手が招く

五味

文字の大きさ
上 下
13 / 30
二章

そして、消える 8

しおりを挟む
海斗はその後、自分がどうしたのか、それをよく思い出せない。
ただ気が付いた時には、明々と蛍光灯が照らす中、事務所の仮眠室で目を覚ました。
本来であれば、あのまま夜通し報告書の作成や、集めた証拠の確認などを行い、早朝に事務所を出て、あの中村家の様子を見に行く、その予定だった。
窓のない仮眠室、蛍光灯の明りだけが照らす中、海斗は時間が分からず、事務所へと出る。
事務所も変わらず電気がその室内を照らしており、窓から見える外の明りが、既に日が昇ってそれなりの時間がたっていることを、知らせてくる。

電気を今更消す気にもならず、海斗は携帯で時間を確かめようとする。
机に投げ出されたままのそれに、手を伸ばす途中、昨夜のことが思い起こされる。
一度止まった手を、無理やりに伸ばし、携帯を掴み、時間を見れば、既に朝というよりは昼に近い時間となっていた。
この時間では、予定していた調査もできない。
元々一日ですぐに、そうはいかないだろうと考えていたが、それでも一日遅れるのは、つらい。
海斗は改めて、今日一日の予定を確認する。
他の依頼もほどほどに片付いている。なら、今日の夕方、帰宅の時間を狙おう。
そう切り替えて、机に座り、足首を改めて確認する。
昨日の夜確認した時に比べれば、少し薄くはなっているが、それでも見間違いがないほどはっきりと、そこには痣がある。

その痣は、何度見ても嫌悪感を海斗に与える。
そもそも、こんな形の痣が何故ついたのか。
人につかまれたことなど、当然ない。それも、ここまではっきりと残るような、そんな力で掴まれれば忘れるはずもない。
思い当たることなど何もなく、いや、昨晩遭遇した、あの手、それ以外に彼は思い当たることが無い。
そのまま、昨夜から来たきりになっている服の裾を降ろし、改めて携帯を確認する。
昨夜撮った写真、それから映像。それらをもう一度確認しよう、そう考えてのことで合った。

海斗は見るのも嫌だ、そう思う己に無理を強い、どうにか形態の画像フォルダを開く。
新しいものから並ぶその中に、昨夜撮ったはずの写真が存在しなかった。
まさかと思い、動画も確認すれば、そこにはどこぞのホテルから、女性と連れ立って出てくる中年男が映し出されているばかり。
昨夜、恐怖に負けて消しでもしたのか、そんなことをわずかに考えるが、それにしたってすべてを消すことはない。
海斗は、そのまま携帯で写真を撮り、そのファイル名を確認する。
彼の携帯は、写真をとれば自動的に番号が振られる。ファイルの数に関係なく、撮影した回数、その番号が。
急ぎファイルの名前を確認すれば、その自動で振られた番号は、彼の携帯に残っているものの続き。
若い男、会社員がこれまた女性と連れ立って、買い物をしている、そんな後ろ姿が映っている写真、その続き。
つまり、間に写真は他に何も取っていないことになる。

海斗は机に携帯を放り出し、頭を抱える。
そして、昨夜のことを思い返す。
写真はあった、とった記憶もある、映像にも残した、ここで確認した。
そんなことを何度も考えるが、現実は彼のその記憶を否定する。
浅野が言っていたはずだ、記録がない。楠林も言った、公文書なのに存在しない。
人間が消えたわけでもない、ただわけのわからない、道の真ん中に突然生えていた手、それが、今はただ消えうせている。
残ったものは、彼の記憶の中にある物だけ、それと足首の痣。
痣に関しては、別にその手につかまれたわけでもない、遭遇した証拠になるわけでもない。
彼は、ただただ冷たい汗が流れるのを感じる。

