手が招く

五味

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一章

失踪した友人 1

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その日も彼、川辻海斗は、事務所にいた。
彼は所謂探偵事務所を個人で運営しており、日々舞い込む素行調査、失踪者の捜索といった物を日々請負、それをこなしていた。
最初の内は、正義感らしいものを胸に抱いたりもしたが、繰り返される現実を前にそんなものはいつか消え。
今となっては、日銭を得る。
それだけのために、惰性で続けていた。

惰性で続けているとはいっても、彼がもはや5年以上、一般の中小企業であれば、その多くが消えてなくなる以上の期間を、一人だけで運営できた、その実績と、確かな技量もあっての事だろう。
舞い込む依頼は後を絶たず、いつしか受け付けとして助手を雇い、惰性で続けている、本人のその気持ちとは別に、業績だけは緩やかに右肩上がりになっていた。

彼は、助手が受けつけ、概要がまとめられた仕事の中から、これはすぐ受ける、これはここを詳しく聞いてくれ。
この件は時間がかかりそうだから、費用がこの程度発生するだろう、この指定期間では不可能だから、調査期間を改めて提示し、客が承諾しないから断ってくれ。
そういったことを、依頼書に書き込んでいき、処理済みの籠に放り込む。
それで彼の御前は大体終わる。
調査などといっても、調査対象、やはり浮気、不貞などといったものが多く、午前にことが行われることは少ない。彼は常々、午前の間にこのような雑務を済ませ、午後からは受けている以来の状況に合わせて現地へと足を向ける。
時には夜通し、冬の寒空の下で、ただ調査対象が決定的な証拠となる現場から、人を連れて出てくるのを待ち続けっる。
車のエンジンを入れ、暖房が使える場所であればありがたいがそういう場所ばかりでもない。

そんなことをただただ繰り返していた。
それも5年も。

放り込んだ紙束が音を立てるのを聞きながら、彼は考える。
さて、最後に今やとっている助手と顔を合わせたのは、いつの事だったのであろうか。
面接は行って、最初の数週間、依頼主との調整の場に同行させ、時には主導で会話を行わせ。
問題ないと判断して、それから。
自分は、あの若い女と顔を合わせたことがあったであろうか。

仕事の進捗はこうして放り込んだ紙の量が減ればわかる。
受付としての業務量も、増える紙の量、それと依頼主とのやり取りを行うメールの状態。
もし受付を任せているあの女が、それらすべてをごまかしているのでなければ、それで十分事足りる。
それに実際に行った仕事、その成果に対する報酬は支払われている。
男を騙す。それだけのために数年にわたりこの金額を用立てているのだとしたら、それこそ異常だ。
いや、金額でだけではないか。
実際に男が調査に出向けば、そこには気分の悪くなる証拠が山のように積み上げられるのだから。

そうして男は日々の仕事をこなしていた。
そして今日もそれは変わることが無いだろう。
そう考えていた矢先、事務所の電話が鳴る。
放っておこうか、困っているのであれば、また連絡があるだろう。
あの手伝いの女性がこの事務所にいるときに。
そう考え、電話が鳴るのをただ眺めるが、彼はふと考えを改める。
今は特に急ぎの仕事があるわけでもない。よくある素行調査という名の浮気現場の特定は、少なくとも一般的な会社が就業を迎えた後から、もしくは昼休み時、そういった時間で行うほうが効率が良い。
必要な情報もある程度揃いだしており、あとは決定打となるような、そういった写真をいくつか取れば終わる、そういった段階であった。

ありていに言って、すぐにやるべきことが無かった男は、なり続ける電話がもたらす苛立ちに負け、受話器を取り上げる。
さて、こうして自分が直接対応するなど、いつ以来の事であろうか。
彼は念のため、現在受けている依頼やその進捗状況をまとめたチャートを、自身の仕事用のPCに表示する。
これが新規の依頼ではなく、すでに依頼として受けている相手からの連絡である可能性も捨てきれない。

取り上げた受話器を耳に当て、男、川辻海斗は告げる。

「はい。こちら川辻調査代行サービス。本日はどういったご用件でしょうか。」

自分の出した声に、相変わらず愛想の一つもない。
そんなことを考え、舌打ちの一つもしたくなる。
彼自身、自身にそういったものが無いのは、事務所の手伝いを雇ってから依頼の成立数が増えていっていることからも、嫌というほど理解させられている。

川辻が声をかけても、電話から声が返ってこない。
そんなに威圧的だったかと、そう考え川辻は努めて軽い声を出すよう心掛け、もう一度繰り返す。

「こちら、川辻調査代行サービスです。本日は、どういったご用件でしょうか。」

それから、彼が少し待つと、耳にあてた受話器から、か細い、若い声が聞こえてくる。

「その、人探しを。」

そして、また声が途切れる。電話越しでもわかるほどに気弱な感じのする相手の態度、川辻はやはり、連絡など受けずに、放っておけばよかったと早くも後悔する。

「はい。人探しですね。承っております。」

川辻は、子供をあやすような心持で続ける。

「流石に詳細を伺わなければ、受けますとは言えないので、もう少し詳しいお話を聞かせていただけませんか。」

そこで言葉を区切れば、また、しばらく間が空いて、声が続く。

「その、私の友達が、いなくなって。
 電話、かけても出なくて。いつも使ってるアプリでも反応なくて。」

震える声で、ぶつぶつと告げられる言葉は、海斗にしてみれば聞き取りづらく、また、要領を得ない。
相手の名前も、年齢も、容姿も性別も。どこに住んでいるのか、普段どういった行動をしていたのか。
相手の言葉からは、調査に必要なことが、何もわからない。

「それで、その、友達の家に、電話を掛けたりしたんですけど。
 その家の人は、なんだか、私がいたずら電話をしている、そんな感じで。
 兄弟なんていない、一人っ子だったのに。」

海斗はこのまま喋らせてもらちが明かない、そう考え、話を切る。

「成程、お話は分かりました。
 詳しいことは、直接お伺いさせていただきたいのですが、大丈夫でしょうか。」

そう伝え、挙動不審な相手に、少しでも話安ければと、そう考え、手伝いの事を伝える。

「当事務所には女性スタッフもいますので、私に直接話すのが苦手であれば、そちらに任せましょう。
 今からいう時間で、どこか都合のいい日はありますか?」

そして、海斗がいくつかの日程を挙げれば、最も近い日時を選ぶ。
この急ぎ用であれば、いなくなっているのは本当かもしれない。
だが、どうだろう実の家族が、いたずらと、この相手の事をそう感じたのであれば。
もしくはそう演じたのであれば、事は思ったよりも複雑であるかもしれない。

海斗は、その日時で合うことを了承し、事務所の住所、連絡先を伝え、相手の連絡先も確認した。
そしてそれらを、依頼表にまとめると、お決まりの言葉を伝えて、受話器を下ろす。

久しぶりの行動で、思いのほか緊張していたのか、海斗は自身がよくわからない汗をかいていたことを自覚する。
作った依頼表を、お決まりの籠に放り込み、彼は汗を流すために、備え付けのシャワー室へと向かう。
思えば一人だけでこの事務所にいたころは、此処も最低限だけしか整えていなかったが、手伝いの女性がよく気を利かせているのだろう。
そこはずいぶんと使いやすく、清掃も行き届いていた。
海斗はこの後の仕事をどのように進めていくか、それを考えながら、汗を流す。
どうにも、厄介な仕事になりそうだ、対して長くもない経験が、海斗にそう告げている気がした。
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