25 / 30
三章
沼の底 10
しおりを挟む
楠林は、新しい煙草を取り出し、それに火をつける。
それに合わせるよう、彼がこれからどんな話をするのか、それを受け止める準備をするように、今一度グラスの中身を流し込み、煙草に火をつけ、何度か大きく吸い込む。
お互いに、しばらく何も話すことなく、咥えていた煙草を灰皿でもみつぶす。
そして、次の煙草を咥えた楠林が、少し覗き込む様に、海斗に顔を寄せながら話を始める。
「正直、思い出して、記録を探したが、その記録が残っていなかった。
同じ事件にあたった連中に聞けば、話は一致して、その記録がない。
そのことに、今、署内はてんやわんやだよ。そのついでだ、さっき言った連絡やメモなんてのは。」
そういうと、楠林は海斗に顔を寄せながらも、視線を逸らす。
話す口調は重く、疲れを感じさせる。
「まぁ、良くはないが、酔っ払いの喧嘩だとか、軽い事故による器物破損だったり、まぁ軽いものなら、見過ごすこともできたかもしれない。」
そういうと、煙草を咥え、また、一度大きく吸い込む。
そして吐き出される煙は、相も変わらず、こんな狭い空間、匂いは残しても、眼で見ることはすぐにできなくなる。
「殺人だ。殺人事件、その記録が紛失している。
なぁ、おい。信じられるか?書類もなければ、保管してる証拠も消えている。
保管室の出入りは全部記録されているし、その全員が順番に呼び出されて、問い詰められたよ。
俺にしたって、何故気が付いたのか、俺以外が、何故忘れていたのか、そりゃもう蜂の巣をつついたような、そんな騒ぎだ。」
海斗にしても、伊澄が消えた、その事実を見て事務所の書類をすべてひっくり返すような、そんな調べ方をしたのだ。
それが個人ではなく、それも民間企業とは比べ物にならないほどの記録を持つ、そんな組織であれば、その調査はどれほどのものだろうか。
「正直、この件、お前から持ち込まれたこともあって、呼び出す一歩手前だ。
お前に話を持ち込んだ、依頼人も含めてな。」
そういうと、楠林は大きくため息をついた後に、グラスの中身、半分ほど残っていたそれを一息に飲み干し、乱暴に机に戻す。
「まぁ、そうだろうな。こっちだって訳が割らない。
正直、自分の身に起きてなければ、与太話とそう笑っただろうさ。」
海斗にしても、それについては、言葉もない。呼ばれたところで、話せることなどことの経緯、それで終わりだ。
「ああ、そうだろうな。それこそ拝み屋にでも聞くほうが、まだ建設的かもしれない。」
そして、空いたグラスに次を注ぎながら、楠林はため息とともに、話を続ける。
「だがな、そんな事を言ってられない。
さっきも言ったな、殺人だ、これからまだ裁判もある。
なのに、その証拠や記録が消えている、こればかりは冗談じゃすまない。
無くしました、何処かに忽然と消えました。それで済ませる事じゃないんだ。」
「まぁ、な。それで、どこまで確認はすんだんだ。」
「一通り終わったさ。それで、ここ数日は本当に忙しかった。
本当に気味が悪かったさ。時間もないからそれぞれ分担して聞き取り、記録の参照を行ったが。」
そのどれからも、消えている事柄がある。
そう、楠林は呟く。
それは、先週から海斗も経験していることだ。
忘れられた人間、その人間い関わる全ての記録、それがそんな人間元からいませんでした、そのように消えていく。
「だが、その口ぶりと、全員が気が付いたと、そういうという事は、何かつじつまが合わない部分でも残っていたか?」
「ああ。それで、誰も彼もそれを正しいと、問題ないとしていた。
だが、探して、見つけて、指摘をすれば、疑問に持って、話を進めると思い出す。」
「で、口をそろえて言うんだろう、なんで忘れていたのか。」
海斗が、言葉を引き継げば、楠林はただそれに頷き、手に持っていただけの煙草を、そのまま灰皿でもみ消す。
「なお悪い。確かにその記録は取った、そうでなければこの結論にならない。
そこまでがワンセットだ。
なぁ、おい。殺人、人を殺した相手だぞ。それも三人。それが二人だけだと、そうなっていいわけがあるかよ。」
三人、伊澄も関係のある、そんな事件。
海斗の頭には、あの時何度か顔を合わせた、夫婦、その姿と、伊澄、彼女の姿が浮かぶ。
そう、それでちょうど三人だ。
「お前にも関係がある、いや、やっぱり大きいのはあの嬢ちゃんだが。」
そういって、楠林は声をひそめながら、話を続ける。
