手が招く

五味

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二章

そして、消える 8

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海斗はその後、自分がどうしたのか、それをよく思い出せない。
ただ気が付いた時には、明々と蛍光灯が照らす中、事務所の仮眠室で目を覚ました。
本来であれば、あのまま夜通し報告書の作成や、集めた証拠の確認などを行い、早朝に事務所を出て、あの中村家の様子を見に行く、その予定だった。
窓のない仮眠室、蛍光灯の明りだけが照らす中、海斗は時間が分からず、事務所へと出る。
事務所も変わらず電気がその室内を照らしており、窓から見える外の明りが、既に日が昇ってそれなりの時間がたっていることを、知らせてくる。

電気を今更消す気にもならず、海斗は携帯で時間を確かめようとする。
机に投げ出されたままのそれに、手を伸ばす途中、昨夜のことが思い起こされる。
一度止まった手を、無理やりに伸ばし、携帯を掴み、時間を見れば、既に朝というよりは昼に近い時間となっていた。
この時間では、予定していた調査もできない。
元々一日ですぐに、そうはいかないだろうと考えていたが、それでも一日遅れるのは、つらい。
海斗は改めて、今日一日の予定を確認する。
他の依頼もほどほどに片付いている。なら、今日の夕方、帰宅の時間を狙おう。
そう切り替えて、机に座り、足首を改めて確認する。
昨日の夜確認した時に比べれば、少し薄くはなっているが、それでも見間違いがないほどはっきりと、そこには痣がある。

その痣は、何度見ても嫌悪感を海斗に与える。
そもそも、こんな形の痣が何故ついたのか。
人につかまれたことなど、当然ない。それも、ここまではっきりと残るような、そんな力で掴まれれば忘れるはずもない。
思い当たることなど何もなく、いや、昨晩遭遇した、あの手、それ以外に彼は思い当たることが無い。
そのまま、昨夜から来たきりになっている服の裾を降ろし、改めて携帯を確認する。
昨夜撮った写真、それから映像。それらをもう一度確認しよう、そう考えてのことで合った。

海斗は見るのも嫌だ、そう思う己に無理を強い、どうにか形態の画像フォルダを開く。
新しいものから並ぶその中に、昨夜撮ったはずの写真が存在しなかった。
まさかと思い、動画も確認すれば、そこにはどこぞのホテルから、女性と連れ立って出てくる中年男が映し出されているばかり。
昨夜、恐怖に負けて消しでもしたのか、そんなことをわずかに考えるが、それにしたってすべてを消すことはない。
海斗は、そのまま携帯で写真を撮り、そのファイル名を確認する。
彼の携帯は、写真をとれば自動的に番号が振られる。ファイルの数に関係なく、撮影した回数、その番号が。
急ぎファイルの名前を確認すれば、その自動で振られた番号は、彼の携帯に残っているものの続き。
若い男、会社員がこれまた女性と連れ立って、買い物をしている、そんな後ろ姿が映っている写真、その続き。
つまり、間に写真は他に何も取っていないことになる。

海斗は机に携帯を放り出し、頭を抱える。
そして、昨夜のことを思い返す。
写真はあった、とった記憶もある、映像にも残した、ここで確認した。
そんなことを何度も考えるが、現実は彼のその記憶を否定する。
浅野が言っていたはずだ、記録がない。楠林も言った、公文書なのに存在しない。
人間が消えたわけでもない、ただわけのわからない、道の真ん中に突然生えていた手、それが、今はただ消えうせている。
残ったものは、彼の記憶の中にある物だけ、それと足首の痣。
痣に関しては、別にその手につかまれたわけでもない、遭遇した証拠になるわけでもない。
彼は、ただただ冷たい汗が流れるのを感じる。

そうして、海斗は30分ほどそのままの姿勢でいただろうか。
そして、どうにか気を取り直した彼は、いくつかの紙に昨夜見た事、今起こっていることそれを書きだす。
それが終われば、パソコンを立ち上げ、その中のメモ帳にも記録をとる。
何が起こっているかなどわからない、だが何かが起こっている。
それも時間がたてば消えうせる、証拠だけでなく、記憶も。
それこそ、昨夜遭遇した、あのわけのわからない手のように。
その場では見ることができても、消えてしまえば跡形も残らない。
そういえば、昨日裾についていた、あの泥や枯葉はどうなっているのか、海斗はさしたる期待もなく、事務所の床を見る。
そして、そんなものがあった痕跡は、当然のように何も残ってはいなかった。