そうして、海斗は30分ほどそのままの姿勢でいただろうか。
そして、どうにか気を取り直した彼は、いくつかの紙に昨夜見た事、今起こっていることそれを書きだす。
それが終われば、パソコンを立ち上げ、その中のメモ帳にも記録をとる。
何が起こっているかなどわからない、だが何かが起こっている。
それも時間がたてば消えうせる、証拠だけでなく、記憶も。
それこそ、昨夜遭遇した、あのわけのわからない手のように。
その場では見ることができても、消えてしまえば跡形も残らない。
そういえば、昨日裾についていた、あの泥や枯葉はどうなっているのか、海斗はさしたる期待もなく、事務所の床を見る。
そして、そんなものがあった痕跡は、当然のように何も残ってはいなかった。

気分を切り替えようと、寝汗に加えて、昨晩からやたらと掻いた汗を、シャワーで流す。
体を流れる水滴につられて、視線を降ろせば、足首にはやはりはっきりと痣が残っている。
だが、昨日感じたような痛みは残っていない。体を洗うその流れで触れても、やはり痛みはない。
では、病院に見せに行くのか、それを考えて、痛みもないなら放っておけば治る、それこそ薬局で打ち身に効く薬でも買えばよい。
そんなことを考えて、新しいスーツに身を包み、仕事場に戻る。
夕方、帰宅時まではまだ時間があると、海斗は眠りなおす気にもなれずに、事務仕事に精を出す。
受信メールには、新たにいくつかの依頼が来ており、それに返信を出す。
報告が終わった件について、お礼のメールが来ておりそれに定型文で返事を返したりと、手間で毛がかかる仕事をこなし、それに片が付いたところで、今調査を進めている件について、纏める。

このわけのわからない状況、以前と変わらず、書き連ねたところで、何もわからない、それが分かるだけだ。
だが、受けた依頼は依頼、海斗は簡潔にまとめ、また、調査対象の家族に関して情報がないかと、依頼人の上沼にメッセージを送る。
携帯とPCのどちらでも使える連絡用のアプリ、それを利用して送ったメッセージには、直ぐに既読と、その印が付く。
少し待てば、調査対象の家族に関して、彼女が知っている情報だろう、それが表示される。
それによれば、家族は3人、両親と調査対象。
遊びに行ったときに、両親とも会ったことがある、家に行ったのはかなり前で、両親の仕事まではわからない。
だが、家族仲は良かった、そう書かれている。

そこには一つ、はっきりと、海斗が欲しいと考えていた情報が存在していた。
家族は三人、失踪したのは一人。
簡単な引き算だ、つまり中村の母は、正しい量の買い物をしていたことになる。
いなくなった、それを全く気にも留めず。
初めからいないと、そうでもいうかのように。

そう、結局のところ、調べるにつれてわかるのは、そんな人間は存在しない、それだけだ。
そこまで考えて、決めつけるのは早いと、彼は考えていた調査は行うことにする。
家に本当に二人しかいないと、そう決まったわけでもない。
買い物にしても、買い足しをしているから、たまたま二人分だった、その可能性もある。
まだ、決まっていない。
だが、彼の中には焦る気持ちもある、それこそ、機会があれば、直接聞こう、そう思うだけの何かが、芽生えていた。

そうして、夕方まで、彼は事務仕事を続ける。
メールのやり取りもそうだが、報告書として体裁を整え、加えて経費や固定費を表計算ソフトをに入れていく。
それが終われば、いくつかの入れ物に分けられている、書類を確認する。
忘れたり、抜けが無いようにと、そう考えて依頼表を、その依頼の状態に合わせて籠に振り分けている。
それらを改めて一枚ずつ確認しながら、状態と位置があっているか、それを確認する。
その合間にも、灰皿に溜まった煙草の吸殻を捨て、コーヒーを入れたりと、なんだかんだとやることが多い。
お客に出すものでもあるため、給湯室に置かれたインスタントのコーヒー、紅茶やお茶、日持ちのするお茶請け、そういった物も併せて確認する。