「まぁ、今は残っちゃいない、俺もその時の事件を担当したから、何とか覚えてる、それぐらいの話なんだがな。
花家夫妻が、殺された事件、これだけならここらの過去の新聞の生地もまだ残っていた。
だが、その記事も被害者は二人と、そう書いていたが、そうじゃない、被害者は三人だ。」
海斗は、喉がひきつるような、やけに熱を持ったような、そんな感覚を覚える。
「元は、その娘、お前の助手、あの嬢ちゃんだな、それに恨みを持ってる男の犯行だった。
その男が、花家夫妻宅に押し入り、そのまま二人を殺害。
ただ、当時その娘は、離れた場所で職を得ていたため、家にはいなかった。
それで、その男はそのまま外に出て、下校中だった学生を襲った。
その際、持っていた防犯ブザーを鳴らし、それに気が付いた近隣住民が通報。
現場に到着した、警官が現行犯逮捕。
不幸にも、襲われた学生は二人、一人が死亡。もう一人は、重傷だが一命は取り留めた。」
話を聞き、何処か安心してしまった海斗は、ため息をつく。
だが、その話では、伊澄が恨まれていることになる。
誰が何処で、他人の恨みを買うかなどはわからないが、一体、彼女が何故そこまでの恨みを買っていたというのか。
「それで、だな。」
伊澄のことで考え込む海斗に、楠林は話を続ける。
これから話すことが、最も重要だと、そういうかのように言葉を荒げるでもないが、そこには無視できないだけの何かが込められていた。
「それで、出た被害者なんだが。
死亡したのが、中村菜緒。
重傷だが、一命をとりとめたのが、上沼美夜。」
その言葉を聞いた時、海斗の意識は一気に醒め、楠林の言葉に引き込まれる。
だが、驚き、目を見張る海斗に関係なく、楠林は話を続ける。
「なぁ、お前の依頼人、上沼美夜じゃないのか。」
やけに醒めた頭は、それでも酒ではない何かに酔ったかのように、まったく働かない。
依頼人は、死人を探している。
そんな人間は、存在するわけがない、学校に入学もできない。
記録がないのも当然だろう。死んだあとは、一枚の紙きれを最後に、そこから先の記録など残りはしないのだから。
だが、そうして消えるのが、死人であるというのならば、やはり。
そこまで考えたところで、彼はそれを止め、楠林の質問に答える。
「ああ。そうだ。上沼美夜、彼女が依頼人だ。
友人を探してほしい、誰も覚えていない友人を探してほしいと、そう依頼を受けた。」
そういうと、楠林は納得したような、怪訝そうな、そんな表情を浮かべて、新しい煙草に火をつける。
海斗もそれに倣って、お互いに少しの間、煙草を吸うだけで、何も話さない時間が流れる。
「前にも話したと思うが。」
そう、今度は海斗から切り出した。
「調査でな、話を聞けば、思い出すんだ、そんな人間がいたとな。
担任、学校の教師までも、そういった生徒がいたと、そういっている。
死んだ、その時に確かにそうだったのなら、なんでそんなことが起こる。」
「わかるかよ、そんな事。こっちだって教えてほしいくらいだ。
俺は上沼美夜に関しては、聴取を担当してないが、精神的に証人喚問には呼べそうにないと、そうは聞いている。
まぁ、そうだよな、あの年ごろ、自分を助けようとして、友達が死んだ。
そんな事、そう簡単にまっすぐは受け止められないだろうさ。」
「まぁ、そうだな。それで、こんなわけのわからない事態が無ければ、それだけで納得はできたんだろうがな。」
仲のいい友人、あの様子では、他に友人がいるかも怪しい。
そんな相手が、自分を守って、誰かの手にかかった。
それを受け入れ切れず、まだ死んでいない、ただそう言い張っているだけ、そうであるならば、話は簡単だった。
今思えば、話を聞きに行った中村夫妻、そちらでも、今は、と、そういっていたではないか。
これからかもしれないが、それまでは、過去のどこかでは、二人ではなかったのだろう。
そう、そちらについては、一つ納得をして、調査の結果として、伝えるべきことも、もう決まった、ならば依頼人、その話はもう終わりだ。
「それで、なんでまた、伊澄が狙われた。一度狙って、阻まれて。
それで捕まったなら、更生しないと出てこられないはずだろ。」
「まぁ、雇用主としては気になるか。
調べれば、それも出て来る気はするが、いいだろう。」
そういうと楠林は、疲れたように、ただぽつぽつと話す。
