し出してから、話を始める。
「長々と過程を説明するのは、好みませんので、まずは結論から。」
そう、彼が告げれば、相手は身を固くする。
その様子に構うこともなく、ただ事実を告げる。
「調査対象、中村美緒さんですが、死亡しています。」
そう告げると、相手は手に持っていた、報告書、それをそのまま机に落とす。
向かい合う相手の表情は、こちらがなにを言っているのかわからない、そういうものであった。
「おおよそ一年前。つまり、あなた片ご依頼を受ける前ですね。
その時点では、すでに亡くなっています。受け入れがたいのは分かりますが、それが事実です。」
そう告げて、彼は、対面に座る依頼人を伺うが、未だに反応を見せることはない。
ならばと、ただ、調べた事、分かったこと、それらを彼は順に口にしていく。
その過程で起こった、不可解な事実も含めて。
その途中、耐えきれなくなったのか、彼女は、叫ぶように、彼の言葉を遮る。
「まって、待ってください。」
そういわれて、彼はようやく言葉を止める。
相手は、視線をどこかにさまよわせながら、胸にあてた手を強く握りこむような、そんな仕草を見せている。
受け入れたくないのだろう。
これから、彼女が口にするだろう言葉も、彼はわかっていながら、ただ相手の言葉を待つ。
ここで、そういった物を吐き出してしまうのも、重要だ、そう彼は感じていたから。
「おかしいじゃないですか。」
そう言う相手の言葉は、怒りか、それ以外か、俯いた様子からは既に表情はよくわからない。
「だって、美緒ちゃんがいるって。
同級生も、担任の浅野先生も、そういっているんでしょう。
なのに死んでるって。そんな事、あるわけないじゃないですか。
じゃぁ、皆、死んでる人と、あって、話してた。
そういう事になるじゃないですか。
そんな事、あるわけないじゃないですか。」
彼は、ここで初めて、彼女がずいぶんと長い間、こちらの様子を伺うでもなく、一方的に話す、そんな姿を目にする。
これまでは、常にこちらを伺うような、そんなそぶりを見せていたのに、こうして、それが必要になれば、ちゃんと自分の意見を言えるのだなと、そんな妙な感心を彼は覚えながら、その質問に端的に応える。
「そうですね。そちらに関しては、正直原因が分かりません。
何故、こんなことが起こっているのか。
それは、あなたに現れている痣も同様に。」
「そんなことは関係ないじゃないですか。」
彼女が机に落ちて、散らばった紙に両手をたたきつける。
ただ見た目通り、力もあまりないのだろう。迫力のある音などはなりもしなかった。
ただ、紙がさらに散らかり、何枚かは床に落ちる、その程度のものでしかない。
「だって、こうして、いるって、そういう人がいるんです。
だから、死んでなんかないはずで。
やっぱり、調べられないから、こんなことを言ってるだけ、そうなんでしょう。」
そういって、こちらを見るように顔をあげた彼女は、既に涙を流し、その目は、お願いだから、頼むから、肯定してくれと、そう訴えかけているように見える。
だが、それに対する彼の回答は変わらない。
「そちらの件については、不明です。
正直、訳の分からない事が、普通ではない、あえてそういう言い方をしますが、そういった事態が起こっていることは事実です。
ただ、調査の結果は、それに影響をされるものではありません。」
彼は、ただ、淡々と続ける。
感情的になれと、そういうのであれば、それこそこんなことを伝える、そんなことをしない。
前に彼女に入ったように、それこそ違約金を払って、調査から手を引く、それでいいのだから。
「事実として、犯人は現在逮捕されていて、裁判の準備中です。
その被害者が、中村美緒、調査対象です。
あなたも、その場にいたのでしょう。重症者が他に一名いたと、そう聞いていますから。」
「だから、死んでなんかないんです。」
彼の言葉に、依頼人は俯き、絞り出すようにそう呟く。
「その件に関しては、まぁ、ご自身で納得のいく形を模索していってください。
そうとしか言えません。私からお伝えできる、調査結果、それに関しては以上です。
内容が気に入らない、そうおっしゃるのであれば、以前お話ししたように、契約に基づいた違約金をお支払いします。それで、他の調査会社に依頼するのも、一つかと思いますよ。」
本当に、仕事として、彼にできることはそれ以上はないのだ。
だから、この事件、失踪した友人の調査、それに関してはここまでだ。
後はまた、彼独自で、伊澄について調べる、それだけだ。
「そんなことはないんです。
美緒ちゃんが死んだなんて、そんなことはありません。
だって、私が死んだほうがいいじゃないですか。いい子だったのに。
みんなに好かれて、こんな私の友達にもなってくれて。」
暫くして、彼女はぽつりぽつりと、そんなことを話し始める。
「あの時、私は何も出来なくて。ただ震えてるだけで。