そして、不足している、そう感じる物をメモに書きだし、調査の帰りにでも二四時間営業の店舗によって買って来ようと、そう決める。
そういった作業は、案外と時間を取られるもので、誰か自分の代わりに行ってくれはしないだろうか、そんなことを一通り作業を終え、疲れを感じ始めた海斗は考える。
事業としての収益は、人をもう一人二人やとっても問題は無い程度になっている。
今後も、こういった依頼が減らないことは、こうして依頼が増え、何かと手が取られる現状が示している。
だが、彼自身調査に追跡と、事務所にいる時間は非常に短い。
そう、誰か経験があり、こういった作業に慣れている、そんな人材がどこかにいるだろうか、そんなことを椅子に座り、ぼんやりと考えるうちに、窓から差し込む光に色が付き始めていた。
時間を確認すれば、事務所を出ようと、そう考えていた時間から、既にいくらか遅れている。
彼は、慌てて事務所を後にする。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

心霊捜査官の事件簿 依頼者と怪異たちの狂騒曲

幽刻ネオン
ホラー
心理心霊課、通称【サイキック・ファンタズマ】。 様々な心霊絡みの事件や出来事を解決してくれる特殊公務員。 主人公、黄昏リリカは、今日も依頼者の【怪談・怪異譚】を代償に捜査に明け暮れていた。 サポートしてくれる、ヴァンパイアロードの男、リベリオン・ファントム。 彼女のライバルでビジネス仲間である【影の心霊捜査官】と呼ばれる青年、白夜亨(ビャクヤ・リョウ)。 現在は、三人で仕事を引き受けている。 果たして依頼者たちの問題を無事に解決することができるのか? 「聞かせてほしいの、あなたの【怪談】を」

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

野花を憑かせて〜Reverse〜

野花マリオ
ホラー
怪談ミュージカル劇場の始まり。 主人公音野歌郎は愛する彼女に振り向かせるために野花を憑かせる……。 ※以前消した奴のリメイク作品です。

月影の約束

藤原遊
ホラー
――出会ったのは、呪いに囚われた美しい青年。救いたいと願った先に待つのは、愛か、別離か―― 呪われた廃屋。そこは20年前、不気味な儀式が行われた末に、人々が姿を消したという場所。大学生の澪は、廃屋に隠された真実を探るため足を踏み入れる。そこで彼女が出会ったのは、儚げな美貌を持つ青年・陸。彼は、「ここから出て行け」と警告するが、澪はその悲しげな瞳に心を動かされる。 鏡の中に広がる異世界、繰り返される呪い、陸が抱える過去の傷……。澪は陸を救うため、呪いの核に立ち向かうことを決意する。しかし、呪いを解くためには大きな「代償」が必要だった。それは、澪自身の大切な記憶。 愛する人を救うために、自分との思い出を捨てる覚悟ができますか?

きらさぎ町

KZ
ホラー
ふと気がつくと知らないところにいて、近くにあった駅の名前は「きさらぎ駅」。 この駅のある「きさらぎ町」という不思議な場所では、繰り返すたびに何か大事なものが失くなっていく。自分が自分であるために必要なものが失われていく。 これは、そんな場所に迷い込んだ彼の物語だ……。

トゴウ様

真霜ナオ
ホラー
MyTube(マイチューブ)配信者として伸び悩んでいたユージは、配信仲間と共に都市伝説を試すこととなる。 「トゴウ様」と呼ばれるそれは、とある条件をクリアすれば、どんな願いも叶えてくれるというのだ。 「動画をバズらせたい」という願いを叶えるため、配信仲間と共に廃校を訪れた。 霊的なものは信じないユージだが、そこで仲間の一人が不審死を遂げてしまう。 トゴウ様の呪いを恐れて儀式を中断しようとするも、ルールを破れば全員が呪い殺されてしまうと知る。 誰も予想していなかった、逃れられない恐怖の始まりだった。 「第5回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました! 他サイト様にも投稿しています。

ラヴィ

山根利広
ホラー
男子高校生が不審死を遂げた。 現場から同じクラスの女子生徒のものと思しきペンが見つかる。 そして、解剖中の男子の遺体が突如消失してしまう。 捜査官の遠井マリナは、この事件の現場検証を行う中、奇妙な点に気づく。 「七年前にわたしが体験した出来事と酷似している——」 マリナは、まるで過去をなぞらえたような一連の展開に違和感を覚える。 そして、七年前同じように死んだクラスメイトの存在を思い出す。 だがそれは、連環する狂気の一端にすぎなかった……。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

処理中です...