「再犯なんだよ。昔、一目ぼれした彼女を、薬の勢いで襲って、その時はたまたま通りかかった学生が庇って、被害はその学生の重症だけ、いや、だけというのも不謹慎だな、死者も口にできないような被害も出ずに済んだ。」
海斗は、良く知っている話を聞かされる。
「それで、出所したその男は、逆恨みで事に及んだんだよ。
当時やっていた、薬もまた初めてな。
上沼に狙いをつけたのは、昔の彼女に似ていたからと、そういう事らしい。」
海斗は気が付かないついに、机を殴りつけていた。
かなり大きな音が鳴ったのか、店内が急に静まる。
それに気が付き、一度大きく息を吐き出し、酔いが回り始めたみたいで、力言を間違えたと、そういって周囲に向けて頭を下げる。
「おい、どうした。」
周囲の喧騒が戻る中、楠林は目の前にいたこともあるだろう、そんなことに誤魔化されず、海斗に尋ねてくる。
「ああ、それ、俺だよ。」
そう告げれば、楠林は、ただ驚いたように目を開くと、何も言わずに互いのグラスに次を入れる。
最初に飲んでいた物よりも、度数が強いそれを、海斗は何も言わずに、一息にあける。
そして、しばらく言葉も出せずに、ただ空いたグラスを睨みつける。
「なぁ。なんでそんな人間が、再び出てこられるんだよ。」
海斗は自分が、何故そんな事を口にしたのか、よくわからなかった。
だが、ただただ、それ以外の言葉が出てこなかった。
「ああ。なんでだろうな。俺たちも分からないさ。」
楠林は、それに対して、透き通った表情でそう答える。
そして、そのあとは、互いに口数も少なく、酒を飲み、また、何かわかればと、お決まりの言葉を交わして、別れることになった。
それに合わせるよう、彼がこれからどんな話をするのか、それを受け止める準備をするように、今一度グラスの中身を流し込み、煙草に火をつけ、何度か大きく吸い込む。
お互いに、しばらく何も話すことなく、咥えていた煙草を灰皿でもみつぶす。
そして、次の煙草を咥えた楠林が、少し覗き込む様に、海斗に顔を寄せながら話を始める。
「正直、思い出して、記録を探したが、その記録が残っていなかった。
同じ事件にあたった連中に聞けば、話は一致して、その記録がない。
そのことに、今、署内はてんやわんやだよ。そのついでだ、さっき言った連絡やメモなんてのは。」
そういうと、楠林は海斗に顔を寄せながらも、視線を逸らす。
話す口調は重く、疲れを感じさせる。
「まぁ、良くはないが、酔っ払いの喧嘩だとか、軽い事故による器物破損だったり、まぁ軽いものなら、見過ごすこともできたかもしれない。」
そういうと、煙草を咥え、また、一度大きく吸い込む。
そして吐き出される煙は、相も変わらず、こんな狭い空間、匂いは残しても、眼で見ることはすぐにできなくなる。
「殺人だ。殺人事件、その記録が紛失している。
なぁ、おい。信じられるか?書類もなければ、保管してる証拠も消えている。
保管室の出入りは全部記録されているし、その全員が順番に呼び出されて、問い詰められたよ。
俺にしたって、何故気が付いたのか、俺以外が、何故忘れていたのか、そりゃもう蜂の巣をつついたような、そんな騒ぎだ。」
海斗にしても、伊澄が消えた、その事実を見て事務所の書類をすべてひっくり返すような、そんな調べ方をしたのだ。
それが個人ではなく、それも民間企業とは比べ物にならないほどの記録を持つ、そんな組織であれば、その調査はどれほどのものだろうか。
「正直、この件、お前から持ち込まれたこともあって、呼び出す一歩手前だ。
お前に話を持ち込んだ、依頼人も含めてな。」
そういうと、楠林は大きくため息をついた後に、グラスの中身、半分ほど残っていたそれを一息に飲み干し、乱暴に机に戻す。
「まぁ、そうだろうな。こっちだって訳が割らない。
正直、自分の身に起きてなければ、与太話とそう笑っただろうさ。」
海斗にしても、それについては、言葉もない。呼ばれたところで、話せることなどことの経緯、それで終わりだ。
「ああ、そうだろうな。それこそ拝み屋にでも聞くほうが、まだ建設的かもしれない。」
そして、空いたグラスに次を注ぎながら、楠林はため息とともに、話を続ける。
「だがな、そんな事を言ってられない。
さっきも言ったな、殺人だ、これからまだ裁判もある。
なのに、その証拠や記録が消えている、こればかりは冗談じゃすまない。
無くしました、何処かに忽然と消えました。それで済ませる事じゃないんだ。」
「まぁ、な。それで、どこまで確認はすんだんだ。」