私が、何かできてれば、私が何かしていれば。」
その呟きを聞いて、彼は、依頼人が調査対象、その他人物が死んでいる、その事実を理解はしているのだと、そう判断できた。
ただ、それと感情的な納得、折り合いは別なのだろうとも。
「他にも、仲のいい友達はたくさんいたんです。
私が起きたときには、もう終わっていたけれど、たくさんの人が、お葬式で泣いていたって、そう聞きました。」
明るく社交的、クラスの中でも、敵を作らず、上手く誰からも好かれる。
いるだけで、その場が明るくなるような、そういった人物だったのだろう。
そういった事は、これまでの調査からも理解できる。
「でも、不思議なんです。みんな忘れていくんです。
みんな、いないことが当たり前、そんな感じで。
あんなに仲が良かったのに、皆で遊んでいたのに。
お葬式の時に、泣いたって、そういっていたのに、なんで。」
その依頼人の言葉に、彼としては、長く生きている、比べればというだけでしかないが、そういった立場から、賢しらな、諭すような、そんな言葉はかけられるかもしれない。
だが、彼にしても、花家伊澄という人物を忘れていた。
人によっては、それこそ運命的なと、そう冠をつけて呼ぶような出来事だろう。
それでも、忘れていた。
理由は単純だ。
忘れたかったから。
それ以外の何物でもない。覚えているのがつらかったのだ。思い出せば、それは綺麗なものではなく、それに付随する面倒ごと、痛み、それらを思い出さざるを得ない。
そして、それと向き合ったうえで、彼女を覚え続けよう、そんなことを思うほどに、彼は英雄的な人間などではない。
だが、今になって忘れまいと、そんな努力をしている。
「本当に、なんでだろうな。」
彼は、未だにぐずぐずと泣き続ける依頼人に、そんな言葉しかかけられなかった。
そして、まぁ、いいだろうと、彼女と出会った、その切欠の事件。
不幸にも、依頼人と自分、その間にある共通点を何とはなしに話す。
花家、珍しい苗字ではあるし、彼女が知っているかもしれない。だから消えた、未だにそう、僅かに疑っているから、彼はその出来事を話す。
もし関係ないのであれば、そんな話でも、依頼人が彼女が消えた、そのことに関する罪悪感を取り除く助けになるかもしれない。
そんなことを考えて、話す。
話自体は、変わらず、淡々としたものではある。
だが、それを聞いている依頼人からは、鼻をすする音が消え、そんな様子に、少しは持ち直したのだろうか、そんな楽観的なことを彼は考える。
話し終わった後、彼女から出た言葉は、彼が予想していない物だった。
「じゃぁ、あなた達が原因なんじゃないですか。」
それを今知ったように、依頼人は口にする。
その言葉に、彼はまぁ、そうだよな、そんなことをどこか他人事として考える。
「だって、あなた達が、殺されてたら、美緒ちゃんは死ななくて済んだかもしれないじゃないですか。
それに、その時、その男を殺してくれればよかったんです。
ナイフ、奪えたんでしょう。だったら、それを使えばよかったんですよ。」
こういった言葉を口にするとき、人は普通怒りに顔をゆがめると、そう彼は思うのだが、彼の目の前にいる依頼人、その少女は、ただただ悲し気で、嗚咽はこぼさず、ただ涙をこぼして、訴える。
「なんで、私の時は助けてくれなかったんですか。」
そんなものは決まっている。その時側にいなかったから。それ以外に何もない。
「なんで、そんな人が、普通に町中を歩いてるんですか。」
最期に呟いた言葉は、彼が楠林にぶつけた物と同じだった。
「嫌です。そんなの。そんな、訳の分からない、そんな事故みたいなことで、なんで美緒ちゃんが。」
そして、少女はうわごとのように呟き始める。
それをぼんやりと聞いていた彼の視界に、手が映る。
これまでと変わらない、ただどこからともなく生えて、緩く手招きをする、それだ。
それに気が付いて、彼が足元を見れば、やはり彼の足を、掴む手がある。
向かいに座る少女も、その足を掴まれていることだろう。
「やっぱり、あの時私が死ねばよかったんです。
美緒ちゃんだったら、こんなひどいことは言わなかったし。
きっと、もっと前向きで。」
そして、彼女がそんなことをつぶやいた時に沈む。
これまで、何もしないと、そう高をくくっていた、そんな手が、彼と少女を沼の底へと引きずり込む。
それを、彼はただ諦めたように受け入れる。
向かいに座る彼女は、それにも気が付かない風で、まだ、同じ言葉を繰り返している。
あの子じゃなくて、私がと。
ああ、そういえば花家の両親も、彼に謝るときにそんなことを言っていた。
もしもと。
もしも叶うのであれば、彼の傷、その全てを引き受けたい。
それができない自分を責めてくれても構わない。
そう、泣きながら、言っていたなと、そんなことを思い出した。
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