気分を切り替えようと、寝汗に加えて、昨晩からやたらと掻いた汗を、シャワーで流す。
体を流れる水滴につられて、視線を降ろせば、足首にはやはりはっきりと痣が残っている。
だが、昨日感じたような痛みは残っていない。体を洗うその流れで触れても、やはり痛みはない。
では、病院に見せに行くのか、それを考えて、痛みもないなら放っておけば治る、それこそ薬局で打ち身に効く薬でも買えばよい。
そんなことを考えて、新しいスーツに身を包み、仕事場に戻る。
夕方、帰宅時まではまだ時間があると、海斗は眠りなおす気にもなれずに、事務仕事に精を出す。
受信メールには、新たにいくつかの依頼が来ており、それに返信を出す。
報告が終わった件について、お礼のメールが来ておりそれに定型文で返事を返したりと、手間で毛がかかる仕事をこなし、それに片が付いたところで、今調査を進めている件について、纏める。

このわけのわからない状況、以前と変わらず、書き連ねたところで、何もわからない、それが分かるだけだ。
だが、受けた依頼は依頼、海斗は簡潔にまとめ、また、調査対象の家族に関して情報がないかと、依頼人の上沼にメッセージを送る。
携帯とPCのどちらでも使える連絡用のアプリ、それを利用して送ったメッセージには、直ぐに既読と、その印が付く。
少し待てば、調査対象の家族に関して、彼女が知っている情報だろう、それが表示される。
それによれば、家族は3人、両親と調査対象。
遊びに行ったときに、両親とも会ったことがある、家に行ったのはかなり前で、両親の仕事まではわからない。
だが、家族仲は良かった、そう書かれている。

そこには一つ、はっきりと、海斗が欲しいと考えていた情報が存在していた。
家族は三人、失踪したのは一人。
簡単な引き算だ、つまり中村の母は、正しい量の買い物をしていたことになる。
いなくなった、それを全く気にも留めず。
初めからいないと、そうでもいうかのように。

そう、結局のところ、調べるにつれてわかるのは、そんな人間は存在しない、それだけだ。
そこまで考えて、決めつけるのは早いと、彼は考えていた調査は行うことにする。
家に本当に二人しかいないと、そう決まったわけでもない。
買い物にしても、買い足しをしているから、たまたま二人分だった、その可能性もある。
まだ、決まっていない。
だが、彼の中には焦る気持ちもある、それこそ、機会があれば、直接聞こう、そう思うだけの何かが、芽生えていた。

そうして、夕方まで、彼は事務仕事を続ける。
メールのやり取りもそうだが、報告書として体裁を整え、加えて経費や固定費を表計算ソフトをに入れていく。
それが終われば、いくつかの入れ物に分けられている、書類を確認する。
忘れたり、抜けが無いようにと、そう考えて依頼表を、その依頼の状態に合わせて籠に振り分けている。
それらを改めて一枚ずつ確認しながら、状態と位置があっているか、それを確認する。
その合間にも、灰皿に溜まった煙草の吸殻を捨て、コーヒーを入れたりと、なんだかんだとやることが多い。
お客に出すものでもあるため、給湯室に置かれたインスタントのコーヒー、紅茶やお茶、日持ちのするお茶請け、そういった物も併せて確認する。

そして、不足している、そう感じる物をメモに書きだし、調査の帰りにでも二四時間営業の店舗によって買って来ようと、そう決める。
そういった作業は、案外と時間を取られるもので、誰か自分の代わりに行ってくれはしないだろうか、そんなことを一通り作業を終え、疲れを感じ始めた海斗は考える。
事業としての収益は、人をもう一人二人やとっても問題は無い程度になっている。
今後も、こういった依頼が減らないことは、こうして依頼が増え、何かと手が取られる現状が示している。
だが、彼自身調査に追跡と、事務所にいる時間は非常に短い。
そう、誰か経験があり、こういった作業に慣れている、そんな人材がどこかにいるだろうか、そんなことを椅子に座り、ぼんやりと考えるうちに、窓から差し込む光に色が付き始めていた。
時間を確認すれば、事務所を出ようと、そう考えていた時間から、既にいくらか遅れている。
彼は、慌てて事務所を後にする。
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