「一通り終わったさ。それで、ここ数日は本当に忙しかった。
本当に気味が悪かったさ。時間もないからそれぞれ分担して聞き取り、記録の参照を行ったが。」
そのどれからも、消えている事柄がある。
そう、楠林は呟く。
それは、先週から海斗も経験していることだ。
忘れられた人間、その人間い関わる全ての記録、それがそんな人間元からいませんでした、そのように消えていく。
「だが、その口ぶりと、全員が気が付いたと、そういうという事は、何かつじつまが合わない部分でも残っていたか?」
「ああ。それで、誰も彼もそれを正しいと、問題ないとしていた。
だが、探して、見つけて、指摘をすれば、疑問に持って、話を進めると思い出す。」
「で、口をそろえて言うんだろう、なんで忘れていたのか。」
海斗が、言葉を引き継げば、楠林はただそれに頷き、手に持っていただけの煙草を、そのまま灰皿でもみ消す。
「なお悪い。確かにその記録は取った、そうでなければこの結論にならない。
そこまでがワンセットだ。
なぁ、おい。殺人、人を殺した相手だぞ。それも三人。それが二人だけだと、そうなっていいわけがあるかよ。」
三人、伊澄も関係のある、そんな事件。
海斗の頭には、あの時何度か顔を合わせた、夫婦、その姿と、伊澄、彼女の姿が浮かぶ。
そう、それでちょうど三人だ。
「お前にも関係がある、いや、やっぱり大きいのはあの嬢ちゃんだが。」
そういって、楠林は声をひそめながら、話を続ける。
「まぁ、今は残っちゃいない、俺もその時の事件を担当したから、何とか覚えてる、それぐらいの話なんだがな。
花家夫妻が、殺された事件、これだけならここらの過去の新聞の生地もまだ残っていた。
だが、その記事も被害者は二人と、そう書いていたが、そうじゃない、被害者は三人だ。」
海斗は、喉がひきつるような、やけに熱を持ったような、そんな感覚を覚える。
「元は、その娘、お前の助手、あの嬢ちゃんだな、それに恨みを持ってる男の犯行だった。
その男が、花家夫妻宅に押し入り、そのまま二人を殺害。
ただ、当時その娘は、離れた場所で職を得ていたため、家にはいなかった。
それで、その男はそのまま外に出て、下校中だった学生を襲った。
その際、持っていた防犯ブザーを鳴らし、それに気が付いた近隣住民が通報。
現場に到着した、警官が現行犯逮捕。
不幸にも、襲われた学生は二人、一人が死亡。もう一人は、重傷だが一命は取り留めた。」
話を聞き、何処か安心してしまった海斗は、ため息をつく。
だが、その話では、伊澄が恨まれていることになる。
誰が何処で、他人の恨みを買うかなどはわからないが、一体、彼女が何故そこまでの恨みを買っていたというのか。
「それで、だな。」
伊澄のことで考え込む海斗に、楠林は話を続ける。
これから話すことが、最も重要だと、そういうかのように言葉を荒げるでもないが、そこには無視できないだけの何かが込められていた。
「それで、出た被害者なんだが。
死亡したのが、中村菜緒。
重傷だが、一命をとりとめたのが、上沼美夜。」
その言葉を聞いた時、海斗の意識は一気に醒め、楠林の言葉に引き込まれる。
だが、驚き、目を見張る海斗に関係なく、楠林は話を続ける。
「なぁ、お前の依頼人、上沼美夜じゃないのか。」
やけに醒めた頭は、それでも酒ではない何かに酔ったかのように、まったく働かない。
依頼人は、死人を探している。
そんな人間は、存在するわけがない、学校に入学もできない。
記録がないのも当然だろう。死んだあとは、一枚の紙きれを最後に、そこから先の記録など残りはしないのだから。
だが、そうして消えるのが、死人であるというのならば、やはり。
そこまで考えたところで、彼はそれを止め、楠林の質問に答える。
「ああ。そうだ。上沼美夜、彼女が依頼人だ。
友人を探してほしい、誰も覚えていない友人を探してほしいと、そう依頼を受けた。」
そういうと、楠林は納得したような、怪訝そうな、そんな表情を浮かべて、新しい煙草に火をつける。
海斗もそれに倣って、お互いに少しの間、煙草を吸うだけで、何も話さない時間が流れる。
「前にも話したと思うが。」
そう、今度は海斗から切り出した。
「調査でな、話を聞けば、思い出すんだ、そんな人間がいたとな。
担任、学校の教師までも、そういった生徒がいたと、そういっている。
死んだ、その時に確かにそうだったのなら、なんでそんなことが起こる。」
「わかるかよ、そんな事。こっちだって教えてほしいくらいだ。
俺は上沼美夜に関しては、聴取を担当してないが、精神的に証人喚問には呼べそうにないと、そうは聞いている。
まぁ、そうだよな、あの年ごろ、自分を助けようとして、友達が死んだ。
そんな事、そう簡単にまっすぐは受け止められないだろうさ。」
「まぁ、そうだな。それで、こんなわけのわからない事態が無ければ、それだけで納得はできたんだろうがな。」
仲のいい友人、あの様子では、他に友人がいるかも怪しい。
そんな相手が、自分を守って、誰かの手にかかった。
それを受け入れ切れず、まだ死んでいない、ただそう言い張っているだけ、そうであるならば、話は簡単だった。
今思えば、話を聞きに行った中村夫妻、そちらでも、今は、と、そういっていたではないか。
これからかもしれないが、それまでは、過去のどこかでは、二人ではなかったのだろう。
そう、そちらについては、一つ納得をして、調査の結果として、伝えるべきことも、もう決まった、ならば依頼人、その話はもう終わりだ。
「それで、なんでまた、伊澄が狙われた。一度狙って、阻まれて。
それで捕まったなら、更生しないと出てこられないはずだろ。」
「まぁ、雇用主としては気になるか。
調べれば、それも出て来る気はするが、いいだろう。」
そういうと楠林は、疲れたように、ただぽつぽつと話す。
「再犯なんだよ。昔、一目ぼれした彼女を、薬の勢いで襲って、その時はたまたま通りかかった学生が庇って、被害はその学生の重症だけ、いや、だけというのも不謹慎だな、死者も口にできないような被害も出ずに済んだ。」
海斗は、良く知っている話を聞かされる。
「それで、出所したその男は、逆恨みで事に及んだんだよ。
当時やっていた、薬もまた初めてな。
上沼に狙いをつけたのは、昔の彼女に似ていたからと、そういう事らしい。」
海斗は気が付かないついに、机を殴りつけていた。
かなり大きな音が鳴ったのか、店内が急に静まる。
それに気が付き、一度大きく息を吐き出し、酔いが回り始めたみたいで、力言を間違えたと、そういって周囲に向けて頭を下げる。
「おい、どうした。」
周囲の喧騒が戻る中、楠林は目の前にいたこともあるだろう、そんなことに誤魔化されず、海斗に尋ねてくる。
「ああ、それ、俺だよ。」
そう告げれば、楠林は、ただ驚いたように目を開くと、何も言わずに互いのグラスに次を入れる。
最初に飲んでいた物よりも、度数が強いそれを、海斗は何も言わずに、一息にあける。
そして、しばらく言葉も出せずに、ただ空いたグラスを睨みつける。
「なぁ。なんでそんな人間が、再び出てこられるんだよ。」
海斗は自分が、何故そんな事を口にしたのか、よくわからなかった。
だが、ただただ、それ以外の言葉が出てこなかった。
「ああ。なんでだろうな。俺たちも分からないさ。」
楠林は、それに対して、透き通った表情でそう答える。
そして、そのあとは、互いに口数も少なく、酒を飲み、また、何かわかればと、お決まりの言葉を交わして、別れることになった。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
彼ノ女人禁制地ニテ
フルーツパフェ
ホラー
古より日本に点在する女人禁制の地――
その理由は語られぬまま、時代は令和を迎える。
柏原鈴奈は本業のOLの片手間、動画配信者として活動していた。
今なお日本に根強く残る女性差別を忌み嫌う彼女は、動画配信の一環としてとある地方都市に存在する女人禁制地潜入の動画配信を企てる。
地元住民の監視を警告を無視し、勧誘した協力者達と共に神聖な土地で破廉恥な演出を続けた彼女達は視聴者たちから一定の反応を得た後、帰途に就こうとするが――
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
廃墟の呪い
O.K
ホラー
主人公が電子書籍サイトで見つけた遺書には、禁じられた場所への警告が書かれていた。それを無視し、廃墟に近づいた主人公は不気味な声に誘われるが、その声の主は廃墟に住む男性だった。主人公は襲われるが、無事に逃げ出す。数日後、主人公は悪夢にうなされ、廃墟のことが頭から離れなくなる。廃墟がなくなった現在も、主人公はその場所を避けている。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる